謫仙楼対局 碁は錯覚の藝なり

黒 小嫦娥 六目半コミだし
白 謫仙

 左下で戦いが始まった。そして、24目もの白石が全滅。
 本来なら投了するところだが、右側が手つかずの状態だったため、もう少し打ってみようと、大きく風呂敷を広げた。
 黒は中央から圧迫して白地を制限するだけでいいのに、中に打ち込んできた。これが実戦心理なんだろうな。その14目を殺しては振り出しに戻ったと思う。
 そこで、黒は上辺の白に手を付けてきた。

 ここで、この劫に負けたらAが取られBを助けると後手、と大錯覚。劫に負けてもCにつなげばよい。それに気が付かず長考してしまったのが大失敗。なによりDに打って活きておいて、それからの話であった。たとえABを取られても、白は右上に先行すれば、勝機はある。
 それがABを取られては足りないと読んだのが問題だった。長考の末、なんとついでしまったのだ。

 小嫦娥は「碁は錯覚の藝なり、と言ったのは誰だったかしら」などと言いながら、黒3と打つ。
 聖姑みたいなことを言うなと思いながら、「誰だろう、中山典之さんじゃなかったかしら」と白4に応じた。
 黒5となったとき、なんと打ったつもりのDを、まだ打っていなかったことに気づいた。
 うわー、オワだ。わずか数手の間に大きな錯覚が三つも重なっては、いくらなんでも勝つのは無理だ。
 ABを取られても右上に回れば…、というのはかなり高度な話にしても、劫を謝っても問題ないのは初心者でも判りそうなもの。まして、活きるのを忘れて劫の解消を先に打ち、黒5を打たれるまで気が付かないとは話にならぬ。
「碁は錯覚の藝か…」
「碁は錯覚の藝だけど、これは単なる錯覚、藝とはとてもいえないでしょう」
 そこまでダメを押すか!

謫仙(たくせん)

(20096.28)


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