教科書と小説

棋聖戦最終局24手まで

 古豪チクン大棋士とのフルセットの激闘の末、山下棋聖が3連覇を果たした第32期棋聖戦。3月29日の千寿会では久しぶりにチーママと高梨八段のコンビで最終第7局を大盤解説した。星と小目を組み合わせた並行型布石(ただし、小目の向きが異なる)で始まった決戦は右下の定石が一段落せず、中央から左辺に向かって果てしなくねじり合いが続き、白番山下の中押し勝ちで終わったのはご承知の通り(以下敬称略)。

 事の起こりは、どうやら下辺を3間に挟んだ白22だったようだ。中の白2子から軽く動けば普通らしいが、「自分も苦労するから下辺の黒も汗をかけ」と20代の若者が50代の大先輩を挑発した。案の定、古豪は挑発に乗った。上に向かわず、挟んだ白石を悪手にしようと1間開き(黒23)と根を下ろした。相手がそこまで力を入れるなら中の白は軽く見そうなものを、若者はすぐに動き出した。こうなれば止まらない。車の後押しみたいに互いに左辺へなだれ込み、ともかく寸時も石が離れない。

 その後、左上で大きなコウが発生して黒が白の大石を仕留めるが、白も中央の黒を取って取り残されていた右辺の白石が安定し、上辺と左辺で大きな地を得た。その間、劫材として打った黒十三の3などの疑問手があったようで、白が優勢を確立して押し切ったということらしい。

 この碁を並べてもらって私の印象は「ウヘーッ」の一言。ザル碁の私の感想など1文の値打ちもないが、ミミズのたわごとだと思って聞き流して欲しい。棋風のせいもあるかもしれないが、あまり気持ちが良くない。例えば山下棋聖の義兄である高梨八段は、「黒が頑強に黒23と打ってきたなら、そこで左下にかかり放しになっていた黒5を高くAに1間ぐらいに挟んで様子を見たい」と言っていたが、これなら私の腑にストンと落ちる。

棋聖戦最終局45手まで

ねじり合いの最中に黒が白3子の急所に迫った黒45も温厚でぬるい私から見れば近寄り過ぎで、左上の白にBかCあたりに柔らかくかかり、星の白へ働きかけながら中の白を睨む調子でゆっくり行きたい(この説は両先生に無視されたが)。

 いつしか齢を経た私にはあまり怖いものがない(「ノーテンキ」が行き着く先の「ホーゲンヘキ」の境地)。エラソーに抜かすなら、「大きな対局すなわち名局とは限らない」と言いたい。イソップ童話の「すっぱい葡萄」みたいな捨て台詞を吐けば、私にはまるで参考にならない。要するに私には難し過ぎる。その伝で言えば、古くは碁聖道策やカミソリ坂田、現代なら王立誠や韓国・中国の碁が当てはまる。あくまでも一時の観賞用で、あれよあれよと目を丸くしているうちに何が何だか判らない局面が進行し、並び終えればすぐに忘れ去るパターンだ。

 恥ずかしながら、「ザル碁の私にも参考になる棋士」を挙げさせていただこう。古くは本因坊9連覇の高川秀格、近くは武宮大風呂敷先生と小林光一名棋士。所詮上っ面しか理解できないのは言うだけ野暮だが、それでも志す方向やリズムを何となく感じ取れるようだ。逆に言えば、それだけ相手に研究されやすい側面もあるのではないか。

 ただし、好き嫌いとなるとまた話は別。因果なことに私は普段の行動原理そのままに、旗幟鮮明とか単純明快を避け、紆余曲折を経たオトナの隠微な世界を好むのだ。碁の世界でその代表者は、相手の棋風とその日の気分で動く小林覚。そして昨日の淵は今日は浅瀬に、青々した桑田がいつの間にか海になったりする依田紀基。そして意外かもしれないが、「豪腕」をうたわれる丈和がなぜか私には柔らかく感じられて好きなのだ。

 教科書に使われるのは高川・武宮・光一、小説に出るなら覚・依田・丈和——。勝手ながら、私はこんな風に理解している。

亜Q

(2008.4.2)


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