囲碁特待生

 日本高校野球連盟が全国約4800の加盟校を調査したところ、400校近くが特待制度を持ち、対象となった学生は約8000人に上った。特待制度を申告した高校には5月中の対外試合を自粛させるが、適切な是正措置を講じれば今夏の第89回全国選手権地方大会に出場できるそうだ。「“遅くなってからばれるのではお咎めが厳しそう”と次々と右へ倣えと自己申告している姿は妙におかしい」と、野球評論家の豊田泰光氏が皮肉っていた。

 この数字は多いのか少ないのか、処分は妥当かどうか、それに誰もが知っていてこれまで放置してきたことをいまさらなぜ、といった疑問は尽きない。学校は悪いと知りながら特待制度を続けてきたのか、それとも「これは必要悪」と確信して違反を繰り返してきたのか。ルールに不満や疑問があるなら正々堂々と問題提起して改正するのが筋だろう。そんな面倒を避けてこれまでずっと何食わぬ顔でルール破りしていたとすればスポーツマンシップにもとると言わざるを得ない。いずれにせよ、連盟側の措置や学校側の行動の当否を判断するのは私には難し過ぎるが、これまで表に出にくかった特待制度をあぶり出され、広く関心を集めたことはよかった。

 議論のポイントは、学業や技芸の優秀な学生や他のスポーツでは特待制度が広く認められているのに、「なぜ野球だけが駄目なのか」に集約されるようだ。確かに、野球のうまい学生を裏金でかき集め、学校の知名度やステータスを上げようとするのはやはり本末転倒だし、選手争奪戦の裏でブローカーなどがうごめいているなどと聞くと、美しい行動とはとても言い難い。日本は野球の人気が高く、学業や囲碁を含む他の分野と著しくバランスを欠ける優遇を受けることに対して、野球の才能がなかった(野球以外でも同じだった)私がやっかんでいるだけかもしれないが。

 囲碁なら特待制度は大歓迎。実践している学校があれば校長に敬意を払いたくなるが、残念ながらあまり聞いたことがない。似ているようで違うのは、ささやかな個人の使命感に基づく弟子の育成。プロ棋士では大木谷以来、東京の大淵九段、中部の吉岡七段をはじめ、チクン大棋士や依田元名人ら、アマでは菊池康郎氏が主宰する緑星学園などが知られているが、これは特待制度とは呼べまいし、もちろんビジネスでもない。むしろボランティアの志という意味で、文化交流士チーママや重野由紀プロの欧州普及と同じような行動かもしれない。

 才能ある若い人を磨き上げる「特待制度」や「育英制度」を実践する囲碁の世界の“足ながおじさん”(企業でも自治体でも善意の団体でも大資産家でもいい)はいないだろうか。スポーツ、芸術、ハイテクからゲームソフトに至るまで才能がいろいろな分野に散らばり、風流文化を愛でる昔の大富豪もいない現代では、碁聖・秀策を庇護した“三原の殿様”は現れにくい。

 とすれば、小さな志を薄く広く集めるしかない。喩えは適切ではないかもしれないが、見込みがありそうな若駒をグループで育てる共同馬主。才能を発掘するプロセスは弟子を取る師匠や学校(最近、同志社や立命館など関西の伝統校に付属する小学校が囲碁を講座に取り上げたそうだ)に委ね、活動資金を私募債の形で集めるのだ。と言っても、競馬やファンドとは違って募金者は経済的な見返りを期待するわけではない。若駒の成長を祈り、栄光と挫折を一緒になって一喜一憂するだけ。もちろん、共同研究会や指導碁を通じての勉強会や活躍を喜び合うパーティーへの招待、揮毫色紙などの“株主優待”サービスは受けられるだろう。

 投資先は師匠と弟子たちの組み合わせに限ることはない。既成の棋士たちを応援するファンクラブを兼ねた募金も考えられる。投資対象となる受け皿が一人では資金が集まる棋士はごく限られるし、それ以上に管理やサービスに身が持たない(その意味では現役を引退された白江八段の超人的な努力と才能には頭が下がる)から、複数で役務を分担する。地域や縁故関係の絆で例えば「関西の7人の侍」(結城・坂井・倉橋・瀬戸・中野ら)とか「囲碁姉妹」(万波・向井・井澤ら)、「四十代男盛り連合」(覚・立誠・オーメン・片岡・山城ら、)「チクン大師匠を超える若者たち」(金スジュン・松本ら)、「中部・吉岡道場」(中根・下島・金賢貞・柳沢・大沢ら)といったグループを結成して、「この指止まれ」と呼び掛けるのだ。(敬称略)

 もちろん、棋士には得手不得手があるだろう。雑事に煩わされずに棋理一筋に励み、結果として大きなタイトルを獲得したり国際棋戦で活躍したりする人もいるだろうが、すべての棋士がそれを実現できるわけではない。仮に実績、人気ともにトップクラスでも、1人でファンクラブを運営管理し、まかなうのはかなり大変だ。逆に、実績や知名度はなくともアマへの指導は熱心だったり、必ずしも勝利には結びつかなくてもうっとりとするような美しい碁を見せてくれる人や、仲間を束ねたりグループ運営実務に長けていたりする人もいるだろう。それぞれが補完し合いながら魅力的なグループ活動をつくり、実績やファンサービスを競い合えば、サポーターは全国に広がるのではないか。

 金の卵の育成や棋士活動を援助する募金やファンクラブの運営には、アマと棋士、あるいは師匠や学校とを橋渡しする仕組みや制度が必要かもしれない。枠組みづくりの主役はもちろん日本棋院や関西棋院。スタッフや経験が不足なら、地縁サポーターや各分野の専門家の知恵や奉仕活動を募ることもできるのではないか。囲碁を愛好する人なら喜んで手助けする。彼らを使わない手はない。

亜Q

(2007.5.4)


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