石の打ち方について

昨年末、千寿会に訪れた女子大生囲碁部の美女軍団。若い頭脳を振り絞り、その都度 決断を繰り返して盤上に打ち進めていく手つきをぼんやりと眺めていました。碁はま さに「手談」。着手の内容だけではなく、打ち方そのものが打ち手の心を雄弁に物 語っているのです。こんな手は落第かなとこわごわと置いたり、わだかまりを断ち 切って「エイッ」と打ちつけたり、「ここはこの一手」と自信を込めて打った りーー。

お相手を務めたのは日本のプロ棋士を目指してチェコから来日した15歳のオンドラ少 年。3〜5歳ほど年長のお姉さんたちを横に並べてほとんどノータイム。ちょっと カッコいい手つきでピシリピシリと音高く打ち据えていく。もちろん本人は無意識で しょうが、相手を試し、あるいは脅したりすかしたり。院生リーグで全国の天才連中 を相手にもまれている自信と気負いがほとばしり出ているようでした。

ザル碁打ちの私もプロ棋士やアマ強豪に指導碁を打っていただく機会があります。そ んな時、真っ先に考えることは「変な手を打ちたくない」「できればたまには“そん な手を打てるのか”と誉められたい」「相手に迷惑をかけたくない」ということ。こ れらが渾然一体となって心の中で葛藤し、1局打つとへとへとになるのです。

我ながら結構したたかだなと思うのですが、そんな際でも相手の打ち方を観察してい る。ノータイムで打ち進めてきた上手がふと手を止めたりちょっと困ったしぐさをす るのを、上目遣いに察し取るのです。内心の葛藤をより和らげてくれるのは、相手の 打ち方の変化です。特に勇気付けてくれるのは、ほとほと困り抜いた手つきで妥協の 手を打ってくれた時。小さなため息が聞こえてくるような、そして自分はひそかな快 哉を上げるーー。

そこでオンドラ君の打ち方に異議有り!初級者のお姉さん方を相手に優しさが足りな いのではありませんか?ひじを張り指しならせて次々と相手の急所をえぐり、居丈高 に譲歩を迫り、妥協しない生意気は断固赦さない。そんな打ち方では、内心の葛藤に 押しつぶされそうになっている乙女の心をずたずたにしてしまう。私なら石をつまん でそっと滑らす。そう、雛鳥を抱いたり淑女とダンスをする時の要領で。

私はさっそく千寿先生にご注進に及びました。「あれでは向上心に燃えた乙女の心を 踏みにじってしまう!」――。しかし千寿先生の柔らかいイエローカードはオンドラ 君ではなく、思いがけず私に舞い降りてきたのです。現代の乙女は見せかけの優しさ ではなく、ひたむきな情熱であり、隠し立てをしない正々堂々たる勝負の気持ち。中 年のおじさんの猫なで声は気持ちが悪いのではないかしら、とはこれまたきついご冗 談でした。

K

(2002.1.4)


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