日本棋院見学記

案内してくださった安倍先生
案内してくださった安倍先生

――8月25日に市ヶ谷の本院に来ていただければ、対局見学とデビット君の指導碁は出来ます。私の連絡先は電話とファックスが○○、けいたいは○○です。

いかにも生真面目な安倍先生のお人柄がにじむような自筆のハガキが届いた。あいにく当日は台風11号の影響で空は荒れ模様。しかしDavidと私が棋院に到着すると傘立てはいっぱいだし、1階ホール全体がざわざわと喧しい。1階の奥では院生同士の手合い、2階では千寿先生の子供教室が開かれるとあって母子連れも多い。翌日からはアマ本因坊戦が開かれるとあって2階大広間は準備におおわらわ。夏の終わりの日本棋院は活気に満ちていた。

約束の10時半より5分ほど早く、安倍先生がエレベーターで降りてきて迎えてくれる。最初にご案内いただいたのは最も格式の高い5階の和室対局室。靴を脱いで廊下に上がると「立会人安倍吉輝九段」と立て札。ご案内いただく安倍先生は、この日5、6、7階で行われた40局ほどの全手合いの最高責任者だったのだ。「今日はボクの手合いはないけれど、全部が済むまで残ってなきゃない。だからゆっくりと案内できます」と宮城弁まじりで先生は説明してくれた。

5階には個室対局室が並び、棋聖戦リーグ本戦の4対局が行われていた。安倍先生に次いでDavidと私が室内に入るとチラッと目を投げる棋士は少数。対局が始まったばかりの午前中には、プロ、アマを含めて見学者は少なくないのだろう。ほとんどの棋士は盤上に集中して見学者など気にもかけない。この日は石田芳夫九段や対局中の今村九段らの「廊下とんび」を目にしたが、プロ棋士にはすごい勉強になるのだろう。Davidと私にも記録係の院生が気を利かせて棋譜を見せてくれるが、私にはやはり対局者の表情が興味深い。

タイトル者や特別対局専用の幽玄の間には川端康成の書「深奥幽玄」が床の間に鎮座し、襖の外には石庭がしつらえてある。対局者は山下天元と関西棋院の今村俊也九段、その隣の部屋では、山下天元とのプレーオフを制して名人戦7番勝負挑戦権、さらに22日には蘇耀國七段を下してアゴン・桐山杯決勝進出も決めた元棋聖・覚九段と、オーメン元本因坊・王座。さらに隣は依田碁聖と関西棋院の本田九段、そのまた隣が小松九段と王立誠元棋聖・十段・王座、いずれも前者が勝ち名乗りを挙げたらしい。就位式を済ませたばかりの高尾第60期本因坊は棋聖戦予選Bでの出場(相手は橋本雄二郎九段)だったが、本戦リーグ並みの個室、時計・記録係付きの待遇だ。

6階は和室と椅子席の対局大広間が2つ。ちょうど昼休みにかかって打ちかけられたままの盤面と対局者自身が押す手合い時計がびっしりと並んで実に壮観。富士通杯予選C、天元戦予選A、本因坊戦予選C、王座戦予選B、女流棋聖戦予選Aなどが同時並行で打たれ、杉内雅男・寿子夫婦、高木・石田章・酒井猛九段、テンコレ文士(中山六段)らのベテラン勢、セーケン八段、健二・水間両七段、王唯任四段、奥田あや初段ら千寿会おなじみの先生方の名前も見える。安倍先生は「娘もここで打っています」と岡田結美子六段・松原大成五段戦の名札を示し、「女流は棋戦がたくさんあるから、娘も一度だけ『女流最強位』を獲りました」と、娘を持つ父親ならではの表情を見せた。

その女流最強位をめぐって、小川誠子六段・井澤秋乃三段戦が7階の特別椅子席対局室で激戦の真っ最中。持ち時間の関係なのだろうか。同室で同時に対局している碁聖戦予選Aの武宮九段・イチャオ(鈴木伊佐男七段)戦が昼休みに入っているのに、熟年と新鋭の女流が秒読み付き時計に急かされながら必死に打ち進める。途中で武宮九段、イチャオ七段、青木キクヨ八段、さらにセーケン八段らが見学に入るが、対局者は全く気にもかけない。安倍先生は途中でうつらうつらされていたようだが、さすがに勝負勘は鋭い。私にはまだまだ難解な場面が続くと思われたが、部屋から出るとすぐ「黒がつぶされたみたいだな」とつぶやいたのにはびっくりした。 昼休みの混雑が収まる頃合を見計らって安倍先生は昼食に誘う。今日はお世話になるのだから私は気合が入っている。どこかうまそうな寿司屋にでも入ってと胸算用していると、安倍先生は脇目も振らずにサラリーマン定食店に一直線。最高メニューの何とか御膳でも1000円ポッキリ。おずおずと「ビールでも」と誘っても「いや、今日は仕事ですから」とピシャリ。ささやかなタニマチ気分を味わう目論見が根底から崩れた私を尻目に、「この店は御代わり自由ですから」と言うが早いかさっさと1杯目をかき込み「お姉さん、御代わり」。昭和16年生まれの安倍先生の本年の手合い成績は2勝1敗ペース。それを支えるのは日常の健啖生活からのようだ。

食事時の話題は、やはりテンコレ文士が物した『深夜の怪笑』。安倍先生はインターネットとは没交渉、もちろん本サイトも見ておられない。私は「こんなことを書きました」とかささぎさんが用意してくれたコピーを差し上げると、これは何かの雑誌ですかなどと聞かれてちょっとトホホ状態。それでも先生はコピーを一通りご覧になり、「当時は入段できるのは20歳まで。私はぎりぎりで駆け込んだ凡才だったから、他の天才・秀才たちに伍していくには努力するしかなかった。だから棋譜だけは次から次へと覚えました」と安倍先生。最初の頃は師事する先輩もなかったというから、古今の棋譜だけが安倍先生の師匠だったことになる。その後、シューコー先生が目をかけてくれたそうだが、大人一流の慧眼で、努力を惜しまないまじめな人柄を見込まれたのだろう。

ところが、安倍、高木、福井の三者と共に“深夜の怪笑現場”に居合わせたテンコレ文士は「私も一緒になって笑いながら、次第に背筋が寒くなった」と述懐している。「恐るべきは、この碁の虫どもの鳴き声であり、碁の鬼どもの哄笑である」そしてさらに、「碁の神々のたわむれである」とまで称え、「博覧強記、まことに恐るべし。このような恐ろしい記憶力の持主どもと、飽くことを知らぬ努力魔どもと、プロの世界で競争していかねばならぬ自分の立場に気がついた」と率直にぶちまけ、「私はこのときから、拭いがたい劣等感にとりつかれてしまった。そしてこのとき抱いた三人に対する尊敬の念は今も変わりがない」と結んでおられる。自称凡才の博覧強記(安倍先生)を尊敬して自分(テンコレ文士)の目標とする――私はこんな話を耳にすると、「碁の醍醐味は“人間賛歌”にあり」とつくづく思う。

打ち掛けの覚・オーメン戦
打ち掛けの覚・オーメン戦

棋院に戻ると、安倍先生は午前中に既に打ち掛けになって見られなかった覚・オーメンの対局室に連れて行ってくれた。覚さんは左手を頬と唇に添えて沈思する法隆寺の弥勒観音菩薩さながらの表情。一方のオーメンさんは頭を抱え、盤に覆いかぶさるように読みふけり、小さい声で何やらぶつぶつ。私は童心・オーメンも大好きだが、この時なぜか、髪の毛に隠されているはずの彼の耳が赤く見えた。ごめんね、オーメン。

見学が終わると、今度は棋院事務室を一通り見せてくれる。各フロアには棋院スタッフがびっしりと机を並べ、手合い係からイベント事業担当、出版部門、インターネット部門などをひと回り。顔見知りのスタッフが時折我々を見るから、図々しい私でも少々恥ずかしい。次は一気に地階へ降りて昨年完成したばかりの囲碁殿堂資料館。家康、算砂、道策、秀策、丈和、そして前理事長加藤正夫さんの功績……。Davidと私は実は8日に既に見ているのだが、ベテランプロの説明をひたすら恐縮・感激しながら聞いていた。

そして最後は2階の一般対局室。我々二人を相手に指導碁のスタートだ。先生の着手は何しろ早い。Davidも私も「置石が少なかったせい」だと思いたいが、まるで歯が立たない。あっという間に2局が終了、私は仕事の都合で2時半頃おいとましたが、Davidはさらに打ち続けたらしい。David、君は本当に果報者だ(もちろん、私もだが)。安倍先生そして千寿先生にいくら感謝してもし過ぎることはない。それにしても安倍先生は律儀な方だ。アマ相手の見学フルコースを、つい先日の本因坊就位式で名前を覚えていただいたばかりの我々に一切手抜きなしでお付き合いいただいた。先生、ありがとうございました。

亜Q

(2005.8.28)


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