祝・4連覇、渡辺竜王の近著から

 卑俗な表現と敬称省略をお赦しいただき、「碁打ち・将棋指し」を象徴する風貌の持ち主を古今の棋士から独断すれば、碁は呉清源、将棋は升田幸三(妖刀遣いと恐れられた坊主頭の花村元司も忘れがたい)。その後継者を探せば、碁ならウックン名人・碁聖か関西の旗手・結城聡あたり、将棋なら若くして亡くなった村山聖か渡辺明か。

 その渡辺棋士がこの13日、将棋界で賞金額最高の竜王戦4連覇を果たした。羽生善治王座・王将を中心とするスター棋士グループ、いわゆる「羽生世代」よりひと回りも下の23歳の若さだが、連続5期(または通算7期)で資格が得られる初の「永世竜王位」に“王手”をかけた。これに迫るのは名実ともに現役最高実力者と見られる羽生(通算6期)。この羽生が来期の竜王挑戦者になれば、両者の七番勝負は初代永世竜王を賭けての歴史的な勝負。これは見逃せない。

 折良く渡辺竜王の近著が見つかった。書名は『頭脳勝負——将棋の世界』(ちくま新書、2007年11月10日発行、ポケット版222ページ、税込み735円)。初級者やルールを忘れてしまった人も含めて多くの人に将棋の魅力を伝える目的で書かれているから少々かったるい感じ無きにしも非ずだが、第1章では「集中力のメリハリをどう保つか」「直感の精度」「封じ手を巡る駆け引き」など、第3章では「過去の大棋士」「同世代のライバルたち」など、さらに第4章では自戦記を軸にした対局中の心理状況などを散りばめて興味深い読み物に仕立て上げている。まだ読み終えていないが、竜王4連覇を祝して取り急ぎ前半のさわりをご紹介させていただこう。(以下『』で示す引用部分を多少はしょりながら、書き流します)

 『佐藤(康光挑戦者)は「は〜」「ふ〜」と1手1手ため息をつき、しきりにハンカチで顔をぬぐう。さらに「ちっ」(舌打ち)「あ〜」「いや〜」「ぷは〜」、そして△6九金には、ついに「あれ〜」と悲鳴のような声を発し、頭をかきむしった。渡辺(明竜王)も△7九角ではまだ勝ちを見極めておらず、天井を仰いで「は〜」と大きく息を吐き、秒読みに7まで読まれて「え、え、え」と慌てながら△6九同と。▲同玉には「う、う、うん」と首を捻って頭に手をやる。』(第19期竜王決定七番勝負第3局、担当記者による観戦記から)。

 『集中力が極限に達すると、このような、いわゆる、ランナーズハイの状態になります。この間、自分では何を口走っていたかは覚えていません。将棋は頭脳ゲームですが、そこには人間の戦いならではのいろいろな要素が含まれています。それはどんなものか。それがここからのテーマです。』

 そう言えば最近、“絶不調の人” かささぎさんから、対局中に「あっ、いやや〜」とか「何でやねん」とか「ベンチがアホやから」とか、ガキじゃあるまいし言うわけないやんか!と抗議されて首を絞められました。ご本人は何を口走ったか、まるで覚えておられないのだから仕方がない。私はひたすら謝り、やっとのことで魔の手から逃れたのです。(閑話休題)

 渡辺竜王は集中力を保つ方法として「ヤマの張り方」にも言及する。『相手の手番で有力な手が3つあり、どれを指されるかわからない局面での選択肢は、①100%の集中力で3つの変化を考える②集中力を落として3つの変化を考える③1つに絞って考える④どれを指されるかわからないから何も考えない——が考えられる。私は②を選ぶことが多いが、③④を選ぶこともある。特に「この手でくるに違いない」と確信めいたものがある時には③を採ります。ただし、当たる確率は…半分もありません。』

 『自分が考えていなかった手、つまり見落としていた手を相手が指してきた時はどうするか。①ここで考えてしまっては見落としたことを悟られてしまうので、考えはまとまらなくてもすぐに指す「気合重視」②見落としたことを認めるのは悔しいが、一から考え直す「冷静・無難」——。多くの場合は②が正解でしょうが、①でなければならない局面も存在するのが人と人の勝負というもの。(将棋の場合)プロ棋士の棋譜には、1手ごとに考慮時間が記されています。それに注目されれば、プロ同士の心理的駆け引きの一端が見えてくるはずです。』

 封じ手を巡る駆け引きも面白い。私は強制的に何かさせられることを生まれつき厭う性分だから、(万が一その立場になれば)封じ手はできるだけ回避したい。碁界全体でも私が見るところ、喜んで封じ手をする側に回る棋士は少ないと思うのだが、渡辺竜王は正反対。『封じ手をする側は1手先の局面を考えることができる。選択肢が多い局面で封じ手をして相手の意表をつくことができれば、2日目の朝に「一本取った」と精神的に有利になれる。問題は持ち時間との兼ね合い。封じ手まであと1時間の場合、封じ手の権利を行使したければ1時間余分に使わされる。誰が指しても同じ局面なら1時間も払う価値はないが、選択肢がいくつもあって見当がつかない場合、封じた側はその後の展開を午後6時〜翌朝午前9時まで考えられるからシミュレーション十分で臨める』と。

 次は直感の精度。『当然ながら、直感がいい人と悪い人がいます。少しは鍛えることが可能かもしれないが、ひらめきや感性の分野なので持って生まれたものも大きい。同じ人でも日によって違います。しかしこの感覚が悪くても読みの過程で挽回できる。例えば①正解ではない手が第一感だとしても、すぐにその手を捨てて正解にたどり着く②正解が第一感だけれど、決断に時間がかかってしまう——の両者では、結果は同じになりません。第一感が良くないと思ったら、それにこだわるのは良くないし、読みの過程を工夫することによって直感の弱さは克服可能です。』

 本書はこの後、「ミスと切り替え」「対局前の駆け引き」「調子の良し悪し」などへと進むが、私のつたない紹介はこの辺で打ちかけにしたい。後半には渡辺竜王からみた大棋士、ライバルの人物像、対局時の心理状況などがあって今すぐにでも読みたいのだが、じっくりと味わいながら機会があれば続編をまとめさせていただく(ザル碁の私がトップ棋士の立場に立って、生涯1度の「封じ手」をしたつもりでした)。

亜Q

(2007.12.16)


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