已むに已まれぬ大和魂 〜蛇足

 先日、本ページでお目を汚したばかりの「已むに已まれぬ大和魂」の中で引用させていただいた紺野大介教授の原文に、こんなくだりがありました。

 “『武士道』は、クエーカー教徒の米国人妻メリー・エルキントンに、妻女としての立ち居振る舞いを含めた日本人の価値観や倫理観などを知ってもらうために(新渡戸稲造が)なした著作”。

 私(亜Q)は、この部分は本ページに無関係だと思って省いたのですが、実はとても重要なのではないかと思い直しました。そこで、不体裁ではありますが、少し蛇足を付け加えさせていただきます。

 例えば大勢の人の前で演説するときには、誰か一人を“仮想聴き手”に特定し、その一人に向かって話しかけるようにすると話が伝わりやすいと言われます。新渡戸は『武士道』を英文で著す際に、読み手の代表として身近な妻女に白羽の矢を当てただけなのでしょうか。

 しかし『武士道』という哲学・倫理学・民俗学、高度な国際感覚や美意識、さらに英語と国語力を持たないでは著せないような大作を完成させるには、いかに該博な知識と論理構成力の持ち主でも、膨大な労力とそれを成し遂げる強い意思や使命感のようなものを持ち続けることが必要です。妻女があくまでも読み手の代表として仮託しただけの存在だとすると、新渡戸は崇高過ぎる人物ではないかと思いませんか。しかも当時は、最近の『品格本』などと違ってベストセラーになって大儲けすることもあり得ないから、モチベーションを持続させるのは大変ではないかと、心卑しき私(亜Q)は思ってしまいます。

 つまり新渡戸は、西洋の知識層に日本の価値観を大上段に振りかぶって説こうとしたと言うより、愛する妻女に「日本人とは素晴らしい民族なのだ」「何を隠そう、君の目の前の私こそがその代表的な存在なのだ」と、メス孔雀の前で羽を広げるオス孔雀のように求愛行動を取ったのではないでしょうか。こんな風に考えると新渡戸の壮挙はかなり割引されますが、逆に人間的にはとても親しみやすくなる。大好きな彼女に「ボクちゃんを尊敬し、愛して欲しい!」という強い願望が『武士道』の著作と言うとてつもない偉業を成し遂げさせたのですから。

 碁界にも新渡戸と似たような人物を見かけます。その最好例が高尾秀紳本因坊。慶応大学囲碁部OGの奈都子さん(千寿会にも良く顔を出された “なっちゃん”)を愛妻に迎えてから急激に戦績が上がり、第46期十段位を3連勝で奪い、第63期本因坊防衛にも3連勝でリーチをかけるなど大車輪の活躍。山下敬吾棋聖・王座、ウックン名人・碁聖らも同じ仲間と言えるでしょう。

 とすれば、本ページでおなじみの千寿会講師のT貴公子や、「どうすればごっつ良く(碁強く)なれるのか」と日頃お悩みの関西棋院の好漢、N九段らが一段と飛躍するためには、全く新たな観点から戦略を立て直すことも必要かもしれません。

亜Q

(2008.6.14)


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