日本棋院創立90周年記念式典から

10月3日、「ゆうちょ杯決勝戦」に続いて日本棋院創立90周年記念式典が東京・市ヶ谷で開かれた。会場には第39期名人戦を闘う井山裕太六冠、河野臨九段をはじめとする棋士代表、新聞各社など棋戦主催・協賛者らにおよそ200名の一般参加者を交えて大盛況。NHK杯講座を担当されたドラゴン宮崎、ドクター水間(令夫人もご一緒)、そして若手棋士による世界戦「グロービス杯世界囲碁U-20」の創設者・堀義人さん、囲碁界で初めてクラウド・ファンディングの手法で「トップ棋士による選抜13路盤トーナメント」を主宰された政光順二さん、企業経営からリタイアされたのを機に新棋戦「夫婦棋士トーナメント戦」を創設された成島眞さんらの姿も見えた。

立食形式のイベントでは、挨拶客との対応で忙殺される主役がひょっとした弾みで手が空くことがある。宴もたけなわの頃、そんな僥倖をつかんで和田紀夫日本棋院理事長にお話をうかがう機会を得たら、理事長はめっぽう人懐こく饒舌だった!「富士通杯、トヨタ電装杯といった日本主催の世界棋戦が相次いで姿を消した。囲碁界の退潮傾向をどう抑え、発展の道筋をつかむか、就任早々悩みが深かった」「そんな時、グロービスの堀さんが"おかげ杯の世界版"とも言うべき若手を主役とされた世界戦を企画された。これが大きなきっかけになった」(しかも初代優勝、準優勝者を日本が独占しました=私)「世界戦への挑戦と並行して熟年棋士を対象にするフマキラー杯、広島や会津など地域ぐるみで囲碁振興を図る棋戦も動き出し、13路盤や夫婦棋士をコンセプトに掲げた棋戦も相次いで誕生した」「これからは新聞や大企業にばかり依存するのではなく、エマージングビジネスや地域殻の支援、個人有志の吸い上げとお手伝いなど、あらゆる方法を講じて草の根的に展開していきたいきたい」(そうですね、お城碁の時代から連綿と続いた大スポンサー依存はもう古いですね)、「小学校から大学、さらに経営学校まで碁をカリキュラムに取り入れる動きも活発になりました」(囲碁の社会的使命の一つ、教育の分野も含めて理事長はきめ細かく頭を使い、気を配り、汗を流さなければいけませんね)、「皆様の熱意に引っ張られて私も楽しく務めさせていただいています」(棋院理事長が労を厭わずいろいろな所、時、場で行動されている姿を囲碁ファンも見ているでしょう。前身のNTT役員時代とは苦労も責任もまるで違って来られたと思いますが、どうぞこれからも一層のご活躍を祈ります)。

理事長との話が弾んでいつの間にか中締めの時刻。挨拶に立たれたのは石田秀芳第24世名誉本因坊。何やら最近遭遇した踏み切りでの出来事を話されていたが、耳が悪い私には今ひとつぴんと来ない。ファンが最も聞きたいことをなぜ話してくれないのだろう?そう、もちろんトップ棋士が13路盤で戦う新棋戦「クラウドファンディング十三路盤選抜トーナメント戦」の優勝報告だ。私が24世本因坊ならこんな風に話す。「このたび、図らずも新棋戦で久しぶりの優勝を飾ることができた」「たった今"図らずも"と謙遜したばかりだが、実はひそかに狙っていたのです」「出場棋士は名人戦最中の井山・河野さんを除くトップ棋士からファン投票で選ばれた16名、最年長が私、次いでチクン、メイエンさんら」「ファンによる事前の優勝予想投票では張ウさんが圧倒的人気を集め、対抗は高尾さんだったらしい」「長時間の勝負なら、確かに年齢のハンディはあるかもしれない」「でも少路盤の碁は言わば新しいゲーム。実戦に入っていかに早くコツをつかむかが鍵になる」「トシはとったが私はコンピューターと言われた男。ほかの15人に決して引けをとるとは思えない」「実はこんな手柄話をするのが本意ではない。むしろ碁は他の競技と異なり、頭が柔らかければ何歳になっても人生経験が役に立つゲームだということを会場の皆さんと共に確かめ合いたかったのです」「準決勝で闘ったメイエンさんも(囲碁マスターズ杯出場権利を持つ)熟年世代の戦友です」――といった具合。ところが24世本因坊は翌日同トーナメント戦優勝報告会が予定されていたらしく、この話は封印されていたのか。あるいはクールな印象とは違って、シャイで謙虚なご性格なのかも知れない。

ついでながらもう一つ、小林覚元棋聖と大坪英夫名誉九段(東京精密社長在席時に「女流最強戦」の創立などの功績で大倉喜七郎賞を受賞されたアマ棋客)のお話をご披露させていただこう。話題は何と「真似碁の復活(参考1参考2)」。馬齢を重ねた私から見ると、大坪さんほどいつまでも何事にも問題意識を発掘し、持ち続ける人は稀だ。大坪さんが積み上げられた仕事や学問に関することは私にはちんぷんかんぷんだが、こと碁に関する例だけを挙げても、現代碁における適正なコミ数とは、コミ6.5目における布石構想、真似碁の存在意義と効用――といった解答が難しい問題を考えておられるらしい。その結果、女流最強戦に日本で初めてコミ6.5目制を取り入れる業績も挙げられた。真似碁はどうか。半世紀も前に活躍された藤沢朋斎初代九段がしばしば用いてライバルたちを悩ませた戦法らしいが、その後日本でも中国、韓国でもあまり話題にならないからいつの間にか廃れたのだろうか。確かに相手に打たれると困るし、あるいは不愉快に思う人も多いかもしれない。朋斎九段から直接聞いたわけではないが、圧倒的に大勢を占める非難の声に屈さず、己の信ずる道を進む。 棋士の使命が棋理の究明にあるなら、真似碁はその一里塚。 茫洋とした棋理を、真似碁を利用して解明する糸口にしたのではないか。

大坪さんは真似碁の意義を肯定する立場から、小林覚元棋聖に「真似碁を実戦で試してみないか」と持ちかけた。そして覚さんはすぐさま「面白いですね」と応じた。「できれば白番が望ましい」「どうせなら、真似碁の意味を世間に広く問うために新聞棋戦が良いのではないか」「勝敗の結果が何かと微妙な場合は無理にやらないほうが良さそう」といったやり取りもあったらしい。とは言え、実践するとなると技術的な問題(例えば万が一"良い碁"にならなかった場合、普通の対局以上に非難・中傷を浴びる可能性が高い)、対局相手や棋戦関係者の意向、新聞棋戦の場合、読者の反応――等、「やっぱりやめておくか」と思いたくなる要素ばかりだ。ご両人の斬新な発想、度胸と侠気(おとこぎ)は私なりに存じ上げてはいるつもりだが、例えば少なくとも新聞の担当ライターには事前に「こんな試みをしてみたい」と非公式に打ち明けておいた方が良いかもしれない、と小心者の私は思ったりする。

亜Q

(2014.10.6)


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