ノーガキ垂れ垂れ、冷や汗タラタラ

 初心者の頃、故ハンス・ピーチ(チーママが育てたドイツ出身のハンサムな日本棋院棋士だったが、海外普及のただ中に暴漢に撃たれて死亡、六段)のハッピーマンデー教室に通い、4、5年ほどで囲碁大会二段の部で準優勝するまでに成長したM女が最近千寿会に仲間入りされた。何ごとにも控えめな私ではあるが、同じ趣味で精進しようという後輩の年若き女性には惜しみなく慈愛の目を注ぐ。M女についてはいくつか書き散らした(こちらこちら)こともあるので、本サイトを覗かれる方の中にはご存知の方もおられるかもしれません。

 6月30日の千寿会は、文化交流使として欧州で活動されているチーママが久しぶりに帰国されたこともあって大賑わい。チーママと高梨聖健八段の指導碁は当然ながら先客で占められていたから、私はM女との決戦に臨んだ。私は相手の意図を外すことだけが楽しみで碁を打っているようなものだから、M女はその都度たっぷりと苦しんでくれる。そう、碁は人生の縮図。青々とした桑畑はいつしか海になっているし、昨日の淵が今日は浅瀬になっているのだ。序盤から中盤にかけての構図づくりは私が密かに得意としているところ(誰も認めてくれないが)。クイックターンを駆使して大股で私がリードするダンスにM女は必死にしがみついている様相と喩えれば言い過ぎだろうか。置き碁ではあるが、中盤には既に微細な形勢。もはや白の必勝体勢。私はそう確信した。

 ところがM女と来た日には、弱々しく困った風情を見せて相手の油断を誘い、突如として鬼女に変身してかささぎさん譲りの鋭い攻めを繰り出す。それが隅の“M女の置き”1発。内には120%の効率で形成した地、外には全局を圧倒する広壮な厚みを誇っていた白の一団は、たちまち内はガラガラ、外は骨と皮の薄みに成り果て、隣接する黒の一団とどちらが弱いか判らなくなった。

 ここで飛び出したのがM女痛恨の大緩着。ウワテたる者、この1手パスに乗じて勝ち切ることはいともたやすいが、それでは調教師かささぎさんのえげつないやり方と何ら変わらない。私は静かにこの緩着を取り上げ、着手の意味をM女に問い、その答えを待ってこの局面では絶対の急場が他所にありはしないかと示唆した。私のつたない説明を納得してくれたM女は2つほど候補を指し示す。そしてそのいずれでも(白の一団を取り込もうが逃がそうが)、黒の勝ちは不動のものとなった。

 対局はここで終了(白の投了)し、後は恒例の感想戦。と言っても、饒舌なウワテの独り舞台になるのはいつものこと。いつの間にか傍らに来たたくせんさんが、私のあまりの明快さ(つまり単純さ)に時折苦笑を漏らしているようだが、何、そんなことは気にしない。最長老のチカちゃんは私とはかなり異なった見解を主張するが、私は鷹揚に「それもあるかもしれないが、M女はどう思う?」と聞き手の価値観に委ねるばかり。もちろん、かささぎさんも馳せ参じてあれこれ口を挟むが、これは私にも参考になる。棋風が異なる好敵手の意見は後々の対局の際に大いに役立つからだ。もしもここにyosihisaさんがおられれば、「で、どっちが勝ったの?」とうるさく聞いてくるだろうが、アマの碁は勝敗の結果よりも内容。私はいつもさらりと聞き流すことになる。

 ここで不意に肩越しに声あり。「ご高説、大いに参考になりました」——。振り返れば白くて丸い顔。眼鏡の奥で笑いをかみ殺してはるカモメのジョー兄ではないやんか。千寿会の講師はいつも二人。今日はチーママと聖健八段なのに、何でここにジョーさんがおられるんやろ〜?背広を着込んだいつものスタイルとはまるで違って首にタオルをかけたラフな格好やから、もしかして杉並の自宅から銀座までウオーキングを兼ねて遊びに来られはったんやろか・・・。いつしか関西弁思考に陥った私は、頭の中を真っ白にして柄にもなく取り乱しまくった。

 いかに百戦錬磨の人生のベテランでも、シタテに得意になってあれこれノーガキを垂れている最中に、自分よりはるかに強い人にそばでじっと聞いていられたら、穴があったら入りたくなるやんか。それも、聖健さん、健二さん、スイさん(水間七段)のようにアクが強くない棋士ならまだいい。選りによって、私が最も恥じらいを覚えるジョー兄とは!私の背中を音もなく冷や汗がタラタラ流れ過ぎていった。

 その夜、帰宅した私は子供に見捨てられて今や私の庇護なしには生きていけないペットのカメにしみじみ問いかけた。「こんな時、カメは首もしっぽも引っ込めて殻に閉じこもればいいから楽だよね」。そしていつしか、昔よくがなりたてていたメロディーが口をついて出てくる。「人間なんて、タラタラタラタラララ〜」。

亜Q

(2007.7.5)


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