“棋道”を垣間見た

まともな本などまるでない我が書架からふと『棋道』誌を取り出すと、何と私がむやみに引いた傍線がここかしこ。「古い日記のページには涙の跡もそのままに」——今は亡きたらちねの母が好きだった「懐かしのブルース」(唄高峰三枝子)の世界。『棋道』誌最終版は1999年7月号。片手で読めるA5判、表紙は佐藤平八画伯の手になる「泰山木」。定価は740円也。ついでに懐かしの名勝負・名場面を特集した「さよなら棋道グラフィティ」などに触れるとまたまた前触れが長くなるからここで止めよう。

日頃、書架には近づかない私がなぜ『棋道』誌を引っ張り出したのか。実は先日(8月26日)の千寿会でカモメのジョーさんに叱られてしまったのだ。場面は、かささぎさんと高校生の強豪たっちゃんとの互先の碁の終局後の検討戦。私はジョー師に教えてもらった碁の鬱憤を晴らすように言いまくる。この着手の意味は何ぞや、石が重いのではないか、方向が変ではないか、身分違いなのに狙い過ぎではないか——。もちろん、対局者の二人は断じて認めない。そんな澄まし過ぎの手は打てないだの、ここでは先手を取ることが肝要だの、ああ言えばこう言うジョーユーの世界だ。

こんなことでは埒が明かない。かささぎさんがジョー師を呼んで教えを請うた。ジョーはすぐにきてくれたが、なぜかしばし沈黙。やおら口を開くや「碁盤を扇子でツンツン石を叩いているのを見ると何も言いたくなくなるんだよね」とポツリ。アイタッ!私は以前にも碁盤の上にお茶を置いて、後ろから無言で 茶碗をどかしてくれたチーママからにらまれたことがある。確かに、扇子で碁盤ツンツン、碁盤をお茶受け代わりは見苦しい。碁に限らず、最低限のマナーは守らなければならない。人一倍恥多き人生を送ってきた私のこと。自分ではつゆ知らず、育ちの悪さを露呈することが少なくなかったに違いない。

改めて、「棋道」って何だろう。 戦乱、疾病・災害、天変地異、体制変化といった重大な事象を乗り越え、数十世紀にわたって人間とともに存在し続けた伝統文化特有の「道」というものがきっとあるはず。しかしそこには茶道や華道や宗教のように守るべき「形」「所作」が厳然としてあるのか。それとも、 そんなこととはかけ離れた、すぐれて「心の問題(頭の問題?)」があるばかりなのだろうか。

例えば服装。服装にはTPOがある。棋士の場合は自分の好みや主義主張を超えて、棋戦の重み、公開か非公開か、写真入りで報道されるかどうか、相手とのバランス(自分より目上かどうか、親しさや相手のライフスタイルも関係するかな?)などを 微妙に絡めて選択されるのだろう。私の見るところ、スーツにネクタイを常にびしっと決めて崩れない“きちんと派”の代表格は四天王(一人遅れた高尾本因坊も結婚とその後の大タイトル獲得後、“きちんと派”に仲間入りしようと努力しているように見える)、石田九段(還暦過ぎれば24世本因坊)、小林光一九段(同じく名誉棋聖など)、小林覚九段、今村俊也九段、 河野臨天元、高梨聖健八段ら。大きな棋戦では和服を採用するが、その他の手合いではカジュアルを通す両刀使いが依田、結城両九段(坂井秀至九段もこの仲間か)。服装にはあまりこだわらない無頓着派はチクン大棋士、林名誉天元。武宮元名人・本因坊は両刀使いまたはこのグループに入ると思われるが、洒落っ気(色気?)は各棋士よりはるかに濃そうだ。

「所作」には、マナーか「道」か判然としないところが多いが、おのずと決められた手順がありそうだ。一礼に始まり、目上 が石を握り、シタテが1つまたは2つの石を置いて丁半を示す 。碁笥の位置や石のつまみ方、置き方、投了の作法も決まっている。茶道、華道、俳句や和歌、あるいは宗教(特に禅宗系)の世界でもそうだが、「形」や「所作」を「道」を究める大前 提として尊ぶのは日本の国民性かもしれない。事実、大タイト ル戦に臨む棋士が和服で打ち交わす姿は、美的センスに乏しい 私が見ても惚れ惚れしてしまう。

しかし、服装や所作が「棋道」というわけではあるまい。長時間にわたって一石入魂の「呻吟(しんぎん)」を繰り返すうちにせっかくの着付けもはだけてこようし、お茶をこぼすこともあるかもしれない。髪が逆立ったり、周囲に紙吹雪を撒き散らす大棋士もいるだろう。心血を注いで納得がいく棋譜を創造していく前には、服装や所作などはどこかにすっ飛んでしまうのだろう。

日本の棋士と違って、中国や韓国の棋士は当然「日本の棋道」とは一線を画すだろう。そのせいか、たとえ大きな国際戦であっても軽装が目立つし、椅子の座り方や石の置き方なども彼らの流儀を自然に通しているようだ。要するに勝つこと、あるいは自分の碁の言い分を通すこと、そのために最も合理的な方法で対局することに集中しているように見える。

それでは、碁を教えていただく時はどうだろう。千寿会の生徒は昭和元年生まれの元文壇名人、濱野彰親画伯を筆頭に美人ママに連れられてくる小学校1年生の佳歩ちゃんまで老・壮・青・少・幼の男女が集うが、皆思い思いの身なり(特にかささぎさんのジーパン姿はなかなかダンディー!)で座り心地のよい椅子にリラックスしながら講義や大盤解説を聞いている。質疑はかなり自由。解説の最中にくちばしを入れるたり、プロの打った手を「それは本手ですか」と質問して「いや、これは置き碁だから多少きつい手を打った」、つまり「互先の対局ならこのあたりに打つのが普通です」などと告白してもらって満足したりする。もっとも、ほとんどの場合は礼節正しい質問ばかりで、“不規則発言”の主はもっぱら私だったりするのだが。

プロとアマ、あるいは教える側と教えられる側に高い敷居が存在するのはいかがなものか。仕事の場でも、お偉いさんと部下がやたら互いに垣根を設けていては意思の疎通は難しい——と私は思う。しかしこれには甲論乙駁がありそう。立場や実績を踏まえて、ある種の権威を上も下も共に認め合うことが必要で、それは形に出すべきだとする考えだ。その意味で、日本の「道」と呼ばれるものは宗教も含めてほとんどが一定のランク付けを施しているようだ。もちろん、こうした価値観の違いには善悪・優劣などはなく、それこそ、すぐれて「心の問題」だろう。いずれにしても、どちらかが一方的に正しいと思い込むのではなく、互いに柔らかく認め合うべきかもしれない。そう、碁を打つ人は誰でも、「頭の柔らかさ」こそが唯一・最大の頼りなのだ(だから私は万年ザル碁なのだ)。

そこで都合よく思い起こすのは、またまたノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊さん。「宇宙の大真理を究明する方法を論じている時に、学者同士の序列や地位や業績に頓着したり相手の立場に配慮している暇はない。自分は学界ではまるで新参者だったが“どうすれば物事がうまくいくか”だけを考えて発言し、行動した。だから欧米ではかなり大きな仕事を任せてもらったが、日本ではずいぶん生意気だと思われたようだ」と言っておられた。

碁の魅力も宇宙物理学と同様、人間が到達し得ないような深遠な真理の世界を、棋力はもちろん、人それぞれの価値観や感覚を超えて自分なりに納得しながら手探りしていくことだと思う。その修行の過程こそが「棋道」であり、この大いなる知的技芸を前にすれば、少々のことは些事に思えてくる——と、まあエラソーに書いてきたが、我が「棋道」を振り返れば、何といい加減なことか。この文章の何とおこがましいことか。こんな時は「ま、ええじゃないか〜」とでもほざきながら、酒を飲むに限る。

亜Q

(2006.8.30)


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