続・小沢一郎の碁

 『AERA』最新号(10月8日号)に、この7月31日に打たれた小沢一郎さんの棋譜が載っていた。元名人・碁聖・十段の依田紀基九段に対する4子局。「初めて指導碁を打った昨年6月ごろは石運びが重く、どこかドヨンとした雰囲気だったが、このところ囲碁を始めたばかりの小学生のような上達ぶり」と依田元名人が褒め上げた棋譜を、『AERA』編集部のご好意を信じて、碁敵の「かささぎ」さんと二人で突っつきながらご紹介させていただこうと思う。何しろザル碁アマにとって、自らのレベルにひるむことなく、他人の碁を無責任かつエラソーに論評するのはこの上ない楽しみなのだから(ご関心があれば、9月11日付の当欄「政治と碁」、小川誠子さんとの碁を書いた「小沢一郎の碁」にもお目を通してください)。

 初めに、同誌が巻頭特集に挙げた「意外と知らない“次の首相候補”の素顔/小沢一郎〜屈折と破壊」の内容を簡単に整理しておこう。二部構成の前半4ページは、小学生時代の“一郎ちゃん”の写真や直筆の書、「親からもらった宝物」と題した父母への想いや年表などをあしらって「人間・小沢」のルーツをたどる。後半2ページは、「最近笑顔も多くなったとは言え、顔だけで怖い政治家って希少価値だ」と絵解きを施した4枚の組写真を並べ、「角栄遺伝子が自民を壊す」とぶち上げて、ついにベールを脱ぎつつある“ニュー小沢”を探る。本誌を含む朝日新聞グループによる前首相バッシングは時に人格攻撃にまで踏み込みかなり刺激的だったが、少なくともこの特集を見る限り、小沢さんに対しては概ね好意的な印象がある。

 小沢さんの碁に触れているのは前半の「ルーツ」の冒頭。「政治生命を賭けた“関が原の合戦”(参院選)に圧勝した“大将”(小沢さん)は7月29日の当夜「勝利宣言」もしないまま雲隠れし、公の場に姿を現したのは3日目の7月31日、党幹部をねぎらった後、『禁断症状が出た。党務は他の人がやっているから大丈夫』と周囲に語って都内の囲碁サロンに向かった。選挙戦に突入したため、3月中旬以来の久しぶりの対局。小沢さんは碁盤の前で表情を変えない。一手ずつじっくりと考えながら、陣立てを整える」——と記事は進むのだが、子供の頃「大臣の子」と呼ばれるのを嫌っていたという小沢氏の性格を、小学校時代から習っていたという書道と写真の撮られ方から専門家が占っているので、ちょっと寄り道したい。

 筆跡鑑定家によると、小沢さんの字は「偏(へん)と旁(つくり)の空間が狭い」。この空間の広さは思考の幅、度量を示す。狭い人は、自分の信念や方法に固執する傾向があり、人の意見をあまり受け入れない「頑固職人型」。軸がぶれないこだわり型だから、一芸に秀でる名人にもなりうる。思考の幅は同様に、「日」や「百」などの左上の角が接しているかどうかからも見て取れるという。小沢さんの文字はぴたりと閉じる。歴代首相を見ると、「閉じている派」は中曽根康弘、小泉純一郎両氏らごく少数。福田赳夫、竹下登、細川護熙各氏ら多くは「開いている派」だ。

 もう一つは集合写真の立ち位置。社会心理学研究者によると、その人が普段、その集団の中でどんな位置を占め、どう見られたいと考えているかが読み取れるそうだ。最前列で写るタイプは「俺が俺が」の目立ちたがり屋で、仲間や側近を信じられるタイプ。他人に背後に回られることに抵抗を感じないからだという。後列で写るのは「蔭のリーダー」。自らは目立とうとしない代わり、全体の状況を見渡して情報を取ろうとするため、後ろを好む。周囲の人を無条件で信用しないから、背後に回られることを嫌う。もちろん、小沢氏はこちら、「ゴルゴ13」である。

AERA 10月8日号より転載

 さて、ようやく棋譜に手を戻すことができる。総譜(1〜100手完)をさっと見渡すと、碁盤の中央に黒石8石が一直線に並ぶ「ど真ん中の正攻法」。依田元名人は「堂々として曇りのない心境が碁盤に表れ、気分が吹っ切れているなと思った」と語り、「最近の上達ぶりは心の変化が原因」とみる。囲碁の勝負の分かれ目は、一歩先の碁盤をいかにイメージできるか。心の迷いはそのイメージを曇らせる。しかしこの日の小沢氏の石運びは「大事な石を残し、不要な石を捨てる判断ができるようになった。迷いが無くなっている」と。

 対局後は馴染みのすし屋での「反省会」。依田九段が棋譜を見ながら着手の理由を尋ねると、小沢氏から間髪を入れずに答えが返ってくる。「何となく打った、という手が小沢さんにはない。突き詰めて考え、信念を練り上げている」と依田九段は褒め上げるのだ。

 ここまで言われては他人事ながらこそばゆくてたまらない。「かささぎ」さんと私はさっそく「小沢一郎の碁」を突っつくことにしたが、褒められているアマに対する低劣な嫉妬心なんぞでは決してない!ま、ちょっとした焼餅ぐらい、いいではないか。

 まず「かささぎ」さんは、小沢さんの碁を「踊らない碁、堅実一路の碁」と総括する。「悪く言うと飛躍的な発想がない。でも、それでしっかりと危なげなく勝つのだから、いいのでしょうね」。これには「かささぎ」さん一流の抑制を効かした毒が混じっているような気がする(私がいつも言われているから過剰反応しているかも)。

 「かささぎ」さんは“次期首相”とも目される小沢さんに遠慮したのだろうか。具体的な着手については辛口の論評を差し控え(私に対する態度とは正反対)、関心を引いた手を指摘する。それが「黒20」。上辺を囲った白19を横目に、右辺の黒の地模様を悠然と広げた中央一間飛び。「かささぎ」さんは「自分にはなかなか打てない。この手で後の計算ができているのなら素晴らしい」と評し、善悪を超えてこの手に「小沢一郎の碁」の真髄を見抜いたようだ。「自分なら右下星の黒からのコスミ(17の十五)、それとも左辺白5の上(4の八)にツケた後に上辺8の三に打ち込みか」と補足されている。

 ここで止まらず、依田元名人の手にまで言及するのが「かささぎ」さん流。「左上をぼんやり備えた白83の意味がわからない。いかにも小さそう」と異議を唱える。そして「自分なら断固、黒90のところへボウシする」と言うのだ。そう言われてみれば、確かに左辺を広げる拠点になりそうな気もしてくる。何しろ私は典型的な付和雷同タイプなのだ。

 ついでに私も臆せず「かささぎ」さんの尻馬に乗ろう。まず左辺からの白5の詰めにあわてて守った黒6、そして左下小ゲイマ締まりのカタをついた白13に直接挨拶せずにひたすら低姿勢を決め込む黒14、右下白21のツケに対する黒22〜28の運び(黒24は黙って16の十五にカタツギの方が上に厚い)、生きている石から小さく地を稼いだ左下黒30および左上黒48の下ツケ(白からのわずかな狙いを完封したつもりかもしれないが)、左上白79、81に対する黒80、82、などに小さくない違和感を覚える。

 失うものが少ない私に生意気を言わせれば、「石をもっと張って欲しい」と思う。その結果プロ棋士を感動させ(すぐに失望させることになるかもしれないが)、自分の碁を広げていくことが勝ち負けを超えてアマには特に必要なのではないか。とまぁエラソーに申し上げたが、大政治家として重責を担う(つまり、失うものが多い)小沢さんにしてみれば、もう「破壊屋稼業」はこりごりなのかもしれない。「美しい国」を求めて挫折するよりも、「生活が大事」と足元を固めることを優先されているのだろう。この碁にはそうした特徴がよく表れているように思う。

 もっとも、手堅さばかりが目に付いたわけではない。「黒20」、およびそれを継承した黒42、58、78、90、92と一直線に飛び上がっていく姿勢はカッコよかった。一連の運びで中央を縦断(横断?)し、全局の主導権を握り続けたようだ。このあたりに、信念の人、愚直な男の真骨頂がほのかに見えるような気がする。そして依田元名人の投了を促した黒96と、白97、99の紛糾狙いに乗らずじっと備えた読み切りの黒100。これで白は黒を切ることはできない。決め所で逃さないのはお強い。盤面は大差、黒地はもう減りようがない。お見事でした。

亜Q

(2007.10.4)


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