かささぎさんのノーテンキな初夢・その3

 無名のアマが突然トッププロに破竹の9連勝。碁界、いや日本国中が沸きに沸いた。一般紙誌やテレビが競ってかささぎさんをインタビューする。「自然体」という言葉はかささぎさんの辞書にはない。新聞の場合は必ず主催棋戦のタイトル者を目標に挙げて謙虚な姿勢を打ち出し、雑誌は文字数に余裕があると見て「流水不争先」だか「捨身飼虎」だか「無何有」だか、聞きなれない言葉であからさまに教養を披露する。有名棋士が揮毫した扇子の文字を必死に覚えたらしい。テレビに出ると、飾らない人間性を演出するつもりか、インタビュアーの誘導に乗った振りで「ボクは本当は歌手になりたかったんや」とマイクをひったくり、お得意の「大阪で生まれた女」「qin太の大冒険」などを歌いまくる。「いい歳してみっともないからやめたら」と私はいつも友情ある説得を試みるのだが、有頂天になっている彼は一切聴く耳を持たない。

 当然、彼の名声は世界に広がった。中国ではマージャンの手役をもじって「九蓮宝燈の男」と囃し立て、カササギが人気動物のトップに躍り出る。韓国では「加齢に関わらず突然変異を生じる日本人は何をしでかすかわからない」と日本警戒説が高まる。米国ではビジネス誌が「Kasasagi Who?」を特集する一方、学界から大脳生理学者や動物学者が大挙して来日。かささぎさんの頭や顎の形をゴリラと比較したり、勤務先や自宅にまで押しかけ、「最近何かに頭をぶつけたことはないか」「実験中に感電したのではないか」「でなければ研究用の劇薬を間違って飲んでしまったに違いない」と根掘り葉掘り聞いて回る。これではまるで「ジキル博士とハイド氏」ではないか。欧州の反応はもっと過激。悪魔に魂を売り渡して射撃の名手になった「現代の魔弾の射手」と彼を見立てた悪魔祓い師が登場、いやがるかささぎさんに呪文を唱えたり、無理矢理怪しげな聖水をぶっかけたりする。

 こうした騒ぎを目の当たりにしたコイズミ首相が得意の思いつき。「感動した!国民栄誉章を検討したい」と口を滑らす。国に後追いするわけにはいかない。勤務先のリケンは慌てて「永世フェロー」の称号を急造し、特別賞与ともに贈与する。居住地のS県N市では名誉県民・市民のどちらを贈るかで大もめ。故郷尼崎の小学校は彼を「終身栄誉小学生」として待遇することを決めた。

 “かさぎフィーバー”に気を良くした主催新聞社は、プロの最後の砦を守る10番目の対局者を公募することにした。票を集めたのは、チクリン、カトー、イッシー、タケミヤ、カタオカ、セーケン、ミムラ、関西からはケメオ、ユーキ、中部からヒコザにマヤシロ。かささぎさんが棋風が似ていると自ら吹聴していたサカタ、リュー、さらに意外なことにゴセーゲン、シューコーらの引退組も結構人気を集めた。ところで1票だけ「亜Q」票があったらしいが、断じて私が投票したのではない。ただ…ひょっとして書き間違えたかもしれないけど、別に悪気はないから気にしないで。

 多数のライバルを圧倒的に上回る最多得票者は予想通り、チーママと共にかささぎさんの恩師であるシャトルだった。碁の美を勝負の世界で具現化する求道者。国境を越えてすべての棋士が憧憬の目を捧げる感性の持ち主である。9連勝した自信に加えて、物に動じない関西流のしたたかさが真骨頂のかささぎさんもさすがに緊張したらしい。

 2004年元旦、数多の七番勝負の舞台になった熱海の名旅館でシャトルが静かに白石を握る。先手番をどちらが取るか、かささぎさんは黒石をつまんでーーその瞬間、「アチチチチ!」と叫んで座布団ごと30cmほど跳び上がる。何と、碁笥に手を入れようとして今置かれたばかりの熱いお茶に手を突っ込んでしまったのだ。「どもすんまそん」と慌てまくるかささぎさんに、シャトルは「よかったらこれを」と白いハンカチを差し出す。かささぎさんは何を思ったか、畳にこぼれたお茶を拭くと今度は汗いっぱいの顔を拭き清めたーーつもりが、鼻の頭とおでこに茶柱が。立会い人のカイホーが身をよじり、記録係を務める娘のヨシミが必死にカイホーの背広を後ろから引っ張りつつ、自分自身は下を向いて小刻みに肩をわななかせている。誰か一人がクスッと声を洩らせば部屋中爆笑に変わる寸前。このピンチはみんなが唇を噛み締めてしのいだが、あいにく始まったばかりのテレビの生中継には全部入ってしまった。私はコホンと咳払い一つ、さっき盤を拭いたばかりの布巾を差し出し、「これでもう一度顔を拭きたまえ」。

 ようやく対局が始まり黒番のかささぎさんが第1手を碁盤に打とうとするーーが、「あれっ」とつぶやいて手を宙に泳がせたまま。カメラマンが痺れを切らしているのを見て心細げにかささぎさんは右上星に着手。白左上星を待って第3手。ここでまたかささぎさんの手が止まる。顔を盤に近づけ、目を開き、耳を傾ける。挙句の果ては鼻でクンクン。そして首を傾げて泣き出しそうな顔を私に向ける。私は慄然とした。<石の囁きも聞こえず、碁盤の表情も見えなくなったのだ>。どうやら、アチチチチ!と跳び上がった瞬間、某サイトの名物師匠とペア碁パートナーから吹き込まれた神通力が落ちてしまったようだ。

 かささぎさんは観念したらしい。ずっと以前、シャトルに白番コミ40目で勝たせてもらったことを思い出して、やたら大きな音を響かせて石を叩きつけていく。本来のかささぎさんに戻った彼は、相手の模様がやたら大きく見えて仕方がない。すぐにやきもちを焼いて自ら薄くしていく。千寿会の教え子の暴挙にシャトルは困った表情をするが、いつものように手を抜くわけにはいかない。何しろ全世界の囲碁ファンが注目しているし、プロの全敗を阻止する使命も担っている。最強の手を繰り出してかささぎさんの石はいつしか三方ガラミ。と、かささぎさんは何を思ったか、やにわにシャトルの石を取りかけにいく。要の石を抜けば一気に楽になる。このあたりもいつも通り、せっかちで楽天的なかささぎさんそのものだ。

 もちろん、事はそんなにうまくいくはずがない。シャトルは一手ごとに「これはまずいよ」とかささぎさんに目で合図を送るが、熱くなっているかささぎさんはまるで上の空。とうとう、つぶれる最後まで打ち切ってしまった。50目を超える黒石が一手バッタリになって、かささぎさんは今さら気がついたように悲鳴を上げる。それでもめげないのが彼の本領。気を取り直して新天地を開拓しようとするが、次の手でシャトルは石を盤上に置いて数秒間手を離さずにじっとしている。我に返ったかささぎさんがようやく投了。記録的な短手数・大差で碁は終わった。シャトルは努めて軽い調子で感想戦に入ろうとするが、かささぎさんはうなだれたまま。あまりの痛ましさに、立会人、記録・時計係も含めて部屋中沈黙、カメラのシャッター音だけがせわしなく通り過ぎていく。

 こんな時のかささぎさんのあやし方を、好敵手たる私は熟知している。「ハイハイ、これで十番勝負は終わり。9勝1敗とはすごいじゃない、奥さんに電話でもしたら」。かささぎさんは弾かれたように立ち上がる。携帯電話を取り出すやいなや、「チーママ〜、弟さんにはやっぱり勝つわけにはいかないですよ〜。最後でずっこけるのはボクらしくて奥ゆかしいでしょ!パーっと新年会をやりましょ〜」。さすがは気分転換の天才らしく締めくくりました。

亜Q

(2003.12.31)


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