池上線〜初代四天王へのエール

 古い電車のドアのそば/二人は黙って立っていた/話す言葉をさがしながら/すきま風に震えて——。4月19日付朝日新聞別刷り『うたの旅人』ページに70年代のヒットソング『池上線』が取り上げられていた。ユーミンの『中央フリーウエイ』が出た76年にシングル盤が発売され、70年代のフォーク名曲集などには必ず選ばれる定番。現在まで息長く80万枚を売り、何人もの歌い手がカバーした。作詞は、当時情報デザイン関係のベンチャー企業を経営していた佐藤順英さん(55)。「あの歌を世に出したくて作詞家になった」という話を紹介しながら、池上線の古びた車内で気まずく沈黙する1番、駅を降りて家まで送られる途中、恋人に思わず抱きしめられる2番の詞をたどりながら、別れの具体的な情景と「駅に残した切ない記憶」が物悲しげなメロディーに乗って伝えてくれる洒落たコラムだった。

 この曲にはささやかな思い出がある。当時20代から30代に向けて疾走(迷走?)していた私は、仕事が済んでもまっすぐ家路につくことはなく、いつも仲間たちと飲み歩いたり麻雀したり遊び呆けていた。教祖は植草甚一さん。早大建築科を中退し東宝に入社後、映画、ミステリ、ジャズ、ファッション、古書などを語り、新雑誌『宝島』の生みの親。「遊ばざる者働くべからず」などと若者に説いたカッコイイおやじだった。私はこの手の御仁にすぐかぶれるタイプなのだ。はしご酒の終着駅は渋谷・並木橋の「さくら」というナイトクラブ。そこに『池上線』を作曲し、自ら歌った西島三重子さん(とても清楚で可愛らしかった!)がキャンペーンに来ていた。もちろん私はドーナツ盤を買い求め、握手とサインをもらった。この頃は国鉄のストがたびたびあり、私は会社が用意してくれたホテルには泊まらず池上線沿線の友人宅にこれ幸いと居候したりもしていた。

 千寿会講師の小林健二さんにはもっと生々しい記憶があるようだ。75年に入段する際に最後に立ちはだかったのが池上線沿線に住む院生仲間、新海洋子現五段(女流最強位2期の実力者)。この勝負を制してめでたくプロ入りを果たした健二さんはその後、別の友人と沿線のアパートで暮らした経験もあるらしい。東急池上線は東京23区の南部、五反田—蒲田間10.9kmの住宅街を緑色の古びた3両編成がワンマンカーで走る。15の駅間は短い。そのどこかの駅の近く、踏切を渡ったあたり、貨物列車が通るたびに揺れる小さなアパート。阿久悠が上村一夫と組んで創作した『同棲時代』が漫画や映画になって大ヒットしたこの頃、もしかすると健二さんは、裸電球がまぶしく、西陽だけが当たる狭い積み木の部屋を舞台に、時代の先頭を切って若者文化を謳歌されていたのかもしれない(関連する話題をこちらでご覧ください)。

 神田川、赤ちょうちん、私鉄沿線、積み木の部屋、翳りゆく部屋、愛しのエリー、岬めぐり、イチゴ白書をもう一度——。あの頃の若者(私もその一人)は一様に貧しく、自分が存在する意味を探しあぐね、長髪にひげを伸ばし、擦り切れたGパンで街々を歩く姿をよく見かけた。そんなイメージが最もピッタリ来る棋士を挙げるなら迷いなくこの人、片岡聡九段だ。舞台の名優・宇野重吉の血を受けた俳優、若い頃にはバンドを率いて『ルビーの指環』でレコード大賞もかっさらった寺尾聡にどこか面影が似て、ご本人も玄人はだしのドラムを演奏してジャズピアニストの山下洋輔さんとも競演したこともある(関連の話題はこちら。歳若くして天元位や新人王を獲得、コンピューター2世と称えられ、その後もチクン大棋士に本因坊七番勝負を挑むなどの活躍、最近また棋聖リーグに復活を決めるなど、相変らずの実力者振りを見せてくれる。

 この片岡九段とともに「初代四天王」と呼ばれたのが、千寿会名誉講師の覚さん、魔法使いと言われた王立誠九段(共に元棋聖位)、そして中京のダイヤモンド・山城宏九段。坂田・秀行時代から五強(大竹・林・加藤・石田・武宮)時代を経てチクン・小林光一の二強時代の後を襲うと期待された。覚さんはひと頃の絶不調を克服し、勝負強さが戻ったようだ。名人戦リーグでは依田、坂井といった実力者をきわどく制して挑戦者争いに前進し、王座戦最終予選では盟友・立誠に大逆転した。成長株の黄イソ七段との対局でも終盤の読み切りで大石を捕獲。棋聖リーグも河野臨天元との枠抜け戦に復活を賭けている。王立誠九段もこのたび娘さんがめでたくプロ入りを果たしたから、父親の面子をかけてがんばるはず。山城九段は惜しいところで棋聖リーグ入りを逃したが、まだまだ老け込む歳ではない。

 五番勝負以上の番碁を争う七大タイトルは今、敬吾(棋聖・王座)、ウックン(名人・碁聖)、高尾(本因坊・十段)の新四天王3人と、河野臨(天元)が分かち持っている。四天王の残る一人、羽根前棋聖は早々に本因坊挑戦を決めた。しばらくはこれらの面々と依田・結城・坂井・井山らを加えた世代が碁界を牽引することは確かだが、世は高齢社会。初代四天王も後期高齢者になるまでは先が長い。この際本来の実力を余すことな
く発揮して、「初代」の意地を存分に見せていただきたい。

亜Q

(2008.4.22)


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