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「時間つなぎ②『ザル碁の目からウロコ』」を講座に移動(2010.1.11)
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2010年度千寿会日程表」を掲載(2010.1.2)
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りんくページのリンク切れ等を修正(2009.8.22)

ハンス・ピーチ六段 追悼ページ
皆様からの投稿(雑記帳、質問、意見等)大歓迎、 までメールください

基本定石辞典

昨年のクリスマス会で巻幡先生に指導碁を打っていただいたときに図の定石が現れた。黒Aと打って白Bと切られた後の定石を間違えた。局後、巻幡先生にこの定石はこう打つんですよと、やさしく教えていただいた。

定石を間違えたと書いたが、正確にいうと定石をよく知らない。黒Bと継ぐのも定石だが、この後の打ち方が分からない。いつもこの定石では苦労する。なぜ、苦手なのか分からない。この際、もう一度しっかりと勉強しておく必要があると基本定石辞典をめくってみた。

そこで、衝撃の事実に出逢った。なんと、この定石が載っていないのである。黒のハネに対して、白の横ノビではなく、Cのピン継ぎの図は載っていた。しかし、横ノビの図は載っていないのである。そう、私の勉強が足りなかったのではなく、定石辞典に載っていなかったのである。そのことにずっと気がついていなかったのは勉強不足といわれそうではあるが。

私が見ていたのは石田芳夫著「基本定石辞典(上)」、写真左上の箱入りのものである。奥付を見ると初版が昭和50年となっている。その頃はまだこの定石はほとんど打たれていなかったのかも知れない。その後、下巻を買ったときは同じく石田芳夫著ではあるが、箱なしの増補改訂版になっていた(写真右上)。奥付には平成8年第1刷発行となっている。そして先日、高尾紳路著の「新版基本定石辞典(上・下)」が出版された(写真下)。早速、上下セットで購入し、ん十年目にして初めて上の定石を勉強した。

かささぎ

(2010.3.7)

凡人雑考~囲碁番組に張り付いた無粋なテロップ

日曜日の楽しみといえば、NHK杯の囲碁中継。終盤たけなわの2月末は準々決勝、山下敬吾天元vs河野臨元天元という屈指の好取組(以下敬称略)だったが、黒番・山下には辛い進行だったらしい。下辺の競り合いで秒読みに追われて得心しないまま無理気味に仕掛け、変化が少ないコースの中で時間いっぱい頑張っても局面が好転することは最後までなかった(淡路修三九段の解説)。ほぼ同時期に打たれたNEC杯でも山下は河野に競り負けている。山下は河野が苦手なのか、それとも早碁そのものが苦手なのか――。

ともあれ、名局とは言えないまでもザル碁の私には十分楽しめたはずの囲碁中継に水を差したのが、画面右下にべったり張り付いた無粋な津波警報マップ。面積にすれば9分の1程度かもしれないが、プロの碁は全局が関連する。解説者は、右下に生じた白からの花見コウの味が黒にとって致命傷だと繰り返し指摘していたが、マップに隠されてさっぱり見えない。せっかくの楽しみがイライラ時間になってしまった。

念のためチャンネルを切り替えてみると、NHK総合放送、民放、BSを含めてすべてマップは同じ扱い。きっと放送法に定められた緊急時の対応なのだろう。でも、通常の報道、娯楽などの番組ならマップはさほど邪魔にならないが、囲碁番組ではまさに致命的。視聴料を取る公共放送の囲碁番組担当者なら少しは碁がわかるはず、テロップをどうにかしないと放送の使命が達せられないではないか。

私が放映現場の担当者なら、テロップ表示面積を縮小するか、数十秒ぐらいの間をおいて画面に出す。そしておそらく上司から大目玉を食らうだろう。言うことは分かっている、「NHKたるものがコンプライアンスを守らずにどうするのか」。でも、視聴者が警報情報を常時注視しなければならないなら他の番組に切り替えればいいし、実害はまず考えられない。週に1度の囲碁番組を楽しみにしている視聴者に良かれとする行動を誰がとがめるのか。まさかクビにはならないだろうが、必要なら責任は取る。その前に視聴者に今回の措置の是非を諮っていただきたいなどと、(私は世間からの喝采をかなり期待して)エラソーに抗弁するだろう。

もっとも、このリクツには大きな弱点があるかもしれない。つまり、「一担当者が恣意的にルールを代えていいのか、ひとたびそれを認めれば、世の中は大混乱に陥るだろう」。物事に不具合が生じて何らかの対応が必要になった時、いつ、誰が、どんな目的で、何を根拠として、どのようなプロセスで判断し、実行するのか、「そもそもお前に資格があるのか」と責められ、下手をすると国会あたりで「公共放送の職員としての行動原理」をあれこれ問われるかもしれない。そんなことは面倒。やっぱり知らん顔していよう――てな具合になりそうな気もする。

ただ、事なかれ主義とか当事者意識の排除とかは、碁とは正反対の理念だろう。「信号を墨守する人は碁が強くなれない」とはいかにも乱暴な言い草だが、かなり真理を突いているのではないか。危険や害悪や迷惑を社会にかけない自信があるなら、自己責任で「百万人と雖(いえど)も我行かむ」がカッコいい。気になるのは、世界大不況で再び脚光を浴びた経済学者ケインズさんが唱えた学説。内容はチンプンカンプンだが、何やら経済を活性化する有効需要なるものを説き、肝心なのは「その決定は賢人が行う」とするくだり(学説としてはちょっとずるい気がするが)。

私はもちろん善人だし、某県に在住する県人でもある。「では賢人か?」と問われれば、『週刊碁』の「アマの碁いちばん」に登場する片岡聡九段みたいに「テヘヘ、面目ない。もともとダンディーではなかったんです」と答えるのみ。何だかわからなくなってきた時は偉大なる井上ヨースイ様にすがろう。本欄でいつか使わせてもらったことがあるが、臆面もなくもう一度。「~本音を隠し/建前飾り/笑いは逃げの切り札/だから今日も裏道小道~」と今夜もがなりたてるのだ。

亜Q

(2010.3.2)

「第7回文化庁文化交流使活動報告会」のお知らせ

千寿先生が活躍されていた文化交流使の活動報告会が下記の要領で開催されます。参加は無料ですが申込が必要です。ので、このたび、文化庁の「文化交流使活動報告会」が開催されます。日本棋院からは青木紳一九段の報告もございます。是非ご参加下さい。

日時 : 平成22年3月9日(火) 14:30-18:05
場所 : 東京国立博物館平成館 大講堂(台東区上野公園13-9)

詳細はこちらをご覧下さい。

かささぎ

(2010.3.1)

「劣等感」はかくも美しく昇華する~中山典之棋士の矜持

「仕置き人」、「はぐれ刑事」などのヒットシリーズで知られた名優・藤田まこと氏の訃が大きく報じられたころ、日本棋院棋士・中山典之六段が16日、ひっそりと77歳の生涯を閉じられた。葬儀は近親者で執り行われたらしい。

棋士としての実績より“文士”として名声が高かった囲碁界稀有の貢献者。『実録囲碁講談』(日本経済新聞社)、『碁狂ものがたり』(日本棋院)、『囲碁の世界』(岩波書店)『囲碁の魅力』(三一書房)といった棋書にはまれなベストセラーを連発、さらに碁聖道策、梶原武雄、小林光一、武宮正樹らを冠した講座ものをライターとして多数手掛けられた。欧州を中心に海外普及活動にも尽力され、「青い目の門下生は2000人」と豪語されていた。

昭和7年長野県丸子町で生まれ、同26年高校(旧制)を卒業後「上京して流浪」(本人談)、苦節を経て37年プロ棋士に。プロの囲碁観や感性を持たないまま当時のデッドライン30歳ぎりぎりで滑り込んだ「田舎碁の力自慢」(同)。入門同世代には安倍吉輝(故人)、高木祥一、福井正明といった10歳ほど年少の俊才がずらり。彼らの日ごろの精進ぶりに圧倒され、「生涯にわたって心中劣等感が住み着いた」(同)という。

典之の名をもじって自ら「テンコレ」と軽く称し、凡夫・鈍才の代表格を自認。才能にあふれた周囲の棋士たちには公然と敬意を表していた。事実、同期組は例外なく短期間に九段に駆け上り、ご自身は平成4年に六段に到達したまま後輩たちにも次々に抜かれ去った。このあたりの様子についてはご参考までにこちらをどうぞ(「毒舌今なお意気軒昂~~中山典之六段出版記念会から~~」、「Davidと覗いた『第60期本因坊就位式』風景 その3」「実録囲碁講談」「わが偏見〜“最強プロ” はこの方ではないか ④」)。「劣等感」は私のような凡人には百害あって一利もない。しかし中山棋士は劣等感を珠玉の文章に昇華させた。特に晩年には、日本棋院きってのベストセラーを完本化した『完本・実録囲碁講談』、『昭和囲碁風雲録 上・下』、『囲碁の世界』などを相次いで発行・再刊されるかたわら、『囲碁ワールド』誌に囲碁近代史の証人として連載されるなど、死を予期されたように旺盛な執筆活動を続けられた。

その源泉となったのは、中山棋士が胸中深く秘めていた「矜持」ではないか。この「矜持」を支えたのは、碁を愛する心、どんな棋士でも素晴らしい棋譜や行動には深く敬意を払う精神に加えて、特に文筆に発揮された詩的な感性と美意識――だろう。俳句に才能を見せた父君(号は「蕉堂」、佳句を多く残され、中山棋士は著作にたびたび引用されている)、そして母校である県下屈指の進学校旧制上田高校(旧制)で漢文や大和言葉の美しさを徹底的にたたきこまれた恩師(飯島忠夫講師)らの薫陶を受けた中山棋士の魂は、しばしば盤上を離れ言霊(ことだま)の世界に雄飛したのではないか。

その証が、生涯千首と言われる「いろは歌」の創作。いろは47文字に「ん」を加えた全48字を1度だけ使いながら美しい今様(いまよう、平安時代中期の流行歌)を構成する前代未聞の仕事だ。囲碁に関連させた作品、囲碁から離れた作品の二様あり、しかも書き出しの文字をいろは順に並べるなどまさに縦横無尽。「い・ゐ・ひ」「え・ゑ・へ」「お・を・ほ」といった違いを厳密に書き分けるのはもちろん、「ん」から始まる「吽聲歌(うんせいか)」(ん/と聲(こえ)に出で/はや闕(か)け眼/居眠りすらも/待ったなし/下(おろ)せぬ指へ/うそぶくよ/浅き智を吾/吠えるのみ)まで添えて『圍爐端歌百吟』と題して平成11年に出版された。

当時、国語問題協議会会長を務めていた宇野精一東京大学名誉教授は、「我が国文化の再興の大きな手掛かりになると考えるから慶賀に堪えない」と喜び、中山棋士の文才の第一発見者を自称する『囲碁クラブ』誌の名編集長だった田中宏道氏は「やまと言葉の精華を結集したこの本は百年、二百年、否いろは歌のように千年の後まで伝えられるだろう」と予告している。

本書には、囲碁を題材に96首を掲載しているが、その中から「冥土歌」と題した2首を紹介させていただく(いつもながら、小生の未熟ゆえ旧字体など不完全な部分があります)。

冥土に囲碁の/あるなしを/尋ねておくが/良き智慧ぞ/日も薄れ/はや/夕去りぬ/見(まみ)え論ぜむ/呆け童(ほけわらべ)

冥土の囲碁は/面白や/吾すら無敵/下手さ見ゆ/智慧練る閻魔/髭(ひげ)なぶり/余(よ)に嘘をつく/阿呆(あほ)抜かせ

囲碁の世界から離れて創作された「新いろは歌」には思わずうなりたくなる名作が多い。私の好きな3首。

色は空なり/すべて無為/常に非(あら)ざる/世を侘(わ)びぬ/み佛(ほとけ)まかせ/稚児の夢/重き縁知れ/誰(た)そや酔ふ

我/奥山に・庵(いほ)をあみ/酔ひさすらへば/時超えぬ/現世(うつしよ)の夢/今日(けふ)断ちて/世尊も眠る/ゐろり哉(時空超越歌)

迂(う)人庵(いほ)あみ/日も落ちぬ/手まくら常よ/花に風/聴けやゐろり邊(べ)/夢の聲(こえ)/誰(た)そ故郷(ふるさと)を/忘れ得む(迂人望郷歌)

そして中山棋士は周到に「訣辞(けつじ)」を用意されていた。本ページで以前にも紹介したが、改めて再掲させていただく。

無為の浅智慧(むゐのあさぢえ)/凡夫老ゆ/空音(そらね)幕終え/我消えぬ/せめても名残(なごり)/詠みにける/いろは清(すが)しや 歌つどひ(無為歌)

合掌

亜Q

(2010.2.23)

これは世界的なビッグニュースだ!

囲碁棋士というより“仙人”と呼びたい杉内雅男九段が昨年11月26日の第36期名人戦予選C決勝で、碁界バリバリの成長株、白石勇一二段を破った。依田紀基元名人が昨年末にブログデビューして早々に大人気になった「ヨダログ」(『素晴らしい先生』)で知り、日本棋院に確認したところ、出版部の小瀬村さんからご丁寧な回答を頂戴した。ありがとうございました。

何しろ仙人は大正9年生まれの89歳。一方の白石二段は昭和59年生まれだから還暦一回り分を上回る64歳の年齢差。ハンディなしの同じ土俵で戦うのがプロの碁だけれど、世界中どこを探したって60年以上の年齢差を克服して互角に戦える競技なんてありはしまい。以前にも、女流第一人者となった謝イーミン女流名人・本因坊と“年齢差70歳対局”を争い、勝負に負けたが碁には勝ったと言われる名局を残されている。依田九段はこの老いた勝者を、「青春とは人生の一定の期間のことではなく、その人の心の様相を言う」というウルマンの詩『青春』をひもときながら、「どれほどの精進と節制を重ねておられるのか、自分たち後進をとても元気づけてくれる素晴らしい先生」と称える一方で、「もっとも生涯現役を貫く杉内先生にしてみれば、年齢を言われるのは心外と思われるのではないか」と心を配っている。

この歴史的な場に、感動をすぐに表に出さずにはいられない私が居合わせたら、真っ先に敗者の白石二段に駆け寄ってまだ血が上ったままの頬に無理やりブチュッと行く。傷心の白石青年はこの変なおじさんをきっと嫌悪するだろうが、年を経ればこの気持ちをわかってくれるのではないか。事実白石二段は昨年18勝(14敗)を挙げた前途有為な青年。勝った仙人も素晴らしいが、負けた若鯉も素晴らしい。碁は素晴らしい、人間も素晴らしい。

ただし仙人にはこんな行動はさすがに差し控える。勝負師がたまたま勝ったり負けたりは当たり前。何をガタガタ騒ぐのか、「お帰りなさい」と言われそうだから。この「お帰りなさい」は「ただいま/お帰りなさい」とは意味が違い、文字通り「家に帰ってもう来なくていい」との宣告。木谷道場の師範代だったころ、遅刻したり勉強態度が悪かったりする後輩にとって、杉内九段の「お帰りなさい」との静かな一言は、梶原オワ先生あたりから「コラッ」と大声で叱られるよりずっと怖かったらしい。

そして私が通信社の記者なら、このニュースを意気揚々と全世界に発信する。私は子供のころから、自分に不都合なことは棒のような大事でも針のように小さく話す天才だったし、さらに成長した今では針のような小事を棒のような大事と説くのも得意になった。いや、そんなことを言いたかったのではない。同じ土俵で、還暦分の年齢差を乗り越えて勝負を制したと聞けば、世界中どんな人も、もちろん碁を知らない人でも興味をかきたてられ、そしていい気持になる(負けた白石二段は大きく報道されれば辛いだろうが、こうした経験を生かしてきっと大成してくれるだろう)。人間とはなんと素晴らしいものだろう、人間の脳はなんと不思議なものだろう、人間の未来はまだまだ明るいのではないか、と。

たとえば欧米の研究機関は碁を通じて人間のアンチ・エイジングの研究を始めるかもしれないし、人材開発に力を入れる発展途上国なら碁を教育の一環に取り入れるかもしれない。チベットあたりの村の古老はこのニュースを聞いて若い衆を集め、世代間コミュニケーションの格好のテーマとするかもしれない。そして10数世紀にもわたって至上の知的競技として育まれてきた囲碁とはどんなものか、なぜこれまで自分たちは知らなかったのか、ほかのゲームやスポーツなどの競技とどう違うのか、と囲碁へ関心が向けられていくだろう――と、ノーテンキな私の妄想は翼を広げるばかりだ。

新聞の囲碁掲載のありようを見ると、七大タイトルの決定時点で主催紙は比較的大きく載せるが、他の全国紙は社会面の片隅に数行程度(20歳名人の井山名人は例外的に大きく扱われたが)。毎週の勝ち負けは専門紙・誌でなければ掲載されない。それは仕方がないとしよう。でも、時には碁を知っているかどうかには関わらないほどビッグな話題もあり得る。米大リーグのランディ・ジョンソンが40歳で完全試合をやってのけた時には、野球を知らない人の関心も集めた。碁は野球やサッカーより愛好者が少ないのは確かだが、人間の知的な営みをある角度から鋭く浮き彫りにしてくれる希有な素材でもある。大ニュースが起こったら、すぐに全世界にわかりやすく発信することが重要だと思う。

もっとも、こうした話題はある種の問題意識を持っていないとついつい見逃して、絶好のPRの場を知らぬ間につぶしてしまう。井山新名人の師匠として有名になってしまった石井邦生九段が数年前、当時(今でも)世界最強と目された李昌鎬九段を破った時ももう少し別の伝え方があったかもしれない。その意味で、日本棋院や関西棋院は常に広報センスを磨いておく必要がありはしないか。エラソーなことをまくしたてて申し訳ないが、「広報」とは、自分たちの行動、理念、実績などを新聞・雑誌・放送・ネットなどの媒体を通じて「中立・公正な情報」として世の中に理解してもらうための支援活動。有償で紙媒体のスペースや放送媒体の番組を買う「広告」と違って金がかからないうえに、編集部の評価・スクリーニングを経て掲載される一般の記事だから信頼性がまるで違う。米国初の黒人大統領だって、名演説の起草を含む大規模な広報活動がなければ誕生しなかっただろう。この有用な広報をもっと使わない手はない。

ただし、手間と知恵が要る。タイミングも重要。話題によっては使うメディアを選んだり、同じ新聞でも掲載面を考慮して作戦を立てる必要がある。文化面なら観戦記者がある程度フォローしてくれるが、社会面、さらに国際面となるとなぜニュースなのかを理解してもらうための「意義づけ」「背景説明」さらに専門用語の簡単な解説なども用意して編集者側に売り込む必要がある。つまり、記者が記事にしてくれるのを待つのではなく、こちらからターゲットを絞り込んで仕掛けるのだ。単発でニュース材料になる話ばかりとは限らない。むしろこれはまれだろう。これまでに蓄積した膨大なデータを分析して、人間の能力や行動の目安を提供したり、将来に向けての能力開発の方向性を占ったりといった「傾向記事」が多くなるかもしれない。年齢や性差も格好のテーマになるだろう。棋士の冠婚葬祭にまつわる話題でも、人間らしい面白いエピソードがまぶされていればスポーツ紙や週刊誌が飛びついてくれるかもしれない。将棋やチェスなどとの違いやコンピューターがどこまで強くなれるかといった話題も時宜に応じて提供できる。

ところで昨年末、東京・日比谷で開かれた名人就位式には50人限定(有料会費)で一般参加客も集めた。私見だが、せっかく20歳名人が誕生した歴史的な就位式だ。50人などとケチなことを言わず、何百人も集めて開催費用ぐらい弾き出したらよかったと思う(その後、関西などへ場所を代えて一般客へのお披露目をしたと聞いているけれど)。もちろん、準備期間や会場の問題もあるだろう。主催紙の朝日新聞文化グループの伊藤衆生(ひろき)記者は、「実行部隊の事業局があらかじめ予算を組んで用意していたのでなかなか臨機応変に対応するのは難しい」と言われていたが、ちょっともったいなかったかなぁという気が残る。今後これと同じような機会は(20歳名人が生まれた以上)10代タイトル者を待たないと大きなニュースになりにくいからだ。

今年もまた、碁界(日本国内に限らず国際棋戦からでもいい)からビッグニュースが生まれてほしい。今回の杉内仙人の勝利をニュース報道するのはややタイミングを失した感があるが、もう1度還暦分の年齢差を超えて勝利した時に、セットにして話題にする“敗者復活”も考えられる。その時こそ、適切な形で世界に発信してほしい。

亜Q

(2010.1.26)

新年会

 16日は今年最初の千寿会。千寿先生と会うのは今年二回目。

 一回目は11日で、ピアニストの山下洋輔さんを囲む新年会。わたしは山下洋輔さんをゲストにした碁会だと思っていたが、碁の方がおまけだった。
 場所は新宿の白龍館。元院生の村井真理子さんがご家族で経営している料理店だ。店内は大きなピアノが目を引く。
 入ると何人かワインを飲みながら談笑していた。一画で一組が碁を打っている。その一人が山下洋輔さんだった。
 わたしは隣に座り覗き込む。間もなく相手が見つかり碁を始めたが、ほとんどの人は談笑のみ。
 小川誠子六段・大澤奈留美四段・武宮正樹九段も姿を見せる。隣では女性同士が対局を始めた。
 間もなく山下洋輔さんがピアノを弾きはじめた。生のピアノの迫力は、音痴のわたしでも判る。引き込まれた。武宮正樹九段のダンスなどもあった。

 その新年会で、隣で打っていた女性の一人が、16日の千寿会に来た。わたしの白で対局してみたが、わたしの敗勢で打ちかけになった。神田陽子さん(写真右)が講談を読む時間になったのだ。
 陽子さんは二代目神田山陽門下、入門して30年になる。16日の読み物はある芸能譚。大阪の舞台をしくじった役者が、18年の苦労ののち、江戸で大成するという話。
 わたしも生の講談は数十年ぶりだ。初めは講談の定席本牧亭だった。畳の部屋で、混むと足も崩せないので、一度で行くのをやめた。間もなく本牧亭はなくなった(改築だったらしい)。そのころ人形町末広もなくなっている。その後は寄席で講談を何度か聞いたが、寄席にも行かなくなり遠離っていた。
 陽子さんは、2月16日~28日に、博品館劇場の「友情 秋桜のバラード」に英語教師の役で出演する。
 陽子さんは手談(碁)もたしなむ。

 さてある碁を紹介しよう。わたしは正確に覚えていないので申し訳ないが、その趣旨だけ読んでほしい。白は村井真理子さんの父君だったと思う。黒は千寿会のIさん。

 もちろんこの白の打ち方は勧められないが、面白いアイディアだと思う。結果は大石が死ぬことになり、布石に関係なく実力通りになった。

謫仙(たくせん)

(2010.1.18)

謫仙楼対局 活死人墓

謫仙  :黒六目半コミだし
小龍女 :白

 右図、黒が実利、白が勢力の別れ。その白模様に黒が打ち込んで逃げ切ったため、白地がほとんど無く、黒は四十目以上いいと思っていた。しかし、小龍女は投げずに続けて打つ。
 黒がタケフに打ってのぞいたので、白▲に打ってキリを防いだところ。単独で白▲に打たれれば警戒するが、黒のノゾキに続いて打ったので黒のダメが減ったのを気にしなかった。
 ここは、AかBに打って「勝ちました」と言わねばならない。ところが生きているつもりなので黒Cと打ってしまった。これだけ勝っているのだから余計な手だ。
 符号順に、白D・黒E・白Fとなれば劫ではないか。

 白Fのあと、左図のように黒1・白2・黒3で白4とはねたとき、黒▲である。

 しかし、小龍女の読みに錯覚があり、2図白▲と打った。
 もし黒Aと劫になったとき、BとCがコウダテになるのでこの方がよいと思ったという。しかし、黒にはDがあり、活きてしまう。この黒Dを読み落としていた。
 ところが、わたしはそれにも気がつかず、Aの上にツイでしまった。こうなると、劫がなくなり、形勢は逆転したらしい。小龍女は、他を打つ。

 白▲を打ったのが、なんと黒Aから25手目。
 打たれて気がついた。すでに白ハネと黒Aを交換してあるので劫にもならない。投了せざるを得ない。
小龍女「すぐに白▲を打つと、後手になるでしょう。黒に先手であちこち回られると、この黒を取っても勝ちが見えなかった。だから殺せないふりをして、先に大きい所にまわり、外堀を埋めてから、取りに行った」
謫仙 「気がついたら、どうするんだ」
小龍女「もちろん投了することになる。このあたりはそれも勝負の内よ。活きていると思うと、もう一手かけようとは思わないでしょ。一手ごとに冷や冷やしながら、知らんふりして打ってたンだ」
聖姑 「お龍ちゃんは謫仙さんに連勝しているので、余裕で打てたンだね。もし負けが混んでいたら、すぐに取りに行ったのじゃないかしら」
小龍女「うん、そうですねえ。あんまり勝ちすぎるとなんですから。でもわたしも錯覚していて、読み落としに気がついてギョッとしたけれど、謫仙さんが気がついていないと判って、急にいたずら心が沸いてきて…、どこで気がつくかと…。活死人墓だね」

注: 全真教(道教の一派)の教祖の王重陽(1112~1170)は、穴を掘り、「活死人墓(生きている死人の墓)」と称して、その中で2~3年修行した。その後、北七真と言われる有力な7人の弟子を得て、全真教が栄える。

謫仙(たくせん)

(2010.1.13)

囲碁梁山泊

 囲碁梁山泊という季刊誌がある。
 名前の通り、官に対する野のような、建前よりも本音を出している碁の雑誌だ。
 去年、筆者の一人である長谷川さんが、千寿会に来たとき紹介してくれた。それを10月の「2009ファンフェスタ in 箱根」で頂いた。頂いたのは「2009年 冬」通算52号。「2009年 朱夏号」54号。「2009年 白秋号」55号。
 インターネットでは「2009年 春」が紹介されていた。
 春から夏にかけて、号名が変わったのか。おそらく、今度の冬は「玄冬号」春は「青春号」となりそう。
 内容はかなり濃い。はっきり言って、わたしの棋力では読み切れないほど。
 読んだ三巻では、藤沢秀行九段と井山裕太九段の記事が多い。秀行さんは亡くなり、井山さんは名人になったので当然。しかも名人は関西。そう、この雑誌は大阪の「関西社会人囲碁連盟」の発行である。発行人は正岡徹氏、囲碁に詳しい人なら、一度は名前を目にしているだろう。

 わたしが注目したいくつかの記事を紹介。
52号 以前ここでかささぎさんが紹介した、釼持師が解説した詰碁の原型がある。間違いがあって、釼持師に指摘されたとか。
52号 秀行さんの書展のこと。この書展は千寿会でも見に行って、秀行先生と写真に収まった。
54号 藤沢秀行さんの追悼特集号で秀行さんの記事で埋まっている。
54号 80歳から碁を始めて、88歳で八段に登った方の話。普通は七段までだが、特別に許可をしたとか。奇蹟のような話だ。もちろん試験に合格したもの。名前だけではない。もっとも碁を覚えたのは15歳の時という。それなりに強かったであろう。
55号 弱冠20歳の井山名人誕生。
 弱冠20歳という言葉がこれほどピッタリすることは他には無い。周では20歳になると冠をつけたので、20歳を弱冠という。井山さんは20歳で名人の冠をつけたではないか。
55号 宋麗五段のこと。宋麗さんが関西棋院に入ろうとしたところ、中国から横槍が入り、庇いきれなかった。しかし、瓊韻社の五段を許されたよし。
 ゼイノイさんのことを思い出した。詳しい経緯は知らないが、韓国で活躍している。

 自分で購入していないのに紹介するのも気が引けるが サロン・ド・ゴをどうぞ。

謫仙(たくせん)

(2010.1.4)

第34期名人の就位式 その2

会場の隅に快男児がもう一人、張リュウ七段(28歳)を見つけた。前日の富士通杯最終予選では新名人の大石を召し上げた剛腕の持ち主。強いときにはやたらに強いが、昨期の名人リーグでは1勝もできずに陥落。何ともメリハリの利いたさわやかさだが、それ以上に興味をひかれるのは、この10月軽井沢で日本棋院、関西棋院の延べ44人を集めた「第1回若手囲碁合宿」を主宰された行動力と人脈。朝6時半からランニングやサッカー、野球などで体を鍛え、9時から夜更けまで、食事を挟んで詰め碁テスト、対局、検討を延々と続けた。井山名人をはじめ、趙善津元本因坊、山田規三生元王座、柳元天元・王座、河野臨元天元、結城聡関西棋院1位らも駆けつけ、「中国、韓国に追いつかなければいけない」との危機意識から生まれた若手棋士同士による自主的な試みはすごい盛り上がりだったようだ。

私の数少ない欠点の一つに、敬意を持つ若手に対し、年上ぶってつい強がってしまう癖がある。この時もそれが顔を出した。拠り所は、この11月に亡くなられた大正12年生まれの梶原オワ先生。昭和から平成にかけて四分の三世紀を囲碁一筋に尽くされた碁界の大恩人。ついにタイトルを獲らずに終わったが、「それは碁を勝負と観ずに一種の学問とみなし、時を忘れて盤上にのめり込んでしまったから」と、テンコレ文士(もちろん中山典之六段)が最近の『週刊碁』に書かれている。「だから張リュウ先生、どこの国、民族が世界1番になってもいい。日本は常に一流であればいい(もちろん勝ってほしいけれど)」と私はほざき、「むしろ梶原オワ先生の言う“学問としての碁”を物理や数学と同様に、世界の若い人が協力して高めればいいのだ」と、おせっかいなノーガキを垂れてしまった。じつはこれは、張リュウ、林漢傑といった日本人ではない棋士が日本のために音頭を取ってくれたことに対する私のキクバリだとご理解いただければありがたい(言いたかないけれど)。

エラソーに能書きを垂れた後、私は相手の長所を認めて必ずフォローする。突然変なことを抜かすオジサンに目を丸くしている張七段に「そ、そんなにまじめに聞いてもらっても困るよ。張リュウ先生はいくつになっても私に年齢は追いつかないかもしれないけれど、私のアタマをすぐに追い越されるだろう。そう、頭髪の進み具合。若い人はどしどし先輩を追い越していくべきで、追い抜かれたからといって、私は先生のためにお喜びこそすれ、嘆くような女々しいことはいたしません」ーーそばにおられた鶴山淳志七段が大笑いされていたけれど、今度は鶴山七段(28歳)の番だ。

11月の千寿会に、初めて講師として顔を出された久保秀夫六段が棋聖戦予選Aでの対局を自戦解説された。その相手が6歳年下の同郷(熊本県)の後輩鶴山七段。平成16年に棋道賞勝率第1位に輝き、最近の『週刊碁』でも「これぞプロ!」と賞賛された実力者だ。中盤の入り口で久保六段の意表を突く鋭い1着を放って大石を召し取り、この結果を久保六段は少し苦戦に陥ったと見なし、鶴山七段は大きな成果を挙げたと評価した。この意識の差が勝敗に影響した(久保六段の話)。その後、鶴山七段に「もうお腹いっぱい」と意思表示する着手が相次ぎ、いつの間にか逆転したらしい。この碁の感想を私はしつこく鶴山七段に問い質したが、ご当人は笑い続けるばかりで答えず。ま、いっか。オトコマエの若者の笑顔が大好きな私は鷹揚に矛を収めた。

会場でお見かけした女流棋士は、このページでも何度かご紹介させていただいた渋沢真知子初段。「これまで就位式のようなイベントには顔を出さなかったけれど、最近心境が変わりました」とおっしゃる。これはとてもいい兆候だ。いろいろな刺激を受けて、近い将来やや遅咲きの花を咲かしてくれると私は信じている。このところタイトルから遠ざかっておられる大沢奈留美四段も同じような心境で会場を訪れたのかもしれない。

千寿会の卒業生、奥田あやちゃんも将棋の室田女流棋士とともに会場を回っていた。年齢は新名人より1歳年上の21歳。今期の女流名人戦リーグでは健闘むなしく陥落が決まったようだが、タイトル経験者のベテラン男性棋士を破るなど、新名人と同様に毎年力を着けてきているとの評判だ。でも、「強くなったね」とか「これからはシェ・イーミンさん(20歳)、向井チアキさん(22歳)、万波奈穂さん(24歳)らと女流四天王を目指せ」などとたきつけても、「まだまだです」と反応がいまひとつ。そんな時私は意地でも相手を乗せたくなる。そこで繰り出す伝家の宝刀。「しばらく見ない間にすっごくきれいになったじゃん!」これは効いた。おとしごろのあやちゃんははじけるように笑い転げ、1度だけ千寿会であやちゃんを負かした(おじいさんに連れられてきたあの頃は結構いい勝負でした)おじさんにかわいい手を差し出して握手してくれた。

亜Q

(2009.12.16)

第34期名人の就位式 その1

井山悠太第34期名人の就位式が12月11日開かれた。歴代最年少20歳の名人誕生、さらに名人就位式では初めて一般客に門戸を開放したこともあり、事前に応募して参加した囲碁ファン50人を含むざっと200人以上(私の目算)の来客・棋士・関係者が冷たい雨が降りしきる東京・日比谷の東京会館12階会場に大集合。千寿会からは千寿師匠をはじめ、ご自身よりはるかに強豪に成長した愛娘を伴った麹町夫人・えっちゃん、日本棋院が主催したハッピーマンデー教室で碁を始め、主婦業の傍ら瞬く間に二、三段クラスに駆け上ったM女、そして「棋力向上より友愛」をモットーに成長路線をかなぐり捨てたかささぎさんと私が参加した。

挨拶に立った井山新名人は、「3勝4敗で敗れた昨期の挑戦手合い経験が役立ち、今期は自分の信じる手を打てた。さらに世界トップを目指して頑張る」と表明。允許状を授与した日本棋院の大竹理事長は若い層への広がりを期待し、3700万円の賞金目録を贈った主催紙朝日新聞の秋山社長はチョーウ前名人が率直に語った敗者の弁を紹介した。来賓の関西棋院副理事長は、日本棋院関西総本部に所属する若き井山少年が関西棋院を訪れて“道場破り”(結城九段らを相手に27勝2敗)したことを、また産経新聞などで初代本因坊となった算砂の生涯を連載している小説家の堺谷太一さんは、算砂が16歳で囲碁日本一の称号を受けたこと、将棋の才にも恵まれ当時の将棋名人と互角に渡り合ったことなど興味深い話をご披露された。

乾杯の音頭は羽生善治将棋名人。「自分は囲碁の棋力は初段ぐらいだが、今期の名人戦挑戦手合いは一戦一戦が白熱し、プロの醍醐味を堪能させられた。新名人はこれから何十年も素晴らしい碁を見せてくると思う」とお祝いを述べた。師匠の石井邦生九段は新名人とのトークショーで「これまでの人生で一番うれしい」と喜び、「新名人が6歳の頃から指導してきたが、12歳になった頃には追いつかれ、その後20連敗したこともあった」と告白。新名人は「師匠にはまだ“ひよっこ”と言われる。世界戦に勝って師匠に報告したい」と恩返しを約束していた。

会場には元名人・三大タイトル者の大竹理事長、林、石田、武宮各九段、日本棋院理事を務める工藤元王座、神田九段、信田、久保両六段、関西から結城、後藤九段、退役された白江八段らに加えて若い棋士たちざっと50人ぐらい、アマ界からも緑星学園を主宰される菊池康郎さん、第46回全日本学生十傑戦チャンピオンに輝いた慶応大学の周仲翔さんらが顔を見せた。目移りする中で、まず声をおかけしたのは早熟のコンピューターとして時代を画した石田秀芳24世名誉本因坊。「僕は26歳、林さんは24歳で名人位を獲った。三大タイトル全体では僕が最も若い22歳で本因坊に就いたが、いずれも井山新名人に抜かれました」と教えてくれた。

井山新名人を抜くとすればこの人と、私がひそかに期待している18歳の村川大介五段も関西棋院から駆け付けていた。スケールが大きい本格派で、会場に顔を出されていた黄イソ七段(22歳)、李イシュウ二段(21歳)、内田修平三段(20歳)らと並ぶ日本囲碁界の若きホープの一人。でもなぜか、私がネットで彼の対局を観戦すると悔しい負け方ばかり。年上のライバル、三谷哲也五段(24歳)には新人王戦(中野杯だったか?)で大逆転を食らったし、最近もチクン大棋士や関西棋院の本田邦久九段ら大ベテランに敗れた。ついつい私は「せっかく強いのに、変な負けが多過ぎないか」と口走ってしまった。「まだ弱いからです」と村川五段は困ったように頭を抱えていたが、こんな憎まれ口を叩く変なおじさんを、きっと覚えてくれるだろう。

次は秋山次郎、溝上知親(共に32歳)両八段。秋山八段は初めてリーグ入りした棋聖リーグで4勝1敗の好成績を挙げて次期棋聖への有力な手掛かりを得た。私は秋山八段に「棋風は変わるのか」と問いかけたが、めきめきと頭角を現しつつある勝負師たる者がそんな企業機密をザル碁オヤジ相手においそれと開陳するはずもない。『週刊碁』に秋山八段が連載中の「活碁新評」や、彼が若い頃薫陶を受けた梶原武雄九段の話題でも出せばよかったが、もう遅い。それでも根っから優しい青年なのだろう。「今期リーグの結果を糧に、序列2位で臨む来期リーグも一生懸命頑張る」と約束してくれた。

一方の溝上八段にはなぜかもっと失礼に振る舞ってしまった。「石田名誉本因坊、高尾九段、井山新名人、秋山八段らはリーグ入りしてすぐに結果を出したけれど、マグマが溜まるのをじっくり待つタイプもおられるのですね?」とは我ながら汗顔の至り。溝上八段は以前に在籍した棋聖リーグは今一つはじけずに陥落。2度目のリーグ入りを果たした今季名人リーグの緒戦ではチクン大棋士に手痛い敗北を喫した。何ともひねくれた質問にさすがにちょっとムッとされた表情。私は慌てて「でも(加藤啓子五段との)結婚効果はジワジワと効いてくるものでしょう」ととりなすと、男前でなごやかないつもの表情に戻ってくれたが、何と私は直後にまた失言!「ところで私は時折高梨聖健八段に教えていただいているのですが、溝上先生から見て高梨先生はどんな先輩ですか?」と聞いてしまったのだ。本サイトで以前書いたが、溝上八段は昨年、棋聖リーグ入りへ の準決勝、阿含桐山杯挑戦を賭けた決勝でいずれも聖健八段に敗れた。「こんなことを第一線の勝負師に尋ねるなんて、どれだけ私は馬鹿なんだ!」と心中激しく後悔する私に、好漢、溝上八段は「彼は本当に強いんです」と静かに答えてくれた。ありがとう、その時私は溝上八段に確かに好感を抱いた。

「結婚効果」と言えば、安藤和繁四段にも余計なことを言ってしまった。「愛妻の中島美絵子二段はこれまで可愛いのが取り柄と思っていたけれど、なかなかの詩人なんですね」と。彼女のブログを見ての感想だけれど、どうもひと言多かったかもしれない。「彼女は世の中にめったにいないかけがえのないタイプだから大事にしてあげてね」となおしつこく加えると、安藤四段は「僕も結構変わり者だからちょうどいいんです」とにっこり。どうもご馳走様。末永くお幸せにね。

亜Q

(2009.12.12)

名人戦第3局の疑問

名人就位式も終わり、今更なのだが、名人戦における私の長い疑問について述べる。就位式については、後日、亜Q氏からの報告があるはずである。

名人戦第3局。いくつもの劫争いも終わり、井山挑戦者が勝勢で終盤を迎えたところだが、挑戦者が右下でミスをし、白の大石の眼がなくなったところである。挑戦者は秒読み、名人はまだかなり時間を残していた。黒231とのノゾいた局面である。私はこのノゾキの意味が分からなかった。その付近に嫌みはなさそうに見えたからである。挑戦者はノゾキを当然のように無視した。最終結果はご存知の通りである。

私はこのノゾキの意味が知りたかったのだが、週刊碁にはその意味は述べられていなかったので、誰もが疑問にも思わないような当たり前の着手かなと思った。しかし、相変わらず意味が分からなかったので、千寿会の場で二人の棋士に質問をぶつけた。二人はノゾキを打たないと上辺に手が生じるのではないかと、時間をかけて調べてくださった。しかし、出てきた結論は手はないということであった。それなら、左のように黒1とコスミを打っていたら、白の大石がとれていたのではないかという話になった。口さがない我々の中には名人は挑戦者に考慮時間を与えないために早打ちしていて間違ったのではないかというものいた。しかし、騎士たちは張栩名人が打ったのだからきっと意味があるはずであるという意見だった。

その後、朝日新聞の囲碁欄で詳細な解説が始まった。私はこの解説で疑問が解けるだろうと期待した。しかし、その部分は素通りだった。さらにその後、ファンフェスタ in 箱根で新たに何名かの棋士に同じ疑問をぶつけてみた。懇親会の席だったのでかなりアルコールが回っていたのもあって、明確な回答が得られなかった。その中で一人の先生から、中央が白2で切れると白4の一線のサガリで右辺が劫になるのでノゾキが必要であるという回答が得られた。そこは何度も読んで、生きているのを確認したはずだったのだが、いわれてみると確かに怪しい感じがした。たまたま隣にいた県代表クラスも頷いていたので、私もその場では納得してしまった(素直な性格なので)。

自宅に戻ってからもう一度確認すると、やはり黒1で無条件生きである。そのことを碁盤にならべて確認していたのだが、そこでやっと気がついた。白のサガリに対して、黒1で確かに生きてはいるのだが、白2ホウリコミから黒に生きを催促すると、白2の下の黒石が抜けるこことに気がついた。そうすると劫残りではあるが、Aに白の眼ができて生きである。ここにきて、やっと疑問が氷解した。えらく時間がかかったものである。張栩名人(当時)はそれを1分もかけずに読んでいたのである。私にいわれても意味ないだろうが、さすがである。

かささぎ

(2009.12.12)

12月千寿会のご案内

12月19日(土)の千寿会の予定が下記のように決まりました。

日時:12月19日(土)13:30〜18:30
会場:ホテルニューオータニ 翠鳳の間
スケジュール:
 13:30〜16:00 クリスマス親善囲碁大会&指導碁
 16:00〜17:00 クリスマス・ティータイム
 17:00〜18:30 公開早碁 小林覚九段 対 常石隆志君(アマ名人:小林孝之門下)

かささぎ

(2009.12.7)

観光立国!

政府は「観光立国」の実現に向け、年内に省庁横断の対策本部を設置する。前原国土交通相が本部長を務め、経済産業省や厚生労働省などほぼすべての省庁から副大臣が参加して、中国からの訪日観光客を増やすために中国人向け個人観光ビザの入国条件を緩和するなど、複数省庁にまたがる懸案を解決していくのだそうだ。

政権交代を果たした民主党が厳しい財政情勢の中で果敢に新政策に挑み、過去の不都合を洗い直して改革しようとする姿勢は、細かい問題を抜きにして長い目で応援したい。でも、「立国」とはちょっと大げさ過ぎない?喩えが適当かどうかわからないけれど、生前の三島由紀夫が「俺はこれから、石原裕次郎の向こうを張ってアクションスターとして生きる!」とでも宣言したみたいな違和感がある。

一国の理念とか存在基盤を象徴する「立国」などという表示は一つの国に1つ、せいぜい2つまで。大安売りされては困る重い言葉だろう。もしも日本が目指すべき「○○立国」を国民投票で募れば、ひと昔前なら「貿易」とか「経済」、今なら「科学技術」とか「環境」あたりが上位を占め、「観光」はベスト10に入るかどうか。むしろ南太平洋あたりの風光明媚な小国に敬意をもってお譲りしたい。

そもそも、ビジネスやその他の必然的な理由を除いて、観光のためにある国を訪れたいという理由はその国が魅力的だから。風土・習慣、歴史、そして一人一人の国民性などを総合した国の姿が異国への憧れを掻き立てるのではないか。治安・衛生環境や円高かどうかなどはその意味からすれば二の次、いわんや入国手続きなどは当然実施すべき瑣事だと思う。

つまり、日本の魅力をさらに充実し、外国人に日本を理解してもらうための努力を続け、そうした活動や成果を世界に発信していくことこそが「目標」になるべきで、この目標に突き進む過程で結果的に観光客は増えてくる。前原さんの熱意と誠意は疑わないけれど、「観光立国」を目標に据えるのは因果関係が逆転している。偽メール事件の印象が冷めやらないせいかもしれないが、どうも危なっかしい。「立国」と勿体づければ国民は理解してくれるし、予算も確保しやすいとほくそ笑む役所や関係業者の顔が浮かんでくるのは、私の品性が卑しいからだろうが。

この目標を「○○立国」と表現するなら、「○○」は「文化」としたい。「文化」と言えば、地球上には国の数、いや、民族や地域の数だけ存在することは知っているつもりだが、それでもなお、日本には世界に誇る「文化」がたくさんある。フジヤマに代表される自然、京都・奈良をはじめ各地に点在する歴史遺産をはじめ、芸術・芸能、文学、衣食住の文化、漢字や仮名、科学技術や環境対策なども含まれるだろう。最近ではマンガやファッションなどもクールジャパンの大きな要素になっているらしい。

もちろん、人類のかけがえのない知的遺産である囲碁も不可欠なメニューの一つ。日本以外では埋もれかけていた囲碁を10世紀以上にもわたって育ててきたのは事実だし、国際普及にも貢献してきた。これからも世界トップ水準のレベルを維持するだけでなく、世界中の人々が囲碁の素晴らしさに触れてもらうための仕組みづくりを、国を挙げ、各国と協力し、プロはもちろん、囲碁の機微に触れたアマも一心同体で築き上げていきたい。

   −−−−−

このたび、囲碁界最大の貢献者の一人、梶原武雄九段が亡くなられました。
木谷門で多くの俊才を育て、アマチュアに対しても独特の気配りをされる偉大な棋士だったと思います。

弟弟子たちへの愛の鞭は雷のごとく、それでもどこかやさしい人柄が慕われていたと聞きます。
同じ師範格の杉内雅夫九段から静かな声で「お帰りなさい」と不勉強をたしなめられる方がよほど怖かったそうです。

梶原オワ先生には本欄でもずいぶんご登場いただきました。改めて2題をご紹介して、ご冥福をお祈りいたします。

苦手な相方(あいかた)
毒舌今なお意気軒昂~~中山典之六段出版記念会から~~

亜Q

(2009.12.3)

チャバ君、おめでとう

ハンガリーから日本に院生修行にきていたチャバ君。棋士になるという夢は実現せず、数年前に本国に帰られたのですが、この度、結婚という新たな夢を実現されました。奥さんの名前はKataさん。写真をいただきましたので、ここにご紹介いたします。

チャバ君、ご結婚おめでとうございます。おふたり仲良く、お幸せに。

かささぎ

(2009.11.26)

農心杯オーダー予想

再来週から日中韓の国別団体勝ち抜き戦である農心杯が始まる。日程は第1ステージ(第1-4局)が11月25-28日、第2ステージ(第5-10局)が明けて1月18-23日、第3ステージ(第11-14局)が3月9-12日である。農心杯は今回が11回目。これまでの優勝は韓国が8回、日本と中国が共に1回である。

今回の日本チームのメンバーは山下棋聖、井山名人、羽根本因坊、高尾九段、山田規三生九段の5名である。現時点でのベストメンバーである。少し前から国籍主義になったので、張栩4冠は残念ながら出場できない。いつも期待して見ているのであるが、ここ3年は最高でも2勝止まりで最下位に甘んじている。今回はいつもにも増して期待している。

団体勝ち抜き戦で面白いのが、メンバーの出場順序であろう。誰が出てくるかは対局直前まで秘密である。中韓では国際戦の価値が国内戦よりも優る。したがって、両チームとも戦略を考えて順番を決めているのであろう。それに対して、日本では国内戦が国際戦に優先する。したがって、戦略以前に国内戦の日程を見ながら出場順を決める必要がある。国内のタイトル戦と日程が重なる場合、国際戦には出場できない。

このことを勘案して、出場順を予想してみたい。まず、国内戦の現状および予定を把握する必要がある。山下棋聖は現在、天元戦の挑戦手合中であるが、第1ステージは第2局(11月19日)と第3局(12月3日)の間に挟まっており、残りの対局も重なっていない。一方、年が明けると棋聖戦の挑戦手合が始まる。例年、1月15日前後の水、木曜日から始まる。今回は第1局が1月13、14日と予想される。2局目以降はそこから2週、1週、2週、、、おきに開催される。第2ステージは第1局と第2局の間に来ることが予想されるが、かなり慌ただしい。第3ステージは第6局と重なりそうである。

羽根本因坊と山田九段は共に11月26日にそれどれ王冠戦と王座戦の挑戦手合が組まれているので、第1ステージには出場できない。全ステージに渡り最も暇なのが井山名人である。次に暇なのが高尾九段で、十段戦の勝者組の頂上で敗者組の勝者を待ちかまえているところである。挑戦者になっても、挑戦手合は3月までない。

以上から、第2ステージ以降忙しくなる山下棋聖が先鋒となる確率が高いと考える。次鋒は井山名人と高尾九段が候補となる。ここ1、2年は国際戦に勝てるようになってきた高尾九段ではあるが、ここは勢いを買って、井山名人を推したい。そうすると中堅が高尾九段と予想される。最後に、副将と大将である。ここ数年、国際戦で厳しい碁を打ち、勝率を上げつつある羽根本因坊に大将を任せてみたい。残る副将は山田九段となる。

私の予想をまとめると、次のオーダーとなる。

 山下棋聖
 井山名人
 高尾九段
 山田九段
 羽根本因坊

さて、皆様の予想はいかがでしょうか?

かささぎ

(2009.11.15)

高校無料化

政権交代が実現して数ヶ月、鳩山首相をはじめ民主党議員の面々の奮闘ぶりが目を引く。閣内の意見がばらばらだったり、官房機密費(報償費)のように初めの意気込みが尻すぼみになったり、お疲れ気味の方が目立ったり、やたら忙しそうな方と暇を持て余されているように見える方が混在したり、あぶなっかしい感じもするのだが。

特に気になるのは、マニフェスト至上の姿勢。「公約が実現していないと国民が感じ始めたら即、民意を問いたい」と鳩山首相は不退転の意志を訴えるが、これってまさに「マニフェストありき」。かなり原理主義っぽくないか。頭が固過ぎないか。

選挙で圧倒的な議席を与えたとはいえ、国民は民主党が掲げたマニフェストを何から何まで賛同したわけではないと思う。むしろ、長年政権運営してきた自民党の驕りに厳しく「No」を突きつけ、日本の政治をいったんリセットしたかったのだろう。

沖縄の米軍基地、八ツ場ダム、暫定税率、高速道路、子育て手当て、年金、郵政改革、いろいろな分野で新味のある政策を並べ立てているが、これまでの経緯や財源との整合性があるのか、そもそも民意を得ているのか、私にはどうもわからない。

例えば「高校無料化」。高速道路や子育てと同様、ご利益を得られる当事者なら喜ぶかもしれないが、公正な政策かどうかとなると疑問がある。日本の国技、大相撲のある親方が言っていた。力士を志すなら義務教育を終えてすぐに弟子入りしたほうがいい。高校程度の読み書きや社会常識は相撲の修行を続けながらでも十分身に着けられる。リスクの大きい職業選択をして、高校無料化のための税金を払い、修行する自分たちには何の見返りもない、というのでは不公平ではないかと。

学歴は結婚や子供を持つかどうかと同じように個人のライフスタイルの問題。学問に向いているけれど困窮しているために進学できない人を奨学制度などで支援するという、選択肢を広げるための政策は結構だが、何も一律に高校無料化を打ち出す必然性はないように思える。そもそも、数学や物理のような学問では特に優秀な子供には既成の高校の枠を超えた“私塾”的な育成の方が本人のためにもなるのではないか。もちろん、凡夫の私には、舟木和夫やペギー葉山が歌った「高校三年生」や「学生時代」の頃が懐かしかったりするのだけれど。

実はこの話、棋士にこそ最も当てはまりそう。今では高校・大学卒の棋士も多くなったらしいけれど、高校・大学への進学は言わば「含み」を重視して決定を先延ばしする方法。これに対し、手段を絞り込み、言い換えれば捨て身の姿勢で、難しい目的に挑戦するのも一つの選択だと思う。進学を断って困難な道で職を得、若い頃から税金を払い始める人には、高校無料化は愚策に映るかもしれない。

亜Q

(2009.11.9)

2009ファンフェスタin箱根(下)

 わたしの最終局で、ある問題が起こった。わたしの黒番である。
 局面は覚えていないので、判りやすく似たような例図を作ってみた。図は異なるが趣旨は変わっていないはずだ。盤面は40目程度黒が勝っている。

 ここまできてわたしは声をかけた。
謫「終わりですね」
白「まだ終わっていない」
謫「ではパスします」
 白はAに打った。意味のない手だ。もしここに手があったとしても「終わりですね」と黒が声をかけて白が同意してしまえば、黒は何か手に気がついても、それ以上は打てないところ。
 さらにパスすると白はBと打つ。白の意を察して、黒C・白D・黒E・白Fと打つ。
再び「終わりですね」と声をかけた。
白は無言。
謫「どうします。まだあるのでしたら、わたしはパスします」
白「ルールによって交互に打つことになっている。パスはおかしい」
謫「わたしの方は終わっているので」
白「ダメが一つある。まだ終わっていない。交互に打つことがルールによって決まっている。先生を呼んできます」
 そういわれて、わたしは下辺にダメがあることに気がついた。ここはどちらが埋めてもいいところ。わたしがパスしたのなら、白が打てばいい。
 なんと倉橋正行九段を呼んできて裁定をして貰うことになった。
白「ここで黒がパスしたのはルール違反では」
倉「これは正式な手合いですか」
謫「そうです」
 プロの言葉によって、気がつかない手に気がつくことがあるので、倉橋九段はそのことを確認した。
謫「ダメに気がつかないでパスしたのですが」
倉「パスはしてもかまわないですよ。どうしました」
白「まだダメが空いています」
倉「白は手があると思えば続けて打てばいいんです。その前にどちらか『終わりですね』と言わなかったんですか」
謫「わたしが言いましたが、白さんは同意しなかったので、わたしはパスしました」
白「わたしもパスしました」
謫「双方がパスしたら終わりですよ」
 倉橋九段も同意して帰ろうとするが、白は納得しない。
謫「倉橋さん。結論をはっきり言って下さい。『ダメがあるのにパスしたのでルール違反で黒負け』というなら、そう裁定してけっこうです」 
倉「問題ない。気がついた方がダメを詰めたら、このことは終わりです」
 たとえば白がダメを詰めて、黒は終局宣言する。そのあと白はどこかに打ちたかったら打てばいい。終局にするのは白の権利。

 今回は双方とも10分程度残っていた。もし時間切れ寸前のときなら、とにかくパスして、時計を叩くことになったか。双方がパスすれば時計を止める。
 ルールによって交互に打たねばならないというが、これは打つ方の権利であって義務ではないだろう。
 打たねばならないなら、極論を言えば白が打ってダメのなくなった時点で、終局に同意しないとき黒はどこかに打たねばならないのか。もちろんそうなると、黒も再開を言い、白にも一手打たせることになる。そうして延々とこの先130手も続くことになってしまう。
 倉橋さんは「こんなトラブルは初めてです。とにかく皆を待たせているので」と帰って行った。

 普通は最初の「終わりですね」で同意して対局の停止となり、時計を止める。ダメを詰め死活を確認し、必要なら手入れをし終局となる。そして地を数えることになる。交互にダメを詰めるのはトラブル防止のため。
 わたしがパスを宣言したのは、「終わりですね」に相手が同意しなかったから。まだ対局中であり、相手の手番で続くことになる。つまり「終わりですね」はパスを意味する。だから「パス」と言っても意味は同じ。
「終わりですね」に同意しないと、まだ手があることを教えるようなもの。「パス」ならば、相手は続けて打ちやすい。
 白さんがプロの終局図(正しくは対局の停止という)を見たことがあれば、ダメの空いたまま終局(正しくは対局の停止)することに納得できるはず。
 ルール解釈の問題であって時間狙いでなかったし、盤面は40目ほど差があるので冷静に対処することができた。
 わたしも数十年に及ぶ囲碁生活で初めての不思議な経験だった。

参考:日本囲碁規約逐条解説

第九条−1(終局)
一方が着手を放棄し、次いで相手方も放棄した時点で、「対局の停止」となる。

第九条−2
対局の停止後、双方が石の死活及び地を確認し、合意することにより対局は終了する。これを「終局」という。

第九条−3
対局の停止後、一方が対局の再開を要請した場合は、相手方は先着する権利を有し、これに応じなければならない。

謫仙(たくせん)

(2009.11.7)

2009ファンフェスタin箱根(上)

 10月30日から11月1日まで碁会で三日間箱根にいた。

 07年の6月に「第11回ふれあい囲碁大会」があり、この会はこの後中断していた。
 今回、孔令文さんなどの努力が実って、あらためて「2009ファンフェスタin箱根」として、再開したのだ。
 参加のプロ棋士はいつもの孔令文六段・倉橋正行九段・下島陽平七段・瀬戸大樹七段・万波佳奈四段と、特別ゲストとして清成哲也九段。そしてその息子の清成真央(まお)初段。
 いつもの小林覚九段・笠井浩二七段やインストラクターの木下かおりさんなどがいなかった。このあたりにふれあい囲碁大会とは変わったことを感じる。
 人数は百人を越えた。前は一段あたり、2部作ったが、今回はほとんど1部。

 天龍八部の旅6 天龍八部影視城2で紹介した「大理旅游杯」の写真を万波さんに渡して、この時の様子を聞くことができた。
 大理旅游杯は一回キリで終わってしまった(開催者にとっては1回で目的を果たしたというところだろう)。お城の中で、民族衣装を着て開会式をしたとか。おそらくペー族の民族衣装だろう。成績は残念ながら……だったと言う。思わぬ所で(?)天龍八部影視城の話をしてしまった。

 わたしは一日目は二局で二連敗。二日目は四局で盛り返して四連勝。三日目は手空きだった。結局4勝2敗で三位。同成績がもう一人いたが、直接対局でわたしが勝っていたので、わたしが十人中の三位となった。
 入賞は、今回は三位まで(^。^))。ありがたく賞を受けた。ふれあい大会の時は二位までだったのだ。
 Kさん、つまりわたしと同成績だったが四位となった方は、わたしに勝っていれば、優勝だった。5勝1敗が三人並び、直接対局で勝ったので優勝。それがわたしに負けたばかりに同成績ながら、四位に沈む。
 わたしとの勝負もKさんが圧倒していた。それがひょんなことから種石が落ちて逆転。
K「取れている石を、もう一手かけるのもしゃくで」
謫「一手遅れることになりますからね。周りの状況で手段が生じてしまった」
 オトトさんが別なクラスで優勝したのを記してもよいだろう。

   碁仇をくやしがらせて山紅葉   謫仙

 一日目と二日目はきれいに晴れたが、三日目は深い霧の中。雲の中と言ってもいいかも知れない。手空きだったのを利用して、函南原生林まで歩いた。

謫仙(たくせん)

(2009.11.4)

大矢会のご案内

皆様、こちらの投稿では初めてです。日本棋院棋士の大矢浩一です。過日の例会日にはお邪魔させていただきまして、いろいろ失礼があったかと存じますが、笑ってお許しいただければ幸いです。

そのときはじめて (という、オフコースの曲があります・・・って、すいません。。。) お邪魔させていただいたのかと思いきや、ナント、栄えある15年前の第1回ゲストしてお邪魔していたとのことでした。全く覚えていなくてすいません。。。

さて、宣伝になって恐縮ですが、私も千寿会ならず、大矢会というのを催していまして、二ヶ月に一度、第2か第4月曜日に行うことが多いのですが、今年最後となる例会は12/14(月)の18時からになります。

料理写真(イメージ。実際は幕の内風定食です)

開催地は、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、テレビ東京の囲碁番組の聞き手としてもおなじみの村井真理子さんのご両親が経営している西新宿のレストラン「白龍館」です。呉先生もよくいらっしゃる所です。今は区画整理があってもうありませんが、トマトタンメンで有名な「白龍」が移転した店で、若かりし頃はよく依田さん(紀基九段)と足しげく通ったお店です。

で、今までは某企業の囲碁部の例会としての大矢会だったのですが、今後はいろいろな方にもお越しいただき、笑っていいとも風に言えば「友達の輪」を広げようということになりまして、そこでこちらにもお声をおかけさせていただいた次第です。

碁盤は足付き、板盤が各5〜6面あり、スペース的に最大8面打ちまでできます。参加者には必ず1局私がお手合わせさせていただき、局後の検討はおいしい料理とお酒を飲みながら、あるいは時にはピアノや歌をBGMに、という形式になっております。

参加費は、変則的で恐縮ですが、全体の参加者が9名までは10000円、10名は9000円、11名以上は8000円になります。
(私の指導碁、局後の検討、白龍館特製幕の内風定食&飲み放題付き)
★大変恐縮ですが、飲み放題はご自分の対局の終了以降とさせてください。
★今まで(お声をかけさせていただく前)の例会の参加者数は、6名前後です。

地図

開催日時 12/14(月)18時〜21時頃まで
会場の白龍館のホームページは、下記になります。
http://www.hakuryukan.jp/index.htm

もしよろしければぜひおいでいただき、楽しい一時を過ごさせていただければ幸いですので、
  
なお、来年以降も二ヶ月に一度のペースで行いますので、その開催日時をお知りになりたい方は、私宛(メール)にお問い合わせください。また、今回ご参加いただける方も、可能でしたら事前に私宛にその旨をお知らせいただければ、状況によっては会費の額をお伝えすることもできますので、ぜひお知らせください。

もちろん、メールアドレスは、オフコース小田和正です!←これをゲットするのには苦労しました^^;;

以上、よろしくお願いいたします。

日本棋院棋士・大矢浩一

(2009.10.27)

井山名人誕生

 囲碁界に現れた新星井山裕太八段が新しい名人となった。名人になると同時に九段に昇進する。今年20歳。史上最年少の名人である。
 14日と15日は、日本棋院幽玄の間(ネット)でずっと見ていた。もちろん途中で碁を打ったりしていた。
 立ち上がりはともかく、黒番張名人がいいと思っていた。だが、両対局者をはじめ、観戦者の多くは、ずっと白がいいと思っていたという。
  右は封じ手。

右下の白は活きたが、わたしには中央の白の活きが見えない。ところがプロには白の活きが見えている。生き死にの問題ではなく、どうやってうまく活きるかの問題で、ただ活きただけでは不満という話だった。

 わたしか唯一当てた手が、この手である。というより、黒はなぜここを守らないのか不思議に思っていた。わたしの感覚では、ここに白が来てようやく白がよくなったと思った。しかし、わたしが思っていたほど大きな手ではなかったらしい。つまり、その前も白がよかったということだ。
 このあたりは、お互いに手段が見えて織り込み済みのプロと、手が見えずここで勝負というわたしの感覚に、差がありすぎる。正しく観賞もできないほどの差だ。

 張名人投了の図、ここまできては大差である。盤面でも白がいい。

 名人になるのは、形式的には名人襲位式で允許状を手渡されてから。しかし現実的には、今日から名人と呼んで間違いではない。
 挑戦者の決定リーグでは8戦全勝で去年に続き挑戦者になり、二度目の挑戦は4勝1敗で名人位を獲得。
 井山さん、おめでとうございます。

謫仙(たくせん)

(2009.10.17)

渋澤真知子囲碁教室

 10月10日は目の日だという。わたし体育の日と覚えていたが、今は違うとバカにされてしまった。その目の日に千寿会のメンバー7人で、渋澤真知子囲碁教室を訪ねた。
 高井戸までは少し遠い。わたしには一時間半の距離だ。
 去年、渋澤真知子さん主催の囲碁会に出て以来、一度は教室を訪ねたいと思っていた。
 真知子さんは棋院の仕事もあり、教室はいつでも開いているわけではないので、事前に予約しなければならない。こちらも各人に都合がある。ようやくまとまったというところ。
 高井戸駅で待ち合わせ、教室に向かう。五百メートルほど歩く。住宅街の一画に教室はある。

 一階はご母堂の高井戸治療室。
 二階が真知子さんの囲碁教室だ。手前の部分だけなのでかなり狭い。あくまでも囲碁教室で、碁会所ではない。
 我々が二階に行くと、一組が対局していた。入りきれなくなってしまう。
 二階では三人が指導碁、一組が対局。下の治療室の一部を借りて、二組が対局ということで凌いだ。
 教室は外見とは裏腹に内装は檜造りのイメージ、碁を学びに来る子どもたちの健康を考えてと聞く。無垢の檜に囲まれた教室は中高年者には憧れ。子どもたちより先に大人が喜んでしまう。
 教室の一部にテレビ。さらにパソコンまである。
 わたしは、真知子さんはインターネットをしていないと聞いていた。Eメールのやりとりをしていないと。それなのにパソコンがある。モニターの表面はタッチパネルになっているようだ。
「最近は、日本棋院の仕事がパソコンで入るので、仕事の必需品ですよ。ええ、もちろんEメールも」
 パソコンがあるためにさらに部屋が狭くなったのだ。
 二日前の名人戦の記録係りもしていたので、その話も聞こうと思ったが、全員が指導碁をお願いしては、とても時間がなかった。
 途中で、ご母堂がお茶と茶菓子を運んできた。茶碗もこっているが、茶菓子がいい。

 ご母堂の手作りの粟餅かな。きなこでくるみ、上に栗が乗っている。
「お母さんの手作り?」
「ええそうです。自然食にこっているので」
「これは粟かしら」
「そうだと思いますけど、わたしもよくは判りらない…」
 真知子さんも知らなかった。ただし、「親の心子知らず」ということはなくて、真知子さんは、わたしたちから見るとかなりストイックな食生活をしている。ご母堂の影響が大きいようだ。

 肝腎の碁だが、真知子さんはけっこう早打ち、時間は全て我々が考えるために使う。
 わたしは四子局をお願いして、右に小目二子、左に星に二子。
「星四子とは感覚が違うので、なんか気になってしまいますね」
 とは、打ちながらの感想。
 かなりうまく打てたと思っていたが、一手の欲張りで大石が死んでしまった。プロは普通、勝てる場合は殺さないように打つ。つまり、黒が大石を凌げば勝てる碁だったと思う。「貪り勝ちを得ず」の見本のような碁だった。
 自由対局は、……悔しいので言及したくない。南帝(なんてい)の三子卒業試験は合格させてしまうし、打ち掛けの二局は負け碁だったし、この調子では、宿命のライバル洪七公(こうしちこう)にも負けそう。謫仙こと魯有脚(ろゆうきゃく)が馬脚を現したようなもの。

 夕方、真知子さんに見送られて、駅に向かう。途中で反省会のために焼鳥屋に入る。なにしろ反省会が碁より楽しみな人ばかりだ(^。^))。
「前の日本棋院の碁会のときと比べて、今日の真知子さんは溌剌とした顔をしていたなあ」
「今調子を上げていて、某棋戦の一次予選を突破したところなんだよ」
「以前、酒井猛先生の慰労会のときも来てくれましたね、師匠なんですか」
「直接の師匠は違うんだけれど、酒井先生にはずいぶん教えて頂いたから」
「またいつか、真知子教室に来ませんか。いい反省会場もあることだし」
 と、いつまでも続くのであった。

謫仙(たくせん)

(2009.10.11)

詰碁

白先です。私の実戦に出てきた詰碁です。私が白だったのですが、死んだものとばかり思っていて、しばらくほったらかしにしていました。

かささぎ

(2009.9.30)

戦力外通告

愛知の高校を卒業後、西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人などを経てシーズン、日本シリーズで何度かMVPを獲得した国内現役最年長野球選手・工藤公康投手(46歳)が9月初め、在籍する横浜球団から戦力外通告を受けた。今期は先発から中継ぎに役割を変え、9月15日現在で出場37試合、2勝2敗、防御率6.89。通算勝利数は歴代13位の224勝(139敗)。工藤投手は「横浜ではできなくなるけれど、どこかの球団から求められれば来季も最善を尽くしたい」と現役続行を希望しているという。

40代も半ばを過ぎれば、目も足腰も内臓機能も当然劣化する。若いころのような「成功したい」という願望、ハングリー精神も衰えるだろう。でも野球は個人競技ではないし、1回限りで勝負が決まるものではない。グラウンドに立つ9人だけでなくベンチ入りメンバー、さらに支配下選手全体で長いシーズンを戦い抜くゲーム。工藤投手にはまだまだ活躍の余地が残されているのではないか。「戦力としての価値」そして「商品としての価値」の二つがその根拠だ。

工藤投手は歴代の名投手の中でも投球フォームが美しく、無理がないと言われる。持って生まれた筋肉の強さ、柔らかさはもちろん、私生活や食事面での節制もプロ選手としての自覚が高いようだ。人によって寿命、体力、意欲に大差があるように、彼はアスリートとしての資質に並み外れて恵まれた人材。年齢を凡人と同様に数えたら失礼だろう。

この工藤投手を「戦力」にできるかどうかは、使い方次第だと思う。最近の彼は試合状況に応じていつでも登板する中継ぎ役に徹しているが、46歳の選手には体力・精神力ともにきつかろう。むしろ、6〜7日に1度ほどの間隔で3イニング程度を目安にしたスターターに特化させたらどうか。もちろん勝ち星につなげることは難しい。通算勝利数を少しでも上積みさせたいのは人情だが、今から歴代ベスト10入りを目指すのは無理だろう。本人が欲しいのは勝ち星より登板機会ではないか。

勝ち星の権利は2番手以降の投手に譲られる。ゲームが流れ始めているからプレッシャーに弱い若手投手でも自然に試合に入り込めるだろう。もちろん、たまには序盤に大量点を失って負け試合になってしまうこともあるだろうが、それならそれで投手を無駄使いせず、若手を試すなど明日の試合につなげるゲームをすればいい。毎試合勝とうとするから連敗しやすくなる。

先発・完投を目指した昔と違って、今の野球は先発・中継ぎ・セットアッパー・クローザーという具合に投手の分業が進んでいる。さらに進めて、先発を第一(スターター)と第二に分けてもあまり違和感がないはず。こうした戦いを受け入れやすいのは、弱小球団、特に投手のコマ数が不足しているチームだろう。その意味で現在在籍している横浜は最適だったと思うが、それ以外なら楽天、ヤクルト、広島、オリックスあたりが有望そう。

「戦力」以上に注目したいのは「商品」としての価値。「戦力外」を発表された後、初の登板となった16日の対ヤクルト戦では3点リードされた7回1死二塁で相手チームの4番、5番打者を仕留めて追加点を阻んだが、本拠地の1塁側ファンがフェンス際に大挙して移動、現役続行に執念を燃やす工藤投手の敢闘を称えたという。来期どこかのチームでスターターとして予告先発すれば、観客は大入りになりそうな気がする。

最近の野球は、工藤投手を筆頭に40代またはそれに近い選手の活躍が目立つ。阪神のレギュラー陣には金本、下柳、矢野が顔をそろえるし、ヤクルトの木田、中日の立浪、楽天の山崎、オリックスのローズ、巨人の大道らもまだまだゼニをとれる。精進を重ねて精一杯花を咲かせ続けて欲しい。

ところで碁は、野球やその他のスポーツはもちろん、内外の知的競技を含めても最も選手寿命が長い(雑記帳「囲碁年齢」)。碁界で工藤投手を探せば、大正9年生まれの杉内雅男九段が極め付け。率直なところ大タイトルを争うのは無理かもしれないが、杉内仙人は昨年11月、女流名人・本因坊を併せ持つ平成元年生まれの爆弾娘、シェー・イーミン嬢と激闘を展開、敗れたとはいえ年季の入った芸を見せてくれた(雑記帳「魅せてくれた年齢差70歳対局」)。大正15年生まれの岩田達明九段らも頑張っておられると聞く。

アマの囲碁ファンは圧倒的に熟年層が多い。大ベテラン棋士が若い人に負けずに活躍する姿に心打たれ、励まされる。要は「商品価値」の演出。例えば女流タイトル者や新初段の若者を相手にどう戦うか、仙人らが元気なうちにこうした特別対局を企画してもらいたい。

この7月、ホテルニューオータニで開かれたシューコー老師を偲ぶ会でお目にかかった大竹英雄名誉碁聖・理事長からこんな話を伺った。「リンちゃん(もちろん林海峯名誉天元)やボク(共に昭和17年生まれ)が四天王、河野臨、井山君らとタイトルを争えば碁界はすごく盛り上がるだろうねぇ」と。囲碁界最大の課題は若い囲碁ファンを増やし、国際的に普及することだと思うが、熟年層が夢中になっている姿を若者や囲碁後進国の人も注目する。ボケを防ぎ、いつまでも若い人と対等に息長く楽しむことができる最高の趣味(独断ですが)としての碁を、熟年層が中心になって輪を広げていくのが正しい高齢化社会のありようだと思ったりする。

亜Q

(2009.9.19)

天龍八部の珍瓏 の続き

「岡崎由美先生と行く中国の旅」で雲南まで行ってきた。
 主目的は、大理にある「天龍八部影視城」。金庸原作のドラマ天龍八部の撮影所だ。
 ドラマ作成のため、一億元以上かけて撮影所を作ってしまう。そしてそこは観光地となってにぎわう。他にも射鵰英雄伝では桃花島「射雕英雄伝旅游城」と「桃花塞」。神鵰侠侶では象山「象山影視城」。
 金庸小説は昔は発行禁止だった。共産党を揶揄しているといわれた。ところが許可されるや一転、中国の看板になってしまった。
 岡崎さんはその金庸小説を訳し紹介した人である。

 05年撮影。門の対聯は前に雲松書舎で説明している。
 あとで聞いた話だが、門を入ろうとしたとき、ガイドが門の対聯の説明を始めた。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。時間が惜しい。
 説明なしで対聯の意味が判るオタク的な人たち12名と、岡崎さんと添乗員の団体旅行だった。
 この旅行記は雲南憧憬に書いている。
 この城に珍瓏を中心とした碁の一画がある。

 ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。

「大理旅游杯」第一回世界女子プロ棋戦の参加棋士のサインである。この棋戦の第二回以降は開かれているのか。
小西和子・青木喜久代・祷陽子・万波佳奈・矢代久美子・ゼイノイ・謝依旻の名がある。
2006年11月14日

 この石碑の後ろに無崖子の珍瓏棋局図がある。
 前に「天龍八部の珍瓏」という一文を書いたことがある。そこではいろいろ考察したが、一応決定版が判った。

 珍瓏図。糸は切れ図がゆがみ、鉄はさび、あまりにみすぼらしい。
 かなりの打ち手である蘇星河が、30年研究しても解けない。小説では、その珍瓏は、
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。

 この図にセキはなく、上の条件を満たしていない。
 この左下は、評判の高い江戸時代の珍瓏に似ている。
 白番である。虚竹(こちく)はでたらめに石を置く。
 見にくいが、少し時間をかければ、多くの棋客が、左下に目がいこう。左下は白番の詰め碁「白先黒死」。手抜きは黒が白を取って活きてしまう。
 虚竹が打ったのは2−十七、一目抜きである。黒は3−十七ウッテガエシ。ここまでは考えるまでもない。判りやすく図にする。


 この後白が数手を打って終局となる。白は3−十八キリを打って左下の黒を殺したはず。手抜きは黒カケツギで生きてしまう。これだけのことを30年研究して判らないとは。
ドラマの蘇星河の棋力はアマ初段に届かないとみた。

 ドラマで段誉がここに来たときは右の図であった。
 7−十七ウチカキが入っている。これでは黒は2−十八カケツギで活きてしまう。7−十七は不要の一手であった。ドラマではここで白番である。黒は7−十七を打たれたとき、どうして活きなかったのか。おそらく、撮影の手違いであろう。
 わたしは、この場面のためにこの珍瓏を作ったことを高く評価している。わたしの知る限りだが、他では碁の図はでたらめばかりだ。
 日本では、「篤姫」の碁の場面を梅沢由香里が監修して、高い評価を得ている。こういうところがでたらめだと、他の場面もでたらめではないかと思ってしまうのだ。
 ただ、せっかくこれだけの珍瓏図を作りながら、ドラマ撮影の扱い方はお粗末。残念だ。

 続いて碁の絵。その前に「珍瓏棋局」の説明。この写真の右には無崖子居。

 無崖子居。ドラマでは妙に生活実感のない家だと思ってはいた。死んだと思わせ密かに生活していたのだ。家前の碁はドラマとは無関係。さらに右に無崖棋廬が続いている。

 無崖棋廬の中に碁盤があった。碁笥は使いにくそう。これでも碁笥と言うのかな。
   …………………………

 補足と訂正:「天龍八部の珍瓏」に書いた以外に、ドラマの天龍八部ではもう一カ所碁のシーンがある。段皇帝が黄眉和尚に段誉の救出を頼むとき碁を打つ。これは石の持ち方打ち方が自然であり、今回見るまで気がつかなかったほど自然に流れている。黄眉和尚役の俳優は碁を知っている。
 訂正は、珍瓏を「天龍八部−第六巻 天山奇遇」と書いたが、正しくは「天龍八部−第五巻 草原の王国」だった。

謫仙(たくせん)

(2009.9.7)

プロ・アマの垣根を外す棋士

先方の顔と名前、あるいは職業や社会的立場ぐらいは知っているけれど、先方は私を知らない——そんな相手に初めて声をかける時、私のような古だぬきでも少しは緊張する。相手についての情報が多ければそれに応じた自己紹介もできるし話題も見つけやすいが、見ず知らずの人に対する“拒絶オーラ”が強く漂っているように見える人にはなかなか踏み込みにくい。

その意味で、棋士の中で話しかけやすそうな代表的な存在を挙げれば、一にオーメン(王銘エン九段)、二にヤッシー(矢代久美子五段)、関西ならチョッキさん(宮本直毅九段)。どなたもテレビや『週刊碁』などのコラムで人となりが何となくわかっているし、どんな相手、話題でも受け入れてくれそうな包容力みたいなものを感じる。プロとアマの垣根を自然に取り去って肩肘を張らない環境が周囲にできているような雰囲気なのだ。もっともこの人選にはこれまでお話しさせていただいた先生方は除外しているから、例えば知名度が碁界ナンバー1の由香里姫(梅沢五段)や新婚のこずちゃん(向井梢恵さん)、シューコー老師の一番弟子アベちゃん(安倍吉輝九段)、チクン大棋士やその愛弟子、スジュン兄貴(金秀俊八段)、そして関西ナンバー1のユーキさん(結城聡九段)らは登場しない。つまり、限られた情報の中での私の一方的な思い込みなのだが。

中でも、かねがね「センセイ呼ばわりはお断り」と公言されているユーキさんなどはシューコー老師の思い出、ライバルや先輩たちの素顔、中国・韓国の実力、碁界改革など硬派の話題から、歌やカラオケが好きで結構みーはちゃん的な側面ものぞかせてくれるし、少年時代からの鉄道マニア、無類のトラキチ(熱烈阪神ファン)、ただいま新婚生活初級者だったりで、仮に無人島に二人で閉じ込められても話す種に困りそうもない。

このユーキさんと並ぶ“プロ・アマの垣根を取り外す話題豊富な棋士”、木谷門下ではチーママの弟弟子に当たるオヤオヤ先生(大矢浩一九段)が8月22日の千寿会に登場された。千寿会がスタートした時の第1回ゲストだったからほぼ15年ぶり。テレビや新聞の囲碁解説でもお馴染みの明るいキャラクターと持ち前のサービス精神がよく知られるが、あいにくこの日は何年に1度という不機嫌な状態だったらしい。さっそくご指導願った私をはじめ何人ものザル碁アマ連をちぎっては投げ、またちぎっては投げ、当日最長老のJさんにだけ花を持たせていただいた。

聞けば二日前の22日、本因坊リーグ入りを賭けた最終予選決勝でユーキさんになすところなく敗れ去ったという。その前の準決勝ではチクン大棋士を破り、さらに準々決勝では名古屋を拠点に活躍中の実力派、中根直行八段と延々12時間の対局(持ち時間は各5時間)を勝ち上がり、8年ぶりのリーグ復帰を期して決勝で対決したのが、これまた8年前に共にリーグを陥落した因縁の相手。「今思えば初めからガチガチになって序盤37手で既に敗勢になっていた」とは、さぞかし辛かったのだろう。「おとといの夜から今朝までの二昼夜、何ものどを通らず夢うつつの状態でした」。

この話は会の後、狭い赤ちょうちんでの飲み会に引き継がれ、「三大リーグ入りを賭けた予選決勝はある意味で最も重い対局。少し前の棋聖リーグ入り決勝で絶対の勝ち碁を落とされた高梨君はもっと辛かったでしょう」と千寿会常勤講師、聖健八段への気配りで一段落した。不思議なことに、ここでオヤオヤ先生は立ち直られた。「さあ飲みましょう」の一言を合図に酒でも料理でも見ていて気持ちが良くなるほど次々と平らげてくださる。

当然、話題も縦横に広がる。17歳のお子さんがおられる私生活から修行時代の話、棋士の血液型はB型が多いこと、ご自身も書かれる観戦記については「自分は専門の記者に比べて文章もまずいし言葉も知らないが、中身では負けないつもりで全力を尽くしている」と棋士のプライドを覗かせてくれた。面白かったのは、オヤオヤ先生とはだいぶタイプが異なるように見える小林光一師匠との“確執”。「おまえは勉強が足りないし、そもそも勉強しようという態度がなっていない」と師匠から何度も破門の憂き目にあったらしい。

ということは、その都度師弟関係を修復されたはず。はて、人一倍ストイックな師匠にどんな妙手をもってご機嫌を取り結ばれたのだろう。ウックン・イズミ夫婦をはじめ、河野臨前天元、酒井真樹八段、金澤秀男七段らまじめそうな弟妹弟子に囲まれて、羽目を外しがちな長兄弟子たるオヤオヤ先生が打った手を凡愚な私が拝察すれば次のどれかだ。
1. 頭を丸めてこれからは「心を入れ替えて研鑽に努めます」と正面から謝った
2. 韓国の新戦法をいち早くマスターして師匠に開陳申し上げ、評価を取り戻した
3. 師匠に海外からの客が見えた時、得意の英会話力を駆使して通訳を務めた(千寿会に当日参加した欧州からの若い人を相手にさっそうと英語でご教授されていたのをしっかり目撃いたしました)
4. 師匠の弱み(例えば酒に弱いとか女性に甘いとか)を得意の気配りで何かとカバーして差し上げた
5. 師匠が落ち込まれた時、カラオケにお連れして小田和正の歌を次々にご披露してお慰め申し上げた——。

(間奏曲)

ところでオヤオヤ先生はご自身のブログやHPをお持ちでない。碁界随一の情報力と発信力を持たれるのに、何とももったいない限り。ところが先生いわく、「私はサイトの管理人などという柄ではないし能力もやる気もない」と。余談ながら、こんなところ(情報力・発信力を除いて面倒ぐさがりな点)は血液型も星座も先生と同じ私も似ているような気がする。そう言えばその昔、「MuramasA」とおっしゃる囲碁サイトのパイオニアの方のHPに「大矢浩一コーナー」があって、オヤオヤ先生は折々得意の文章を書き込まれていた。MuramasAさんは「次の1手」と野球のルールを巧みに融合させた「MLG」を創作、ザル碁の私も夢中になって投稿(もちろん別のHN)し、間違って「ホームラン王」になったこともある。オヤオヤ先生もアマと共にこの場に参加され、たまにはアマに花を持たせてくださっていた。もちろん「大矢浩一コーナー」も大好評だった。

そこでオヤオヤ先生とかささぎさんにご提案とお願い。特別な定住先をお持ちでない先生のコーナーを、姉弟子であるチーママを勝手に応援する当サイトの場におつくりして、気が向かれた時にお書き込み願うのはいかがでせうか——。ファンのためを思うオヤオヤ先生の侠気(おとこぎ)に期待するとともに、かささぎさんには「ノーベル賞への道」をまた遠ざけてしまうことになりますが、人一倍気がやさしく社会に貢献される貴兄のことですから、碁界発展のためきっと喜んで管理人を務めてくれはることでっしゃろう。

亜Q

(2009.8.29)

「強烈な努力」余聞

秀行先生の偲ぶ会で記念品としていただいた扇子には「強烈な努力」としたためられていた。扇子の箱には小さな紙が入っていた。そこには、

強烈な努力
これだけは伝えたい。
強烈な努力が必要だ。
ただの努力じゃダメだ。
強烈な、強烈な努力だ。
藤沢秀行

と、きつい言葉が添えられていた。私には耳が痛い。

この揮毫について、NHKのクローズアップ現代の秀行先生の特集では、今年の4月、病床で書かれた最後の書であると伝えられていた。とても死を前にして病床にある人の字には見えない。

昨年の12月に行った秀行書展(参考1参考2)でもこの書を見た。そのときも強烈な印象を持った。NHKで最初にこの書が映し出されたとき、秀行書展で見たから書かれたのは昨年以前で、今年ではないはずなのでは、という疑問を持った。

偲ぶ会で藤沢晶子さんにお会いした。晶子さんは秀行先生の書展のお世話をいつもされている方で、この偲ぶ会でも始終忙しそうに動かれていた。その忙しい中に割り込んで私の疑問を尋ねてみた。分かったことは次の事だった。

確かに、秀行書展でも「強烈な努力」はあった。でも、それは今回の横書きの書ではなく、縦書きの「強烈な努力」であった。(いつもながら、私の記憶はいい加減である。)その書展であの書をほしいという客が来られたのだが、そのとき、既にその書は売れてしまっていた。どうしてもほしいというその方のため、秀行先生はもう1枚書くと約束をされた。その後、秀行先生はご存知のように入院されてしまった。しかし、約束は必ず守られなければならないという信念の秀行先生は病床でそれを実行された。ベッドの上の食事を摂るための細長いテーブル、その上で書かれた。そのため、2枚目の「強烈な努力」は横書きになった。

合掌

かささぎ

(2009.8.23)

シューコー老師がT監督にご降臨して“弱者の兵法”を伝授!?

歴代プロ野球の中でも稀代のビッグネーム、O・N二人の陰で常勝球団のV9を演出した名脇役にして、現在はS球団の監督を務めるT氏なら朝飯前かもしれない。「リーグ優勝」というちっぽけな目標を捨て、「クライマックスシリーズ(CS)への進出→日本シリーズ制覇」を目指し、日々のペナントレースでは余計なメンツにこだわらず耐えがたきを耐えていく臥薪嘗胆策。常に全力・悲壮感丸出しのG球団H監督とは好対照のオトナの余裕を見せつける。何しろ年間150試合近くこなすペナントレースで3位にさえ入れば、残りの10数試合で日本一への道が開かれるのだから。

最下位に安住するB球団は別にして、3位の座をうかがうT球団やC球団には全力を挙げて戦う半面、極論すれば首位を争うG、D両球団にはいくら負けてもいい。むしろ自らの強みを隠し、相手を欺き通すことが大切。左投げ投手が有効なG球団には右投げ投手をぶつけ、逆に右投げ投手が有効なD球団には左投げ投手を起用する。もちろん、代打の切り札やリリーフエースはここぞという時には決して使わない。犠打、盗塁、ヒットエンドランなどでも目新しい戦法は一切封印しておく。

そしていざCSとなれば、一転してペナントレースとは正反対の戦い方に出る。投手の起用、代打の使い方、さらにレギュラーメンバーさえがらりと変える。例えば現在4、5番の主軸を受け持つ助っ人外人を代打要員に控え、純国産メンバーで打順を組むかもしれない。中継ぎのベテランKや抑えのLを先発させたり、若手の速球投手Yを抑えにしたり、百戦錬磨のD球団O監督さえびっくりするような手を打ってくるだろう。

勤務先の窓際で暇に任せてこんなことを夢想しながらウツラウツラしていると、何とシューコー老師が夢枕に立たれた。「これは私が30年以上も前に打ち出した新手。請われればどこの誰でも教えるのが私の流儀だから、T監督もまた私の弟子なのぢゃ」——こんなことをのたまうのだ。

そう言えば老師は現役時代、最高賞金額をうたって創設された棋聖タイトルを初代から6期にわたって連続制覇して名誉棋聖位を獲得。膨大な借金をあっという間に返してしまった。その間、普通の棋戦では負けがかさんだが、1年を棋聖タイトル戦だけに的を絞る効率的な戦いぶりが逆に賞賛されたりした。もっとも老師にすれば、体力も弱り、断酒も長続きできない。相手は自分より若い上り盛りばかりとなれば、現代にも通じる「選択と集中」はやむを得ない必然の手段だったかも。総合戦力に劣る中で編み出したこの“弱者の兵法”をT監督に伝授したと言われれば、何事も素直に信じる私はなるほどと肯かざるを得ない。

このシューコー老師を偲ぶ会が先月末に開かれた。900人もが集う盛況の中で、私はチクン大棋士をつかまえてこう語りかけた。「シューコー先生も偉大だけれど、三大タイトル独占、本因坊10連覇、7大タイトルグランドスラムと、すべての棋戦で結果を出されたあなたはもっとすごい」と。自慢ぢゃないが、何しろ私はアソーさんと同様「半径1.5メートルの男」と言われている。目の前の人にはついついサービス精神を発揮してお上手を言い、すぐに仲良しグループになるのだ。しかしその後がチトまずかった。

「当時はあなたの相手ばかり応援したけれど、今では心を入れ替えてあなたを応援しています。でも、もうやり残したことはありませんよね」とお追従のつもりで添えたのがチクン大棋士の癇に障ったらしい。そんな話は面白くもないとばかり右足を大きく後ろに伸ばすストレッチを始めながら、「要するにボクが弱くなったからでしょ」と拗ねるばかり。もしかすると、名人戦リーグ残留をかけたライバルの覚さんを応援していたことを見破られてしまったのかもしれない。

そこへ折よく通りがかった碁友M女が、「あらチクン先生、この間NHKのBS放送で拝見しましたぁ」と助け船を出してくれた。チクン大棋士も一人の男、しっとり和服を着こなした女盛りのM女の登場にニコニコして「タイトル戦の立会人も結構大変なんだよね。でもこの際、時計係もやっちゃおうかな」とすっかりご機嫌を直してくれた。ここでM女をエスコートしてきたかささぎさんが余計なひと言を付け加えた。「そう言えば昔、先生はNHK杯で時間が切れはったことがあったんちゃいますか」——M女の背中はきっと冷や汗が流れたことだろう。

ところがさすがはチクン大棋士。「あぁ、あれはイズミちゃん(もちろん、当時時計係を務めていた小林泉美さん)が気を利かせてくれたのよ。あのまま碁を続けていたら惨憺たることになっていたからねぇ」と泰然自若。ファンからこれまで何度も聞かれて慣れていたのかもしれないが、具合のお悪いことをむしろ前向きに受け止めている。ひょっとすると、これもある意味で“弱者の兵法”なのかもしれない。

亜Q

(2009.8.11)

水間七段と行く囲碁旅行会

 6月28日(日)〜30日(火)に、千寿会の講師でもある水間師叔による、囲碁旅行会があった。千寿会には、29〜30日の誘いであったが、わたしは28〜29日に参加した。30日は仕事だったのだ。
 場所は陣谷温泉、陣馬山の麓である。藤野駅に1時に宿のマイクロバスが迎えに来ることになっている。
 チェックインは1時半、チェックアウトは11時。その間、温泉に入り、宴会をして碁を打ってという予定。

 わたしは朝早く発ち、朝八時前に相模湖駅に着いた。そこから明王峠をえて陣馬山に登り、陣谷温泉に下りた。この時、下りる道を間違えてしまい、陣馬山登山口まで下りて、そこから陣谷温泉へ向かった。陣馬山登山口までは藤野からバスの便もある。そこから登り道を二十分ほど歩いて陣谷温泉に至る。

 この入り口から数十メートル行くと玄関。

 玄関。斜面に建っているため、ここは二階。写真は朝早く。
 この玄関を入ると、水間さんと孔令文さんが迎えてくれた。すこし遅れたのだが、「いまNHKの日曜対局が放送中なので、それが終わってから会を開きます」と言う。
 とりあえず、檜風呂に入り、着替えをして会場に行く。

 会場は藤沢秀行さんの直筆による、「幽玄」の額。

 ゆったりした対局室。あまり広くはないが、落ち着いた雰囲気。この部屋がいっぱいになった。
 水間俊文さんと孔令文さんが三面指導碁を打ち、他の人は自由対局。碁会所などで行われる点数制。なんとか打ち分けて、帰るときも点数は変わらなかった。

 夕食は大広間で大盤で連碁を打ちながら。連碁は座興ながら、思わぬ手にはっとさせられることが度々。
 夕食後は会場に戻って対局。遅くなったので部屋に引き揚げようとしたら、大広間で、両師と宿の主と数人で飲みながら会談中。わたしも仲間に入れて貰った。宿の主は碁の高段者で今回の最強者と互先で碁を打ち出す。まわりは冷やかしながらの見学。
 令文さんが、日本や中国の碁の現状などを、熱く語っていたのが印象的。
 わたしは日付が変わる前に部屋に戻った。みな寝ていた。
 翌日朝早く起きて、付近の散歩。紫陽花が咲いていた。

 朝霧が湧き出す。濃い場所では向こうが見えないほど。

 林の中にも朝日が入る。
 前日の急ぎすぎた下山で、かなり足が痛い。ゆっくりと一時間半ほど歩いたが、急勾配の下りは痛みがひどい。これは結局、痛みが引くまで三日かかった。

 朝食前から対局開始。この日他に客の予定がないので、11時過ぎてもかまわないと言われていたので、朝のうちに希望者は昼食を依頼した。
 それでも午後早々に残った人も帰ってしまい、わたし一人、4時過ぎまでいた。29日〜30日の参加者と対局。
 帰るときは宿の主に藤野駅まで車で送ってもらったが、これは水間師叔の特別な依頼によるもの。宿の車による送り迎えは団体のみ、個人ではしてもらえない。

 わたしは初参加だったが、今回の「囲碁旅行会」は二回目。人数のめどが付かないと場所の選定も難しいだろうな。三回目もあれば参加したいと思っている。

謫仙(たくせん)

(20097.14)

藤沢秀行名誉棋聖を偲ぶ会

去る5月8日、藤沢秀行名誉棋聖が享年83歳でご逝去さいました。秀行先生への感謝の気持ちを込めて、追悼の会が下記の要領で催されます。参加申込に関しては日本棋院ホームページをご覧下さい。

日時:7月24日(金)18:00〜
会場:ホテルニューオータニ (芙蓉の間) 
会費:1万円
案内状[pdf]

かささぎ

(2009.7.13)

臨泉展

書展「臨泉展」(佐々木泰南生誕100年記念作品展示)が上野の森美術館で下記の日程で開催されます。棋士も出展されます。

日程:7月18日(土)〜23日(木)10〜5時まで(最終日3時まで)

かささぎ

(2009.7.13)

謫仙楼対局 碁は錯覚の藝なり

黒 小嫦娥 六目半コミだし
白 謫仙

 左下で戦いが始まった。そして、24目もの白石が全滅。
 本来なら投了するところだが、右側が手つかずの状態だったため、もう少し打ってみようと、大きく風呂敷を広げた。
 黒は中央から圧迫して白地を制限するだけでいいのに、中に打ち込んできた。これが実戦心理なんだろうな。その14目を殺しては振り出しに戻ったと思う。
 そこで、黒は上辺の白に手を付けてきた。

 ここで、この劫に負けたらAが取られBを助けると後手、と大錯覚。劫に負けてもCにつなげばよい。それに気が付かず長考してしまったのが大失敗。なによりDに打って活きておいて、それからの話であった。たとえABを取られても、白は右上に先行すれば、勝機はある。
 それがABを取られては足りないと読んだのが問題だった。長考の末、なんとついでしまったのだ。

 小嫦娥は「碁は錯覚の藝なり、と言ったのは誰だったかしら」などと言いながら、黒3と打つ。
 聖姑みたいなことを言うなと思いながら、「誰だろう、中山典之さんじゃなかったかしら」と白4に応じた。
 黒5となったとき、なんと打ったつもりのDを、まだ打っていなかったことに気づいた。
 うわー、オワだ。わずか数手の間に大きな錯覚が三つも重なっては、いくらなんでも勝つのは無理だ。
 ABを取られても右上に回れば…、というのはかなり高度な話にしても、劫を謝っても問題ないのは初心者でも判りそうなもの。まして、活きるのを忘れて劫の解消を先に打ち、黒5を打たれるまで気が付かないとは話にならぬ。
「碁は錯覚の藝か…」
「碁は錯覚の藝だけど、これは単なる錯覚、藝とはとてもいえないでしょう」
 そこまでダメを押すか!

謫仙(たくせん)

(20096.28)


千寿会とは

1994年に始まった会で、小林千寿氏を慕って集まってくる海外からの棋士志望者と、 それを支える日本人囲碁愛好家たちの交流の場です。

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