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ハンス・ピーチ六段 追悼ページ
皆様からの投稿(雑記帳、質問、意見等)大歓迎、 までメールください

謫仙楼対局 碁は錯覚の藝なり

黒 小嫦娥 六目半コミだし
白 謫仙

 左下で戦いが始まった。そして、24目もの白石が全滅。
 本来なら投了するところだが、右側が手つかずの状態だったため、もう少し打ってみようと、大きく風呂敷を広げた。
 黒は中央から圧迫して白地を制限するだけでいいのに、中に打ち込んできた。これが実戦心理なんだろうな。その14目を殺しては振り出しに戻ったと思う。
 そこで、黒は上辺の白に手を付けてきた。

 ここで、この劫に負けたらAが取られBを助けると後手、と大錯覚。劫に負けてもCにつなげばよい。それに気が付かず長考してしまったのが大失敗。なによりDに打って活きておいて、それからの話であった。たとえABを取られても、白は右上に先行すれば、勝機はある。
 それがABを取られては足りないと読んだのが問題だった。長考の末、なんとついでしまったのだ。

 小嫦娥は「碁は錯覚の藝なり、と言ったのは誰だったかしら」などと言いながら、黒3と打つ。
 聖姑みたいなことを言うなと思いながら、「誰だろう、中山典之さんじゃなかったかしら」と白4に応じた。
 黒5となったとき、なんと打ったつもりのDを、まだ打っていなかったことに気づいた。
 うわー、オワだ。わずか数手の間に大きな錯覚が三つも重なっては、いくらなんでも勝つのは無理だ。
 ABを取られても右上に回れば…、というのはかなり高度な話にしても、劫を謝っても問題ないのは初心者でも判りそうなもの。まして、活きるのを忘れて劫の解消を先に打ち、黒5を打たれるまで気が付かないとは話にならぬ。
「碁は錯覚の藝か…」
「碁は錯覚の藝だけど、これは単なる錯覚、藝とはとてもいえないでしょう」
 そこまでダメを押すか!

謫仙(たくせん)

(20096.28)

「奔流」の碁

 田中芳樹の小説に「奔流」がある。時代は南北朝の梁の武帝(在位502〜 549)の時である。
 この時代に淮河の中流域の鐘離で、鐘離の戦いという、中国史上最大級の戦いが行われている(506〜507)。梁の建国まもないころである。
 北朝の魏軍八十万。対する南朝の梁軍二十万は、降り続く雨を味方にして、陳慶之らの活躍で魏軍を撃退した。
 この陳慶之だが、武帝(蕭衍しょうえん)に建国前から仕えていた。子供のとき、蕭衍の雑用をしていたのだ。(以下赤字は原文のまま)

P23
 ある日、蕭衍は退屈をおぼえ、庭園に出たところ陳慶之が孔雀に餌を運ぼうとするのに会って、囲碁の相手をさせることにした。
 武芸と同じく、囲碁は、初心者が熟練者に勝つことはまずありえない。蕭衍としては本気で陳慶之と勝負するつもりなどなかった。どこまでも時間つぶしの遊びのつもりで、石の置き方を教え、白石を持って悠然と打ち始める。かるくあしらううちに、油断して、まずい一手を打ってしまった。
「こいつはまずい手を打ったな。ここを突かれれば私の負けだが……まさか子雲めが見抜くことはできまい」
 そう蕭衍が思っていると、黒石をつまみ上げた陳慶之が、実に自然な動作で、盤上にそれを置いた。蕭衍は愕然とした。陳慶之が黒石を置いたのは、そこに置かれてはまずいという唯一の場所であった。
 いささかあわてて、蕭衍は次の手を打ったが、互いに五手ほど打ち合うと、蕭衍の形勢がいちじるしく悪くなった。ついに蕭衍は追いつめられ、敗北してしまったが、むろん納得できるものではない。

この時、蕭衍三十三歳、陳慶之十三歳であった。
…、たてつづけに七戦して、蕭衍の二勝五敗。完璧に事を運んだときには蕭衍が勝ったが、わずかでも失策したときは、ことごとく敗れた。このあとおかかえ棋士を呼ぶ。

「これは囲碁の勝敗を見るのが目的ではない。ゆえに命じるのだが、一度だけ悪手を打て。そしてそれ以外は決して手を抜いてはならんぞ」

 そして命令どおり悪手を打つのだが、
 …悪手といえど、容易に凡人につけこめるものではない。それが悪手と気づく者すら少ないであろう。だが、つぎの瞬間形勢は逆転していた。最初はおやといいたげであった棋士の表情がみるみる変わり、あわただしく防戦に努める。やがて面目なげに棋士は投了し、…

 そして十年後、陳慶之は梁の武帝となった蕭衍の将に任命される。白馬三百頭で一軍をつくり、その隊長となる。
 戦いの途中で相手が乱れ、いまあそこを突けばわが軍が勝てるというとき、いきなり白馬三百騎が現れそこを突く。それを繰り返し陳慶之隊は連戦連勝することになる。後には白馬三百騎が現れたというだけで、敵が勝手に崩れていくほどになる。
 陳慶之は生涯無敗。

 もちろん田中芳樹の小説であり、青史では、陳慶之は鐘離の戦いには登場しないらしいし、無敗でもないらしい(わたしには確かめることはできない)。正史はどうだろう。
 それにしても五十万もの大軍が犇めく中に、ここぞと言うときにいきなり登場する、などということができるだろうか。そして陳慶之の特徴を表現するためとはいえ、上の碁の記述はありえないだろう。
 蕭衍は有能で王朝を建てるほどの才能の持ち主、おそらくは有段者であろう。決して初心者ではない。お抱えの棋士は、アマとしても高段の力があると思う。初二段ではなかろう。
 そのような棋士が、その日に石の置き方をおぼえたばかりの少年に、一手のミスで負けることは考えられない、あり得ない。それ以外は手を抜いていないのだ。碁を知らない人はそんなものかと思うだろう。しかし、実際は一手のミスのはるか前で碁は終わるだろうし、そもそも、少年が間違えないこともあり得ない。
 ヒカルの碁で、ヒカルが碁を覚えるまでどれほどの時間がかかったか。陳慶之は藤原佐為より前の時代の人のようだし(^_^)。
 著者の田中芳樹は本当に碁を知っているのか、意味が判って書いているのか疑問に思ってしまった。しかし、

武芸と同じく、囲碁は、初心者が熟練者に勝つことはまずありえない。

 と記述していることが気になる。意味が判って書いているようでもある。陳慶之隊の性格を実に上手く表現したと思う。が、しかし碁は………。

 武侠小説として読んでみるか。ちなみに田中芳樹さんは母上に「武侠小説とは」と問われて、「中国の立川文庫」と答えたという。「座布団一枚!」だ。
 金庸の降龍十八掌(謫仙楼対局に出てきた亢龍有悔・飛龍在天など)は、わたしの年代なら、赤胴鈴之助の「真空切り」だ。大傷や骨折も秘薬を付けると一瞬で治ったり、馬よりも早く走ったり、水の上を走ったり。そのつもりで奔流の碁の記述を読むと…………やっぱり無理だ。

参考 奔流

謫仙

(2009.6.12)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2番外編

参考図

 亜Qさんの質問は、黒106と出た時に、白107と外し、さらに黒が108と出たときに白抑えず109とふくれる変化だと思います。普通に黒110から黒112と打ち、白115のあてには勿論ノビ。

 このときに白13―四に抑えずに117とツギ(カケツグのもあるかと思います)上辺白41の白石を捨てた場合ですが、黒はしっかりと118と取って、ハネツギをキカシて黒先手です。黒126が最大とは思いませんが、これで地合い計算してみると上辺の地の出入りが大きく本譜よりも黒がいいようです。(3~4目程度はいいと思います)。

梵天丸

(2009.6.6)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2⑦

第七譜 (106-181)以下略

 私の打った手はC(15―四)と出て、押さえと交換してから上からの覗き(黒108)でした。中央と右辺が何とか破られずに事なきを得ました。B(16-五)とツグ手はあたりまえの手ですが、白14―六(108の位置)と中央にコスまれて中央ラインは封鎖できないと思います。またA(15―六)は2段にハネられ中央が止まりそうにないと思いました。

参考図1
参考図2

 5/30(土)の千寿会で、黒106(C)と出た時に白に13-五か12-六(111の点)と外されて中央が破れているのではとのご質問がありました。先生が打たれなかった手ですので、指導を受けている小生が変化図を作るのは大変おこがましいのですが、ご質問ごもっともと思い2~3検討してみました。(耳赤への出題にあたっては、このような「あひるの水掻き」が結構あるのですよ!皆様! でも、それが私の棋力アップに確実に繋がっているとも思っていますが・・・)参考図を2つ作ってみました。エイヤーと私の出した結論は、一応中央も右辺も止まっている。本譜(Cと出たときに白おさえ)との損得は大きな差はない。むしろ上辺黒が締め付けている分黒有利な分かれかなと思いました。また中央黒地と上辺白地の荒らし合いは、黒に断然有利であることも先述の計算ソフトで確認しました。(要は、上辺は白が減り黒が増える。中央は黒は減るが白は増えないので一手の価値が倍違うようです!)

 あとは大きなヨセも残ってなくお互いの権利の手を打ち進め円満にも「ジゴ」と相成りました。この碁に関しての先生の感想。「中央が大きすぎてとても足りないと思っていたのに、細かくなり最後は「勝ち」まで見えてきて「こんな碁勝っちゃうのかな・・・」と思っていたとの事でした。

 私がこの碁から学んだ最大の事は、右下の黒54。「こういうところは(他に打ちたいところがあっても)下辺に受ける一手です」と言われる意味が分かったような気がします。ワカレの途中の急所で手を抜いた為にそれまで打った手を台無しにし、フラフラしていた白をいっぺんに強い石にしてしまった罪は相当重いのだとつくづく思いました。まさにタイトル「耳赤・恥の一手」に相応しい一手ではありました。

 これで指導碁2局(貴公子先生、丈先生(本譜))披露させて頂きましたが、貴公子先生との碁は、できすぎ(憑依)の碁、本譜は私の実力(急所や本質の理解不足)がでた碁と思っています。

 皆様のご参考になれば幸いです。

 指導碁を打ち、想を暖め、稿を練りますので、またの機会におつき合い頂ければと思っています。皆様のご投稿、ご意見の中には全く思いもつかない着手や考え方があり、毎回非常に勉強になったり、困ったりでした。もっと自分の意見を出した方が面白いとのアドバイスも戴いており次回の参考にさせて頂きます。

 おつき合い頂きました、皆々様ありがとうございました。

梵天丸

(2009.6.1)

内蔵助 ある日つくづく嫌(いや)になり

例の公然わいせつ騒動があって、こんな川柳を思い出した。詠み人も詠まれた時代も知らないが、人生の半ばを過ぎた私にもなぜか癒しの気分を分けてくれる名句だと思う。

内蔵助とはもちろん赤穂の大石さん。武士道を貫いた忠臣の鑑として今なおもてはやされる存在。主君浅野内匠頭の無念を晴らすため1年有余を復讐の鬼となってひたすら宿敵吉良上野介を追い続け、ついに本懐を遂げた。でも、ご本人の心の内はどうだったのだろう。茶屋遊びを重ねて世間をあざむきながら苦節の日々を送る中で、ある日つくづく仇打ちなどという封建的な絆が呪わしくなり、いっそこんな憂鬱な志を捨て去りどこか平和な村里にでも隠遁して人間らしく生きようと考えたことがあったのではないか。

でも大石さんには無責任に放り出せないきつい縛りがあった。一つは亡き主君が遺した恨みの歌。「風誘う花よりもなお我はまた名残の春を如何にとやせん」とは、まさに「仇を討ってくれ」との主命に聞こえる。もう一つは自分を信じてつき従う四十七士の存在。もうどうにもならずに、「仇打ち→切腹」への道をひた走ったのかもしれない。

深夜の公園で裸になって大声で叫んだタレントの気持ちを窺うことはできないし、門外漢の私があれこれ言うのは僭越だろう。でも、彼が内蔵助のような気分になったと想像してもあまり違和感がない。例えば亡くなられたシューコー老師のような天下御免の大人(たいじん)ならばせいぜい笑い話程度で事件にはならなかったろうが、まじめな印象が強かったクサナギさんの場合はサプライズが大き過ぎた。

碁界の内蔵助を探すなら、もちろん大竹英雄理事長。名人戦男と言われ、名誉碁聖称号を持つなど碁界を支えたトップ棋士であることは言うだけ野暮だが、内輪の会合などでしばしば嘆息されるらしい。「“大竹美学”などとありがたい讃辞をいただいたお陰で、随分タイトルを逃がした」と(きっと受けるでしょうね)。

この話と裏腹の関係にあるように感じられるのが、昭和の将棋界で活躍された芹沢博文棋士が肝胆照らす仲の直木賞作家、山口瞳さんと飲んだ時の“号泣”。芹沢氏は将棋界随一の才人・粋人と言われ、米長邦雄将棋連盟会長によると「シューコー老師の弟分」的存在だったらしい(米長さんご本人は自らを“甥っ子”的存在と位置づけている)。文章も会話もいつも研ぎ澄まされ、それでいて温かい人柄がうかがわれ、将棋界というより日本を代表する文化人だったようだ。

その芹沢さんがはしご酒の果てに行き着いた場末の屋台で突如「ああ、俺は、名人にはなれないんだな」との想いがこみ上げて山口さんの前で泣き伏した。山口さんの著書「血涙十番勝負」によると、芹沢さんの脳裏には、日ごろ可愛がり鍛えた11歳年下の弟弟子、中原誠16世名人の存在があったらしい(ご承知の通り、中原さんは先ごろ引退された)。プロの将棋棋士は約170人。世界で最も人数が少ない職業の一つと言われ、この50年間で名人に就いたのはたった9人だけ。囲碁の棋聖就位者も少ないが、将棋の名人とは歴史年数において比較にならない。「俺は名人になれない」——口に出すかどうかは別にして、囲碁でも将棋でも大多数の棋士にはそう思い知らされる瞬間があるのかもしれない。

ついでながら“千寿会の芹沢さん”と言えば、もちろんかささぎさんだ。勤務先のマネージャーが変わると研究テーマも見直され、彼の積み重ねてきた貴重な研究成果が今一歩のところでノーベル賞に届かない可能性が出てきたようなのだ。そのせいか、碁に賭ける情熱はいや増すばかり。昨年末にシューコー老師と握手したのが効いたのか、これまで見られなかった飛天の着手が駆け巡り、まさに絶好調。ライバルの私が打てる手は唯一つ。かささぎさんを場末の屋台に誘って飲むしかない。

亜Q

(2009.5.26)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2⑥

参考図

 私の打った手は16-二(参考図黒94)の右上隅の戸締まりでした。一番大きなヨセと思い打ちましたが、先生の言われるには、左下6-十七(参考図黒86)とハネ下がってのノゾキが「ベラデカ」との事でした。

 謫仙さん正解です。お見事です。以下は参考図の解説です。下辺白渡りまでは必然の進行と思います。ここで16-二が頑張ったヨセのように思いました。左下3-十七は手がないと思います。白急所(4-十八)は堅くツイでとれているようにも思いますが、とりに行かず、渡らせるように打っていても黒が5〜6目いいようです。(私が持っている囲碁ソフトの形勢判断(ラフな地合計算)モードでシミュレーションした結果です。)これに対し実戦の進行は、右下隅を決められ、白89(下辺6-十八)にまわられて、極度に細かくなっています。(先述のソフトのシミュレーション結果は黒0〜1目勝ち)

 正直に言って私には左下隅のハネ下がりは浮かびませんでした。ノゾキ(参考図黒90)と、上からの連絡(参考図黒92)が先手であることに思いが至らなかった為と思います。候補手B(5-十八)の一間トビや、候補手Cの急所(8-十六)を考えましたが、それよりも16-二の方が大きいと思いました。(ヨセは(も?)全く自信がないのでご異見あるいはご高説歓迎します。ご教示頂ければと思います。)

 黒3-十は、ヨセとしては二手打って20目位の手でこの局面ではまだ小さいと思います。黒中央のキズは一応手にはならないと思っています。逆に一手戻すようでは足りない局面と思います。


第六譜 (86-105)

 さて細かくなり白105と覗いてきた時の黒106を考えてください。中央のラインを突破されたら全く足りなくなるので私も必死に考えました。

梵天丸

(2009.5.25)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2⑤

第五譜(67-85)

 先生の打たれた白67は10-十三のツケ。黒66を見た瞬間ノータイムで打たれたのが印象深くプロの第一感なのだと思い出題させて戴きました。かささぎさん始めプロ並みの感性をお持ちの方が大勢いらっしゃるようで感心しました。10-十三以外の投稿手に関してのコメントはご容赦ください。この手に対し14-十四(白85の位置)にピンツイでしまい、白がどちらにハネても(9-十二か9-十四)、ハネた反対側を黒ノビる手が脳裏をかすめましたが、先生がお相手ではとても打てませんでした。(ヘボの勝手読みの世界かとは思いますが、自宅で検討してみましたところ、黒周りが厚く結構やれるのではと思いました。)

 という事で、下辺に黒68とノビ、白69のソイに2目のアタマをハネ、白に71とハネかえされた時カッとなり黒72と切った手は少々短兵急で、先生いわく、じっと下辺に黒68の一路下(9-十五)にノビる手の方がいいのではとの事でした。あとは先生の2段バネからまくる手筋が決まりあっという間の下辺に大きな地です。途中黒80のキリはこう打つしか他に手がないので打ちましたが、白82に継がれた攻め合い、とても読み切れませんでした。局後一番に先生に確認したところ、黒が正しく応接すると、攻め合い白負けとなるので打たなかったとの事で変化図を示して戴きました。

 さて黒86を考えてください。ここでも私は間違えています。冷静になって考えればそれほど難しくないかと思います。

梵天丸

(2009.5.20)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2④

第四譜(66)

 先生のお勧めの手はB(12—十二)。これで十分ですとの事でした。丈先生がこの手を示されたとき、大げさに言えば、見間違いかなと思ったほどです。「ただ囲うだけの消極的な手」のように感じ、全く思考回路の外の手でした。ただ局後自宅で並べ直して検討し、結局この碁が「持碁」になってしまった奈落への道(少々オーバーですね)を振り返ると、「勝ち」に行くには簡明な分かり易い手との思いに至りました。要は「十分に足りている」のです。そして下辺の白も結局地になりにくくしているのです。かささぎさんのご慧眼感服です。

 私が考えていた事はfermiさんとほとんど同じで、C(18—十四)が気になって、打ちたくて仕方がなかったのですが、手抜きされ(ほぼ100%の確率で)中央を荒らされ自信が持てませんでした。fermiさんのような、「定量的」判断をしていません。今後見習いたく思いました。

 私の打った手はAの黒66(14—十三)。ここを囲って十分、14−十四にピンとツグ事ができれば、寄りつきもあり得ると思って打ちました。この手を投稿された多くの方も、同じ考えであったと思います。しかしながら師いわく、「強い石に近寄り過ぎている。もっと控えて打つところ」との事です。

 下辺に打つ手(パパさん、マーベラスさん)は、今考えると、A(14—十三)よりは勝ち味があったと思いますが、そもそも下辺には大きな地ができそうもないと思っていましたので、私の思考回路にはありませんでした。

 さて今回は趣向を凝らし、白の次の手を出題させて頂きます。黒を奈落の底に導いた、次一手白67を考えてください。期間限定アップ後2日以内に投稿願えればと思います。(先生の打たれた手で、候補手など失礼で出せませんので、今回は候補手を記載しません。)蛇足ですが白18—十四のおさえは解答ではありません。

梵天丸

(2009.5.18)

「石の猿」の碁

石の猿   ジェフリー・ディーヴァー  訳 池田真紀子

 この小説は探偵ものといったらいいのか。シリーズで4作目。
 新井素子さんが「サルスベリがとまらない」の中で紹介していた一冊。碁を知らなければそんなものかと思うが、碁を知ったら……、と疑問を呈している。
 車いす生活の、元警部補で犯罪研究者リンカーン・ライムを中心にした一団が、中国蛇頭の殺し屋、ゴーストといわれるクワン・アンを探し逮捕する話。アメリカの、深刻な大量の密入国者問題と科学犯罪捜査技術を扱っている。
 小説のできはかなりいいらしい。わたしの好みではないので、小説については書かない。

 ソニー・リーという中国公安局刑事が、ライムに碁をやろうと持ちかける。ライムは碁を知らない。そこで教わってやることになるのだが、その文を紹介する。
P204〜205。以下赤字は原文通り。

 ライムはリーが紙袋から取り出してベッド脇のテーブルに置いた碁盤を見つめた。格子状に線が引かれ、垂直の線に番号が振られていた。次に紙袋から現れたのは、二つの袋だった。片方には白い小石が、もう一方には黒い小石が何百個も入っていた。
 ライムは俄然やる気になった。ルールとゲームの目的を説明するソニー・リーの生き生きとした声に、全神経を傾けて聞き入った。「ふむ、簡単そうだ」ライムは言った。二人のプレーヤーが順番に盤に右を置いていく。敵の陣地を囲んでいって、盤を広く占めたほうが勝ちだ。「圍棋もほかの面白いゲームと同じだよ。ルールは簡単だけど、勝つのは難しい」リーは石を二つの小山に分けた。分けながら続けた。「古い歴史のあるゲームだよ。偉大な棋士をいつも研究してる。名前はファン・シピン。西暦一七〇〇年代の棋士だ。ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。スー・ティンアンという、同じくらい強い棋士とよく試合をした。たいがいは引き分けに終わったが、かならずファンが幾目か勝っていた。だから、総じてファンのほうが強かったわけだね。どうして強かったかわかるかい?」
「さあ、どうしてかな」
「スーは防御の棋士だった。だけどファンは……つねに攻めていた。いつも前進を続けた。直感的だった。大胆だった」
 ライムはリーの熱意を感じ取った。「きみはよくこのゲームをするのかね?」
「故郷では同好会に入ってる。そうだね、碁はよく打つよ」彼は一瞬押し黙り、切なそうな表情を浮かべた。ライムはなぜだろうかと首をかしげた。やがてリーは脂っぼい髪をかきあげると、言った。「よし、始めようか。疲れた顔をしてるね。ゲームは長くなるかもしれないよ」
「疲れてはいない」ライムは答えた。
「俺もだ」リーは言った。「そうだ、あんたは初心者だから、俺にハンディキャップをつけよう。最初に三個よけいに石を置いてやるよ。大した違いに思えないかもしれないけど、圍棋では大きな違いだよ」
「いや」ライムは言った。「ハンディキャップは要らん」
 リーはライムの顔をちらりと見て、ライムは身体の障害のせいでハンディキャップをつけてもらったと思っていると考えたらしい。そして真剣な声で付け加えた。
「あんたは今回が初めてだから、ハンディキャップをつけるだけだよ。理由はそれだけだ。場数を踏んだ棋士はたいていそうする。慣例だよ」
 ライムは理解し、リーの気遣いをありがたく思った。しかし、断固たる口調で宣言した。「ハンディキャップは要らない。きみが先手でいいぞ。さあ、始めよう」
 リーは二人の間に置かれた碁盤に目を落とした。

 ここで碁の話は終わり。この記述、著者が碁を知らないのではないかと思われる。
 新井素子さんは、「ハンディ三子」などに意見を書いていたが、わたしはこの記述のおかしさを考えてみたい。
 リーは同好会に入っていて、仕事で大量殺人の捜査でアメリカに出張する時も盤石を持ち歩くほど。おそらくは有段者であろう。間違っても5級以上、初心者ではあるまい。
 教えるリーが中国人なので、中国語の「圍棋」を使うのは仕方ないが、その知識は偏りが見られる。

1 格子状に線が引かれ、垂直の線に番号が振られていた。
★ 持ち歩く碁盤に「番号が振られていた。」とは驚き。そんな持ち歩きの碁盤があるのか。これはわたしの知識の狭さを感じた文章。

2 片方には白い小石が、もう一方には黒い小石が何百個も入っていた。
★ 黒石181個、白石180個、それぞれ200個に満たない。これを何百個というか。
 まあ、両方合わせれば361個なので、「何百個」相当するが。

3 「ふむ、簡単そうだ」ライムは言った。
★ 一度説明されただけでゲームが理解でき、「簡単そう」と思う人がいるだろうか。確かにルールは簡単だが、聡明な人ならゲームは複雑で難しいと思うだろう。

4 敵の陣地を囲んでいって、盤を広く占めたほうが勝ちだ。
★ 「敵の陣地を」ではなく、空き地を囲む。

5 リーは石を二つの小山に分けた。
★ 初めから白黒に別れていた。なぜここで分けるのだ。

6 偉大な棋士をいつも研究してる。名前はファン・シピン。西暦一七〇〇年代の棋士だ。ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。スー・ティンアンという、同じくらい強い棋士とよく試合をした。
★ ファン・シピンとスー・ティンアンは実在の人物だろうか。このあたりに著者の知識の偏りと限界が見える。日本の碁を知らなかったのか、あえて無視したのか。

7 たいがいは引き分けに終わつたが、かならずファンが幾目か勝っていた。
★ 引き分けたのか、かならずファンが幾目か勝っていたのか、どっちなんだ。
 おそらく著者の頭にチェスがあって、同じくらいなら引き分けると思ったのではないか。コミのない時代、プロレベルの同じ棋力の人同士で、引き分けることは絶対にあり得ない。プロなら二段差以上ありそうだ。仮に同程度で引き分けることが多くあったとすれば、この二人のレベルはアマ高段程度か。間違っても「ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。」などというハイレベルではない。

8 「スーは防御の棋士だった。だけどファンは……つねに攻めていた。いつも前進を続けた。直感的だった。大胆だった」
★ それは棋風で、それだから勝った、とは言えない。棋風の説明と考えるか。

9 「そうだ、あんたは初心者だから、俺にハンディキャップをつけよう。最初に三個よけいに石を置いてやるよ。大した違いに思えないかもしれないけど、圍棋では大きな違いだよ」
★ おいおい、ハンディなら井目(九子)にすべきだろう。まあ、ここはライムが碁を理解するまでの練習だから、それで三子でもかまわないが…。それに「余計に石を置いてやる」とは白も石を置くつもりか。初めにタスキに石を置いてからゲームを始めた戦前の中国の碁のルールを基にして考えているのか。

10 「あんたは今回が初めてだから、ハンディキャップをつけるだけだよ。理由はそれだけだ。」
★ それなら井目だろう。このあたり著者が置き碁の意味を理解していないと思える。教えるためなら互い先で問題ないはず。

11 場数を踏んだ棋士はたいていそうする。慣例だよ」
★ 場数を踏んでなくてもそうする。

 本当に碁を知っているのだろうか。碁の説明書を読んで、それを基にして、理解しないまま書いたとしか思えない。

   …………………………
 章の扉に次の説明がある。小説全体を碁に見立てているようだ。その説明を読んでいると「どこか違うなあ」と思ってしまう。

第一部 蛇頭
 圍棋(囲碁)という語は、二つの中国語からなる。“圍”は包囲することを“棋”は陣地を指す。よって圍棋は、生存を懸けた闘いを象徴する。“戦争”ゲームと呼んでもいい。
  −ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』−
(以下同じ)
★「棋」を辞書をひくと、現代中国語辞典 香坂順一編著 では、
  象棋〔将棋〕・圍棋〔囲碁〕など。
学研漢和大辞典 藤堂明保編では、
  1 四角い盤の上で打つ囲碁。また、碁石。
  2 四角い盤の上で打つ将棋。また将棋のこま。
  四角い木の盤
とあり、いずれも陣地の意味はない。

第二部 美しい国
 勝敗を決めるのは、いかに先まで見通す事ができるかどうかである。相手の動きを読み、戦略を見抜いて攻めた者、相手の防御策をあらかじめ予測した上で攻めた者が勝つ。

★ 「……で攻めた者が勝つ」とは限らない。間違っているとは言えないが、ずれを感じる。わたしなど読み勝って碁に負けることはよくある。

第三部 生者と死者の名簿
 圍棋の試合は……二人の棋士が何もない碁盤を挟んで座り、有利と思われる場所に石を置くことから始まる。何もない升目は試合の進行とともに消えていく。やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。ちょうど現実の世界で起きる戦いと同じように。

★ 升目ではなくて交点。いつも「やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。」わけではない。

第四部 悪鬼の尾を切る
 圍棋の試合は、対戦する棋士の実力が拮抗していればいるほど面白い。

★ これは、その通り。まあ、このリーのように弱い者いじめ(初めての人に三子局を申し出、結局互先で三連勝)で楽しむ人もいるが。

第五部 待てば海路の日和あり
 相手の石を有効に取るには……相手の石の周囲に隙を残さず完全に囲わなくてはいけない……完全包囲されて初めて部隊の兵士が敵の捕虜となる実際の戦争と全く同じである。

★ 「有効に取る」とは何だろう。有効でない取り方があるのか。翻訳のミスかな。それに完全に囲んでも、二眼で活きている石は取れない。これが実際の戦争とは全く異なる。

謫仙(たくせん)

(2009.5.16)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2③

第三譜(54-65)

 梵天丸の凡手におつき合い頂き、皆様には篤く感謝いたします。もうしばらくおつき合いいただければ幸いです。

 先生の一言、こういうところは下辺を受けておくところですとの事。従ってA(14−十六、14−十七、15−十六)が正解です。Aの中にパパさん投稿の14−十五も追加します。(候補手を出す時この手が投稿されている事を知りませんでした。)4手の中では一間(14−十六)が普通かと思います。白ツケコシ(55)に黒遮って(56)白切ったとき(57)に黒は下がっていて(60)大丈夫のように思います。他の3手との優劣は未確認で私には何とも分かりかねます。B(18−十四)とハイ込む手も有力と思いますが白から15—十六とツケられサバカれてしまうようにも思います。(黒上にハネコム手(15—十五)は無いようで、黒下ハネ(15−十七)では白にノビられ(14−十六)攻めがききそうにないと思いますがいかがですか。)

 私の打った手はC(黒54)でした。後の黒64(11−六)と白65(10—四)の交換が約束されているところなので、急所を一撃し、中央が豊かになるのでいい手ではないかと思い(信念を持って!)打ちましたが、本譜のように右下隅を決められるのがいかにも大きく、ここは下辺を受ける一手との事です。要するに隅の地を大事にし、辛抱しつつ白を攻める要領と理解しました。厚みを囲うな!ですよね。 対局中は中央があっという間に地模様になりまずまずの進行と思って打っています。ここで次の手黒66を考えてください。どこが一番大きいかです。

梵天丸

(2009.5.12)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2②

参考図

 私の打った手はCの一間に受けでした。先生曰く:「上辺を囲わせるのか、打ち込んで荒らすのか、ここでは態度を決めて打つ所、一間に受けは中途半端」との事でした。囲わせるなら、Aにボウシ、白ケイマに受け(12—四)なら、さらにボウシ(12—六)という要領か、打ち込むならBの各種ハサミ、先生はどこにハサんでも一局との事で、3間に低くハサミ白地を根こそぎ荒らしてしまう手もあるとの事でした。私は置き碁で、白の勢力圏に入って行って、サバくとか居直るとの発想がない(いい思いをした事がないトラウマです)ので、打ち込みについてはこれ以上確認していません。打ち込みたい方が結構いらしたようなので、「プロ第一感の打ち込む手」と「その後のサバキかオサマる具体例」を次回の千寿会の先生にお聞きしたいと思いました。黒ボウシは考えましたが、威勢はいいのですが実にならないような気がして打ち切れませんでした。先生の目からは見ると、この局面でのCの一間の受けは石がハッテない、中途半端と見えるようです。このあたりの感性はご指導戴いても、解説して戴いても、そう簡単には身につきそうもないところのように感じます。

 振り返って、黒40は13—三(オオゲイマ)か右辺16—十の3連星の方が大きいのでは・・・
との声ですが、確かにそのようにも思います。その場合は黒38と白39の交換をしない方がいいのでしょうね。(黒38がないと隅が少し気になりますが・・) このあたり、打っているときは、左下隅も、中央も豊かになりまずまずと暢気に思っていましたが、ご指摘のように少し緩かったかも分かりません。

第二譜 (42-53)

 黒46は白に受け(10—四)を期待したものですが、白47と反発され、49の所に並ぶ手がない事に気づき(白に48の所に打たれオワ)、少々動揺しています。上辺が予想外のいい地になり(あっという間に白40目余り)嫌な流れではあるけど、黒も結構地があるので、白45の石に食いついてイジメモードさえ保って行けば、まだまだ優勢な碁と思っていました。次の黒54を考えてください。ここでも私の打った手に対し先生から、「ご指導」を戴きました。

梵天丸

(2009.5.7)

耳赤恥の一手 梵天丸編パート2①

第一譜 (1-41)
 4/18の千寿会での丈先生との指導碁です。(結果はジゴ) 当日ご出席のメンバーには41手目まで丈先生の講評がありましたので、その続きを耳赤・恥の一手として大変僭越ながら掲載させていただきます。前回同様掲載後数日して、掲示板に候補手をのせるようにしたいと思います。41手までの流れと講評のポイントを以下紹介致します。

 黒10と押した手が問題で17の位置にカケツグところとの事です。押していく所でない、押していっても白に与えた代償が取れそうもないので押さない所との事です。黒34と這った手も問題。単に36と戻すところとの事でした。白35のハネに抵抗できず36と戻さなければならないところなので白の目形を豊かにしている分打たずもがなの手との事。このあたりの進行は「手厚いマガリ(白6—七)を許してはいけない」とか「肩をツカれて(白33)手抜きして押さえ込まれて(白34)はいけない」等固定観念に縛られているなーとつくづく感じます。

 さて白41にかかられた時の黒次の一手を考えて下さい。私の打った手は中途半端、どっちつかずとのご指導を戴きました

梵天丸

(2009.5.3)

時間つなぎ②「ザル碁の目からウロコ」回答編

「時間つなぎの悪手」もせいぜい3手が限度でしょう。②で出題させていただいた「次の1手」の回答編をご覧いただきます。皆様からの回答はさすがに急場と思われる右辺に集中いたしました。

正解は「17−九(黒1)」、右辺星下の白へのツケ。真っ先に回答されたモンパパがズバリ賞です。たまたま「掲示板」に投稿されたモンパパに最初に声をかけたのが私の打ち過ぎでしたか。以下、白16−九、黒17−八、白16−八と進んだ時に18−十と右辺を渡る。「白を根こそぎ追い立てて黒好調」とジョー先生が太鼓判を押されました。

実戦での私の第一感は17−七ツケ。「これもある」とジョー先生は言ってくれましたが、白にハネ出された後、黒17−八にノビ込んで白を浮き上がらせる手が見えてない。黒16−六切り違え、白18−七下アテから絞り形にされて面白からず。そもそも、右辺の白3子の中で最も軽い白20(17−六、右上三々も空いている)につけるのは異筋ではないかと思い始め、「それなら全体を重くしてやれ、無駄にもなるまい」と16−九にノゾキました。梵天丸さん、まーべらすさん、そして世界碁さん、ザル碁の私に同調していただき、まことにありがとうございました。

ところが案の定、ジョー先生から耳にタコができるほど聞かされていた「覗きは犯罪」と、また聞かされるハメになりました。白に当然のように16−十とつながれ、白を強くしただけで次の手が見えない。「16−八に並んで白を分断する」と言われる梵天丸さんの力強さが私には生来欠けているのです。実はこの後の実戦進行は記憶から飛んでいます。困り果てて黒35は13−十にボウシしたかもしれません。まさにたくせんさんが看破された通り、黒31は好手と褒められる資格がなかった{><;。

興味深いのは、かささぎさんがご指摘された黒17−八への打ち込み。17−九の正解や17−七に比べて「有無を言わせぬ強制力」はないかもしれないけれど、その分、何となく奥深い味わいを感じられます。でも、白20はやはり軽い。右上三々は空いているし、右辺18−八下ツケの余地も残されている。ぼんやり15−八にボウシされていて困りはしないか。

もう一つ、ここへ石が行くのは今がタイミングかどうか。「何も決まっていない黒21の時点で敢行すべし」という考え方もありはしないか。実際に私は右の参考図のように黒21から25まで運び、白が他の大場を打てば、次に上から白を圧迫するAとBと中から動き出す手(取られても外からの締め付けがありそう)を見合いにする進行(参考図)にかなり触手が動きました。その際、黒C、白18−六を交換した方がいいのかなど細かい点にも悩まされ、結局見送りましたが。

ある意味では正解以上に「目からウロコ」が落ちる思いがしたのは、世界碁さんの回答。当初私は「9−十六」と読み違え、「ちょっとピンとこないなあ」などとゴーマンな態度だったのですが、改めて考え直すと「下辺を先着するのもあるのではないか」との気もしてまいりました。下辺を打つなら、黒13−十五の上ハネは白12−十六ノビまたは12−十五二段バネを食らっていかにもまずそう(わざわざ触れていただいたモンパパのサービス精神に感謝)。第一感は7−十六カケ。その後白にどう打たれようと、どこかで右辺に手を回す。さらに踏み込んで、13−十七切り味を含みに11−十七や7−十七ツケ(1路右の8−十七では右側から詰められて困りそう)もありはしないか、でも後手を引きそう——などと愚考を重ねてしまいました。

要するに、「急場と思われる右辺から動いて全局をつくり上げていくか」、それとも敢えて右辺のもろもろを保留し、「白模様が広がりそうな下辺から動いて右辺および全局をにらむか」——。ザル碁の私には考えるだけ無駄かもしれないけれど、「だからこそ、碁なのだ」と日がな一日、独り善がりを繰り返す悦楽に耽ることができました。

亜Q

(2009.4.30)

時間つなぎ③「この若造だけには負けられない」

碁にのめりこみ始めた15年ほど前、碁会所や公民館などで牢名主のような強豪たちにずいぶん可愛がって(いたぶって)もらった。概ね私より10年ぐらい年上。私が打つ手などハナから想定内。シタテがいやがる手ばかり繰り出され、1局終わるとへとへとになった。それでも終局後に丁寧に手直ししてくれたり、休日の1日をマンツーマンで特訓してくれた先輩もおられた。

こうした良き先輩と千寿会の皆様のおかげで、今は強豪たちへの置き石を減らし、たまには互角に打てるようになった。何より、昔感じた怖さがかなり薄れてきたのがうれしい。中には、いつもは早打ちなのに私相手になると序盤から1手1手考えながら打ってくれる人もいる。しかも手合い条件も他の場合より1子分自分に厳しくして。だから率直に言ってかなり打ちやすい感じを持つことが多い。中盤の入り口ですでに「この碁は終わった」と思うことさえある。

しかし、こんな碁ほど負かされる。まさに蟻の一穴のようなところからガラガラに崩されるのだ。この人は私より7歳ほど年長、大学囲碁部で強くなられた県大会の常連。定年後は地元の碁会所で低段クラスまでを対象にした囲碁教室の講師もされている。この人が私を指して「遅く始めたK君(亜Q)に簡単に負けるわけにはいかない」と言っていたと、別の人から聞いたことがある。こんな私を意識していてくれたとは、ザル碁冥利に尽きる。私も年をとるが、彼もまた年をとる。いつの日か、黒番できっちり勝たせていただくことができれば、最高の恩返しになるだろうが、チト無理かな。

棋聖戦最終予選決勝 180 (122), 214 (135), 215 (114)
(読売新聞より転載)

愚にもつかないこんな与太話をしたのは、棋聖戦最終予選決勝で高梨聖健八段が宮沢吾朗九段と対決した棋譜を主催紙の読売新聞で見たから(第1〜7譜)。黒番を当てた貴公子が右上隅小目に置いた黒1に4分、対する白番の宮沢九段は左上14−三に置いた白2に21分かけた。観戦記のベテラン、赤松記者は「宮沢は盤上に没入するタイプ。あるいは、はやる闘志を抑えようとしていたのか」と記述している。

解説は関西棋院の円田秀樹九段。両者が時間をたっぷり使い合って中盤の入り口にさしかかった黒27までの局面を「黒が打ちやすいのでは」と遠慮がちに指摘されていた。ところが「宮沢は乱戦志向。白28と右辺を挟んだ手を境に戦線を拡大していく」(赤松記者)。その後の推移を記事から要約してまとめることなど、ザル碁の私にはできっこない。ただわかるのは、吾朗九段が(善悪を超えて)終始かく乱戦法を繰り出して貴公子を挑発しているように見えたこと。自らの薄味には目もくれず、相手の意表を突くことしか考えていないようにさえ私には思えた。

この碁の持ち時間は5時間。国際棋戦と比べれば長いが、勝つと負けるとでは天国と地獄に分かれるリーグ入りを賭けた両者には無我夢中のわずかな時間だったかも知れない。「形成利あらず」と見ていたらしい吾朗九段が紛れを求めて「これしかない手」を矢継ぎ早に繰り出して必死の追及を見せる一方、「どう打っても形勢は悪くない」と思われる貴公子の着手は少しずつ伸びを欠いたらしい。中盤過ぎから貴公子が常に30分ほど白より多く時間を消費する中で黒は何度も勝ちを逃し、その挙句「黒137(13−二)が敗着で白の逆転勝ち」(赤松記者)。終局後、ひと言も感想を言わずに貴公子が立ち去った(つくり笑顔の感想戦は貴公子には似合わない)後、吾朗九段は「(白は)バラバラになってつぶれていた。最後はこれしかないという勝ち筋に入って…」とうれしさを押し殺すように振り返ったという。

私の興味をひかされたのは両者の対戦成績。この対局まで貴公子の2勝1敗だったが、この2勝はいずれも吾朗九段の時間切れ負けというのだ。プロたる者、手合い時計を押し忘れることはあるまい。もともと“没入型”の吾朗九段が貴公子に対してはさらに感情を入れ込んで、まさに無我の極致に陶酔してしまうのではないか。これはいったい何だろう。

吾朗九段は今年11月に還暦を迎える。風貌は最近亡くなられた俳優の緒方拳さんを少々崩したようないかつい(男っぽい)感じ。北の漁場の大時化(しけ)の海で、愛息のさかな君と共に小さな親子舟を操る姿がぴったりくる。対する貴公子の印象は正反対。スラッとした現代風イケメン、棋風も覚さん譲りの正統派。文章を書かせればなかなかいけるし、歌もうまい。吾朗九段が貴公子を「オレとはまるで違うタイプだが、外見に似合わずなかなか碁がしっかりしている」と認めていたなら、「この若造にだけは負けられない」と思っても不思議ではない。

貴公子は最近、「“好き”の反対は“嫌い”ではなくて“無視・無関心”」とブログに書かれていた(気がする)。裏返して見れば、相手を意識するのは“好き”の証拠。とすれば、貴公子に対する吾朗九段の“意識過剰”は多少ノーマルではないかもしれないが、男が男に惚れた一種の“片想い”ではないか。貴公子にとって今回の敗戦は悔やみ切れない痛みを伴ったと思われるが、碁の勉強と相まって人間的な魅力をさらに磨き上げていかれれば、きっと近い日に大きな実りを手にされるだろう。この5月で38歳になられる貴公子はいまだに独身。きっと、飛び切りの大器晩成タイプに違いない。

亜Q

(2009.4.29)

珍客

掲示板のほうに書いた問題の解答を早くアップしろとの、亜Q氏からのやんやの催促なので、そのときに書いた文章をここに掲載させていただきます。

囲碁とは全然関係ないですが、わが家に珍客が尋ねてきたので紹介します。自宅にいると、ベランダの窓ガラスに鳥がけんかをしながらぶつかる音がしました。ベランダに影が見えているのでそっとのぞいたら、なんとオオタカがいました。このときは分からなかったのですが、足には鳩が握られていました。このあと、地面に下りて、羽をむしって、食べていました。20分ぐらいかかって食べた後、片足で食べ残しを掴んで、飛び去って行きました。たぶん、うちの近くの平林寺に住んでいるのでしょう。

というわけで、正解はあどさんの書かれたように2.でした。

かささぎ

(2009.4.26)

時間つなぎ②「ザル碁の目からウロコ」

ご指導いただいた碁のある局面。ザル碁の私の目からうろこが落ちるような感動を味わった手を「次の1手」形式で出題させていただきます。「耳赤・恥の1手」と違って、言わば時間つなぎの一発芸。強い方ならひと目でも、ザル碁の身には教えてもらわなければ百年考えてもわからない。そんな感動を一部の変人諸兄の皆様と共有したく、恥を忍んで先陣を承ります。

敬愛する剣持丈先生(関連記事1関連記事2関連記事3)との黒番(逆コミ40目)の碁(4月18日、白8目勝ち)。

左辺17まではきっとお馴染みでしょう。白から打ち込まれればガラガラになることは知っていますが、逆コミをいただく身として碁が決まっていくからむしろ歓迎する気持ちでした。が、もちろん先生はそんな風には打たない。白18と右辺を割り打ち。上下対称なので一瞬15−十のボウシも頭をかすめましたが、上辺と下辺に白の足(14と16)が出ているのが癪なところ。ごく普通に19と詰め、白20三間ビラキにおとなしく21とケイマに受けました。ここまで特に問題はないそうでした。

そこで白は22と1間に飛び上り、黒も23と1間に追随。「ここは右下を守る人も少なくないが、中央を志向する23がいい」のだそうです。次いで白は右下24と三々入り。ちょっと狭いけれど25から押さえました。ここは先手を取って打ちたい手がある。そのため27、29と四線を伸びましたが、「27はやはり黒28と押さえ、一路でも白を右下に閉じ込めるように打つ方がわかりやすい」し、せめて黒29では30に押さえ、白がその下をハネたところで手を抜いたらいい」とのこと。「将来18—十七から二段バネする寄せをみるところ」と教わりました。

白30に手を抜いて私は打ちたかった31に回りました。「この手は絶好点」と、いつも辛口の先生から珍しくほめられました。白はノータイムで32にハネアゲ。さてここで次の黒33を「次の1手」とさせていただきます。ノーヒントですから、お好きな着点を自由奔放にお示しいただければ出題者冥利に尽きます。どうぞよろしくお願いいたします。

亜Q

(2009.4.24)

時間つなぎ①「不失花」

何かの場で突然生じた空白に耐えられないところがある。「耳赤・恥の1手〜そよ風編」がスタートしたばかりのアクシデントで中断されてしまうとどうも落ち着かない。小学生の頃、教育実習に来られた教生の先生(教育学部の大学4年生)が授業中に立ち往生されると、頼まれもしないのに進行役代わりのサクラ質問をしてみたり、長ずるに及んでも周囲の失笑を覚悟で“最初の一歩”を踏み出したり、こんなおっちょこちょいの小心者では大成するはずがない。と言って、うまいラーメンを食うために行列を並ぶのは平気なのだから、せっかちなわけでもない。つくづく因果な性格を持ち合わせてしまったと思うが、今さら直りっこないとあきらめている。

碁に喩えれば「時間つなぎの悪手」。幸い、私と似たところがあるかもしれないたくせんさんが「ヒカルの碁」をアップしていただいたが、私もあれこれヤボネタを考えてしまった。いったん考え付いたダジャレはその場で披露せずにはいられない性分、皆様のご迷惑を顧みず2手ほど“時間つなぎ”を打たせていただく。まずはチーママからうかがった山下敬吾棋聖就位式の光景から。

第33期タイトル戦を制して棋聖4連覇に輝いた敬吾さんの就位式は4月17日ホテルニューオータニで開かれた。チーママが出席者名簿に記名していると隣に恰幅の良い和服姿。何と、依田紀基九段。挑戦者と言うより敗者その人。チーママは「これは凄いこと!!!」と「!」を大盤振る舞いされていたが、昨年2月に開かれた第55期王座就位式にはやはり挑戦者(敗者)の今村俊哉九段が祝辞を述べられていた。その時敬吾さんは「自分も敗者の立場になったら、先輩(今村九段)に倣う」と言われたと記憶しているけれど、ウックンにタイトルを明け渡した第56期王座就位式(今年2月)には出席されたのかどうか、御存じの方がおられたら教えてください。

敗者が勝者を祝福するのは、傍から見ていても気持ちがいい。今村、依田両者のさわやかさと同時に、祝福される側の敬吾さんもきっと素晴らしい人柄の持ち主なのだろう。サカタ・シューコー・タカガワら昭和の名棋士がしのぎを削った頃、そしてチクン・コーイチが覇を競った少し前までこんなことはなかったのではないか。ま、それはそれで勝負師の気合が感じられて悪くはないが。

会場には棋聖令夫人の聖子さん、そしてその母上も出席されていた。ところが何と、貴公子こと高梨聖健八段の姿が見えなかったらしい。多忙かどうかは知らないけれど、どことなく貴公子らしさがうかがえるようで私にはちょっと面白い。皆さんはいかがですか?

会場では棋聖が揮毫された扇子が配られた。書は「不失花」。読んで字の如く、「いつまでも花を失うまい」との心意気をしたためられたものと拝察するけれど、高校は男子校、大学も男ばかりの学科に入った硬派の私がエラソーに申し上げれば、「花」の代わりに「志」とか「夢」とか「錦」といった外に見える“形”を表さない字、せいぜい「華」ならわかる気がするが、形が見える「花」はどことなく違和感、と言うより“女性の匂い”を感じたりする。もちろんこれは私固有の邪推。それは絶対わかっています。

ひとたびツボに入ると、妄想がどこまでも広がるのが私の数少ない欠点の一つ。もしかしたらこの「花」は、敬吾さんが憧れる女流棋士を指しているのではないか。その女流棋士が自らの「花」をいつまでも枯らせずにいて欲しいーーとのメッセージが仮託されていたなら、これは凄い発見ではないか!

となれば対象となる女性は誰か。語の意味からすれば当然敬吾さんより年上。きっと新旧のタイトル経験者、既婚者かもしれない。独善流ザル碁の私が忌憚なく推察すれば、①Jリーガーの夫が移籍して最近静岡あたりに引っ越されたY.Uさん②俳優を夫に持つT.Oさん③世界を雄飛して活躍される子連れ女性のC.Kさんーー。このお三方に「本命」「対抗」「穴」のマークを付すのは、私の新発見にご同意をいただくごく一握りの超変人諸兄にお委ねしたい。

亜Q

(2009.4.23)

ヒカルの碁 余聞

碁神は一柱だろうか。そもそも神は何柱いるか。キリスト教や回教では神は一柱だから碁神は存在しないか。碁はライバルがいてこそ楽しい。孤高の存在というのは酷く寂しいのではないか。

 「碁の神様って孤独だな」
 「だって自分と対等の相手いねェじゃん」

というヒカルの科白がある。この科白は新鮮だった。そんなこと思ったことなかったな。

江戸時代、名人碁所になると勝負が禁じられた。公式手合いを打たないだけで、それなりに打っているのだが、この状態はヒカルの科白にちかい。そう言えば名人は九段であり、別称「入神」。

 「韓国の棋士が“秀策は過去の人、学ぶことはない”と言っている。」

あるネット碁の掲示板で誰かが「韓国人の言いそうなことだ」と言って物議をかもしたことがある。もちろんその人はヒカルの碁を読んでいて、ヒカルの碁の話として言ったのである。わたしは、もともとSF小説もマンガも読み、虚構世界を楽しむことを知っているので、なんとも思わなかった。しかし、ヒカルの碁を読んでいないらしい人が「その発言は……」と噛みついた。思いもよらぬ抗議に不用意に言い訳したため、却って反発された。

わたしは週刊誌は読まず、単行本になってようやくそのシーンを読んだ。物語としてなんの問題も感じない。虚構世界を楽しむことを知らない人が大勢いる。つまり、そういう前提を知らないで読むと、確かに問題発言であったのだ。わたしもそのようなことのないよう、自戒せねばならぬ。

それから、碁はお互いが「誤魔化しをしない」という、性善説に依って成り立つゲームでもある。打ち方はともかく、整地作業は相手の作業を信頼する。もし誤魔化されたら、アマでは高段者でない限り見破れないだろう。ルールの悪用もある。インターネット碁なら誤魔化しようがないが、負けそうになると逃げる人がいる。逃げたって時間切れで負けになるのだが、相手が時間を待ちきれず切ってしまえば、無勝負になる。そんなことをして碁が面白いのか不思議だ。わたしには理解のできない人がいるものだ。

謫仙(たくせん)

(2009.4.22)

耳赤・恥の一手 そよ風編 その2

第二譜 (26)

26手目の正解は,7の十一です(私の第一感でした)。石の流れとして当然の手と思われます。感想で釼持先生もその一手とのことでした。

しかし、考えた末黒Aに打ってしまいました。ほかの手では、BとCを考えました。Bは、左隅一帯の黒石が安定する。Cは、下辺に厚みが期待できるのではないかと思われました。

そよ風

(2009.4.21)

なお、まことに申し訳ございませんが、「耳赤恥の一手 そよ風編」は都合により今回で終了させていただきます。近日中に「耳赤恥の一手 梵天丸編②」を始める予定です。ご期待下さい。

かささぎ

ヒカルの碁(全23巻)

ほったゆみ   絵 小畑健   集英社

ヒカルの碁が再放送になる。わたしはテレビは見たことがないのだが、当然ながら原作劇画は見ている。今更紹介するのもおかしいほど知れ渡っているが、ここに載せないのも手落ち。プロ棋士の梅沢由香里が監修しており、囲碁にまつわる諸々を正確に書いている。インチキ碁盤や碁石の話など、囲碁ファン(プレイヤー)には特に知っていてもらいたい話だ。騙されないために。

前半の準主人公である藤原佐為(ふじわらのさい)は、ヒカルにだけ見える幽霊であるが、読んでいるときは、幽体であることを忘れるほど現実感がある。佐為のきりりとした真面目な顔と、漫画チックなとぼけた顔の、二種類の顔の使い分けが秀逸。週刊誌に発表していたが、わたしは単行本を読んだ。念のため。佐為は男です。そうそう塔谷アキラも(^_^)。衣装から判るように藤原佐為は平安時代の幽体。

今では、韓国語をはじめ中国語・英語・ドイツ語・フランス語などで出版され、世界中で読まれている漫画である。麻生首相の言うように劇画は日本の顔になっている。ヒカルの碁はその代表ではないか。この本は囲碁普及にも強力で、日本ばかりではなく、欧米の多くの少年を碁に誘った。数年でアマ高段になる人もいる。これにはインターネットの発達が補助している。碁を知っても相手がいない。そこでインターネット棋院で対局して腕を磨く。囲碁人口数百人の国からプロを目指して日本くる少年がいる(オンドラ君など)。

後半ではヒカルのたくましい成長と、韓国や中国の躍進ぶりが書かれていて、迫力がある。「囲碁界の真相」に書いてあったが、プロを目指す少年の数が、韓国では20万もいて、そのトップはプロでも高段の域にある。それが日本の院生は100人にも満たない。制度の違いもあるが、もはやおどろくこともできないほどの差がある。そんな様子をはっきり示してくれた劇画であった。

主人公は「ヒカル」、ヒロインは「あかり」、ライバルが「アキラ」。男でカタカナ名は珍しい。

残念ながら次に位置する囲碁漫画がない。日本棋院では漫画の原作を懸賞募集した。第一回目は優れたものが無く、空振りとなったらしい。二回目の締め切りは今年の1月。結果を知らない。どうなったのだろう。第一回に優れたものがなくでも、その中の一番に賞金をはずむべきだったと思う。「隗より始めよ」というではないか。愚作でも隗として賞を出せば、次回からは、「あれで賞をもらえるなら、わたしでも貰えるぞ」ともっといいアイディアが出てくるであろう。そして応募が多くなれば、その中から使える優れたものも出てくるはず(必ずとはいえないが)。とにかく最初から、「ヒカルの碁」なみを期待しては無理だろう。たとえば新井素子さんの「サルスベリがとまらない」などどうだろう。あるいは江崎誠致の小説とか。

ちょっとした不自然を。碁石を持って打つ場面だが、肘を横に上げて、肩・肘・手首が水平になっている。実際にはそのような打ち方はしない。絵を書いている小畑健さんが碁を知らなかったことを表している(かな)。

謫仙(たくせん)

(2009.4.20)

囲碁の文化誌

水口藤雄  日本棋院  2001

今から見ると少し古い本かもしれないが、囲碁の文化歴史についての恰好の入門書だ。 起源伝説からヒカルの碁まで、碁に関して、広く浅く、判りやすく解説している。碁の起源は中国であろうといわれているが、確定しているわけではない。伝説によれば、堯帝が息子に教えたというが、文字のない時代で記録も物証もない。考古的にはなんとか殷代まで遡れる。しかし、それが今のような碁かどうか。十七路説が強く、占い説もある。古代インド起源説も有力。ただ記録がないため、決定できない。

わたし(謫仙)は前に笑傲江湖の碁で忘憂清楽集の話を書いたが、これは北宋の徽宗の時代に書かれたもので、もちろん棋譜は創作。敦煌で碁経が見つかったが、六世紀のもので、一応これが最古の棋書といえそう。棋譜は伝わっていない。それから8年、現在ではどうだろうか。

日本のことでは、源氏物語の碁の話。織田信長が碁を打った記録はなく、本能寺で碁会を開いてはいない。名人碁所の成り立ち。など。通説とはかなり違う。

そんな話がいろいろとある。著者は六十冊ほどの参考文献を載せている。それどころか、著者を知っている人の話では、山のような資料が眠っていて、このままでは四散しそうという。

四百年にもわたって日本で育ち磨き抜かれた碁が、わずか二十年で韓国に抜かれてしまった。なんとか伝統と文化を維持して欲しいという。著者の願いだ。著者は爛柯堂棋話などの有名な文献も鵜呑みにせず、原典に当たり、当否の判断を下し、判らないものは判らないと書いていることに好感を持てる。

わたしは著者の、神髄は調和にあり −呉清源 碁の宇宙−で呉清源の「莫愁」の引用の間違いを指摘したことがある。これだけ調べて書く人に、なぜあのような間違いがあったのか不思議だ。弘法も筆の誤りか。

謫仙(たくせん)

(2009.4.15)

耳赤・恥の一手 そよ風編 その1

第一譜 (1-25)

(耳赤・恥の一手、第四弾はそよ風さんの出題です。次の一手に対する皆さんの回答は「石音」掲示板のほうに書き込み下さい。かささぎ)

尊敬する釼持先生との四子局です。(平成21年2月14日 結果ジゴ)

7の八(20手目)4の十(22手目)6の九(24手目)と自分としてはリズムよく?打っていたのですが、26手目で考えた末、第一感とは異なるところに、とんでもない手を打ってしまいました。皆様でしたら26手目どこに打ちますか。

振り返ると、そよ風が長考して打った手は、過去ほとんどろくな手でないということがよく分かりました。今後は、第一感と石の形を重視して打ちたいと思います。

そよ風

(2009.4.3)

さらば、「ハッピーマンデー」(下)

ハッピーマンデー最後の3月23日は、高梨聖健八段と孔令文六段の両講師がそれぞれ白と黒のチームのキャプテンを務め、千寿会からの飛び入りも含めて1チーム12,3人ずつに分かれて1手1手バトンタッチする大盤連碁大会。

互いに手堅く布石を進める中で着実にポイントを挙げた黒が中央に勢力を蓄えて打ちやすそうな局面。白のジリ貧が予想される中で突如キャプテンの貴公子の指導が1オクターブ高まった。「この局面でこれこれと考えるならA、しかじかと見るならB、しかし全局をみて石の方向を決めるなら“シーッ!”しかあり得ません」と、Cの着点に白石を押さえ付けている。いかにも三択形式のヒントに見せかけて、これでは“強要”ではないか。去年の晩秋、ウックンとの阿含桐山杯決勝で惜敗し、この早春には棋聖リーグ入りを賭けた枠抜け戦で宮沢吾郎九段に大逆転負け、何やら元気がなさそうにみえた貴公子も連碁の戦いに巻き込まれ、いつしかテンションが上がったらしい。

今度は黒が間違える番。白を攻め立てるはずが、重大な手抜かりから逆にぼろぼろにされそうな雰囲気。こうなるとレーブン・キャプテンが黙っていない。黒の着手が変な所へ行きそうになると「ちょ、ちょっと待って!ここはこう打ちたくなりません?」と質問形式を装って自分の打ちたい着点を“強要”する。

連碁をスタートする時には確か「勝敗にこだわらず楽しく打ちましょうね〜」と両先生はおっしゃったはず。でも今や、「貴公子vsレーブン」の大バトル。これは面白くなった。ザル碁アマ同士で連碁を打たせると、プロの先生はともすれば行儀よく当たり障りのない講評で済まし、わずか数手の好手を抜き出して褒め称えるパターンが多いような気がするが、いつの間にかアマの土俵に降り立ってゲームにのめり込むプロ棋士の姿勢はアマが最も喜ぶ「仲間意識」の発露だ。

このあたりをM女は、「『ここはこの一手しかない』というところと『いろいろある』ところと『いい手がみつからない』ところと・・・プロの先生方の間でも意見の違うところもあって、そういうところが囲碁のおもしろいところなのだなぁと思いました」と後で話しておられた。ちょっとカマトトっぽい気もするが、それはともかく。

ハッピーマンデーの卒業式のこの日、びっくりするような素晴らしい着想も見られた。特に我が碁友のミエ女(M女とは別人です)が黒模様の中でひらりと舞い上がった大ゲイマには大感動。もちろん両講師もほめていました。年々歳々花は同じように咲くが、歳々年々人は進歩していくものなのだ!数年前私も貴公子から「カンドーした」と言われてメチャうれしかった記憶があるが、もしかするとこれは「勘当」違いだったかもしれない。

盛り上がった連碁の余韻も冷めやらぬまま、両講師と有志20人ほどが打ち上げ飲み会に繰り出した。教室に6年3ヵ月間通い、いつしか最古参になったM女が答辞替わりに幹事役を自ら務められた。この席でM女がレーブン先生からいただいた最後のありがた〜いアドバイスをご紹介しよう。その前に若干ご説明させていただく必要がある。

ハッピーマンデー卒業の時点で同教室の両横綱を挙げれば、私の見るところ東にコモリン、西にM女。この二人が最後の雌雄を決すべく相まみえた。結果はその他の生徒さんと戦って8連勝中だったコモリンがボコボコにされ、M女がめでた5連勝を達成。「ハッピーマンデーで一番負けたくない相手に勝てたのでとても気分よく最終日を迎えられた(≧▽≦)ノ」とM女が大ハシャギされているところへレーブン先生が現われた。

最後のアドバイスはまずコモリンから。「あなたはM女と打つ前から心が挫けてしまっている」。次いでM女には「あのね、僕はなぜいつもコモリンの肩を持つかわかりますか?」と問いかける。プロの先生に限らず、誰でも女性または弱い方を応援するのは当たり前。なのに先生はその正反対の挙動をとるのだ。「ン?」と見上げるM女にレーブン先生が説明した答がこれ。

「こもりんと打つときの顔がこわすぎるからもっと優しく打ってあげてください」——。いつもさわやかな笑顔を絶やさないM女はこの夜、「なんで最後の言葉がそれなんだ。。。。(ーー;)」と、少々悪酔いされたようでした。

亜Q

(2009.4.2)

さらば、「ハッピーマンデー」(上)

大学進学を断念、「日本で棋士になりたい」と志した21歳の青年をチーママが日本に招請し、身の回りの面倒を見ながら手塩にかけて育てた。覚さん、釼持丈七段ら、先輩の棋士たちが温かく仲間に迎えてくれたのは、持って生まれた彼の人柄と努力があったからだろう。ドイツ・ブレーメン出身、1997年、28歳で入段した日本棋院棋士、ハンス・ピーチさんが初代講師を務めた「ハッピーマンデー教室」がこの3月で幕を閉じた。2003年1月、ハンスが囲碁普及活動に訪れた海外で凶弾に倒れた(享年34歳)後は高梨聖健八段と孔令文六段が後を継ぎ、合わせてほぼ10年近い間、碁を始めたばかりのたくさんの級位者を有段者に育ててきた。

私はハンス・ピーチさんをはじめ、高梨・孔両先生にはずいぶん教えていただいた。ハッピーマンデー教室の若い生徒さんらともおそらく延べ100局以上お手合わせいただいたし、何度か教室をのぞかせていただいたこともある。だから教室が終わると聞いて、私なりに感慨深いものがある。

2000年10月大手合い(227手まで、以下略)。ハンス・ピーチ三段(白)−孔令文二段(黒)、白5目勝ち。(自動再生棋譜
49 (39) 、146 (140) 、149 (141) 、152 (140) 、155 (141) 、158 (140) 、161 (141) 、164 (140) 、167 (141) 、170 (140) 、172 (156) 、173 (162) 。
以下はかささぎがまた聞きした孔先生のコメント(間違いがあればご容赦を)。
白26:好手。
黒27:やきもち。
黒31:1間のほうが14の十五のツケを狙えてよかった。
黒43:素直に生きているべき。
黒55:無謀。
黒83:単に14の七のほうがよかった。
黒127:今だと利く。
黒139:唯一のシノギ筋。
黒163:これで左上の白は取られた。
黒177:ノビのほうがよかった。

3月9日の教室の講義は、孔令文講師ご自身の「思い出の一局」の解説。2000年10月、当時二段だった孔六段が、大手合でハンス・ピーチさん(当時三段)と対局した碁を取り上げた。結果はピーチさんの白番5目勝ち。この対局に勝ってピーチさんは晴れて四段に昇段するとともに、「見習い棋士」の立場を卒業して「正棋士」になった記念の対局だった。

事情に疎い私のために、かささぎさんが次のように説明してくれた。「今はなくなったようですが、当時は『女流特別枠』と同じように『外国人特別枠』がありました。四段になるまでは言わば“仮免”で、手合料なども半額だったと思います。今をときめく梅沢女流棋聖が一足早く四段になった時、特にピーチさんに呼び掛け、『早く四段になってほしい』とエールを送られたのを覚えています——。」

講義の大盤解説を、ハッピーマンデー教室の最古参となって今や有段者として千寿会に仲間入りされたM女が活写されているので、そのまま引用させていただこう。

大盤に石を並べながら、孔先生は首をひねることしきり。
「う〜ん、黒27(孔先生)はなんでここに打ったんでしょうね〜?今なら絶対こっちに打つんですけどねぇ」。孔先生によると、黒の打ち方は相当「やきもちやき」なんだそうです。何年か前の自分の打った手の意味が理解できない・・・ということがプロ棋士にもあるんだと思って驚きました。でもその半面、「この手は1時間くらい長考したことを覚えている」と、今でもその時の気持ちを思い出せる手もあるようでした。

当時、孔先生とピーチ先生は研究会などでもたくさん打っていたそうですが、勝率は孔先生のほうがずっと高かったのだそうです。でもこの碁の内容は、白の棋力が上であることがはっきりわかるものだそうです。それでもこの対局は、白優勢裏に進む中で黒の起死回生の一手が出て形勢逆転か!?とドキドキの展開。だからこそ「思い出の一局」なのだろうと思います。

棋譜を通して孔先生はピーチ先生のお人柄に触れて、思い出話にも花が咲きました。私は入会が遅かったので、あいにくピーチ先生とはお会いしていません。もう1ヶ月早く教室に行っていれば先生にお会いすることができたのにと
残念でなりません・・・。(以上、引用終わり)

M女より少し遅れて入会してM女と共に短期間に上達したこもりんも、「面白い講義でした。プロ棋士でも数年でがらりと変わってしまうもんなんですね。碁の内容も(解説があってようやくわかったのですが)とても面白いものでした。僕もピーチ先生にお会いしたことがなくハッピーマンデーに入ったのですが、この碁の内容は先生の人柄を感じさせてくれる思いがしました」と添えてくれた。

この手合いの後、日本トップクラスの囲碁サロンと言われる東京・国分寺の「ホワイエ」でハンス・ピーチさんの昇段祝いが開かれた。チーママのお弟子さんでもある日本テレビアナウンサーの鷹西美佳さんが私の横でピーチさんの指導碁を受けて褒められていたり、お祝いに駆けつけられた日本アマトップクラスの強豪、原田実さんがピーチさんに挑戦された記念碁で「2線を6本這う難解定石」を繰り出してピーチさんを悩ませていたりした。ハンス・ピーチさんはこの時から、日本と世界の囲碁界に大きな足跡を残し始めたはずだった……。

かささぎさんのお手を煩わせて、ピーチ三段と孔二段(当時)大手合い対局の棋譜を載せていただきます。ご参考までにどうぞご高覧下さい。

亜Q

(2008.3.29)

「棋士」という職業をどう説明されますか

人間の尊厳に関わる「納棺師」という立派な職業があることを知ったのは、もちろん映画「おくりびと」のおかげ。でも、映画が知られる前、納棺師の方は職業を他人に聞かれた時にどんな風に答えたのだろう。「冠婚祭礼関係です」と答えれば、「葬儀屋さん」ぐらいに思われることが多いと思うが、こまごまとした説明を避けて「結構苦労があるのですよ」程度にお茶を濁されてきたのではないだろうか。

学者や研究者も他人に職業を説明するのが難しそう。「おくりびと」とは違って職業自体は知られている場合が多いだろうが、「哲学」「数学」「文学」「論理学」「理論物理学」「考古学」とか、昭和天皇が研究されていた「植物学」などと答えると、私のような凡人は「どこかの大学や研究機関に所属されて教師をされているのだろう」と思い込み、「社会・経済に直接役立つというより、主に若い人を教育するための一種のサービス業従事者」または「全く趣味人」と見なしてしまうことが多い。要するに、「何に役立つのかわからない」。碁に例えれば“厚味”を“実利”に結び付ける発想が完璧に抜けているためだ。

ノーベル物理学賞を受賞された小柴昌俊さんは「研究の中身を説明することはできても、『何に役立つか』と聞かれるといつも往生した」と話しておられたし、数学者の藤原正彦さんや秋山仁さん、考古学者の吉村作治さんらはむしろ本業外の文筆、タレントとして知られ、私ごときは研究の中身をまるで知らない。

学者、研究者の場合、中身はともかくジャンルは知られていることが多い。しかし「棋士」はどうだろう。まだ女流タイトルを獲れなかった25歳直前の頃、ヤッシーこと矢代久美子五段が「エステに行って困るのは、『お客さんはどんなお仕事ですか』と聞かれること」と『週刊碁』に書いていた。普通のOLが顔を出さないウイークデイの昼下がり、と言って主婦にも見えない。「きっと、何かカッコいい職業人なのだろう」とエステのスタッフが想像し、やや追従気味に尋ねたのかもしれない。

自分の職業を答えるには、相手のレベルや関心の度合いを読む必要がある。私のようなサラリーマンなら気が楽だ。「貧乏暇なしの雇われ人です」なぞとサラリと流せるし、相手の関心が高い場合は「●●関係です」、さらに追及されれば隠す謂れもないから「○○社に勤務してこれこれの仕事をしています」と言うだけ。余計な説明は要らない。

ところが「棋士」の場合、相手の知識・理解度、さらに“尊敬の度合い” (ごく稀には“軽侮の度合い”さえもあるかもしれない)を見誤らないようにしないと、やたらに汗をかかされたり、場合によっては不愉快な思いをさせられる可能性もあるのではないか。エステ嬢を軽く見るわけでは決してないが、ヤッシーの場合は「財団法人の専門職」とか「特殊な研究職」ぐらいにかわすのがよさそうだ。

そうは言っても、日本ならば「棋士」も「力士」もほとんどの人に通じる。愛好者も少なくないから、思わぬ人から尊敬されてこそばゆい思いをすることもあるだろう。しかし碁が普及していない外国ではどうだろう。何よりもまず「碁」を説明しなければならない。「あ、ゲームの一種ね」と簡単に言われたら辛い。碁の歴史、愛好者にはどんな人がいるか、目的は何か、何に役に立つのかといったことをるる説明し、「陣取りとか石の殺し合いというより、互いの“世界観”がせめぎ合う高度な知的スポーツ」であることを分かってもらうには、1時間や2時間ではとても足りないだろう。

チーママはこれまで何十年間も、“囲碁後進国”欧州を中心に普及活動をされてきた。日本棋院から派遣されたり、ごく内輪の交友関係やボランティアとして短期間訪問するだけなら、狭い範囲内で職責を尽くせばいい。しかし「国際文化交流使」として文化庁から派遣されたここ3年近くは言わば日本を代表する「全権大使」。とは言え、お手伝いさんはいないから、毎日が嵐のようだったのではないか。仕事場が移動するたびに国を移し住居も替える。日本とはまるで異なる生活習慣を受け入れながら、愛娘のアンナちゃんの学校やピアノの置場も考えながら。

関西棋院の円田秀樹九段も文化交流使として南米諸国を中心に普及活動されてこのほど帰国された。チーママと円田九段の活動は誰にでもできることではない。お二人には心から「お疲れ様でした」と迎えたい。と同時に、お二人の活動を継承する若い棋士の“立志”を待ち望みたい。

亜Q

(2009.3.24)

あなたは楽観派?

級位者を対象にしたハッピーマンデー教室で学び短期間で三段格(いわゆる「世間相場」ですが)にまで上達されたM女とこもりんが対局を済ませた後、何やらいさかいを始めた。

「M女は楽観派でしょ。あんなに甘く打ってそれでも勝てると思っているんだから絶対楽観だよ」と、こもりん。みるみるM女の口がとんがった。どちらが勝ったかはわからないけれど、少なくともM女がオカンムリになったことは確か。「つ、つまり、少々の地を与えても大きいところに打てば勝てると余裕たっぷりにいられるのがすごい。悲観してじたばたするよりずっとかっこいいじゃん、と言いたかったんだよ」とこもりんがあわてて補足すると、M女のご機嫌はあっけなく治まる。M女が楽観派であることはどうやら間違いないようだ。

こうしたやり取りはもちろん私も何度も経験している。いわば仲良し同士の痴話げんか。ザル碁アマ同士の醍醐味の一つと言えるかもしれない。人は未熟に生まれ、人間同士の切磋琢磨や幾つもの紆余曲折を経て成長していくーー。そんな感慨に浸りながら、私は二人に慈愛の目を注ぎ、ついでに我が身の優しさに自愛の念を抱く。ところがM女の矛先が突然私に向けられた。「亜Qさんはもちろん楽観派でしょ、うふっ」。

「チョ、チョッコンマタレイ夫人の恋人!」——いきなり冷水を浴びせかけられ、私は思わずワケワカメの叫びをあげた。何より、最後の「うふっ」が気に食わない。しかし私はオトナだ。すぐに冷静・寛容な態度でこう答えた。「どうぞ“見た目”で判断してほしい。ほら、僕の場合、広い額に垂れ下がる長い髪をうるさそうにかき上げ、いつも考え深そうな憂いを含んだ眼差しの持ち主でしょ。そう、ダザイとかリューノスケとかノーベル文学賞の川端さんとかをイメージしていただければいい。劇中人物に例えれば『ハムレット』。だから碁を打てば『生か死か、それが問題だ』なぞと深刻に口ずさんでいるんです」。これで私が生来の悲観派であることがたっぷりお分かりいただけたに違いない。私は安堵して帰宅の途についた。

と、私の帰宅を待っていたかのような雨。天気予報では降水確率はせいぜい50%程度と言っていたではないか。私は50%程度なら断固傘を持参しない。面倒くさいし、降られなければ傘をなくす可能性がやたら高い。それに経験上、雨は降らないことが多かったから。そう言えば野球やサッカーでひいきチームが負けていても、必ず逆転してくれると信じて最後まで見てしまう。いつしか、ノーテンキ教祖のかささぎさんの悪癖が伝染していたかもしれない。これで、正真正銘の「悲観派」と言えるのか。熟考すれば、馬齢を重ねた私は“アラッカン世代”だった!

ところで、この掲示板を時折のぞいていただく変人諸兄はいかがかな。拝察するところ、「悲観派」が多いのではなかろうか(貴兄は例外かも)。読み解くカギは「耳赤・恥の1手」。先生の正解がたまに掲載される以外は、私のようなおバカな回答を含めてザル碁同士のカンカンガクガク。楽観派の方から見れば、「ばかばかしくて付き合っちゃいられない」。しかし悲観派の方にとっては「自分だけが悩んでいるわけではなかった」と、きっとカタルシスを覚えるはず。だから「諸兄は悲観派」と判断したのは、賢い分析を踏まえた科学的な根拠に基づいているのデス。ついでながら、「耳赤・恥の1手」は一部の方からのご好評を受け、これからも続きます。悲観派の皆様はどうぞこぞってご回答をお寄せいただくよう、よろしくお願いいたします。

亜Q

(2009.3.18)

インターナショナルスクールで“数学”の授業!

めったにない快挙だと思うので、独断でご紹介させていただこう。何しろ、日本の囲碁棋士がインターナショナルスクールの「数学の教壇」に立ったのだから。と言っても、教師の資格やら何やらうるさい日本ではなく、世界有数の“数学大国”フランスでの話。

主役はもちろんチーママ。欧州での国際文化交流活動が最終ラウンドに差し掛かった3月の初旬、9歳から16歳にわたる4クラスの生徒全員を相手に、一日目は9時から15時、二日目は11時から16時まで。さらに3日間の講義(次回はシチョウ、ゲタなどの手筋を教えるそうです)が予定されているから、1クラスでざっと6時間もの集中講義になる。チーママはこれまで日本のインターナショナルスクールで1校、海外で2校教えたと言うが、いずれも「囲碁」を教える特別講義。「数学」の教壇で「囲碁という数学の新ジャンル」を、それもこれだけ長時間任されるのはもちろん初めての経験だそうだ。

大多数の生徒は囲碁の初心者。年齢に関係なく初めの20分を碁の歴史とルール説明に充て、すぐに13路盤で打ってもらった。このわずかな時間で8割の生徒が「アタリ」(チーママはいつも“打って返し”の例を使って説明されるらしい。驚くほど高レベルですね!)を理解し、最後まで打って勝負を決することができた。ただし、終局処理はもちろんチーママが手伝ったそうです。

講義を受けた生徒の反応がまたうれしい。数学本体よりはるかに魅力的な学問と受け止め、一人残らず夢中で取り組んだらしい。中には「囲碁講座を常設してほしい」とか「囲碁倶楽部はいつ開催するのか」と聞いてくる熱心な学生もあり、チーママは連日の重労働の疲れも忘れて大奮闘されたようだ。

教え子の総数は二日間で延べ160名。この学校は数学の学力に応じてクラスを編成しているから、数学力と棋力という興味深い相関の糸口もつかめるかもしれない。そしてこうした囲碁文化に親しんだ若い人を中心に囲碁が国際的に発展していくことを期待したい。

日本人囲碁棋士の数学教師がフランスで誕生するきっかけはまさに“瓢箪から駒”。愛娘アンナちゃんの学校の父兄会で担任の数学の先生とチーママの話が弾み、「僕の講座で特別講師を引き受けてほしい」と頼み込まれた。先生は碁を全く知らなかったと言うが、さすがは数学教師。直感的に碁と数学の相関を見抜いた目の付けどころがいい。頭が柔らかくて、きっと碁も始めれば強くなられるだろう。いいと思ったことを即座に具体化する実行力も絶賛に値する。

付け加えるみたいで申し訳ないが、連日強行軍を強いられる「囲碁マスターコース」を終えたばかりの体で数学特別講師を快諾したチーママの“男気(侠気)”も大いに讃えたい。こうした“意気に感じた行動”が国際文化交流の大きな原動力になると思う。

このチーママを唯一つ悩ませたのは、「生徒と一緒に食べてほしい」と勧められた学校給食。おいしいものを少量召し上がる飛び切りのグルメにとって、育ち盛りの青少年の給食は荷が重すぎたようだ。

亜Q

(2009.3.12)

囲碁史探偵が行く −昔と今 碁打ちの物語−

 福井正明   日本棋院   08.11

 去年の12月、ホテルニューオータニで行われたクリスマス碁会に出た。その時、抽選で棋士四人のサイン入り碁の本のプレゼントがあり、わたしは早めに抽選にあたりこの本を選んだ。表紙の裏側には、水間俊文・高梨聖健・小林千寿・大橋拓文の署名入り。

 三年間にわたり「碁ワールド」に連載されたものに加筆訂正したものである。福井九段が話したものを、秋山賢司(春秋子)さんが筆記した。全体が囲碁史におけるこぼれ話集だ。

 例をあげよう。徳川十六代、徳川家達(いえさと)は県代表クラスだとか。野沢竹朝はマッタをしたことがあるとか。同じく野沢竹朝が「勝ちました」と宣言したとか。「負けました」は常にあるが、勝ちましたはこれくらいだろう。わたし(謫仙)は「勝ちました」を打ったら、それが敗着だったことがよくある。もちろん口には出さない。A級戦犯が収容所で碁に夢中になり、番付まで作ったとか。こんな話が三十七話。

 春秋子曰く、「本当は勝者や強者が栄誉を独り占めすべきかも知れない。しかし、福井さんにはそれができず、敗者のほうに目を向けてしまう。」そんな視線で書かれているから、読んでいて引き込まれるのだろう。

 わたしはこういう話が好きなのだ。そしてあくまでこぼれ話。碁の正史に堂々と載る話ではない。知らなくても困らないし、知っていてもどうということはない。知っていると心が豊かになる、そんな話です。

謫仙(たくせん)

(2009.3.10)

太陽

昨日、ナノテク展を見に行った帰りに、市ケ谷の棋院に寄った。1階のロビ−にいると、原幸子さんが二人の子供と一緒に来られた。上の階に用事があるらしく、二人を連れてエレベーターに乗ろうとしたのだが、長男の太陽君が行かないと言い張った。しかたなく、原さんは「そこで待っているのよ」といって次男の大空君だけを連れて上がっていった。太陽君は1階ロビーのモニターを食い入るように見ている。モニターに映し出されていたのは棋聖戦第4局の封じ手の場面だった。「太陽君」と声をかけても返事がなかった。人見知りをしているのか。いや、きっと、原さんから「知らない人に声をかけられても返事するんじゃないのよ」と躾けられているのだろう。こんな怪しいおじさんならなおさらである。

棋聖戦第4局は依田挑戦者の快勝に終わった。もしかしたら、昨日の太陽君はモニターを見ながら、お父さんに“勝て”と念を送っていたのかも知れない。その最中に声をかけられたから、返事をしなかったのかも知れない。それでも、「碁を打つの?」とたずねたら、こくりと頷いてくれた。太陽君は顔つきも体つきもお父さんそっくり。きっと、お父さんを超える偉大な棋士になるだろう。

かささぎ

(2008.2.20)

謫仙楼対局 形だけでは

黒 靖
白 謫仙 6目半コミだし

 黒が三三にツケ、白▲に打ったところ。
 今までは、自動的にAに打っていた。あるとき健二先生が、考えずに形だけでAに行くわたしを見て、「こんな手もあるンですよ」と教えてくれたのが白▲だった。
 それ以来この形になると、白▲を打って試している。すでに九局も打った。今回が十局目。
 この基本形は、「耳赤・恥の一手 かささぎ編 その1 (08.12.27)」を参照してください。

黒の失敗図であろう
 不思議なことに九局の内の七局はこのようになった。ただし、黒9は別なところに打つ人が多い。シチョウで取れているので、この黒9は手がダブっていないか。
 白8までの形は、どう見ても白がいい。
 健二先生に教わったときも、わたしが黒1と打つと、「それは良くないですよ」と白2を打ち、この形を示してくれた。
「白▲で、あとの打ち方に困ったらまた相談しましょう」ということになっている。
 結果だが、今までのこうなった七局は全て負けた。相手が黒1を別なところに打ち、こうならなかった二局は勝っている。

 靖さんには初めての形だったらしい。すこし進むと、次の図になって黒1と打つ。

 黒1ですでに八目の黒は死んでいる。黒1のあと白2を黒5のところに打てば、すでにコミの負担は消えていた。
 だが、どう打っても勝っていると思いこみ、白2・黒3・白4となったとき、手を抜かれて、黒5を打たれてしまった。打たれてみると黒5は先手であり、逆に白が死んでしまった。実はこの時点でも、取られているとは思ってもいなくて、このあと数手打って、ようやく手数が足りないことに気づいたのだ。一度どう打っても勝てると思いこんでしまうと、白5を打ちそこねる。
 オワだ。どうもこの「黒の失敗図」の形は勝てない。白は悪いはずはないんだが。
 隣で打っていた聖姑は「どんなにいい形でも、あとが正しく打てなければ…、形だけ良くても碁は勝てませんよ。途中で何度も右辺の白が(黒1の一路上に)飛び出す機会はあったでしょう。そうなったら、そのままで中の黒に手はない。楽勝のケースなのに」
 これでは健二先生に相談することもできない。

   …………………………
「靖さんのところは売り上げはどうです」
突然の不況で、蔵元はどうなってるかと思っていた。
靖 「変わりませんよ。もっと入れてくれと言われて断っていたのが、少なくなったくらいかな」
聖姑「靖さんは、もともと冷蔵庫の設備のないところは断っていたくらいだからね。わたしも謫仙さんから謫仙酒を貰って、父に飲ませて、ようやく冷蔵庫を買わせたんだから。客層の関係か、いい酒は変わりなく売れていますよ」
謫仙「それでいつも、わたしのところから謫仙酒をもっていったのか」
聖姑「人聞きの悪い。ちゃんと勝負に勝って貰ったんですからね。日本酒は不味いと言って洋酒しか飲まない父を説得するには、とにかく本物の日本酒を飲ませないといけない。そう思っていたところ、謫仙酒の話を聞いたので」
謫仙「そうだろうな、オレも合成酒は不味くて飲めなかったし」
靖 「アル添酒(アルコール添加酒)は、うまい酒もありますけど、形だけ酒で実は…というのもありますから」
謫仙「飲み方では形もなっていないということがあるなあ。居酒屋で飲むでしょ。小さいグラスにいっぱいに入れ、こぼして受け皿までいっぱいにする。コップを持つと雫がぼたぼた。みっともない。もっと大きなグラスに入れれば済むこと。たとえばコーヒー、受け皿にまでコーヒーを入れる喫茶店はないでしょ。ワインにしてもカクテルにしても受け皿なし。料亭でもそんな出し方はしなかった。酒はその国の文化なんだから。形だけでも品良くして欲しい」
靖 「受け皿は万一こぼれたとき、まわりを汚さないため。それでは逆効果ですね。それが嫌で、ますます日本酒離れ。何かの誤解から始まったのかな」
聖姑「日本酒は色が付いていないので、テーブルや服を汚しても、気が付きにくいことも原因でしょうか。着物を着ていたらもう手が出ませんね」
謫仙「日本酒の伝統なんて言う人がいるがそれはない。最近は片口を使う店が出て来ました。それなら伝統と言えますね。あれは雫がぼたぼた落ちなくていい。落語でも江戸庶民は片口が普通でしょ。燗ならちろり」

謫仙(たくせん)

(2009.2.15)

短期集中合宿で「石の方向」を鍛えてほしい

私が子供のころテレビで見た巨人vs国鉄開幕戦、後に400勝投手になった金田投手と立教大学からプロ入りしたばかりの長嶋選手の対決を今でも鮮明に覚えている。金田の開幕第一投と言えば、大きなスローカーブが定番だったが、この時は内角高めの剛速球一本槍。長嶋のバットがくるくる回ってあえなく4打席4三振。オープン戦では快打を連発していたのに、いざ実戦になると大エースとルーキーの格の違いを見せつけられた。

かささぎさんが出題された「耳赤・恥の一手」では、私は5打席5三振。バットに球がかすりもしなかった。しかし長嶋選手は偉い。対国鉄第2戦からすぐ立ち直り、この年の打率は3割を超え、本塁打・打点、さらに盗塁王にもなって(うろ覚えです)新人王に輝いた。この見事な巻き返しを、すでに人生の峠を越した私が実現できるだろうか。

長期にわたってじっくり鍛え直す余裕はもちろんないから、短期集中して強力なカンフル剤を注入するしかない。では、どんなカンフル剤が効くのか。今さら定石や基本手筋を仕込み直しても到底間に合わない。詰め碁やヨセの勉強を強制的にさせられたら碁が嫌いになるだけ。やはり実戦か。でも、これだけ「耳赤・恥の一手」で痛めけられると、迷いばかりが増幅して真理の森をいたずらに彷徨することになりはしないか。

麻生さんが間違えそうな難しい漢字を使ったら妙案を思い付いた。そう、「石の方向」。これなら忘れる可能性は少ないし、眠くなることもない。でもどうすれば納得のいく成果を上げることができるか。ザル碁同士で議論し合っても絶対に結論が出ない。それどころか、凡愚の私は仲間とけんかしてしまいかねない(泣かされるのはいつも私なのだ)。

定石、手筋、詰め碁、ヨセ。これらはいずれも適当な棋書さえあれば独学できる。基本的に教わるものではないと思う。しかし「石の方向」となると、100年経っても気がつかないことはままある。しかし自分の欠点をズバリついた素晴らしい問題と的確な解説と回答を与えられると、その場で半目ほど強くなった気さえする。即効性・納得性が抜群なのだ。この際くやしいけれど、「かささぎさん、いい問題を出してくれてありがとう」と男らしく言っておこう。

でも「耳赤・恥の一手」は(いろいろな方の回答を待つから仕方がないのだが)少しばかりまだるっこい面もある。もっと密度を上げられないか。それには短期集中合宿訓練こそ好ましい。講師はプロの先生でなければならないが、インストラクタークラスの助っ人がいた方がもっといいかもしれない。大会とか親睦碁会と違ってこれは一種の教育だから、教える側はお客さん相手の甘やかしは捨て、厳しく教育効果を上げなければいけないし、教わる側は昔の受験生の頃を思い出して気迫を持って学ばなければならない。受講生のレベルもある程度そろえる必要があるかもしれない。

日本棋院も関西棋院も、これまでの1泊か2泊程度の総花的な「セミナー開催」に代え(もちろん存続しても構わないが)、短くとも5日間程度の合宿教育を始めてもらえないか。何より、短期間でそれなりの効果を実感できる実利性が100年に一度と言われる国際的な経済不況の時代にふさわしい(ちょっとこじつけかな?)。全国2,3か所で年2,3回定期的に開けばリピーター愛好者が増えていくのではないか。こうして私はいつの日か、かささぎさんに「恐れ入りました」と言わせてみせるのだ。

亜Q

(2009.2.8)

イマジン@ヒマジン

 六日のあやめ、十日の菊。すっかり時期遅れになってしまったが、せめて1月中に「初夢」の話を聞いてほしい。きっかけは、かささぎさんが去年の12月に歌いまくった「イマジン」。きっとジョン・レノンの命日を思い出すのだろう、クリスマス前までの期間限定で毎年恒例のようにがなり立てる。実に行動パターンが読み易い御仁なのだ。

 私は性格が良過ぎるのだろう。たとえその歌がどんなに「歌うは極楽、聞くは地獄」であっても、いつしか感情移入し、原曲のココロを深くつかみ取り、ありとあらゆる感性を導入してイマジネーションを掻き立ててしまうのだ。ヒマジンのサガなのだろうか。

 この伏線が正月早々、途方もない初夢となって顕在化した。何とこの私がゲイツやバフェットを超えるようなおダイジンになっていたのだ。億万長者のノーブレス・オブリージュだかレゾン・デトルだかを一言すれば、それはバラマキでしかあり得ない。私は全資産の1%をユニセフと戦場の犠牲者たちに、もう1%を学問・文化・スポーツの分野に投じることに決めた。その際の配分基準は「私が価値を認め、かつ相対的に報われていない分野」。私は野球やサッカーも好きだが、トップクラスのアスリートに限らず関係者の報酬は概ね恵まれている。一方で、詩人やゲージツカ、研究者などは、価値の高い仕事をしていても一般的に処遇はたかが知れている。こうした地味な分野で頑張っている人に愛の光をたっぷり注ぎこむのだ。

 こうした配慮から、囲碁界には1000億円ほどを給付することにした。これを棋士、棋院関係者らに一律に定額給付すれば、1人当たりざっと1億円ほどになるが、そんな愚かしい方法を私は採らない。まず300億円ほどを新棋戦創設に充てる。棋士は勝負師だから、徹底的に「利己」を追求していただく。ただし、賞金は少数の人だけに厚くするのではなく、参加者全員になだらかな傾斜をつけて配分する。敗者あっての勝者なのだから。

 残りの700億円は、「利他」あるいは「無私」とも言うべき貢献・活動に対して細大漏らさず高額の報酬を給付する。日本の碁界に深い影響を与えたゴセーゲン、中国・韓国を含む若手育成に情熱を注いだシューコー、さらに故人ではあるが、多くの俊才を育てた大木谷、私財をなげうって日本棋院を盛り立て、海外普及の礎石を築いた薫和らには本人、遺族を問わず手厚く報いたい。囲碁界や棋士たちの内幕や勝負の機微を活写したテンコレ文士(中山典之六段)や欧州で孤軍奮闘の普及活動を続けてきた文化交流使チーママ、アマチュア普及システムを創設し、運営したシラエ退役八段らも当然有力な対象になる。もちろんこれは私個人の恣意的な判断ではなく、評価のためのプロアマ混成の衆知を集めて客観的に貢献ポイントを積み上げていくことになろう。

 ともあれ、新春早々実にいい夢を見た。目覚めの気分も最高だった。ところが古女房が私の寝言を聞きつけたらしい。「ねぇ、イッセンオクエンて何よ」としつこく問い質すではないか。師走の使い込みがたたって女房から前の日に1万円ほど借用したばかりの私はとてもバツが悪かった。

亜Q

(2009.1.14)

盤側の風雪

江崎誠致   立風書房   1975

 著者江崎誠致は碁のアマ高段者である。小説を書く傍ら囲碁のこともいろいろと書いている。
 プロ棋士と関わりをもつようになって十五年。その間に書いた随筆などをこの一冊の本にまとめた。
 それ以降に書かれたものはいろいろと読んでいるが、この初期の記録は初めて読んだ。もちろん後で書かれたものと重複するところもあるし、内容も古いので、この方面によほど興味がない限り、あまり面白いとはいえないかも知れない。
 逆に言えば、わたしは碁が好きで、碁について書かれたものに興味があり、江崎誠致という作家の碁に関連する小説が好きで、当時のことをある程度知っているので、図書館で見つけて借り出したのだ。

I 本因坊戦こぼれ話 などの随筆
II 木谷道場の人々
III 本因坊戦の観戦記 全十五局
IV 小説本因坊秀格 などの短編三篇

「III 本因坊戦の観戦記」は字が小さくて読めない。単なる記録と見るか。
「IV 小説本因坊秀格 などの短編三篇」は前に小説で読んだので、今回はパス。

 着物姿の著者が坂田栄男と間違えられた話とか、文壇碁の話とか、川端康成の話とかがある。林海峰の扇子の話はあきれた。扇子を持つのはかまわないが、それで相手の思考を妨害するような大きな音を立てる。石田芳夫か対抗してもっと大きな音を立てるので、扇子合戦で林海峰が負けたとか。断っておくが、林海峰は人柄の良さをだれもが認めるほどの人である。
 山田覆面子の話を紹介しよう。観戦記者だが、アマでは強者である。それでも四強などと言われた人にははるかに及ばない。ところが、プロ棋士たちがある手を評して「山田さんみたいな手」という。碁の世界で、誰々のような手といわれるのは、一流棋士の証明みたいなもの。アマでは四強でも言われない。それなのに山田覆面子は言われる。そういう独特な棋風を身につけているという。

「木谷道場の人々」では、木谷道場が二百段を突破し、次々と秀英が生まれたころの若々しい群像を伝える。間もなく日本の囲碁界が木谷道場に席巻されるその前夜の様子である。

 木谷禮子さんの話は特筆に値しよう。
 棋院で女流棋士を増やすため女性の入段を甘くしようと言う話があったとき、もっとも多くの女流棋士の出現を望んでいた木谷禮子さんが、条理をつくして甘くすることに反対したという。その後はいくぶん甘くはなったものの、現在まで基本的には男女同一条件で藝を競う基になった。

 時事ネタを後で読むような感じだが、それでも一度は読んでおきたいと思っていた本であった。

謫仙(たくせん)

(2009.1.6)


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