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碁の雅(みやび)を伝えたい~千寿先生壮行会から

8月終わりの日本列島を覆うこの雨は残暑を払い飛ばし、秋の訪れを告げるのだろうか。つい1週間前は猛暑の真っ盛り。千寿会友のI氏が経営される東京・芝浦の老舗料亭に千寿会講師の王唯任四段を含む有志24人が集い、文化庁所管の国際文化交流使として8月末にヨーロッパに赴任される千寿先生の壮行会が開かれた。

碁界初の文化交流使に任命された千寿先生の活動は昨年度に続いて2期目に入る。昨年3月から今年3月にまでの1期目は主にオーストリア・ウイーンを本拠に、フランス、スイス、ドイツ、スコットランド、チェコ、スロベニア、ブルガリアなどを訪問。文化庁の大型企画「欧州青少年囲碁マスターコース」をウイーンで開催(1週間で12カ国延べ400名が参加)されたほか、第51回欧州選手権戦、ベルリン大使館・デュッセルドルフ総領事館主催大会、ドイツユース大会、欧州青少年大会、ソフィア子供大会などでの囲碁指導をはじめ、クール・ジャパンの象徴として海外で大人気の日本の漫画文化を伝えるマンガ・フェスティバル(数百~数千人も集まるらしい)で碁を紹介、インターナショナルスクールや各地域に囲碁倶楽部を設立、さらに日本大使館や各地の囲碁クラブでの講座・指導に大車輪の活動振りだったようだ。

2期目の今回は来年3月まで約7ヶ月間。本拠をパリに移し、一連の活動の総仕上げに入る。文化交流使1期目を含めて、これまでの20年間以上にわたって個人的に続けてこられたボランティア活動を通じて蒔いてきた種が実る集大成の時期かもしれない。

壮行会の席でI氏心尽くしの和風懐石を堪能し、美酒が快く回ってきた頃、千寿先生が立ち上がってこんな話をされた。

各地を訪れる際、私は必ず萱(かや)の碁盤と白蛤・那智黒を合わせた碁石を持参します。欧州各地にはようやく碁盤があちらこちらに置かれるようになりましたが、盤はベニヤを張り合わせた粗末なものだし、石もプラスチックやガラスばかり。本物の磐石だけが持つ手触り、質感、弾力、響き、やわらかさといった、日本がつくり出した碁の世界、全体の調和を体で感じ取って欲しいからです。もちろん、対局前後の挨拶、石の持ち方・置き方、終局の作法なども含みます。外国人に日本刀を実際に持たせ、切れ味や鍛え方と同時に美しさを知ってもらうのと同じです。

今や欧州では、中国や韓国の棋士たちが大勢普及活動に乗り出しています。もちろん、これはとても素晴らしいことですが、「どうすれば強くなれるか」ばかりに指導が偏り過ぎているような気がします。実際に、欧州で囲碁大会が開かれると、中国や韓国出身の強豪、中にはれっきとしたプロ棋士も入って上位を独占し、地元の人たちの間には「どうせ勝てないから」と言って辞退する動きが広がっているようにも見えます。

こうした諦めや厭戦(えんせん)気分が碁の普及に水を差すとすればとても残念です。そもそも碁は勝ち負けの結果だけではなく、もっと人間の思考過程や精神に働きかける知的創造の文化です。こんな素晴らしいものを、勝ち負けにこだわって放り投げて欲しくない。それには日本伝来の棋道を是非ともヨーロッパの人たちに体得してもらいたい。だから私は今年、日本伝統の「碁の雅」を一人一人に植え付けていきたいと思います。(以上、千寿先生の談話から)

中国はこの北京五輪で金メダル51個を獲得、宿願の世界トップに立った。この壮挙に水を差すようで心苦しいが、競技の偏りがちょっと気になる。卓球、飛び込み、体操など一部の種目で思う存分メダルを集めた。特に卓球は中国生まれの人が各国に散り、世界選手権はまるで中国選手権の様相。制限を打ち出さなければならない状況に追い込まれているという。国家的な強化策を立て、粘り強く実行してきた努力は認めるが、「競技の普及を考えればいびつ」と8月25日付の朝日新聞に西山論説委員が書いていた。

関連して、日本で開催されるアマチュア囲碁大会でもこの傾向が見受けられる。中韓出身者が毎年のように上位を占め、日本人は蚊帳の外に追い出され始めている。これについては主催企業の考え方にかかっているから私は口出しを遠慮したいが、基本的には日本は碁を敬う気持ちと「碁の宗主国」であることに誇りを持ち、国際普及に尽くしていけば良く、勝敗は二の次だと思っている(参考までにこちらをご覧ください)。日本人が世界に飛びぬけて碁の才能に恵まれているはずはないし、そのうち欧米やインド、ロシアあたりの囲碁後進国から天才が現れないとも限らない。日本で活躍する中韓出身者の方も日本の児童を対象に世界最先端の碁を教えるなどの努力も評価したい。

北京五輪に話を戻せば、シンクロナイズドスイミング競技で中国の教え子たちに初のメダルをもたらした井村雅代コーチは、アテネ五輪後に日本代表指導者を勇退したが、改めて中国からコーチを依頼されて悩んだ末に引き受けた。「日本のコーチングが世界に認められた。自分が外に出れば日本の評価が高まると思った」と話している(8月25日付朝日新聞)。最強国ロシアのスタッフが全世界に広がり「ロシア流」の育成法が幅を利かせていると言われる同競技に日本の楔(くさび)を打ち込む井村さんの挑戦を今後も応援したい。

一方、女子サッカーの「なでしこジャパン」は、最終戦に敗れて惜しくも銅メダルを逃した後、どちらかと言えばアンチ日本の姿勢が強かった全観客に向かって深々と礼をして謝意を表し、勝者以上の拍手を浴びたと言う。スポーツ(知的スポーツ「囲碁」も含めて)は強いことが人の心を打つが、それ以上にそのスポーツを敬い、勝者と敗者をいたわり、観客に感謝する心が感動を呼ぶのではないか。

碁を棋道として発展させてきたのは間違いなく日本。これを「日本の碁」とひけらかすのではなく、「本当の碁」として世界に広げ、いつの日にか「世界の碁」になればこんな素晴らしいことはない。それまでの道のりを考えるとあまりにもはるか遠くでくじけそうになるが、日本には岩本薫和元本因坊や藤沢秀行名誉棋聖らの足跡がある。千寿先生にとってもこれまで四半世紀にもわたって築いてきた人脈やノウハウがある。

海外普及活動は表面からはうかがい知れないような苦労を伴うものだと思う。まして、ベテランの年齢に差し掛かった千寿先生が “先生と雑用係”を兼任しながら各国各地を回る。学業とピアノ修行を両立させる愛娘のアンナちゃんも思春期を迎え、異国での母子二人暮しは並大抵の苦労ではないと拝察する。それでも誰かが松明(たいまつ)を灯し続けていかなければならない。私(亜Q)らしく締めくくれば、和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」――。

亜Q

(2008.8.25)

安倍・友の会

 本ページにも何度かご登場いただいた安倍吉輝九段が、東京・八重洲南口から歩いて1分の住友生命ビル地下1階のいずみ囲碁ジャパンで9月末から4回にわたって集中講義をされるそうなのでご紹介させていただきます。安倍九段と言えば、テレビ解説などでの名講義と並んで碁界随一の博覧強記(関連記事:こちらこちら)ぶりがよく知られていますが、私には碁は厳しいけれどアマの面倒見がとても素晴らしい優しい棋士という印象(ご参考までに:こちらこちら)。流れゆく2008年を惜しみながら、月1回の安倍講義を楽しまれてはいかがでしょう。

 日程は平成20年9月27日、10月25日、11月22日、12月27日(すべてその月の第4土曜日)の午後1時〜5時。受講費用は1回3500円(4か月分前納14000円)。講師は安倍九段とお弟子さんの囲碁インストラクター、下田和美さん。可愛らしいお嬢さんですが女流アマ全国4位の実績を持つ強豪です。

 受講対象者は中級〜有段者まで。1時間の大盤講義に加え、毎回20名を対象とする指導碁、自由対局(自由解散)。対局中にコーヒー・紅茶、ビール・水割りなどで咽喉の渇きを癒せるのもありがたい。参加者専用のサロンも使えるそうです。

 日本最大級の碁会所として知られるいずみ囲碁ジャパンのビジター入場料は1500円ですが、これは受講費用に含まれるため、実質的な受講料は2000円。しかも午前10時から午後7時まで自由に使えるそうです。碁敵の仲間同士で月末の週末を終日楽しめそうです。

 詳細はこちらをご覧下さい。お問い合わせは安倍友の会事務局・下田和美さん(070-6661-7607)にお願いします。

亜Q

(2008.8.21)

大根のなまめかしさ

薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)という変てこな名前は学生時代から知っていた。蒲原有明(かんばら・ありあけ)とともに「泣菫・有明時代」を築き、藤村・晩翠以後の明治後期の詩壇を背負った大詩人らしいが、もちろん、著作を読んだことはない。ところが8月11日付の日経新聞夕刊「プロムナード」欄で文芸評論家の秋山駿氏が紹介してくれた「艸木虫魚(そうもくちゅうぎょ)」の一節にたまげた。

[……それよりも心をひかれるのは、土を離れた大根が、新鮮な白い素肌のままで、畑の畦(あぜ)に投げ出された刹那(せつな)である。身につけたものを悉(ことごと)く脱ぎすてて、狡(ずる)そうな画家の眼の前に立ったモデル女の上気した肌の羞恥を、そのまま大根のむっちりした肉つきに感じるのはこの時で、あの多肉根が持つなだらかな線といたいたしいまでの肌の白さと、抽(ひ)き立てのみずみずしさとは、観る人にこうした気持ちを抱かせずにはおかない。](原文のまま)

大根が、こんなになまめかしいものとは、知らなかった。そんな感覚が生じるのも、母親が生まれたばかりの赤ん坊を可愛がるように、言葉を可愛がっているからだ。まるで言葉で大根を愛撫するような、そんな妙味が生じる——と秋山氏は解説している。

妄想遣いの私がこんな文章に触れると、たちまち囲碁の厳粛な“握り”の場面にワープする。

好敵手同士が碁盤を挟んで静かにあいさつする。おもむろに碁笥を引き寄せ蓋を取り、一方が白石を握って盤上に置き、そのまま手で石を覆い隠す。他方が黒石をつまみ丁半の意思を表すと、石を隠した手をそっと離す。その刹那こそ、大根が畑の畦に投げ出された瞬間である。白石は人目に晒される羞恥を隠し切れぬまま、盤上に露(あら)わになる。

問題は白石を握る「手」だ。むくつけき野郎の毛深い手ではせっかくの名文の興趣が殺がれる。せいぜい小柄・細身の本因坊秀哉あたりがぎりぎりの許容範囲。いっそたおやかな女性の手が望ましい。

幸い、千寿会には千寿先生をはじめ、女性の打ち手は少なくない。ぜひとも彼女たちに握っていただき、その手が白石からそっと離れる時、そこが見もの。それを密かに楽しんで誰に咎められるものか。

ところで、千寿会最長老の「ちかちゃん(=濱野彰親画伯)」は、かつての文壇名人2期の強豪と言うより、美人画で鳴らした挿画の名匠として名高い(ご参考までにこちらこちらをご覧ください)。身につけたものを悉く脱ぎすてた美しいモデル女性を眼の前にして、狡そうに舌なめずりされていたのだろうか。

亜Q

(2008.8.14)

「ゴールデンレディース」のご案内

ゴールデンレディース

例年より半年遅れになりましたが、今年もゴールデンレディースの公開早碁対局が行われます。今回の対局は加藤朋子五段対万波佳奈四段です。解説を千寿先生がなされます。

観戦および指導碁は下記のサイトから申し込みができますので、興味のある方は是非お申し込みください。

日時 : 2008年8月23日(土)
開場 : 12:30
対局 : 13:00
会場 : エース交易本社(JR渋谷駅新南口徒歩2分)
申込み: エース交易株式会社

かささぎ

(2008.8.5)

「夢だけは負けず」〜小松九段の長男が銀座バー三代目店主を襲名

小松春樹氏(左)と千寿先生、背後霊は著者

 不惑を過ぎて今やベテラン実力者の仲間入りされた小松英樹九段と姉さん女房の小松英子三段のおしどり棋士のご長男が、東京・日比谷界隈でオトナ向けのバーを展開する「日比谷バー」の銀座店主「三代目 小松春樹」を7月1日に襲名された。折から、太宰治や坂口安吾らの文豪に愛された老舗バー「銀座・ルパン」の名物マスター、高崎武氏が18日に82歳の天寿を全うされた。春樹さんは高崎氏と入れ替わるように、本場・銀座でカクテル道を究めていかれるに違いない。

 所は、阪急とソニーのある銀座4丁目交差点から電通通りを南下して旧電通と交詢社通りに差し掛かる少し手前、瀟洒な銀座美術館ビルの5階(東京都中央区銀座6−5−3、Tel03-3573-7170)。26日の千寿会が退けた後、千壽先生に案内されて会友ら10名近くが二次会に繰り出した。

 カウンターの奥の棚にはワイン、スコッチ、バーボン、ジン、コニャックからウオッカ、ラム、テキーラまでざっと100本を数えるほどの酒壜がずらり。会友各人が思いつくままに注文するカクテルや水割りを粋な手つきでさっと目の前に出してくれる。さすがは、有楽町の日比谷バー本店で3年間修行されたお手並み。実はこの本店にはこの2月の山下王座の就位式の後、大橋拓文四段と緑星学園を主宰される菊池康郎氏のパートナ
ーを務める結城師匠を千壽会有志とお連れした。その時、春樹さんのカクテルを既に頂戴していたのかもしれない。

 春樹さんは顔を見ればすぐにわかる父親似の22歳。英樹・英子のご両親はどう育てられたのだろう。バーでうかがった春樹さんのお話から垣間見ることができるような気がする。

 「小さい頃から碁を教えられました。でも中学生になる頃、『お前は好きな道に進んだらいい』と父親に言われました。碁盤を前にして苦痛を感じていた自分を理解してもらえてほっとした記憶があります。その時父は、『何をやるにせよ、やるからには徹底的に打ち込め。中途半端はいけない』と付け加えました。私は自分の夢を探し、後に一流のバーテンダーになることを目標に定め、母もそれを応援してくれました」——。

 棋士としてのDNAは4人の弟妹たちに譲り、カクテル道へ挑戦する土台はその頃芽生えたらしい。 春樹さんが店内に置く挨拶状には、「夢だけは負けず」と題されたこんな文章がしたためられている。私も好きな“デクノボー” 宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」をアレンジされたらしい。

 雨にもめげず、風邪にもめげず
 二日酔にも、早起きにもめげず
 東に爽快ミントがあらば、さっとミントジュレップでもてなし
 西に美味しいワインがあらば、友との語らいにコルクを抜き
 南に陽気なテキーラがあらば、今夜の〆にそっと出し
 日照りの日には、ひんやりカクテル
 身も凍える夜には、ほっとカクテル
 閉店後に独りで泣き、営業中に皆で笑い
 聖地銀座にて「夢」だけは負けず
 二代目の意志を受け継ぎ、精進を怠らず
 お客様が笑顔でお帰りになる
 そんなBARを私は目指したい

 春樹さんの店はカウンター8席、テーブル4席でいっぱいになるこじんまりとしたつくり。カウンターもテーブルもピカピカに磨き上げられている。営業日は日曜・祭日を除く毎日18時から26時まで。バーは常連さんでもつから、疲れたからと言っておいそれと休むわけにはいかない。軌道に乗るまでは独りでがんばり通さなければならない。夜の酔客相手の仕事は楽しいことより辛いことが多いだろう。カクテル道を究め、日本一のバーテンダーを目指す夢こそが春樹さんを支えるエネルギーになるのだろう。

 店には余計な音楽もないし、もちろん碁盤も置いてない。まさに正統派銀座BAR。ちなみに、初代店主は「岡部」、二代目は「高梨」という名前だったらしい。偶然にもせよ、日本棋院とのつながりが感じられる。オトナ向けの落ち着きと碁盤外のくつろぎを求める時、棋士の皆さんやアマ愛好者の方々は「三代目 小松春樹」を応援してあげて欲しい。

亜Q

(2008.7.29)

勝ち将棋、鬼の如し

 「勝ち将棋、鬼の如し」とよく言われるが、碁も全く同じ。第63期本因坊タイトル戦七番勝負が証明してくれた。高尾秀紳本因坊が連勝した3局目までは羽根直樹挑戦者に格違いの強さを見せ、4局目からは逆に挑戦者の充実ばかりが目立った。何をきっかけに、両者の立場が入れ替わってしまったのだろう。勝負事とは本当に摩訶不思議なものだ。

 実はこれまで、羽根元棋聖の強さがどこにあるのかわからなかった。それが第4局を境に身体のどこかに隠されていた猛獣の血がほとばしり始めたらしく、手どころで果敢に相手の咽喉笛に食らいつく姿はまさに鬼気迫る感じ。「へぇ〜、羽根さんの碁はこうだったのか」と驚き続けるばかりだった。

 そう言えば最近は、布石からいくつかの定石が完成され、穏やかに中盤戦に入っていく碁をあまり見なくなった。韓国や中国の影響、そしてコミ6目半への移行なども絡んで碁が変わってきたのかなと思う。馬齢を重ねた私のような緩い棋風のザル碁アマにとっては厳しい時代になった。

 そんな折、ジャズピアニストの山下洋輔さんが7月24日付日経夕刊コラムで「私の出会ったジャズの巨人」第4回目に、詩人であると同時に、孤高とも言われるフリージャズを築き上げたセシル・テーラー(ジャズミュージシャンは彼を「CT」と呼んだらしい)を取り上げ、2台のピアノを使った彼とのリハーサル競演をこんな風に記していた。

 彼はアルファベットで書かれた独特の楽譜を使っている。(山下が)競演者として「自分もそれを勉強しようか」と問いかけると、「必要ない。お前は自分の音楽をやれ」と言う。何の制約もない。と同時に、出し合う音を間違えれば命がないとも思えた。刀を交えるとはこういうことなのか。何度も全力で打ち込んだが、柔らかく跳ね返される。あるいは思わぬところから鋭い一撃が飛んでくる——。

 山下さんは愛棋家としても知られる(CTとの絡みを本サイト雑記帳「そうだ、マイルスを聴こう」に紹介しています。ご参考までに)。そのせいか、文章の端々に碁を連想させる記述が顔を出すようだ。

 本因坊戦七番勝負はジャズの巨匠同士の競演のような真剣つばぜり合いを堪能させてくれた。両者の戦いはこれからも続き、進化していくだろう。新本因坊は父親泰正九段・元王座の「正」の字と自分の名前から「直」の字を組み合わせて「本因坊正直」と号したらいかがと、中部総本部の先輩山城宏九段が提案したらしい。号を持てばひと回り人間が大きくなる。新本因坊に一層の飛躍を期待したい。一方、十段1冠となった高尾前本因坊もこの七番勝負で何かをつかんだはず。捲土重来を期して已まない。

亜Q

(2008.8.27)

“普通の持ち時間”とは?

 日本棋院が経営するインターネット対局場「幽玄の間」では“持ち時間普通の碁”という表現が頻繁に使われている。最近になってわかってきたのだが、どうやらこれは「持ち時間20分+考慮時間30秒×3回」を意味するらしい。でもこれは世間一般のアマ棋客の“常識”なのだろうか。

 変人の端くれを自認する私には、実はどうにも違和感が拭い切れない。だって、あちこちの囲碁大会などを覗くとたいがいは「持ち時間40分・切れ負け」で運営されているではないか。運営者から見ればほぼ1時間半あれば1局が済むと計算が立つし、打つ側にすれば初めから時間設定が明確だから余計なことを考えずに対局に専念できる。

 ところが考慮時間を設けると理屈の上では時間が無限大に増える可能性がある。NHK杯でも「この対局は持ち時間を大幅に超えたので以下手順のみご覧ください」などと、時々中島プロが挨拶しているではないか。もう一つ、棋力よりも盤外策戦の関わる比率も高くなるのではないか。碁の本質を乱すような変なルールを、いつどこで誰が勝手に決めたのかーーともっともらしい理屈をこねて愚痴るのが私の定石なのだが、本当のところ、このやり方では勝率がやたら下がるのがくやしいのだ。

 梶原オワ先生が言うように、碁は布石から中盤への入り口にかけてこそが勝負師、あるいは求道者の醍醐味であって、攻め合いや死活は本来誰でもできるはずの“計算屋”の仕事、さらに寄せともなると単なる“事務屋の手続き”に過ぎないとなると、勢い50手ほどまでの間に持ち時間の大半を費やすことになる。

 ところが普通のザル碁アマは(他の方はいざ知らず少なくとも私は)定石うろ覚えだし、出来上がった形がすぐに頭の中に描けるわけではない。強い人ならひと目でわかるような方向選択の際にもいちいち頭の中で石を置いて並べてみなければ比較検討できない。もちろんたくさんの定石を知っているわけではないのだが、この作業がなかなか楽しいから、いつの間にか陶酔の境地に入り込んで時間が矢のように過ぎていってしまう。

 それ以上に重大な問題は、「ここは手がない」または「手があっても相手の得にはならない」と直感したところに相手が自信たっぷりに手をつけてきた場合だ。こんなところで碁を負けにしたくはないから慌てて読み直すのだが、「持ち時間20分」などと決められていると残り時間が切迫していることもあってまず間違える。これまでの経験では、直感は60%程度当たっているのだが、同時に対応を誤る確率も60%ぐらいなのがとても無念。梶原オワ先生を信奉する私にとって、「20分+30秒×3回」などと言うルールは碁の醍醐味を殺す以外の何物でもない。

 とは言え、碁はネットと最も相性がいいとされるゲーム。いつまでもグチグチ言っていても始まらない。インターネットで碁を楽しむなら、このルールに慣れなければ。しばらくは勝率や昇・降段は考えず打ってみるしかない。

 それにしても、「持ち時間普通の碁」という呼称は少々不遜ではないか。考慮時間の有無に応じて3、4種の標準パターンを設け、それぞれA方式とかB方式などと名付ければそれでいいのではないかと、未練たらしく愚考してしまう。

亜Q

(2008.7.21)

謫仙楼対局 なんで本気に!!

黒 小東邪 三子
白 謫仙

 小東邪は前に五子局を紹介したが、すでに五子は卒業している。今回三子局での初めての対局となった。
 三子局では空きスミからとなる。白は小目に打った。黒は一間ガカリ。それをケイマにはさむ。
 黒のワリコミに白は下から受けた。この受け方は白不利として、現在の定石書にはないらしい。わたしの好みだ。ここは白A黒▲となるのが普通の定石。
 小東邪は知らない旧定石の白▲を見て、迷い出したようだ。しばらく考えて黒Aとついだ。しかし、ここはAを打たずに黒Bが定石。わたしは白Bとのびる。この形は黒ハマリに近いと言う人もいる。
 こう打ってしまったら、後は右図のようになるのが普通。次善の手であろうか。
 白6までで後手になる。黒も折を見てシチョウを抜くことになる。

 小東邪は中で生きようとした。
 しかし、このスミの黒に活きはない。黒1白2を交換しては、上の図のシチョウ取りの手をなくしてしまう。わたしが白6を打つと小東邪はジロリと睨んだ。
「なんで本気になるの!!」

 このスミは死活の基本形である。あまりに基本過ぎて、上級者でも忘れてしまい間違うことがあるのだ。
 小東邪も覚えているはずなので、冷静ならスミに活きはないと判ったはず。それなのに、最初の白の下受けで迷いが生じついでしまい、白がノビて「しまった」と思ったのだろう。それが尾を引いてスミを読み誤ったようだ。

 左下A これは黒先でも活きがない。おそらく最初に覚える死活であろう。これを確認しておけば、この形になるまでを読んで、この先の読みを省略できる。
 右下B これは白先でも死なない。つまり黒は活きているので手を抜いてよい。
 AとBの中間の形、左上Cと右上Dは、白先ならハネてAの形になる。つまり黒死だ。逆に黒先なら活きる。

 続いて、小東邪と小東邪の同級生阿九との対局である。
黒 阿九  6目半コミだし
白 小東邪

 黒1に7の右に白2とハネて、死の形の基本形だ。続いて左側へ。

 右の図の白5黒6白7と活きる。小東邪はこのように、この形のスミの死活は判っているのだ。この碁は中央の黒の大きさが勝負になる。最終的にはコミがかりとなった。

謫仙(たくせん)

(2008.7.10)

老人と女の子

 前に金庸はかなり碁が強いという話を書いた。
 金庸小説は全部翻訳されていて、わたしは全て読んだが、同じような武侠小説でも他の作家はそれほど読まない。
 金庸小説の特徴は、碁の話が出てくることと、老人と女の子が元気なことであろうか。更に歴史性を持っていて、ラブストーリー。
 前にも紹介した、天龍八部・書剣恩仇録・碧血剣・倚天屠龍記と、けっこう碁に重要な意味を持たせている。
 なお、碧血剣は現在テレビ放送中(チャンネルNEKO、毎週2話ずつ、計30話)だが、わたしはテレビを持っていないので見ることができない。DVDをパソコンで見ている。千寿会では風弟もテレビを持っていないと言っていた。風弟は買わないのだがわたしは買えない。

 老人の話をしよう。
 天龍八部では、六十歳を過ぎた趙銭孫(ちょうせんそん)と譚公(たんこう)とその妻譚婆(たんば)の若いときの三角関係が継続している。本来、趙銭孫と譚婆が恋仲で、ちょっとした諍いから譚婆は譚公に嫁いでしまう。それが六十歳を過ぎても、譚婆がちょっと趙銭孫を見たといっては夫婦げんか。趙銭孫も今でも口説こうとする。枯れていません。死ぬ時まで恋の鞘当て。
 また、96歳の天山童姥(てんざんどうぼ)と88歳の李秋水という超超熟年女性が、93歳の無崖子(むがいし)を巡って、若いときから命を張って戦っている。当の無崖子は別な女に恋していて、一時大理に住んだという過去があるが、二人はそれを知らない。
 さらに上がいる。神鵰侠侶(中国では、鵰の字は使えないので雕の字で代用して神雕侠侶としている)の周伯通はあるとき過ちを犯し(どんな?)、相手の瑛姑(えいこ)はそれ以来、皇妃の地位を捨て、たったひとりで荒野に住み、周伯通を恋い慕い会いたがっていて、61年後に念願が叶う。この時、周伯通はおよそ105歳。瑛姑は不明だが85歳くらいか。

 女の子では、黄蓉が家出をして、江湖をさすらうのは15歳か16歳。家出をしたときにはすでに学問に通じている。高次方程式をすらすら解き、古今の書の大事な部分は暗記していてよどみなく、物理や薬学にも優れ、もちろん武芸は一流。兵法も知っていてチンギスカンのサマルカンドの戦いでは、影ながら参謀役となる。特に料理の腕は絶品で、これで食いしん坊の洪七公を籠絡するという小悪魔的な少女。続編の物語で大人になってからは女諸葛といわれる。
 黄蓉の娘郭襄は武芸はそれほどでもないが、15歳にして、片腕の英雄に恋をし、結果的に宋を救うことになる。その姉の郭芙は16歳のとき英雄の腕を切り落とした。
 聖姑も16歳くらいで日月神教の重鎮で凄腕。小龍女は永遠の18歳。碧血剣の夏青青は18歳、阿九は14歳。それでもうなみの兵などぶっ飛ばしてしまう。
 こうして主人公なみに活躍するヒロインは、13歳〜18歳くらいがほとんど。

 たとえば古龍(台湾の作家)ならば登場する女は熟女ばかり。ある人が金庸はロリコンで古龍はキャバクラ嬢が好み、といっていたがそのうナンです。

 あるとき千寿先生は、現在の日本の囲碁人口は老人と子どもで壮年世代がいない、と言っていた。壮年時代の人がほとんどいないのは、仕事に忙しいばかりではないだろう。若いときに碁を学ぶ機会がなかった、あるいは機会を作らなかった。他に面白いことがあったのだろう。千寿会員も例外ではない。
 老人はほとんど男だが、子どもは女の子も多い。若いプロ棋士には女性が多くいる。将棋界では女性は女流◯段といい、正式の段ではないとされているが、碁界は男女平等。それだけに男に負けない力が必要になる。
 金庸さんが絶筆して四十年ちかく経つが、その小説の老人と女の子が元気なところ、今日の日本の囲碁事情になんとなく似ている。

謫仙(たくせん)

(2008.6.30)

倚天屠龍記の碁

 神雕侠侶(神雕剣侠)の続編に倚天屠龍記がある。
 続編といっても、神雕侠侶の三年後に、冒頭で郭襄が江湖をさすらい少林寺に行き、少年張三豊と出会う。そしてふたりで少林寺を出る。そして一気に年月を飛ばし、太極拳の始祖張三豊の九十歳の誕生日を巡る話になる。張三豊は伝説上の人物で、実在は疑わしい。太極拳はかなり後にできたので、始祖説はもちろん怪しい。

 郭襄が少林寺に行ったとき、崑崙三聖なる人物が少林寺に来るというので少林寺は大騒ぎになる。郭襄がその勝負を見ようともくろみ、小室山(少林寺がある)のまわりをロバに乗ってうろついているとき、山の中で琴の音が聞こえた。その琴の音に小鳥が集まってくる。
 琴を弾じていた男は、琴をやめると、地面に十九路の碁盤を書き、ひとりで碁を打ち出した。この男が崑崙三聖だったのだ。

 碁盤ができあがると、やはり剣先で左上の隅と右下に丸を描き、ついで右上と右下の隅に×印を描いた。すでに碁盤を描いた以上、こんどは布石にかかったらしい。◯は白、×は黒のつもりであろう。続いて左上の隅から三つ目のところに◯を置き、ぞこから二つ下がったところに×を一つ。十九手まで行くと剣を地について首を垂れ、しばし黙考の体である。石を取るか隅を争うか、迷っていると見えた。
(あたしと同じように寂しいのね、誰もいない山で琴を弾き、鳥を友としている。碁を打つ相手もなく、ひとりで打っているんだわ)
 しばらく考えた後、白はそのまま左上の陣地で黒とはげしく戦いはじめた。戦局はめまぐるしく変わり、北から南へと移って、中原の地を争っている。郭襄もしだいに引き込まれ、少しずつ近づいていった。見れば白が最初に一手後れたたためか、始終風下に立たされ、九十三手に至って翅鳥(しちょう)に巻き込まれてしまった。自は依然として劣勢にあるのを、何とか支えようとしている。岡目八目というとおり、腕前の平凡な郭襄にも、白が柏手に取られないようにしている限り、中原の全滅が免れがたいのは判った。思わず声に出して、
「中原を捨てて、西の陣地を取れば?」
 男はハッとして、盤の西側に大きな空きが残っているのを見た。石を取られる隙に二つばかり布石を置いて、肝心のところを占めてしまえば、中原を捨ててもなお引き分けに持ち込む手が残る。しめたとばかり天を仰いで笑うと、
「いいぞ、いいぞ!」
 言いながら数手打って、やっと人がいるのに気づいたと見える。

「ついで右上と右下の隅に×印を描いた。」の右下は、左下の間違いか。
「翅鳥」は初めて見た。普通はカタカナで「シチョウ」と書き、元は「四丁」と説明することが多い。古くは「征」である。
 それにしても、ひとりで碁を打ち、真剣に悩むなどということができるとは。精神構造はどうなっているのだろう(^。^))。それだけでもかなりのレベルであることが判る。それに助言できる郭襄もなかなかのもの。
 これを映画化するとどうなるだろう。

 一応判るところはここまでだが、現代の布石感覚からすれば、黒2の手はないだろう。
 また中国ではタスキに石を置いてから打ち始めた。故に「右下の黒」は左下の間違いではないかと思うのである。西というのはどちらだろうか。左側から打ち始めたので右側のことかな。となると上が南、下が北。天子は南面する。南向きなので、地図も上が南でおかしくない。

謫仙(たくせん)

(2008.6.23)

碁界にも裁判員制度ができたら

千寿会は年間20回。傘寿を超えた最長老のチカちゃん(元文壇名人2期の濱野彰親画伯)から高校生のたっちゃんまで、30人余りの老若男女会友が常時顔を見せている。この中でもし互選で人気投票すれば、ナンバー1になるのはきっとIさんだろう(ご自身の1票を除いて満票に近いかもしれない)。何しろ人柄がすばらしい。どんな局面でも疲れたり怒ったりした顔を見せたことはないし、酒席ではご自身が飲む間も惜しんで飲兵衛仲間に酒をつくってくれるし、会員同士の対局では群を抜く白星供給王の座を守り続けておられるし——。

このIさんは2月29日生まれとあって年齢はまだローティーンだが、親子二代の弁護士さんとして活躍されている。先日、東京愛知県人会の会報5月号にご自身が連載されている「法律教室」の記事を見せていただいた。タイトルは『裁判員制度の評議について』。来年5月から実施される裁判員制度は、死刑または無期懲役などの重大犯罪を対象に、原則として裁判官3名、裁判員6名、計9名の合議で有罪か無罪か、有罪の場合はその
量刑(正確には「刑の量定」と言うらしい)について評議して決める。では具体的に、次のように意見が分かれた場合、判決はどうなるでしょうか、とIさんは「法律教室」で問いかける。

恥ずかしながら私はちんぷんかんぷんだったが、本サイトをご訪問いただく変人諸賢兄はいかがだろう。判決が「無罪」になるケースはどれとどれか、ちょっと試みていただけませんか。

1.「有罪」が裁判官3名、「無罪」が裁判員6名
2.「有罪」が裁判官3名と裁判員1名、「無罪」が裁判員5名
3.「有罪」が裁判官2名と裁判員2名、「無罪」が裁判官1名と裁判員4名
4.「有罪」が裁判官1名と裁判員3名、「無罪」が裁判官2名と裁判員3名
5.「有罪」が裁判員5名、「無罪」が裁判官3名と裁判員1名
6.「有罪」が裁判員6名、「無罪」が裁判官3名

ここでしばらく〜♪間奏曲♪〜

さて、答えは——何と、どれも「無罪」。評議が分かれた場合は、「裁判官及び裁判員の双方を含む合議体の員数の過半数の意見による」(法律の文章そのまま)、つまり「有罪」とするためには①裁判官と裁判員の双方を含み、かつ②過半数、すなわち5人以上を占めることが必要なのだそうだ。

さらに刑の量定について意見が分かれた場合、「裁判官及び裁判員の双方の意見を含む合議体の員数の過半数になるまで、被告人に最も不利な意見の数を順次、利益な意見の数に加え、その中で最も利益な意見による」(これも法文のまま。「利益な」と言う表現には初めてお目にかかりました)とのこと。Iさんはここまで提示して「皆さん、おわかりになるでしょうか」と記事を結んでおられる。

もちろん、私はおわかりになりません。法律家なぞにならなくてホンマによかった(もっとも、なれるわけないか)とつくづく思い知らされただけ。Iさんは、「裁判員制度」という法律の趣旨はともかく、現在の状況で来年5月に施行すれば大混乱は避けられない、拙速に陥らずに十分な準備期間を持って慎重に始めるべきだと言われるが、もともと法家思想よりも道家思想を尊びたい私には新制度に対してよりアレルギーが強い。

再びしばらく〜♪間奏曲♪〜

それはともかく、この「裁判員制度」を碁界が導入したらどうなるだろう。真っ先に思いつくのは、プロアマ混成の連碁対局。「裁判員制度」は一般の市民から無差別に抽選で選ぶ仕組みだが、碁界の場合は碁を知っていなければ話にならない。だからアマ構成メンバーは、碁を少々かじっている程度の初級者からトップアマクラスまでやたら広範囲にわたる。これでは碁にならない、ジャンケンみたいなものだと私は思う。仮にアマ
側を有段者に限定しても飲み会の座興程度。碁本来の「手談」とか「勝負」とはほど遠い意味で、前者と五十歩百歩だろう。

少しでも意味がありそうな導入例を考えるなら、碁界の賞罰に関する判断に役立つかもしれない。ただしこの場合の裁判員には、棋力はともかく、「碁をかじっている」程度ではダメで「碁が好きであること」、「碁界の情報に関心を持ち、新聞、雑誌、ネットなどを通じてある程度情報を入手している」ことが前提になるだろう。

例えば、プロアマを問わず碁界への貢献者を表彰する場合、プロ棋士・棋院スタッフ(OBや院生を含めてもいいかもしれない)、新聞・雑誌の記者・編集者ら(ここまでを「専門家またはサプライヤー」とする)に加えて、ファンではあるが局外者に過ぎない一般の囲碁ファン(「受益者またはコンシューマー」とする)が参加する意義は説明するまでもなく大きい。物品やサービスを評価する際には、開発・製造して提供する側と、
それを購入して使いこなすユーザー側の両方の視点が欠かせないはずだから。日本棋院地階の『囲碁殿堂』入りする人物には大差はないかもしれないが、貢献者の方はかなり意表をついた選別があり得るのではないか。

それと、私は結構こだわっているのだが、1年間に打たれた碁の中から最も魅力を感じた棋譜の審査(ご参考までに、碁界に「棋譜大賞」をとの私論にお目を通してみてください)。二人の対局者(プロ棋士だけでなくトップアマも加えてもいいかもしれない)が心血を注いだ“名局”をプロ棋士3人、アマ6人が合議して決めるのだ。この場合、評価基準がばらばらになっては意味がないから、例えば「新手」とか「創造性」を尺度にする『秀行賞』、「対局者同士の“丁々発止”」を賞味する『薫和・昭宇賞』、布石を堪能させられる『呉・木谷賞』、骨太の構想力を評価する『道策賞』、ここ一発の妙手に感銘する『坂田賞』といった具合に、適切な部門賞を設けたい。

もちろん審査の過程ではプロの説明にアマが引きずられがちになるが、それはそれでいい。プロ棋士3人の間でも結構評価が食い違うだろうし、アマ6人はさらに判断が分かれるだろう。それを十分な審議を経て合議する過程と、それを新聞などを通じてわかりやすく開示することがとても大切だと思う。

こんな具合に私特有のノーテンキな妄想を広げていくと、ただでさえ冗長な文章がどんどん長くなってしまう。一つだけ問題点に触れてそろそろお開きにしよう。

改めて裁判員制度の特質をなぞれば、その是非はさて措いて、「裁判官=高度な専門的知識と理性的、合理的判断力が認められた資格者(碁界で言えばプロ棋士や棋院スタッフ、記者など)」に、まるでそれらとはご縁のないような一般の市民(碁界ならもちろんアマチュア棋客)が裁判員として加わることにある。だから裁判員に期待されるのは専門家と同等な理性的判断ではなく、被害者・加害者(碁界ならば賞罰対象者)への社
会感情に基づいた情状意見を表明することだろう。

しかし例えば、人を何人か殺したような加害者の状況を調べた末に、「責任能力がないから無罪」と言われて納得できるだろうか。「被害者への同情」やら「加害者への憎しみ」やら、人類が歴史を積み重ねてきた「因果応報意識」やら「加害者の更生の可能性」やら、それやこれやをごっちゃ混ぜにして、裁判員の中で声の大きな意見に付和雷同したり、逆にむやみに反発したり……。いわんや、「あなた方裁判員には理性より感情
の発露こそが望まれているのです」などと言われれば、めちゃくちゃになりそうな気がする。

碁界への裁判員制度の導入は重大犯罪を巡る審議とは違うが、それでも何かと生臭い問題がありそう。こんな文章を書き出しておいて我ながら情けないが、結論は「やはりまだ機は熟さない」のではないか。

亜Q

(2008.6.17)

已むに已まれぬ大和魂 〜蛇足

 先日、本ページでお目を汚したばかりの「已むに已まれぬ大和魂」の中で引用させていただいた紺野大介教授の原文に、こんなくだりがありました。

 “『武士道』は、クエーカー教徒の米国人妻メリー・エルキントンに、妻女としての立ち居振る舞いを含めた日本人の価値観や倫理観などを知ってもらうために(新渡戸稲造が)なした著作”。

 私(亜Q)は、この部分は本ページに無関係だと思って省いたのですが、実はとても重要なのではないかと思い直しました。そこで、不体裁ではありますが、少し蛇足を付け加えさせていただきます。

 例えば大勢の人の前で演説するときには、誰か一人を“仮想聴き手”に特定し、その一人に向かって話しかけるようにすると話が伝わりやすいと言われます。新渡戸は『武士道』を英文で著す際に、読み手の代表として身近な妻女に白羽の矢を当てただけなのでしょうか。

 しかし『武士道』という哲学・倫理学・民俗学、高度な国際感覚や美意識、さらに英語と国語力を持たないでは著せないような大作を完成させるには、いかに該博な知識と論理構成力の持ち主でも、膨大な労力とそれを成し遂げる強い意思や使命感のようなものを持ち続けることが必要です。妻女があくまでも読み手の代表として仮託しただけの存在だとすると、新渡戸は崇高過ぎる人物ではないかと思いませんか。しかも当時は、最近の『品格本』などと違ってベストセラーになって大儲けすることもあり得ないから、モチベーションを持続させるのは大変ではないかと、心卑しき私(亜Q)は思ってしまいます。

 つまり新渡戸は、西洋の知識層に日本の価値観を大上段に振りかぶって説こうとしたと言うより、愛する妻女に「日本人とは素晴らしい民族なのだ」「何を隠そう、君の目の前の私こそがその代表的な存在なのだ」と、メス孔雀の前で羽を広げるオス孔雀のように求愛行動を取ったのではないでしょうか。こんな風に考えると新渡戸の壮挙はかなり割引されますが、逆に人間的にはとても親しみやすくなる。大好きな彼女に「ボクちゃんを尊敬し、愛して欲しい!」という強い願望が『武士道』の著作と言うとてつもない偉業を成し遂げさせたのですから。

 碁界にも新渡戸と似たような人物を見かけます。その最好例が高尾秀紳本因坊。慶応大学囲碁部OGの奈都子さん(千寿会にも良く顔を出された “なっちゃん”)を愛妻に迎えてから急激に戦績が上がり、第46期十段位を3連勝で奪い、第63期本因坊防衛にも3連勝でリーチをかけるなど大車輪の活躍。山下敬吾棋聖・王座、ウックン名人・碁聖らも同じ仲間と言えるでしょう。

 とすれば、本ページでおなじみの千寿会講師のT貴公子や、「どうすればごっつ良く(碁強く)なれるのか」と日頃お悩みの関西棋院の好漢、N九段らが一段と飛躍するためには、全く新たな観点から戦略を立て直すことも必要かもしれません。

亜Q

(2008.6.14)

已むに已まれぬ大和魂

 国際交流活動でヨーロッパを飛び回っている千寿師匠が久しぶりに帰国された折、「囲碁と日本語は相性がとてもいい」としみじみと口にされることがある。

 確かに碁は原理そのものはまことにシンプルだけれど、いざ打ち始めると私レベルのザル碁アマでもいかに深く広いことかと圧倒されてしまう。他の競技と違って、コンピューターが人間に勝てる日が来るかどうかさえ怪しい。だから必要な専門用語が多いのは当然だけれど、競技をするうえで必ずしも知っていなければならないわけではなくても、碁の機微に深く入っていくには覚えたほうがいい表現がたくさんある。

 例えば自分の石が二つ接する状態に打つ場合、「ナラビ」「ノビ」「オシ」「ヒキ」「サガリ」「タチ」「鉄柱」などという風に使い分けることが多い。これらは単に上下左右の違いだけでなく、石の方向や打ち手の意思などを反映したもので、日本ではこれらの囲碁表現を曲がりなりにも使えるようになれば「初段」などと言われることもある。このほかにも、「アツイ/ウスイ」「カライ/アマイ」「イイカゲン」「ウテル」「アジガイイ/ワルイ」「スマシスギ」など「こんなの訳せるか〜!」と放り出したくなるような言葉がやたらと多い。一体全体、非日本語圏の人たちはすんなり使いこなせるようになるのだろうか。

 「シチョウ」は「ラダー(はしご)」、「サルスベリ」は「モンキージャンプ」などと千寿先生から聞いた記憶があるが、ここに例示したのは元々知っていたことで、新しく聞いたことはきれいに忘れてしまった(不肖の弟子にお憐れみを)。それにしても、「ナラビ」など一連の表現はどう伝えるのか。あるいは微妙なニュアンスは犠牲にして「隣に打つ」などと単純に割り切るのかもしれない。

 そんなわだかまりが解けないまま、最近の雑誌におもしろい記事を見つけた。『選択』という月刊誌の6月号、紺野大介・清華大学教授による「あるコスモポリタンの憂国」と題するコラム。「已むに已まれぬ大和魂」の英訳について書いている。

 この言葉は、幕末期の志士たちに深い影響を与えた思想家・吉田松陰の遺書『留魂録』に出てくる(エラソーに書いてまことに恥ずかしい限りですが、私=亜Qは『留魂録』など知らなかった。すべて紺野教授の受け売りなりぃ)。ペリーの黒船が到来した時に国外脱出を図り、国禁を犯したカドでつかまり、下田から江戸へ護送される途上、高輪泉岳寺の前で赤穂浪士に捧げるとして、次の歌を詠んだ。

 かくすれば/かくなることと知りながら/已むに已まれぬ大和魂

 これを最初に英訳したのが新渡戸稲造の『武士道(Bushido,the Soul of Japan)』。キリスト、孔子、孟子、ヘーゲル、ニーチェからマルクスといった人物が外輪山のように引用され、吟味され、いわゆる“ノーブレス・オブリージュ(高い身分に伴う義務)”について余すことなく遡及している、と紺野教授は最高の賛辞を贈っている。

 『武士道』はこの歌を、「近代日本の最も輝かしい先駆者である吉田松陰が刑死前夜にしたためた」としている。しかし紺野教授によるとこれは新渡戸の誤解で、「留魂録」の巻頭歌「身はたとひ/武蔵の野辺に朽ちぬとも/留め置かまし大和魂」が辞世の歌だと修正するが、「この程度のことは作品の真髄や価値とは無関係」として、新渡戸が1899年に試みた英訳を示している。

 “Full well I knew this course must end in death;
 It was Yamato spirit urged me on
 To dare whatever betide”

 しかし紺野教授は、1世紀後の今日明らかにされている史実や資料に照らせばこの歌の意味は少し違ってくると言う。つまり、松陰は下田渡海失敗で自分が死罪になるとは予想しておらず、「島流し」程度だろうと読んでいた。つまり、“肉体的・物理的な死”ではなく、 “社会的・世俗的な死”を覚悟していたはずだと説き、次のように改訂版を試みる。

 “Even knowing that the end could come.
 It could not be held back; the Yamato spirit”

 そして紺野教授は、「かくすれば」とは一体「どのように」なのか。個人主義(主語が必要)の言葉である英語と、主語がなくても表現が可能で多種多彩な意味を包含する日本語にはエトス(ギリシア語のethos。社会的習俗、民族精神、あるいは性格と訳すらしい)の差があるため、この英訳が最善かどうかわからないと指摘し、「表現」における西洋と東洋の心の在り方、つまり「持つ人生」と「在る人生」の深い渓谷まで入り込むことで、最適な翻訳が極まるだろうと補足している。

 ザル碁遣いの凡夫(つまり私のことなり)にとっては、高度な言語文化論はいくら背伸びしても届かない。恐れ多いことではあるが、せめて碁敵との切羽詰った局面で「皇国の興廃この一戦にあり」とか何とか叫んで突撃する際に「紺野訳」を使わせていただきたい。

 “Nothing could stop me!
 Even knowing that the end could come,
 It could not be held back;the Yamato spirit!!”

——てな具合に。

亜Q

(2008.6.10)

ブルーレディーに紅いバラ

 ハンス・ピーチが初代講師になってスタートした級位者向け囲碁教室で始めて碁を覚え、わずか数年間で箱根ふれあい囲碁大会準優勝に輝くほどの“立派な二段”にまで駆け上がった千寿会友のM女(ご参考までにこちらを覗いてみてください)に元気がない。可愛がっている猫ちゃんが風邪でも引いたのかと私は軽く考えていたのだが、事態はもっと深刻だった。飛ぶ鳥を落とす勢いを見せていたM女の囲碁人生が、今重大な危機を迎えているらしい。ウワテにはなかなか勝てず、シタテにはコロコロやられ、一度完全に追い抜いたはずのAさんにも手ひどくいぢめられているというのだ。

 Aさんは40年勤め上げられた大学を定年退職され、今では愛妻と海外ドライブを楽しんだり、後輩とテニスに興じたり、羨むべき花の人生を送っておられる元原子力工学教授。碁はあまたの楽しみの中の一つに過ぎないはずだし、失礼ながらめきめき強くなる年頃でもない。それがなぜか最近急に力強くなり、それまでお得意さんにしていた千寿会最高の人格者、Iさんに代わってM女をターゲットに絞り込んだ様子。あるいはM女とい
う若き女性に巡り会って、それまで心中深く秘めてこられた本来の自我(私はこれを“S意識”とにらんでいる)がほとばしり出たのかもしれない。Aさんは千寿会随一の明るいキャラクターで、碁に勝つたびにウヒャウヒャ大喜びしても誰にも憎まれない得な性格の持ち主。しかしそのAさんでさえ、あまりに痛々しいM女の前では最近ウヒャウヒャをこらえ、「こうすればボクの方が悪かったんじゃない?」などと慰め顔をしているのだ。それが繊細なM女をさらに傷つけていることをご存知なのだろうか。

 悩んでいる若き女性に放置プレイするオトコは、ごく一握りの変人を除いて千寿会にはいない。我こそ優れたヒーリング・セラピストといった面持ちで競うように言葉優しく温かくM女にスランプの理由を問い尋ね、ようやく判明した事実が衝撃的だった。どうやら元凶は、4年ほど前に本サイトの管理人、かささぎさんから譲り受けた「一冊の棋書」だった。4年前と言えば、かささぎさんがM女をパートナーにしてペア碁大会に挑戦し始めた頃だろうか。棋聖は惜しくも逃されたが名人、本因坊など数多のタイトルを獲得した今は亡きK大棋士が著した「序盤の打ち方」。定石とプロの実戦から出題された問題を解きながら、碁の考え方をマスターさせる趣向らしい。

 ところがこれが極めつけの難物。千寿会友の面々がこぞって間違えるのは仕方がないが、プロの先生に聞いても首を傾げることが少なくない。M女は当初ちんぷんかんぷんだったため本書を封印し、有段者として自他共に認められるようになった4年後に改めて2度精読した。ところが読めば読むほど疑問が膨らみ、今では頭の中が混乱の極みにあるらしい。何ごとにもまじめに誠実に取り組むM女はきっと子供の頃から学業優秀だっ
たはず。それが「読み始めた頃から次第に勝てなくなり、今では誰と打っても勝てる気がしない」と嘆くのだ。

 この本を借りて読んだ「こもりん」(M女とほぼ同時に碁を学び、やはり強くなった若き千寿会友♂)がさっそく助け舟を出した。「ボクもこの本を読んでから負け越している。この本は憎い碁敵へのプレゼントに最適ではないでしょうか」。海千山千のたくせんさんは著者のK大棋士の顔も立てながら、「これはきっと、学んだことと、その結果を勝利に結び付けるリンクが切れている。切れたリンクがつながって真理を会得すれば(M女は)恐ろしい存在になる。今はジャンプする前のかがみこんだ状態」と励ます。それを聞いていたyosihisaさんは、金田一名探偵の向こうを張る轟警部みたいなメイ推理を披露。「かささぎさんはこうなることを知ってこの本をM女に託した。“師匠の痛み”を知ってもらいたかった」と。つまり獅子が我が子を千尋の谷底に突き落として強くたくましく育てようとしたのではないかと深読みされるのだ。

 数々の修羅場をくぐり抜けてきた私には、親切そうなオトコ衆の表情にどこか面白がっている雰囲気が嗅ぎ取れるのだが、素直に他人の善意を信ずるM女はそれなりに気が晴れたらしい。ちょっぴり微笑みをたたえ、「この本をA先生にも貸してあげようかな」と健気なユーモアで結んだから、この愁嘆場は心温まる笑いの内に幕を閉じるはずだった。ところが、遅れて登場したかささぎさんがすべてをぶち壊した。

 事の次第を聞いたかささぎさんは、私が口を押さえるいとまもなく、「それって、まさに“利根川の杭”じゃ〜ん!」と言い放った。しかも「トネガワノクイって何?」と問いかけるM女に、かささぎさんは追い討ちをかけるように「そのココロは、“打てば打つほど沈む”ってことなんや、あはっ!!」と得々と解説してしまった。私はその時はっきりと認識した。柳のようなM女の眉はかすかにひそみ、牡丹の花のような唇はわななき、少女のようなつぶらな瞳を乾燥から保護する液体が両目から滲み出るのを。その時以来、M女の世界はブルー一色に染まってしまったらしい。“言霊(ことだま)”を信ずる私には、特に最後の「あはっ」が余計だったと思うのだが、もはや「覆水盆に帰らず」。

 私は生来寡黙な人間だし、“利根川の杭”などとひねり出すかささぎさんのような詩才も持ち合わせていない。その私にできることは、言葉を贈るよりバラを捧げること。100万本のバラは無理だから、たった一輪。M女の誕生日はバラが美しく咲き誇る季節。今のM女は真理の森をさすらう“ランブリング・ローズ”。そのM女の心を癒すには、百万言よりも一輪のバラの花しかない。

 バラと言えば、“酒とバラの日々”という素晴らしい歌と映画が大好きだった。“バラの刺青”というオトナ向けの映画とペリー・コモが歌った甘い主題歌も思い出す。ショーン・コネリーが主演した“薔薇の名前”というすごい映画もあった。千寿会に何度か顔を出された慶応大学囲碁部OBのqin太師は年甲斐もなく“情熱のバラ”という歌をごひいきにされていた。日本でも、若くハンサムボーイだった頃の加山雄三(恋は紅いバ
ラ)、尾崎紀世彦(五月のバラ)、布施明(君は薔薇より美しい)らが歌っている。稿の終わりに加山雄三の詞を借りよう。

 I love you/Yes I do/囲碁とは/女の/胸に息づく/紅いバラの花

 M女にバラ色の囲碁人生が開かれんことを——。

亜Q

(2008.6.5)

日本に根付く世界の人材

 先月の千寿会に久しぶりにバリー君(右)が顔を出した。20世紀末に故国ルーマニアから来日して同僚のドラゴーシュ君らと院生修行したがプロ入りはかなわず、21世紀に入って大阪外国語大学で1年間日本語を習得後、通信工学では日本(あるいは世界)で最高の実績を誇る東北大学で学んで卒業後の今は日本でケータイ関連の技術開発に従事している(このあたりの経緯と写真は本サイトの「棋士の卵たち」をご覧ください)。

 早速お手合わせを願うと、私と実にいい勝負。時間の関係でヨセに入った終盤で打ち掛けになったが、千寿会講師の健二さんの形勢判断では「すごく細かい」。ほんの5、6年程前には石を置いてもまるで勝てる気がしなかった(バリー君のよきライバルだったベンヤミン君に挑戦した「真似碁考」でこのあたりの雰囲気に触れているので、よろしければご覧ください)から、私はずいぶん強くなったのだろうか。ところが後で聞くと、バリー君はこの数年間学業と仕事一筋でほとんど石を握っていなかったらしい。碁の感覚が戻らないまま、私の前に打ったかささぎさんにも負けたという。自分が強くなったのではなく相手が弱くなったのでは、ちょっとがっくりだ。

 しかしよく考えてみると、これは素晴らしいことではないか。日本とは何の縁もゆかりもない欧州の青年が現地で普及活動を続けるチーママに出会って日本で棋士修行を始め、プロへの道を断念した後も日本の最高学府を卒業して定職を得る。少子高齢化が進む日本、そして経済大国ではない彼の故国との共存共栄、さらにグローバル化が進む人類全体にとっても望ましい未来を示す好例かもしれない。バリー君は今27歳、独身。日本語ペラペラのなかなかの男前。できれば日本で嫁さんをもらって末永く活躍してほしい。

 絶妙なタイミングで、『ダイヤモンド』誌最新号が「ガイジン様大争奪戦」という特集を組んでいた。これからの日本は外国から人材を招き、地球的レベルで国際貢献していくことが成長・発展の鍵を握る。そして今、いわゆる単純労働の担い手としてのみではなく、「高度人材」をいかに確保するかが勝負になってきたという趣旨で、日本の「ガイジン市場」を次のようにまとめている。

 まず、日本を訪れる外国人旅行者は2007年現在835万人(うち観光客は595万人)。訪日目的は①ショッピング②伝統文化・歴史的施設③温泉・リラックスの順で、直接の消費額は1.7兆円、経済効果は生産波及効果が4.1兆円、付加価値効果が2.1兆円、雇用効果は32.5万人に上る。政府は今後、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」を展開して2010年の外国人旅行者を1000万人に増やす計画。達成すれば直接消費額2.5兆円、生産波及効果を含む経済効果は5.8兆円に達するという。

 一方、外国人留学生は2007年5月時点で11.8万人。中国人が60%、韓国人が15%と圧倒的にアジア出身者が多く、学生数はここ数年頭打ち傾向にある。受け入れ留学生数は早稲田や立命館のように2桁の伸びを見せるところもあるが、全体の受け入れ率は3.3%に過ぎず、英国24.9%、フランス11.9%、米国5.5%に比べて著しく低い。このため政府は「留学生30万人計画」を打ち出し、経済財政諮問会議で具体策を練っているという。

 外国人労働者は10年で倍増し、2007年度には75.5万人になった。活動分野を見ると、専門的・技術分野が18万人、身分に基づく在留(日系人などの定住者、永住者、日本人の配偶者など)が37万人、資格外活動(留学生のアルバイトなど)が11万人、特定活動(技能実習、ワーキングホリデーなど)が9.5万人。特に注目されるのは、技術・技能、人文知識・国際業務、研究・教育、医療・法律・会計などの在留資格を持つ「高度人材」。国内で就職した外国人留学生がその代表例だが、2006年度時点では全卒業者3万2099人中、9411人で3割に満たない。国内労働市場での高度人材に占める外国人比率を先進国間で比べると、米国6.0%、フランス4.8%、英国4.5%、ドイツ4.0%に比べ、日本はわずか0.7%に過ぎない。このため諮問会議では、2015年に現在の倍に当たる30万人にしようと提案しているという。

 関連して、5月26日付日本経済新聞『インタビュー/領空侵犯』コラムに「海外に移民学校をつくれ」というR.フェルドマン氏(野村総合研究所、日本銀行を経て、現在モルガン・スタンレー証券経済調査部長、「日本の衰弱」「日本の再起」などの著書がある)の主張が掲載されていた。日本が出資して、日本に必要な人材を海外で教育してもらう仕組みで、「70〜80年代に日本企業が大勢の社員を海外のビジネススクールに送り
込み、日本に必要なスキルを学ばせた発想と同じ」と説いて以下のように論を展開する。

 「日本経済の最大の問題は生産性の低さであり、移民は解決策ではなく脇役でしかない。しかし少子高齢化で、農業や介護など労働集約的な分野では海外の労働力が不可欠。私が生まれ育った米国では、移民が国の活力源になっている。米大統領候補のオバマさんの父親はケニヤ人だし、野球のメジャーリーグも移民の力が大いに貢献している。日本のプロ野球にも王貞治さんというお手本がある。外国人にも日本人として活躍してもらえばいい」。

 「重要なのは官庁間の協力と政治のリーダーシップ。役人は『しない』理由を見つけるのが得意だから、政治が『やれ』と指示する。その政治に圧力をかけるのが国民。移民学校の実現には国民的な議論を盛り上げる必要がある」——。

 フェルドマン氏が着目するのは『ダイヤモンド』誌と違って労働集約的な分野が中心のようだが、移民学校のカリキュラムには実用的な技術・技能、知識だけでなく、日本語はもちろん、日本を理解するための文化、教養に関する内容が当然必要になるだろう。是非とも「碁」を入れてほしい。碁はすぐれて“日本的なもの”だけれど、ほかの日本的なものに比べて珍しく“普遍性”がずば抜けて高い。文学・詩歌はもちろん、音楽や美術などの芸術分野、相撲や柔道のようなスポーツ分野を理解し、高めていくには日本に固有の教養・基礎知識、価値観・感性を必要とするけれど、碁はごく単純で美しい公理から出発する数学みたいなもので、日本を知らないどこの誰であっても有無を言わせず理解(ひれ伏せ)し得るものだから。

 これまでにも何度も書いてきたが、碁を海外に広めた結果として、日本の棋士が海外勢に打ち負かされたり、日本の市場をガラガラに荒らされたりすることを怖れるといった“小局”に目を向けるのは情けない。10数世紀にわたって碁を育て、発展させてきた日本に誇りをもって世界に普及させることが、社会とか文化の領域だけでなくこれからの日本経済を支えていく面からも“大局”だと思う。外国人が日本に帰化したり、定住したりすることはそれほど重要ではない。故国や別の第三国に住んで日本での経験を活かしてもらえれば十分。グローバルな時代なのだから。

 考えてみれば、5、6世紀の頃の帰化人や仏教伝来者、16世紀ごろからの宣教師や医師、技術者たち、さらに小泉八雲やドナルド・キーンらの文学者・研究者らにはどれだけ敬意を払っても払い過ぎることはない。世界の中でも日本語は特に難しいと私は思っているから、日本語(それも難しい漢字や古文、方言なども!)をこなせるだけでもすごいのだが、言葉によるコミュニケーションを通じて極東の小国・日本に溶け込み、民衆に大きな影響を与えた仕事と人生を思うとため息が出てくる。人間とは本当に素晴らしい。もちろん、野口英世のように日本から海外に出て活躍された日本人もいる。日本にも海外にも素晴らしい人がたくさんいるのだ。

 それにつけても、チーママが育て日本のプロ棋士として花を咲かせたハンス・ピーチの不慮の死はかえすがえすも残念だ。碁にも関心があったらしいチェスの世界チャンピオン、ボビー・フィッシャーも日本での活躍の道を閉ざされてアイスランドで亡くなったという。幸い、チェコのオンドラ君や、ハンガリーのディエナさん(このページ下の方にある「国際棋戦に〜」をご覧ください)は日本での勉強を活かして故国やロシアで活躍されているという。バリー君も含めて、ハンスやボビーの無念を少しでも晴らすべく、それぞれの道と場で力を尽くしてほしい。

亜Q

(2008.6.1)

お金持ちになる性格

 勤務先の窓際で睡眠薬代わりに斜め読みするだけの経済誌に、私の「碁品」を示唆する記事を見つけた。『週刊ダイヤモンド』(5月31日号)の連載コラム「マネー経済の歩き方」が主題に取り上げた“お金持ちになる性格”がそれ。著者の山崎元(はじめ)氏は大手商社、金融、生保など12社をトラバーユした経歴が売りの評論家。私のような経済オンチにもわかった気にさせてくれる書き上手だ。

 コラムは、『お金持ちになりたいなら性格を変えなさい』(荒木創造著、ダイヤモンド社)という一風変わったノウハウ本をひも解きながら進行する。山崎氏は「本屋で見つけた」と書いているが、品性卑しき(碁品は別!)私には本誌の発行元である出版社側から持ち掛けた“やらせ”ではないかと思えるのだが、次のくだりが面白いので「まぁいいか」という気になる。

 山崎氏によると、お金持ちになるには性格や習慣が重要だと説く類書は多いが、この本はお金持ちを全く美化していない点が特徴だと言う。お金持ちに共通する性格をありのままに伝えながら、「あなたの中にもともと潜んでいる性格を活性化するだけでいい」と金持ちになる方法を具体的に説くふりをして、「世の中のお金持ちが人間としていかに感じが悪いかを書いた確信犯的な皮肉の書ではないかという推測を捨て切れない」と山崎氏は喝破する。だから、「本当にお金持ちになりたい人にはもちろん、お金持ちが大嫌いな人にも“役に立つ”不思議な実用書」という紹介にとても共感させられる。

 山崎氏は本書の論旨を二つにまとめる。まずは、「お金持ちになるためには、何にも勝る強い“目的”としておカネを追求しなければならない」。おカネというものは、自分が好きなことをがんばって成功させれば、自然についてくるような生易しいものではない。倫理や体面のうえで“汚い”仕事や単純で興味が湧きにくい仕事でも、“儲かる”という一点に喜びを見出して熱中できる人が経済的には成功する。熱意こそが営業マンの成否を分ける最大の要素だが、強い金銭欲がこれに直結する。「お互いの利益」という建前を口にしながら、実際には自分の利益のみを最大限に追求する冷徹さも必要だと言うのだ。

 もう一つは、「お金持ちになるには恰好をつけてはダメ」という視点。いい人だと思われたいとか、名誉欲とか別の欲望が金銭欲を上回るようなことではお金持ちへの道は遠い。「おカネがあること、それ自体が恰好いいことだ」と思い込めるような“純粋さ”が必要なのだそうだ。消費については単純なケチではダメで、ある種の分不相応な消費、例えばクルマ、住居、装身具といった成金趣味が金銭欲を肯定し、高めるらしい。

 以上のように総括したうえで、山崎氏はかつてベンチャーキャピタリストから聞いた株式上場に成功する起業家に共通する性格——「わがまま」「純粋」「せっかち」「ケチ」「助平」——を並べ、最後の一つを除いて荒木氏の論旨とほぼ完全に一致すると結論付ける。問題はその5番目の項目だが、周到な山崎氏は所謂“傾城(けいせい)”について触れながらさりげなく補足する。

 男の社長が女性に熱中しても、案外会社は傾かない。しかし、社長が「男」に入れ揚げると会社は危ない。この場合、「男」とは政治家や役者、スポーツ選手のような人々または彼らが活躍する分野を指す。一人の男が女に使う金は多寡が知れているが、タニマチ的な支出はケタが大きくなることが多いし、支出に見栄が絡むので止まり難いと指摘して稿を終えている。

 ここまで読み進めて、私(亜Q)も一つ補足したくなった。ここで言う「男」には、棋士、あるいは日本/関西棋院、さらには碁界そのものも当てはまる可能性があるではないか。貧しいながらも清く正しく健気に碁界を応援する私にすれば、碁へのタニマチは女社長でも男でも大歓迎。航空、鉄道、鉄鋼、自動車・電装品、土木建設、物流、IT——業種は何でも構わないから功成り名を遂げた経営者、さらにどこの国でもいいから大
企業家、アラブの石油王、ファンド出資者ら世界の大富豪は競って碁に入れ揚げてほしい。本業が少々危なくなっても何ほどのことがあろうか!

 さらに蛇足の上塗りになるが、清貧の人生を美しく送っている私は、今さら金持ちになりたい/なれるとは思っていない(“偽善的傾向”が顔を出したかな?)。せめての願いは碁が強くなること。ところが上記の「金持ちになれる性格」を「碁が強くなれる性格」に置き換えてみると、どれ一つとして私に当てはまるものはない。つまり私には持って生まれた固有の「碁品」があり、それから逃れられない。言い換えれば人間的に“感じが善すぎる”ということになる。となればザル碁人生も捨てたものではない。山崎氏のコラムを読み終え、私はこの歳にして自らの存在基盤に巡り会った。

亜Q

(2008.5.27)

予選報告

こんにちわ。
去る5月17日に行われた、国際アマチュア・ペア碁選手権大会の
地方予選・関東甲信越ブロック大会に出場しましたので、結果報告を・・・。

関東甲信越ブロックでは、上位2ペアが世界戦出場。
3位のペアが補欠になります。
とはいえ、ブロック予選なだけあって、元院生、県代表、都代表、タイトルホルダーが
わんさかいらっしゃるわけで・・・我ペアはペア碁の練習♪のつもりで参加。
それでもブロック戦の会場はピリピリした空気で緊張。

さて、1回戦。
囲碁インストラクターと、その教え子のペア。
大石を攻めて、わりと気持ちよく打ち進んでいた気がしますが、
途中、死んでた(はず)の相手の石が復活してしまい、投了。
イロイロ反省点があったものの、これで気が楽になったのも事実。

2回戦。
結果から言うと、終盤で相手がミスをして、
取れないはずの石が取れてしまったことで、勝っちゃいました。
ちょっと申し訳なかったんですが、しょうがない。

お昼休憩を挟んで3回戦。
県代表と元院生のペア。
このペアは、昨年行われた世界戦の準優勝ペアで、
まさかこんな所であたるなんて・・・始まる前から負けた感でいっぱい。
黒番で、5手目に自分の番がまわってきた時には見たこともない布石で、
別世界に一人紛れ込んでる気分。
ホントに難しい碁になってしまいましたが、ペアに良い方に引っ張られてか
まさかの?勝利。大金星でした。ここで帰ってもいいくらい満足してました。

興奮冷めやらぬ4回戦。
大学生ペア。U田川さんの後輩達です。
4局目にして初めて白番。相手は4局とも黒番だったよう。
途中で相手の大石の生き死にがかかった劫が始まり、
目の回る展開で、やっぱり一人ついていけない自分が(笑)。
お互いの残り時間がギリギリでバタバタと終局に向かったわけですが、
盤面2目差、コミがかりで勝ってました。

4局とも難しい局面が多かったものの、ペアが私のレべルを考慮して、
かつ、手順を計算しつくして打ってくださっているので、
私はひたすら楽しく打ってられましたし、実力以上の結果を出せました。
入賞はしませんでしたが、大満足な1日になりました。

さて、ペア碁の本戦と、荒木杯(ハンデ戦)は海の日です。
詳細はこちら↓
http://www.pairgo.or.jp/homej.htm
千寿会の会員の皆さまも、ステキなパートナーを見つけて、是非ハンデ戦にご参加ください。
6/2発行の囲碁新聞などでも、募集要項が発表されるようですよ。

(2008.5.20)

敗れた友の慰め方

 記念すべき第一回寶酒造杯に私と一緒に参加した友が、ご自身の無念を抑えて私を激励する速報を入れてくれました。持つべきものは良き友です。私はとても癒されました。ただ、アタマの良い人は話がどうしても飛躍しがちになります。そのあたりを私なりに補足させていただきながら、当日の経緯をなぞりたくなりました。私の数少ない欠点の一つ、“悪乗り”です。時折こちらを訪れていただく変人諸兄にははなはだご迷惑のことと存じますが、少しだけお付き合い願います。

 事の起こりは、2回戦を終えた昼食休憩。先に対局を終えたらしい友の姿が見あたりません。仕方なく1人で弁当を開くと、肩口で「負けてもうた〜」と友の声。弁当は既に1人で済ませた様子。味は覚えておられたのでしょうか。1回戦は順調に勝てたのに、2回戦の相手が早打ちと変則的な布石で友を惑わしたようです。私は幸い連勝スタートを切ったのですが、自分のことより何よりも上気した表情が残ったままの友の午後の戦いが懸念されました。「1グループ32人だから、残りを勝てば2位の可能性がある」とか、「ま、今回は運を貯めておいて、次回に幸運を集中させる手も捨てがたい」などと私は言ったようですが、いつもはりりしい友の目はうつろなまま。「こんな時、どう慰めたらいいのだろう」と心の中で私は思いましたが、それは口に出しませんでした。

 そして昼食後に迎えた3回戦、最後に残った半コウを争い、相手のコウ立てに対して「隣りのカス石」を抜いてしまった私の投了となったのは友の報告の通りです。残り時間が5分以上あったこと、コウ材は自分が多いと確信していたことなどがすべて裏目に出ました。それにしても相手は終盤に感想を話しかけ、「投げてくれるのかな?」と思わせて着手してきたり、私の放心の一手が飛び出した後の石の取り上げ方がやたら速かったり、なかなかの手練れ上手でした。

 友と私はその後2敗目を喫して5回戦を辞退。応援に駆けつけてくれた千寿会の碁友らを含めて落盤対局を1局終えて早々に残念会に繰り出しました。その席上で、私を負かした3回戦の相手は2回戦で友を破った同一人物だったこと、いずれも二連星から一方の星脇に寄せて三連星まがいに締まり、広い方から小ゲイマガカリした相手の石にすぐにカケる独特の布石で挑んできたことを知りました。年配のフツーのおじさんに見えましたが、序盤と最終盤で友と私を惑わせた魔法使いでした。

 「敗れた友の慰め方」をこのページに書き込もうと思ったと私が打ち明けたのもこの場でした。ストーリーをどう展開してどのように結論付けようかと考えたのは事実です。友はこれを聞くと、「おためごかしは要らん。お前は弱いと言ってくれたらいいんや」とすねておられましたが、そんなこと私にはよう言えません。友の好敵手たる自らを傷つけることになるから。もう一つ、二人の碁友には話しませんでしたが、ついでに優勝したときの台詞案もあれこれ思い浮かべたことも告白しなければなりません。滑り出しが少しうまくいくと、つい“その気”になってしまう。これは数少ない私の欠点の一つなのです。

 しかし結局はすべてがむなしいことになりました。この投稿の締めくくりには少々気恥ずかしいのですが、「友の喜びに我は舞い、友の悲しみに我は泣く」私の崇高な精神に触れざるを得ません。友が敗れた同じ相手に、私も同様に討ち死にしてみせるーーこれが何よりも敗れた友への慰めになるはずですから。ただし私には、数少ない欠点がもう一つありました。それは、人様より“偽善的傾向”が少々強いことでした。

亜Q氏

(2008.5.13)

敗者へのいたわり

2連勝で迎えた3局目の終盤。私は自分の対局が早く終わったので、亜Q氏の対局を後ろで見守っていました。亜Q氏の白番。白が盤面で10目以上のリード。あとは半劫を残すのみ。勝負がかかっていなければ、黒はとっくに投げていただろう局面。協和発酵杯を引き継いで、今回が第1回の宝酒造杯。二人とも、時間切れが迫っているような打ち方。あとから見てみれば、亜Q氏はまだ5分以上持ち時間を残していた。半劫なんか譲っても圧倒的に白の勝ち。それを、最後まで半劫を争う。この気持ちは責められない。私もよく分かる。何度かの劫立てのあと、黒の劫立てに白が受けた次の瞬間、黒の取られていた2グループのに大石が生き返った。ここで、潔く、亜Q氏の投了。その後、お互いに半分気の抜けた対局を相手には失礼ながら、1局打って、わざわざ応援に来てくださったyoshihisa氏と反省会。亜Q氏の言い訳が奮っていた。私を気づかってなのか、また、私を出汁にしようとしていたのか、「敗者への言葉」を題材にどのようなタイトルで文章を書けばよいかを考えていたそうである。きっと、前者なのでしょう。亜Q氏の優しい心遣いに乾杯。

かささぎ

(2008.5.11)

石の鼓動

江崎誠致   双葉社   昭和48年

 不世出の天才棋士、坂田栄男の一代記である。いわゆるモデル小説である。
 著者は坂田栄男を史上最強の棋士と認識しており、まだ現役で活動しているうちに、この小説を書いている。
 坂田の囲碁にかける情熱と、囲碁以外のことに対する世間知らずともいえそうなことなどを、冷徹な筆で描写する。
 この中で紹介された図(右)を示す。
 坂田対高川の実戦に現れた図である。スミの白はどうなりますか。
「どうなりますか」とは、二人は白1・黒2を交換したあと、ここを放置して別なところを打ち始めたからだ。
1、白先でも白死。 2、白先劫。 3、白先生き。
4、黒先白死。 5、黒先劫。 6、黒先でも白生き。
 実戦では白が手を戻した。控え室にいたプロ棋士がだれも気が付かない手だったという。おそらく相手の高川も気づいていなかったらしい。

 さて小説は、
 同時代の高川との十年間預けられた決戦。七冠王を達成し、敵のいなくなってしまった最強の時。続いて後輩林海峯に覇者の座を奪われるまでの死闘。
 そのほか、「坂田の外のぞき」をはじめとする数々の妙手鬼手。
 さらに青年時代の戦争。
 非力の坂田を徴兵し、重機関銃部隊に配置する戦局。銃を持ち上げる力もないのに、どうやって操作せよというのか。
 戦死するよりも、古参兵に虐められて死ぬ方が多くなったとき、もはや軍の末期状態である。そんなときでも、あまりの非力にビンタを受けたこともない。これで生きて終戦を迎えたのは幸運としかいいようがない。
 プロ棋士以外の、コンケイさんこと近藤啓太郎や川端康成あるいは著者などの文壇とのつきあいもある。
 著者は坂田を、昭和囲碁山脈の一角に一天高く突きあげた鋭峰であり、活動する火山である、と評している。
 話は「名人」のように、連作短編の形をしている。
 名人になったとき。本因坊に挑戦するまで。子どもの時。ここからは時系列に進行する。クライマックスを最初に書く小説の技法である。
 院生時代。新布石の時代から徴兵をえて戦後になる。31歳にして、初めて本因坊に挑戦する。呉清源との六番碁と十番碁。高川との本因坊戦で本因坊奪取。藤沢秀行から名人を奪い、時代の覇者となる。だが、次の覇者たる林海峯が足元に迫っていた。そして23歳の林海峯に名人を奪われる。それから数年にわたり二人の死闘が続き、時代の覇者の座を奪われるまで。
 カミソリ坂田・シノギの坂田・自在の坂田などと言われた。こういわれるのは超一流棋士の冠ではないか。
 初めの問題図の進行を示す。白先で劫だった。それでも、勝負は高川本因坊の勝ちであった。

 この図は、一手ヨセ劫であり、控え室の予想図である。

 最盛期には年間三十勝二敗。本因坊本戦十七連勝。棋戦の在り方が違うため、直接の比較はできないが、この成績は、江戸時代の両棋聖や昭和の棋聖とも言うべき呉清源と比較しても遜色がない。そしてここに紹介したような名手鬼手が色を添えている。

 この本は昭和48年(1973)4月25日発行である。買った日付は二日前の23日になっている。いまネットで検索してみると1979年の本が多い。そちらは改訂版か再版か。

謫仙(たくせん)

(2008.5.8)

信ずる弱者は救われる?

 強い相手と打つ時、昔の私は45分程度の対局時間ではいつもアップアップしていた(関連する話はこちらをご覧ください)が、最近は35〜40分もあれば何とか打てるようになった。理由はひとえに“学習能力”。ン十年間にわたる人生の中から成功と失敗の体験をかき集め、それらの傾向と対策をひねり出し、再び同じようなシーンに遭遇しても慌てず騒がず賢く明るく処理する。これぞ、私が生来育んできた最大の長所と自覚したからだ。もし私が犬になって、条件反射の研究で知られるパブロフ博士に出会ったなら、他のどの犬よりも真っ先によだれを垂らして天才犬ともてはやされるに違いない。

 この学習能力を支えるのは、性善説に立脚して相手をとことん信頼する私固有の美学。もっとも勤務先では、「お前は人を信頼し過ぎて甘い!」と上司から叱られ、「それって結局責任回避なんだよね」と部下からは皮肉られたりしたのだが、そんなことはさて措いて——。事を進める際、相手や仲間をアタマから信頼すれば必ず円滑に行く。信頼すなわち省エネルギー。コストパフォーマンスと言い換えてもいいだろう。結果の良し悪しさえ気にしなければ(この達観が大切!)、これで万事つつがなく進行するし、労力も省けると言うものだ。

 碁でもこの流儀を通している。将棋の渡辺竜王は相手が考えている時、①100%の集中力で3通り程度の変化を考える②集中力を落として3通りの変化を考える③1つに絞って考える④どれを指されるかわからないから何も考えない——のうち②を選ぶことが多いと言うが、私はほとんどの場合④。脳を極力休ませ、相手が打った手だけに直感的に反応できる状態にしてなるべく時間をかけないようにするのだ。

 正確に言うと相手次第で少しずつ違えるのがきめ細かい私流。まず3子以上置かせるシタテ相手なら、どんな手を打つか見当もつかないから当然④。私と同等または1子か2子置かせる程度のライバルには2通りある。波長が合ってかなり相手の打つ手が予測できるなら②、まるで棋風が違うか、相手の意中をいくのを嫌って互いに反発ばかりし合う相手なら碁の流れを読んで勝負を争うより、クイズもどきに相手の着手をどれだけ当てられるか、その日の自分の直感の鋭さを占うことに関心がいく。「限りなく④に近い②」と言えるかもしれない。

 しかしウワテが考えた場合は別。特にプロ棋士の指導を受けている場合、プロの着手はほとんどノータイムに近い。たまに考えてくれる時は「ここは考えどころ」とシタテの私に教えてくれるわけだから、考えなければ失礼になる。渡辺竜王が言う①だ。と言っても、プロは大石の死活が絡むような絶対的な手どころは読み切っていて改めて考えることはあまりない。ほとんどは部分的に一段落して次の展開をにらんでおられるようだ。だから私も、それまで打ってきた部分は一応片付いたと見なす。つまり“急場”はなく、“大場”はどこかが焦点になっていると考えるわけだ。少々危なっかしい形でも、ウワテが手を抜いたなら、もうそこには手がない、あるいはしつこく手出しをしてもかえって損になると決め込む。間違っても石を取りに行くような剣呑なことはしない。つまり“全面信頼”の精神だ。

 かくして私の対局時間は着実に短縮していったのだが、問題が一つ残った。初対面のアマチュア相手とどう打てばいいか。特に困るのは、序盤、中盤、終盤で打ち方が違ってくるタイプ。序盤に相手が私でもわかる範囲のヘボ手を打ってくれば「これはいただき」と舌なめずりして楽観気分に浸ってしまうし、いかにも手練れ風にうまそうな手を打たれると「これは強い」と萎縮する。序盤の打ち方で相手の棋力や棋風を信頼し、それを基に私なりに綿密に策戦を立てて打ち進めていくと中盤から終盤にかけて必ず裏切られ、「こんなはずではなかった」と臍をかむ結果になるのだ。

 我が好敵手のかささぎさんは、この点で私とは正反対。もう数年前になるだろうか。二人揃って初めて参加した囲碁大会で、かささぎさんはたまたま私と同じ相手ばかり8人と組み合わされ(かささぎさんと私は知人同士ということで組み合わされなかった)、私が負けた相手をすべて破って見事優勝を勝ち取った。何しろ初手合いや初物に強いのだ。強そうな相手とぶつかってくよくよいじいじ悩んでいる私を尻目に、かささぎさんはあくまで無頓着、雲の上でも歩いていきそうな勢いを見せた。この頃から、私はかささぎさんを教祖とするノーテンキ教に帰依する心を深めていったようだ。

 昔、“カンピューター”と異名をとったナガシマという大打者がいた。鉄腕イナオ投手は精妙・緻密な配球を組み立ててフルスイングを防ぎ、ぼやきのノムラ監督は得意の“囁き策戦”で迷わそうとしたが、いずれも常人では考えられないような打撃で手痛い一打を浴びた。かささぎさんはそんなナガシマ選手に似たところがある。そう言えばこの5月、新たなアマチュア囲碁大会が開かれるらしいが、かささぎさんは必ずや初物を獲ってこられることだろう(私はさびしく祝勝会事務局を務めることにしよう)。

 いつしか私は好人物をさらけ出して自分を脇役に貶めていたが、それでは私が汗水かいて積み上げてきた学習能力と相手を信頼する美学はどうなるのか。思わず私は、「神に問ふ、信頼は罪なりや」と叫び出したくなる。しかし文豪ダザイ風に言葉を飾っても今日ではいかにもダサい。むしろピッタリ来るのはこちら。「私はすっかり翻弄されて、かわいそうなほど苦労させられているんです。何を信頼すればいいのか、是非教えてほしい」——。

亜Q

(2008.5.1)

池上線〜初代四天王へのエール

 古い電車のドアのそば/二人は黙って立っていた/話す言葉をさがしながら/すきま風に震えて——。4月19日付朝日新聞別刷り『うたの旅人』ページに70年代のヒットソング『池上線』が取り上げられていた。ユーミンの『中央フリーウエイ』が出た76年にシングル盤が発売され、70年代のフォーク名曲集などには必ず選ばれる定番。現在まで息長く80万枚を売り、何人もの歌い手がカバーした。作詞は、当時情報デザイン関係のベンチャー企業を経営していた佐藤順英さん(55)。「あの歌を世に出したくて作詞家になった」という話を紹介しながら、池上線の古びた車内で気まずく沈黙する1番、駅を降りて家まで送られる途中、恋人に思わず抱きしめられる2番の詞をたどりながら、別れの具体的な情景と「駅に残した切ない記憶」が物悲しげなメロディーに乗って伝えてくれる洒落たコラムだった。

 この曲にはささやかな思い出がある。当時20代から30代に向けて疾走(迷走?)していた私は、仕事が済んでもまっすぐ家路につくことはなく、いつも仲間たちと飲み歩いたり麻雀したり遊び呆けていた。教祖は植草甚一さん。早大建築科を中退し東宝に入社後、映画、ミステリ、ジャズ、ファッション、古書などを語り、新雑誌『宝島』の生みの親。「遊ばざる者働くべからず」などと若者に説いたカッコイイおやじだった。私はこの手の御仁にすぐかぶれるタイプなのだ。はしご酒の終着駅は渋谷・並木橋の「さくら」というナイトクラブ。そこに『池上線』を作曲し、自ら歌った西島三重子さん(とても清楚で可愛らしかった!)がキャンペーンに来ていた。もちろん私はドーナツ盤を買い求め、握手とサインをもらった。この頃は国鉄のストがたびたびあり、私は会社が用意してくれたホテルには泊まらず池上線沿線の友人宅にこれ幸いと居候したりもしていた。

 千寿会講師の小林健二さんにはもっと生々しい記憶があるようだ。75年に入段する際に最後に立ちはだかったのが池上線沿線に住む院生仲間、新海洋子現五段(女流最強位2期の実力者)。この勝負を制してめでたくプロ入りを果たした健二さんはその後、別の友人と沿線のアパートで暮らした経験もあるらしい。東急池上線は東京23区の南部、五反田—蒲田間10.9kmの住宅街を緑色の古びた3両編成がワンマンカーで走る。15の駅間は短い。そのどこかの駅の近く、踏切を渡ったあたり、貨物列車が通るたびに揺れる小さなアパート。阿久悠が上村一夫と組んで創作した『同棲時代』が漫画や映画になって大ヒットしたこの頃、もしかすると健二さんは、裸電球がまぶしく、西陽だけが当たる狭い積み木の部屋を舞台に、時代の先頭を切って若者文化を謳歌されていたのかもしれない(関連する話題をこちらでご覧ください)。

 神田川、赤ちょうちん、私鉄沿線、積み木の部屋、翳りゆく部屋、愛しのエリー、岬めぐり、イチゴ白書をもう一度——。あの頃の若者(私もその一人)は一様に貧しく、自分が存在する意味を探しあぐね、長髪にひげを伸ばし、擦り切れたGパンで街々を歩く姿をよく見かけた。そんなイメージが最もピッタリ来る棋士を挙げるなら迷いなくこの人、片岡聡九段だ。舞台の名優・宇野重吉の血を受けた俳優、若い頃にはバンドを率いて『ルビーの指環』でレコード大賞もかっさらった寺尾聡にどこか面影が似て、ご本人も玄人はだしのドラムを演奏してジャズピアニストの山下洋輔さんとも競演したこともある(関連の話題はこちら。歳若くして天元位や新人王を獲得、コンピューター2世と称えられ、その後もチクン大棋士に本因坊七番勝負を挑むなどの活躍、最近また棋聖リーグに復活を決めるなど、相変らずの実力者振りを見せてくれる。

 この片岡九段とともに「初代四天王」と呼ばれたのが、千寿会名誉講師の覚さん、魔法使いと言われた王立誠九段(共に元棋聖位)、そして中京のダイヤモンド・山城宏九段。坂田・秀行時代から五強(大竹・林・加藤・石田・武宮)時代を経てチクン・小林光一の二強時代の後を襲うと期待された。覚さんはひと頃の絶不調を克服し、勝負強さが戻ったようだ。名人戦リーグでは依田、坂井といった実力者をきわどく制して挑戦者争いに前進し、王座戦最終予選では盟友・立誠に大逆転した。成長株の黄イソ七段との対局でも終盤の読み切りで大石を捕獲。棋聖リーグも河野臨天元との枠抜け戦に復活を賭けている。王立誠九段もこのたび娘さんがめでたくプロ入りを果たしたから、父親の面子をかけてがんばるはず。山城九段は惜しいところで棋聖リーグ入りを逃したが、まだまだ老け込む歳ではない。

 五番勝負以上の番碁を争う七大タイトルは今、敬吾(棋聖・王座)、ウックン(名人・碁聖)、高尾(本因坊・十段)の新四天王3人と、河野臨(天元)が分かち持っている。四天王の残る一人、羽根前棋聖は早々に本因坊挑戦を決めた。しばらくはこれらの面々と依田・結城・坂井・井山らを加えた世代が碁界を牽引することは確かだが、世は高齢社会。初代四天王も後期高齢者になるまでは先が長い。この際本来の実力を余すことな
く発揮して、「初代」の意地を存分に見せていただきたい。

亜Q

(2008.4.22)

偉くなる男の条件

 最近、銀座にいらっしゃるお客様を拝見していて、成功する男性のタイプが変わってきていると実感します——。と、聞き捨てならぬことをのたまうのは銀座のクラブを経営するますい志保ママ。1992年に明治大学仏文科を卒業、94年に会員制クラブ「ふたご屋」を開店、本業の傍ら執筆にも勤しみ、著書『いい男の条件』(青春出版社)が30万部を超えるベストセラーになっているそうだ。最新の経済誌『プレジデント』(5月5日号)が「銀座ママが見た『偉くなる男』旧型vs新型」と題して志保ママをインタビューしているので、以下つまみ食いさせていただく。
 
 少し前まではいわゆる「俺について来い」タイプと言うか、強力なリーダーシップを発揮する人が出世していたものでした。ところが今は、周囲の共感を得ながら進むタイプのほうが成功を収める傾向にあるようですね。成功する人は、必ずいいブレーンを持っています。人の意見にきちんと耳を傾けられるから、上からは引き上げられ、下からは押し上げてもらえる。いい男は人こそが財産だということをわかっています。義理人情に厚く謙虚で誠実だからこそ、ますますいい人が寄って来るのでしょう。

 誰が何と言おうと自分の道を突き進む人や、目的のためには争いも辞さないタイプが成功すると信じられていたのは組織がピラミッド型だった頃のお話。自分が中心になって人々を回していく現代の「コマ型組織」では、いかに周囲の人を巻き込めるかが勝負なのです。伸びる男はむやみに敵をつくりませんし、敵だった人たちさえ味方に付けてしまうものです。

 ここで引用を中断、「フン、もっともらしいことを抜かしおって」と反発を感じられた向きもあるかもしれないが、実はここからが快いくだり。耳の穴をかっぽじいて、いや目を皿にして読んでいただきたい。(以下、引用に戻る)

 最近どうも、若い頃から囲碁をなさっている方に成功者が多いように思います。囲碁というのは、いかにうまく石をつないで領地を広くするかが勝負でしょう。わずかな石を取った、取られたと言って騒ぐのではなく大局で流れが見えている人が勝つ。仕事人生もこれと同じことが言えるのではないかしら。

 いい意味で妥協することも必要でしょう。ビジネスを成功させるには、時には意見の違う相手にも歩み寄れる部分は歩み寄って着地させなければなりません。乱暴に急降下させるのではなく、いろいろな人の意見を聞き、誰のプライドも傷つけず、フワッと着地、いわばソフトランディングが上手であれば最高でしょうね。(中略)

 囲碁を嗜むような方は、勝つためのルール、定石をたくさんご存知です。だからこそ、ビジネスにおいても一つの勝ちに固執しない。何十年か後に勝つことさえできれば今日明日の勝敗にこだわらないところがあります。(一部略)時に撤退することは、決して敗退ではありません。負けるにしても明日につながる負け方をすればいいんです。

 志保ママはこの後も「偉くなる男」について薀蓄を傾けるが、引用はこのあたりまでにしておこう。ここまで書き進めるうちに、古い流行り唄が耳についてきた。昔の上司が酔うと必ず歌った田端義夫の『大利根月夜』——「愚痴じゃなけれど世が世であれば〜殿の招きの月見酒〜男平手ともてはやされて〜今じゃ今じゃ浮世を三度傘〜」。講談や浪曲でおなじみの『天保水滸伝』に登場する剣客、平手神酒(ひらて・みき)みたいに遠吠えしているザル碁の身には、そろそろ居心地が悪くなってきたようだ。ま、人生いろいろ。

 それにしても、志保ママは実際に碁を嗜まれるのだろうか。ザル碁の私から見れば、志保ママはいかにも碁の機微を熟知しているように見えるが、あるいは碁を打たないのに銀座ママ特有の勘で碁の本質を探り当てているのかもしれない。

 昔の棋士は結構銀座界隈を闊歩していたようだ。元文壇名人2期の千寿会友、ちかちゃんによると、サカタ・シューコーといった昭和の名棋士がその双璧だったらしい。当時は太っ腹のタニマチががたくさんいて、芸を磨くと称してお大臣遊びが幅を利かせていたのだろうか。最近の棋士はどうか。大スポンサーをつかまえている人は結構遊んでいるかもしれないが、若手はあまりご縁がないかもしれない。志保ママは「今はまだ若くてお金がない方でも、たまには自己投資の意味で高級な店に行かれてみてはいかがでしょう」とお誘いをかけていなさるのだが。

 それはそうと、我がごひいき棋士の一人、依田紀基元名人はタイトルから去った今、『大利根月夜』を浪曲調で毎晩うなっておられるのではあるまいか。ひょっとすると、あのチクン大棋士もかな?

亜Q

(2008.4.15)

教科書と小説

棋聖戦最終局24手まで

 古豪チクン大棋士とのフルセットの激闘の末、山下棋聖が3連覇を果たした第32期棋聖戦。3月29日の千寿会では久しぶりにチーママと高梨八段のコンビで最終第7局を大盤解説した。星と小目を組み合わせた並行型布石(ただし、小目の向きが異なる)で始まった決戦は右下の定石が一段落せず、中央から左辺に向かって果てしなくねじり合いが続き、白番山下の中押し勝ちで終わったのはご承知の通り(以下敬称略)。

 事の起こりは、どうやら下辺を3間に挟んだ白22だったようだ。中の白2子から軽く動けば普通らしいが、「自分も苦労するから下辺の黒も汗をかけ」と20代の若者が50代の大先輩を挑発した。案の定、古豪は挑発に乗った。上に向かわず、挟んだ白石を悪手にしようと1間開き(黒23)と根を下ろした。相手がそこまで力を入れるなら中の白は軽く見そうなものを、若者はすぐに動き出した。こうなれば止まらない。車の後押しみたいに互いに左辺へなだれ込み、ともかく寸時も石が離れない。

 その後、左上で大きなコウが発生して黒が白の大石を仕留めるが、白も中央の黒を取って取り残されていた右辺の白石が安定し、上辺と左辺で大きな地を得た。その間、劫材として打った黒十三の3などの疑問手があったようで、白が優勢を確立して押し切ったということらしい。

 この碁を並べてもらって私の印象は「ウヘーッ」の一言。ザル碁の私の感想など1文の値打ちもないが、ミミズのたわごとだと思って聞き流して欲しい。棋風のせいもあるかもしれないが、あまり気持ちが良くない。例えば山下棋聖の義兄である高梨八段は、「黒が頑強に黒23と打ってきたなら、そこで左下にかかり放しになっていた黒5を高くAに1間ぐらいに挟んで様子を見たい」と言っていたが、これなら私の腑にストンと落ちる。

棋聖戦最終局45手まで

ねじり合いの最中に黒が白3子の急所に迫った黒45も温厚でぬるい私から見れば近寄り過ぎで、左上の白にBかCあたりに柔らかくかかり、星の白へ働きかけながら中の白を睨む調子でゆっくり行きたい(この説は両先生に無視されたが)。

 いつしか齢を経た私にはあまり怖いものがない(「ノーテンキ」が行き着く先の「ホーゲンヘキ」の境地)。エラソーに抜かすなら、「大きな対局すなわち名局とは限らない」と言いたい。イソップ童話の「すっぱい葡萄」みたいな捨て台詞を吐けば、私にはまるで参考にならない。要するに私には難