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囲碁棋士というより“仙人”と呼びたい杉内雅男九段が昨年11月26日の第36期名人戦予選C決勝で、碁界バリバリの成長株、白石勇一二段を破った。依田紀基元名人が昨年末にブログデビューして早々に大人気になった「ヨダログ」(『素晴らしい先生』)で知り、日本棋院に確認したところ、出版部の小瀬村さんからご丁寧な回答を頂戴した。ありがとうございました。
何しろ仙人は大正9年生まれの89歳。一方の白石二段は昭和59年生まれだから還暦一回り分を上回る64歳の年齢差。ハンディなしの同じ土俵で戦うのがプロの碁だけれど、世界中どこを探したって60年以上の年齢差を克服して互角に戦える競技なんてありはしまい。以前にも、女流第一人者となった謝イーミン女流名人・本因坊と“年齢差70歳対局”を争い、勝負に負けたが碁には勝ったと言われる名局を残されている。依田九段はこの老いた勝者を、「青春とは人生の一定の期間のことではなく、その人の心の様相を言う」というウルマンの詩『青春』をひもときながら、「どれほどの精進と節制を重ねておられるのか、自分たち後進をとても元気づけてくれる素晴らしい先生」と称える一方で、「もっとも生涯現役を貫く杉内先生にしてみれば、年齢を言われるのは心外と思われるのではないか」と心を配っている。
この歴史的な場に、感動をすぐに表に出さずにはいられない私が居合わせたら、真っ先に敗者の白石二段に駆け寄ってまだ血が上ったままの頬に無理やりブチュッと行く。傷心の白石青年はこの変なおじさんをきっと嫌悪するだろうが、年を経ればこの気持ちをわかってくれるのではないか。事実白石二段は昨年18勝(14敗)を挙げた前途有為な青年。勝った仙人も素晴らしいが、負けた若鯉も素晴らしい。碁は素晴らしい、人間も素晴らしい。
ただし仙人にはこんな行動はさすがに差し控える。勝負師がたまたま勝ったり負けたりは当たり前。何をガタガタ騒ぐのか、「お帰りなさい」と言われそうだから。この「お帰りなさい」は「ただいま/お帰りなさい」とは意味が違い、文字通り「家に帰ってもう来なくていい」との宣告。木谷道場の師範代だったころ、遅刻したり勉強態度が悪かったりする後輩にとって、杉内九段の「お帰りなさい」との静かな一言は、梶原オワ先生あたりから「コラッ」と大声で叱られるよりずっと怖かったらしい。
そして私が通信社の記者なら、このニュースを意気揚々と全世界に発信する。私は子供のころから、自分に不都合なことは棒のような大事でも針のように小さく話す天才だったし、さらに成長した今では針のような小事を棒のような大事と説くのも得意になった。いや、そんなことを言いたかったのではない。同じ土俵で、還暦分の年齢差を乗り越えて勝負を制したと聞けば、世界中どんな人も、もちろん碁を知らない人でも興味をかきたてられ、そしていい気持になる(負けた白石二段は大きく報道されれば辛いだろうが、こうした経験を生かしてきっと大成してくれるだろう)。人間とはなんと素晴らしいものだろう、人間の脳はなんと不思議なものだろう、人間の未来はまだまだ明るいのではないか、と。
たとえば欧米の研究機関は碁を通じて人間のアンチ・エイジングの研究を始めるかもしれないし、人材開発に力を入れる発展途上国なら碁を教育の一環に取り入れるかもしれない。チベットあたりの村の古老はこのニュースを聞いて若い衆を集め、世代間コミュニケーションの格好のテーマとするかもしれない。そして10数世紀にもわたって至上の知的競技として育まれてきた囲碁とはどんなものか、なぜこれまで自分たちは知らなかったのか、ほかのゲームやスポーツなどの競技とどう違うのか、と囲碁へ関心が向けられていくだろう――と、ノーテンキな私の妄想は翼を広げるばかりだ。
新聞の囲碁掲載のありようを見ると、七大タイトルの決定時点で主催紙は比較的大きく載せるが、他の全国紙は社会面の片隅に数行程度(20歳名人の井山名人は例外的に大きく扱われたが)。毎週の勝ち負けは専門紙・誌でなければ掲載されない。それは仕方がないとしよう。でも、時には碁を知っているかどうかには関わらないほどビッグな話題もあり得る。米大リーグのランディ・ジョンソンが40歳で完全試合をやってのけた時には、野球を知らない人の関心も集めた。碁は野球やサッカーより愛好者が少ないのは確かだが、人間の知的な営みをある角度から鋭く浮き彫りにしてくれる希有な素材でもある。大ニュースが起こったら、すぐに全世界にわかりやすく発信することが重要だと思う。
もっとも、こうした話題はある種の問題意識を持っていないとついつい見逃して、絶好のPRの場を知らぬ間につぶしてしまう。井山新名人の師匠として有名になってしまった石井邦生九段が数年前、当時(今でも)世界最強と目された李昌鎬九段を破った時ももう少し別の伝え方があったかもしれない。その意味で、日本棋院や関西棋院は常に広報センスを磨いておく必要がありはしないか。エラソーなことをまくしたてて申し訳ないが、「広報」とは、自分たちの行動、理念、実績などを新聞・雑誌・放送・ネットなどの媒体を通じて「中立・公正な情報」として世の中に理解してもらうための支援活動。有償で紙媒体のスペースや放送媒体の番組を買う「広告」と違って金がかからないうえに、編集部の評価・スクリーニングを経て掲載される一般の記事だから信頼性がまるで違う。米国初の黒人大統領だって、名演説の起草を含む大規模な広報活動がなければ誕生しなかっただろう。この有用な広報をもっと使わない手はない。
ただし、手間と知恵が要る。タイミングも重要。話題によっては使うメディアを選んだり、同じ新聞でも掲載面を考慮して作戦を立てる必要がある。文化面なら観戦記者がある程度フォローしてくれるが、社会面、さらに国際面となるとなぜニュースなのかを理解してもらうための「意義づけ」「背景説明」さらに専門用語の簡単な解説なども用意して編集者側に売り込む必要がある。つまり、記者が記事にしてくれるのを待つのではなく、こちらからターゲットを絞り込んで仕掛けるのだ。単発でニュース材料になる話ばかりとは限らない。むしろこれはまれだろう。これまでに蓄積した膨大なデータを分析して、人間の能力や行動の目安を提供したり、将来に向けての能力開発の方向性を占ったりといった「傾向記事」が多くなるかもしれない。年齢や性差も格好のテーマになるだろう。棋士の冠婚葬祭にまつわる話題でも、人間らしい面白いエピソードがまぶされていればスポーツ紙や週刊誌が飛びついてくれるかもしれない。将棋やチェスなどとの違いやコンピューターがどこまで強くなれるかといった話題も時宜に応じて提供できる。
ところで昨年末、東京・日比谷で開かれた名人就位式には50人限定(有料会費)で一般参加客も集めた。私見だが、せっかく20歳名人が誕生した歴史的な就位式だ。50人などとケチなことを言わず、何百人も集めて開催費用ぐらい弾き出したらよかったと思う(その後、関西などへ場所を代えて一般客へのお披露目をしたと聞いているけれど)。もちろん、準備期間や会場の問題もあるだろう。主催紙の朝日新聞文化グループの伊藤衆生(ひろき)記者は、「実行部隊の事業局があらかじめ予算を組んで用意していたのでなかなか臨機応変に対応するのは難しい」と言われていたが、ちょっともったいなかったかなぁという気が残る。今後これと同じような機会は(20歳名人が生まれた以上)10代タイトル者を待たないと大きなニュースになりにくいからだ。
今年もまた、碁界(日本国内に限らず国際棋戦からでもいい)からビッグニュースが生まれてほしい。今回の杉内仙人の勝利をニュース報道するのはややタイミングを失した感があるが、もう1度還暦分の年齢差を超えて勝利した時に、セットにして話題にする“敗者復活”も考えられる。その時こそ、適切な形で世界に発信してほしい。
亜Q
(2010.1.26)
16日は今年最初の千寿会。千寿先生と会うのは今年二回目。
一回目は11日で、ピアニストの山下洋輔さんを囲む新年会。わたしは山下洋輔さんをゲストにした碁会だと思っていたが、碁の方がおまけだった。
場所は新宿の白龍館。元院生の村井真理子さんがご家族で経営している料理店だ。店内は大きなピアノが目を引く。
入ると何人かワインを飲みながら談笑していた。一画で一組が碁を打っている。その一人が山下洋輔さんだった。
わたしは隣に座り覗き込む。間もなく相手が見つかり碁を始めたが、ほとんどの人は談笑のみ。
小川誠子六段・大澤奈留美四段・武宮正樹九段も姿を見せる。隣では女性同士が対局を始めた。
間もなく山下洋輔さんがピアノを弾きはじめた。生のピアノの迫力は、音痴のわたしでも判る。引き込まれた。武宮正樹九段のダンスなどもあった。
その新年会で、隣で打っていた女性の一人が、16日の千寿会に来た。わたしの白で対局してみたが、わたしの敗勢で打ちかけになった。神田陽子さん(写真右)が講談を読む時間になったのだ。
陽子さんは二代目神田山陽門下、入門して30年になる。16日の読み物はある芸能譚。大阪の舞台をしくじった役者が、18年の苦労ののち、江戸で大成するという話。
わたしも生の講談は数十年ぶりだ。初めは講談の定席本牧亭だった。畳の部屋で、混むと足も崩せないので、一度で行くのをやめた。間もなく本牧亭はなくなった(改築だったらしい)。そのころ人形町末広もなくなっている。その後は寄席で講談を何度か聞いたが、寄席にも行かなくなり遠離っていた。
陽子さんは、2月16日~28日に、博品館劇場の「友情 秋桜のバラード」に英語教師の役で出演する。
陽子さんは手談(碁)もたしなむ。
さてある碁を紹介しよう。わたしは正確に覚えていないので申し訳ないが、その趣旨だけ読んでほしい。白は村井真理子さんの父君だったと思う。黒は千寿会のIさん。
もちろんこの白の打ち方は勧められないが、面白いアイディアだと思う。結果は大石が死ぬことになり、布石に関係なく実力通りになった。
謫仙(たくせん)
(2010.1.18)
謫仙 :黒六目半コミだし
小龍女 :白
右図、黒が実利、白が勢力の別れ。その白模様に黒が打ち込んで逃げ切ったため、白地がほとんど無く、黒は四十目以上いいと思っていた。しかし、小龍女は投げずに続けて打つ。
黒がタケフに打ってのぞいたので、白▲に打ってキリを防いだところ。単独で白▲に打たれれば警戒するが、黒のノゾキに続いて打ったので黒のダメが減ったのを気にしなかった。
ここは、AかBに打って「勝ちました」と言わねばならない。ところが生きているつもりなので黒Cと打ってしまった。これだけ勝っているのだから余計な手だ。
符号順に、白D・黒E・白Fとなれば劫ではないか。
白Fのあと、左図のように黒1・白2・黒3で白4とはねたとき、黒▲である。
しかし、小龍女の読みに錯覚があり、2図白▲と打った。
もし黒Aと劫になったとき、BとCがコウダテになるのでこの方がよいと思ったという。しかし、黒にはDがあり、活きてしまう。この黒Dを読み落としていた。
ところが、わたしはそれにも気がつかず、Aの上にツイでしまった。こうなると、劫がなくなり、形勢は逆転したらしい。小龍女は、他を打つ。
白▲を打ったのが、なんと黒Aから25手目。
打たれて気がついた。すでに白ハネと黒Aを交換してあるので劫にもならない。投了せざるを得ない。
小龍女「すぐに白▲を打つと、後手になるでしょう。黒に先手であちこち回られると、この黒を取っても勝ちが見えなかった。だから殺せないふりをして、先に大きい所にまわり、外堀を埋めてから、取りに行った」
謫仙 「気がついたら、どうするんだ」
小龍女「もちろん投了することになる。このあたりはそれも勝負の内よ。活きていると思うと、もう一手かけようとは思わないでしょ。一手ごとに冷や冷やしながら、知らんふりして打ってたンだ」
聖姑 「お龍ちゃんは謫仙さんに連勝しているので、余裕で打てたンだね。もし負けが混んでいたら、すぐに取りに行ったのじゃないかしら」
小龍女「うん、そうですねえ。あんまり勝ちすぎるとなんですから。でもわたしも錯覚していて、読み落としに気がついてギョッとしたけれど、謫仙さんが気がついていないと判って、急にいたずら心が沸いてきて…、どこで気がつくかと…。活死人墓だね」
注: 全真教(道教の一派)の教祖の王重陽(1112~1170)は、穴を掘り、「活死人墓(生きている死人の墓)」と称して、その中で2~3年修行した。その後、北七真と言われる有力な7人の弟子を得て、全真教が栄える。
謫仙(たくせん)
(2010.1.13)
囲碁梁山泊という季刊誌がある。
名前の通り、官に対する野のような、建前よりも本音を出している碁の雑誌だ。
去年、筆者の一人である長谷川さんが、千寿会に来たとき紹介してくれた。それを10月の「2009ファンフェスタ in 箱根」で頂いた。頂いたのは「2009年 冬」通算52号。「2009年 朱夏号」54号。「2009年 白秋号」55号。
インターネットでは「2009年 春」が紹介されていた。
春から夏にかけて、号名が変わったのか。おそらく、今度の冬は「玄冬号」春は「青春号」となりそう。
内容はかなり濃い。はっきり言って、わたしの棋力では読み切れないほど。
読んだ三巻では、藤沢秀行九段と井山裕太九段の記事が多い。秀行さんは亡くなり、井山さんは名人になったので当然。しかも名人は関西。そう、この雑誌は大阪の「関西社会人囲碁連盟」の発行である。発行人は正岡徹氏、囲碁に詳しい人なら、一度は名前を目にしているだろう。
わたしが注目したいくつかの記事を紹介。
52号 以前ここでかささぎさんが紹介した、釼持師が解説した詰碁の原型がある。間違いがあって、釼持師に指摘されたとか。
52号 秀行さんの書展のこと。この書展は千寿会でも見に行って、秀行先生と写真に収まった。
54号 藤沢秀行さんの追悼特集号で秀行さんの記事で埋まっている。
54号 80歳から碁を始めて、88歳で八段に登った方の話。普通は七段までだが、特別に許可をしたとか。奇蹟のような話だ。もちろん試験に合格したもの。名前だけではない。もっとも碁を覚えたのは15歳の時という。それなりに強かったであろう。
55号 弱冠20歳の井山名人誕生。
弱冠20歳という言葉がこれほどピッタリすることは他には無い。周では20歳になると冠をつけたので、20歳を弱冠という。井山さんは20歳で名人の冠をつけたではないか。
55号 宋麗五段のこと。宋麗さんが関西棋院に入ろうとしたところ、中国から横槍が入り、庇いきれなかった。しかし、瓊韻社の五段を許されたよし。
ゼイノイさんのことを思い出した。詳しい経緯は知らないが、韓国で活躍している。
自分で購入していないのに紹介するのも気が引けるが サロン・ド・ゴをどうぞ。
謫仙(たくせん)
(2010.1.4)
会場の隅に快男児がもう一人、張リュウ七段(28歳)を見つけた。前日の富士通杯最終予選では新名人の大石を召し上げた剛腕の持ち主。強いときにはやたらに強いが、昨期の名人リーグでは1勝もできずに陥落。何ともメリハリの利いたさわやかさだが、それ以上に興味をひかれるのは、この10月軽井沢で日本棋院、関西棋院の延べ44人を集めた「第1回若手囲碁合宿」を主宰された行動力と人脈。朝6時半からランニングやサッカー、野球などで体を鍛え、9時から夜更けまで、食事を挟んで詰め碁テスト、対局、検討を延々と続けた。井山名人をはじめ、趙善津元本因坊、山田規三生元王座、柳元天元・王座、河野臨元天元、結城聡関西棋院1位らも駆けつけ、「中国、韓国に追いつかなければいけない」との危機意識から生まれた若手棋士同士による自主的な試みはすごい盛り上がりだったようだ。
私の数少ない欠点の一つに、敬意を持つ若手に対し、年上ぶってつい強がってしまう癖がある。この時もそれが顔を出した。拠り所は、この11月に亡くなられた大正12年生まれの梶原オワ先生。昭和から平成にかけて四分の三世紀を囲碁一筋に尽くされた碁界の大恩人。ついにタイトルを獲らずに終わったが、「それは碁を勝負と観ずに一種の学問とみなし、時を忘れて盤上にのめり込んでしまったから」と、テンコレ文士(もちろん中山典之六段)が最近の『週刊碁』に書かれている。「だから張リュウ先生、どこの国、民族が世界1番になってもいい。日本は常に一流であればいい(もちろん勝ってほしいけれど)」と私はほざき、「むしろ梶原オワ先生の言う“学問としての碁”を物理や数学と同様に、世界の若い人が協力して高めればいいのだ」と、おせっかいなノーガキを垂れてしまった。じつはこれは、張リュウ、林漢傑といった日本人ではない棋士が日本のために音頭を取ってくれたことに対する私のキクバリだとご理解いただければありがたい(言いたかないけれど)。
エラソーに能書きを垂れた後、私は相手の長所を認めて必ずフォローする。突然変なことを抜かすオジサンに目を丸くしている張七段に「そ、そんなにまじめに聞いてもらっても困るよ。張リュウ先生はいくつになっても私に年齢は追いつかないかもしれないけれど、私のアタマをすぐに追い越されるだろう。そう、頭髪の進み具合。若い人はどしどし先輩を追い越していくべきで、追い抜かれたからといって、私は先生のためにお喜びこそすれ、嘆くような女々しいことはいたしません」ーーそばにおられた鶴山淳志七段が大笑いされていたけれど、今度は鶴山七段(28歳)の番だ。
11月の千寿会に、初めて講師として顔を出された久保秀夫六段が棋聖戦予選Aでの対局を自戦解説された。その相手が6歳年下の同郷(熊本県)の後輩鶴山七段。平成16年に棋道賞勝率第1位に輝き、最近の『週刊碁』でも「これぞプロ!」と賞賛された実力者だ。中盤の入り口で久保六段の意表を突く鋭い1着を放って大石を召し取り、この結果を久保六段は少し苦戦に陥ったと見なし、鶴山七段は大きな成果を挙げたと評価した。この意識の差が勝敗に影響した(久保六段の話)。その後、鶴山七段に「もうお腹いっぱい」と意思表示する着手が相次ぎ、いつの間にか逆転したらしい。この碁の感想を私はしつこく鶴山七段に問い質したが、ご当人は笑い続けるばかりで答えず。ま、いっか。オトコマエの若者の笑顔が大好きな私は鷹揚に矛を収めた。
会場でお見かけした女流棋士は、このページでも何度かご紹介させていただいた渋沢真知子初段。「これまで就位式のようなイベントには顔を出さなかったけれど、最近心境が変わりました」とおっしゃる。これはとてもいい兆候だ。いろいろな刺激を受けて、近い将来やや遅咲きの花を咲かしてくれると私は信じている。このところタイトルから遠ざかっておられる大沢奈留美四段も同じような心境で会場を訪れたのかもしれない。
千寿会の卒業生、奥田あやちゃんも将棋の室田女流棋士とともに会場を回っていた。年齢は新名人より1歳年上の21歳。今期の女流名人戦リーグでは健闘むなしく陥落が決まったようだが、タイトル経験者のベテラン男性棋士を破るなど、新名人と同様に毎年力を着けてきているとの評判だ。でも、「強くなったね」とか「これからはシェ・イーミンさん(20歳)、向井チアキさん(22歳)、万波奈穂さん(24歳)らと女流四天王を目指せ」などとたきつけても、「まだまだです」と反応がいまひとつ。そんな時私は意地でも相手を乗せたくなる。そこで繰り出す伝家の宝刀。「しばらく見ない間にすっごくきれいになったじゃん!」これは効いた。おとしごろのあやちゃんははじけるように笑い転げ、1度だけ千寿会であやちゃんを負かした(おじいさんに連れられてきたあの頃は結構いい勝負でした)おじさんにかわいい手を差し出して握手してくれた。
亜Q
(2009.12.16)
井山悠太第34期名人の就位式が12月11日開かれた。歴代最年少20歳の名人誕生、さらに名人就位式では初めて一般客に門戸を開放したこともあり、事前に応募して参加した囲碁ファン50人を含むざっと200人以上(私の目算)の来客・棋士・関係者が冷たい雨が降りしきる東京・日比谷の東京会館12階会場に大集合。千寿会からは千寿師匠をはじめ、ご自身よりはるかに強豪に成長した愛娘を伴った麹町夫人・えっちゃん、日本棋院が主催したハッピーマンデー教室で碁を始め、主婦業の傍ら瞬く間に二、三段クラスに駆け上ったM女、そして「棋力向上より友愛」をモットーに成長路線をかなぐり捨てたかささぎさんと私が参加した。
挨拶に立った井山新名人は、「3勝4敗で敗れた昨期の挑戦手合い経験が役立ち、今期は自分の信じる手を打てた。さらに世界トップを目指して頑張る」と表明。允許状を授与した日本棋院の大竹理事長は若い層への広がりを期待し、3700万円の賞金目録を贈った主催紙朝日新聞の秋山社長はチョーウ前名人が率直に語った敗者の弁を紹介した。来賓の関西棋院副理事長は、日本棋院関西総本部に所属する若き井山少年が関西棋院を訪れて“道場破り”(結城九段らを相手に27勝2敗)したことを、また産経新聞などで初代本因坊となった算砂の生涯を連載している小説家の堺谷太一さんは、算砂が16歳で囲碁日本一の称号を受けたこと、将棋の才にも恵まれ当時の将棋名人と互角に渡り合ったことなど興味深い話をご披露された。
乾杯の音頭は羽生善治将棋名人。「自分は囲碁の棋力は初段ぐらいだが、今期の名人戦挑戦手合いは一戦一戦が白熱し、プロの醍醐味を堪能させられた。新名人はこれから何十年も素晴らしい碁を見せてくると思う」とお祝いを述べた。師匠の石井邦生九段は新名人とのトークショーで「これまでの人生で一番うれしい」と喜び、「新名人が6歳の頃から指導してきたが、12歳になった頃には追いつかれ、その後20連敗したこともあった」と告白。新名人は「師匠にはまだ“ひよっこ”と言われる。世界戦に勝って師匠に報告したい」と恩返しを約束していた。
会場には元名人・三大タイトル者の大竹理事長、林、石田、武宮各九段、日本棋院理事を務める工藤元王座、神田九段、信田、久保両六段、関西から結城、後藤九段、退役された白江八段らに加えて若い棋士たちざっと50人ぐらい、アマ界からも緑星学園を主宰される菊池康郎さん、第46回全日本学生十傑戦チャンピオンに輝いた慶応大学の周仲翔さんらが顔を見せた。目移りする中で、まず声をおかけしたのは早熟のコンピューターとして時代を画した石田秀芳24世名誉本因坊。「僕は26歳、林さんは24歳で名人位を獲った。三大タイトル全体では僕が最も若い22歳で本因坊に就いたが、いずれも井山新名人に抜かれました」と教えてくれた。
井山新名人を抜くとすればこの人と、私がひそかに期待している18歳の村川大介五段も関西棋院から駆け付けていた。スケールが大きい本格派で、会場に顔を出されていた黄イソ七段(22歳)、李イシュウ二段(21歳)、内田修平三段(20歳)らと並ぶ日本囲碁界の若きホープの一人。でもなぜか、私がネットで彼の対局を観戦すると悔しい負け方ばかり。年上のライバル、三谷哲也五段(24歳)には新人王戦(中野杯だったか?)で大逆転を食らったし、最近もチクン大棋士や関西棋院の本田邦久九段ら大ベテランに敗れた。ついつい私は「せっかく強いのに、変な負けが多過ぎないか」と口走ってしまった。「まだ弱いからです」と村川五段は困ったように頭を抱えていたが、こんな憎まれ口を叩く変なおじさんを、きっと覚えてくれるだろう。
次は秋山次郎、溝上知親(共に32歳)両八段。秋山八段は初めてリーグ入りした棋聖リーグで4勝1敗の好成績を挙げて次期棋聖への有力な手掛かりを得た。私は秋山八段に「棋風は変わるのか」と問いかけたが、めきめきと頭角を現しつつある勝負師たる者がそんな企業機密をザル碁オヤジ相手においそれと開陳するはずもない。『週刊碁』に秋山八段が連載中の「活碁新評」や、彼が若い頃薫陶を受けた梶原武雄九段の話題でも出せばよかったが、もう遅い。それでも根っから優しい青年なのだろう。「今期リーグの結果を糧に、序列2位で臨む来期リーグも一生懸命頑張る」と約束してくれた。
一方の溝上八段にはなぜかもっと失礼に振る舞ってしまった。「石田名誉本因坊、高尾九段、井山新名人、秋山八段らはリーグ入りしてすぐに結果を出したけれど、マグマが溜まるのをじっくり待つタイプもおられるのですね?」とは我ながら汗顔の至り。溝上八段は以前に在籍した棋聖リーグは今一つはじけずに陥落。2度目のリーグ入りを果たした今季名人リーグの緒戦ではチクン大棋士に手痛い敗北を喫した。何ともひねくれた質問にさすがにちょっとムッとされた表情。私は慌てて「でも(加藤啓子五段との)結婚効果はジワジワと効いてくるものでしょう」ととりなすと、男前でなごやかないつもの表情に戻ってくれたが、何と私は直後にまた失言!「ところで私は時折高梨聖健八段に教えていただいているのですが、溝上先生から見て高梨先生はどんな先輩ですか?」と聞いてしまったのだ。本サイトで以前書いたが、溝上八段は昨年、棋聖リーグ入りへ の準決勝、阿含桐山杯挑戦を賭けた決勝でいずれも聖健八段に敗れた。「こんなことを第一線の勝負師に尋ねるなんて、どれだけ私は馬鹿なんだ!」と心中激しく後悔する私に、好漢、溝上八段は「彼は本当に強いんです」と静かに答えてくれた。ありがとう、その時私は溝上八段に確かに好感を抱いた。
「結婚効果」と言えば、安藤和繁四段にも余計なことを言ってしまった。「愛妻の中島美絵子二段はこれまで可愛いのが取り柄と思っていたけれど、なかなかの詩人なんですね」と。彼女のブログを見ての感想だけれど、どうもひと言多かったかもしれない。「彼女は世の中にめったにいないかけがえのないタイプだから大事にしてあげてね」となおしつこく加えると、安藤四段は「僕も結構変わり者だからちょうどいいんです」とにっこり。どうもご馳走様。末永くお幸せにね。
亜Q
(2009.12.12)
名人就位式も終わり、今更なのだが、名人戦における私の長い疑問について述べる。就位式については、後日、亜Q氏からの報告があるはずである。
名人戦第3局。いくつもの劫争いも終わり、井山挑戦者が勝勢で終盤を迎えたところだが、挑戦者が右下でミスをし、白の大石の眼がなくなったところである。挑戦者は秒読み、名人はまだかなり時間を残していた。黒231とのノゾいた局面である。私はこのノゾキの意味が分からなかった。その付近に嫌みはなさそうに見えたからである。挑戦者はノゾキを当然のように無視した。最終結果はご存知の通りである。
私はこのノゾキの意味が知りたかったのだが、週刊碁にはその意味は述べられていなかったので、誰もが疑問にも思わないような当たり前の着手かなと思った。しかし、相変わらず意味が分からなかったので、千寿会の場で二人の棋士に質問をぶつけた。二人はノゾキを打たないと上辺に手が生じるのではないかと、時間をかけて調べてくださった。しかし、出てきた結論は手はないということであった。それなら、左のように黒1とコスミを打っていたら、白の大石がとれていたのではないかという話になった。口さがない我々の中には名人は挑戦者に考慮時間を与えないために早打ちしていて間違ったのではないかというものいた。しかし、騎士たちは張栩名人が打ったのだからきっと意味があるはずであるという意見だった。
その後、朝日新聞の囲碁欄で詳細な解説が始まった。私はこの解説で疑問が解けるだろうと期待した。しかし、その部分は素通りだった。さらにその後、ファンフェスタ in 箱根で新たに何名かの棋士に同じ疑問をぶつけてみた。懇親会の席だったのでかなりアルコールが回っていたのもあって、明確な回答が得られなかった。その中で一人の先生から、中央が白2で切れると白4の一線のサガリで右辺が劫になるのでノゾキが必要であるという回答が得られた。そこは何度も読んで、生きているのを確認したはずだったのだが、いわれてみると確かに怪しい感じがした。たまたま隣にいた県代表クラスも頷いていたので、私もその場では納得してしまった(素直な性格なので)。
自宅に戻ってからもう一度確認すると、やはり黒1で無条件生きである。そのことを碁盤にならべて確認していたのだが、そこでやっと気がついた。白のサガリに対して、黒1で確かに生きてはいるのだが、白2ホウリコミから黒に生きを催促すると、白2の下の黒石が抜けるこことに気がついた。そうすると劫残りではあるが、Aに白の眼ができて生きである。ここにきて、やっと疑問が氷解した。えらく時間がかかったものである。張栩名人(当時)はそれを1分もかけずに読んでいたのである。私にいわれても意味ないだろうが、さすがである。
かささぎ
(2009.12.12)
12月19日(土)の千寿会の予定が下記のように決まりました。
日時:12月19日(土)13:30〜18:30
会場:ホテルニューオータニ 翠鳳の間
スケジュール:
13:30〜16:00 クリスマス親善囲碁大会&指導碁
16:00〜17:00 クリスマス・ティータイム
17:00〜18:30 公開早碁 小林覚九段 対 常石隆志君(アマ名人:小林孝之門下)
かささぎ
(2009.12.7)
政府は「観光立国」の実現に向け、年内に省庁横断の対策本部を設置する。前原国土交通相が本部長を務め、経済産業省や厚生労働省などほぼすべての省庁から副大臣が参加して、中国からの訪日観光客を増やすために中国人向け個人観光ビザの入国条件を緩和するなど、複数省庁にまたがる懸案を解決していくのだそうだ。
政権交代を果たした民主党が厳しい財政情勢の中で果敢に新政策に挑み、過去の不都合を洗い直して改革しようとする姿勢は、細かい問題を抜きにして長い目で応援したい。でも、「立国」とはちょっと大げさ過ぎない?喩えが適当かどうかわからないけれど、生前の三島由紀夫が「俺はこれから、石原裕次郎の向こうを張ってアクションスターとして生きる!」とでも宣言したみたいな違和感がある。
一国の理念とか存在基盤を象徴する「立国」などという表示は一つの国に1つ、せいぜい2つまで。大安売りされては困る重い言葉だろう。もしも日本が目指すべき「○○立国」を国民投票で募れば、ひと昔前なら「貿易」とか「経済」、今なら「科学技術」とか「環境」あたりが上位を占め、「観光」はベスト10に入るかどうか。むしろ南太平洋あたりの風光明媚な小国に敬意をもってお譲りしたい。
そもそも、ビジネスやその他の必然的な理由を除いて、観光のためにある国を訪れたいという理由はその国が魅力的だから。風土・習慣、歴史、そして一人一人の国民性などを総合した国の姿が異国への憧れを掻き立てるのではないか。治安・衛生環境や円高かどうかなどはその意味からすれば二の次、いわんや入国手続きなどは当然実施すべき瑣事だと思う。
つまり、日本の魅力をさらに充実し、外国人に日本を理解してもらうための努力を続け、そうした活動や成果を世界に発信していくことこそが「目標」になるべきで、この目標に突き進む過程で結果的に観光客は増えてくる。前原さんの熱意と誠意は疑わないけれど、「観光立国」を目標に据えるのは因果関係が逆転している。偽メール事件の印象が冷めやらないせいかもしれないが、どうも危なっかしい。「立国」と勿体づければ国民は理解してくれるし、予算も確保しやすいとほくそ笑む役所や関係業者の顔が浮かんでくるのは、私の品性が卑しいからだろうが。
この目標を「○○立国」と表現するなら、「○○」は「文化」としたい。「文化」と言えば、地球上には国の数、いや、民族や地域の数だけ存在することは知っているつもりだが、それでもなお、日本には世界に誇る「文化」がたくさんある。フジヤマに代表される自然、京都・奈良をはじめ各地に点在する歴史遺産をはじめ、芸術・芸能、文学、衣食住の文化、漢字や仮名、科学技術や環境対策なども含まれるだろう。最近ではマンガやファッションなどもクールジャパンの大きな要素になっているらしい。
もちろん、人類のかけがえのない知的遺産である囲碁も不可欠なメニューの一つ。日本以外では埋もれかけていた囲碁を10世紀以上にもわたって育ててきたのは事実だし、国際普及にも貢献してきた。これからも世界トップ水準のレベルを維持するだけでなく、世界中の人々が囲碁の素晴らしさに触れてもらうための仕組みづくりを、国を挙げ、各国と協力し、プロはもちろん、囲碁の機微に触れたアマも一心同体で築き上げていきたい。
−−−−−
このたび、囲碁界最大の貢献者の一人、梶原武雄九段が亡くなられました。
木谷門で多くの俊才を育て、アマチュアに対しても独特の気配りをされる偉大な棋士だったと思います。
弟弟子たちへの愛の鞭は雷のごとく、それでもどこかやさしい人柄が慕われていたと聞きます。
同じ師範格の杉内雅夫九段から静かな声で「お帰りなさい」と不勉強をたしなめられる方がよほど怖かったそうです。
梶原オワ先生には本欄でもずいぶんご登場いただきました。改めて2題をご紹介して、ご冥福をお祈りいたします。
・苦手な相方(あいかた)
・毒舌今なお意気軒昂~~中山典之六段出版記念会から~~
亜Q
(2009.12.3)
ハンガリーから日本に院生修行にきていたチャバ君。棋士になるという夢は実現せず、数年前に本国に帰られたのですが、この度、結婚という新たな夢を実現されました。奥さんの名前はKataさん。写真をいただきましたので、ここにご紹介いたします。
チャバ君、ご結婚おめでとうございます。おふたり仲良く、お幸せに。
かささぎ
(2009.11.26)
再来週から日中韓の国別団体勝ち抜き戦である農心杯が始まる。日程は第1ステージ(第1-4局)が11月25-28日、第2ステージ(第5-10局)が明けて1月18-23日、第3ステージ(第11-14局)が3月9-12日である。農心杯は今回が11回目。これまでの優勝は韓国が8回、日本と中国が共に1回である。
今回の日本チームのメンバーは山下棋聖、井山名人、羽根本因坊、高尾九段、山田規三生九段の5名である。現時点でのベストメンバーである。少し前から国籍主義になったので、張栩4冠は残念ながら出場できない。いつも期待して見ているのであるが、ここ3年は最高でも2勝止まりで最下位に甘んじている。今回はいつもにも増して期待している。
団体勝ち抜き戦で面白いのが、メンバーの出場順序であろう。誰が出てくるかは対局直前まで秘密である。中韓では国際戦の価値が国内戦よりも優る。したがって、両チームとも戦略を考えて順番を決めているのであろう。それに対して、日本では国内戦が国際戦に優先する。したがって、戦略以前に国内戦の日程を見ながら出場順を決める必要がある。国内のタイトル戦と日程が重なる場合、国際戦には出場できない。
このことを勘案して、出場順を予想してみたい。まず、国内戦の現状および予定を把握する必要がある。山下棋聖は現在、天元戦の挑戦手合中であるが、第1ステージは第2局(11月19日)と第3局(12月3日)の間に挟まっており、残りの対局も重なっていない。一方、年が明けると棋聖戦の挑戦手合が始まる。例年、1月15日前後の水、木曜日から始まる。今回は第1局が1月13、14日と予想される。2局目以降はそこから2週、1週、2週、、、おきに開催される。第2ステージは第1局と第2局の間に来ることが予想されるが、かなり慌ただしい。第3ステージは第6局と重なりそうである。
羽根本因坊と山田九段は共に11月26日にそれどれ王冠戦と王座戦の挑戦手合が組まれているので、第1ステージには出場できない。全ステージに渡り最も暇なのが井山名人である。次に暇なのが高尾九段で、十段戦の勝者組の頂上で敗者組の勝者を待ちかまえているところである。挑戦者になっても、挑戦手合は3月までない。
以上から、第2ステージ以降忙しくなる山下棋聖が先鋒となる確率が高いと考える。次鋒は井山名人と高尾九段が候補となる。ここ1、2年は国際戦に勝てるようになってきた高尾九段ではあるが、ここは勢いを買って、井山名人を推したい。そうすると中堅が高尾九段と予想される。最後に、副将と大将である。ここ数年、国際戦で厳しい碁を打ち、勝率を上げつつある羽根本因坊に大将を任せてみたい。残る副将は山田九段となる。
私の予想をまとめると、次のオーダーとなる。
山下棋聖
井山名人
高尾九段
山田九段
羽根本因坊
さて、皆様の予想はいかがでしょうか?
かささぎ
(2009.11.15)
政権交代が実現して数ヶ月、鳩山首相をはじめ民主党議員の面々の奮闘ぶりが目を引く。閣内の意見がばらばらだったり、官房機密費(報償費)のように初めの意気込みが尻すぼみになったり、お疲れ気味の方が目立ったり、やたら忙しそうな方と暇を持て余されているように見える方が混在したり、あぶなっかしい感じもするのだが。
特に気になるのは、マニフェスト至上の姿勢。「公約が実現していないと国民が感じ始めたら即、民意を問いたい」と鳩山首相は不退転の意志を訴えるが、これってまさに「マニフェストありき」。かなり原理主義っぽくないか。頭が固過ぎないか。
選挙で圧倒的な議席を与えたとはいえ、国民は民主党が掲げたマニフェストを何から何まで賛同したわけではないと思う。むしろ、長年政権運営してきた自民党の驕りに厳しく「No」を突きつけ、日本の政治をいったんリセットしたかったのだろう。
沖縄の米軍基地、八ツ場ダム、暫定税率、高速道路、子育て手当て、年金、郵政改革、いろいろな分野で新味のある政策を並べ立てているが、これまでの経緯や財源との整合性があるのか、そもそも民意を得ているのか、私にはどうもわからない。
例えば「高校無料化」。高速道路や子育てと同様、ご利益を得られる当事者なら喜ぶかもしれないが、公正な政策かどうかとなると疑問がある。日本の国技、大相撲のある親方が言っていた。力士を志すなら義務教育を終えてすぐに弟子入りしたほうがいい。高校程度の読み書きや社会常識は相撲の修行を続けながらでも十分身に着けられる。リスクの大きい職業選択をして、高校無料化のための税金を払い、修行する自分たちには何の見返りもない、というのでは不公平ではないかと。
学歴は結婚や子供を持つかどうかと同じように個人のライフスタイルの問題。学問に向いているけれど困窮しているために進学できない人を奨学制度などで支援するという、選択肢を広げるための政策は結構だが、何も一律に高校無料化を打ち出す必然性はないように思える。そもそも、数学や物理のような学問では特に優秀な子供には既成の高校の枠を超えた“私塾”的な育成の方が本人のためにもなるのではないか。もちろん、凡夫の私には、舟木和夫やペギー葉山が歌った「高校三年生」や「学生時代」の頃が懐かしかったりするのだけれど。
実はこの話、棋士にこそ最も当てはまりそう。今では高校・大学卒の棋士も多くなったらしいけれど、高校・大学への進学は言わば「含み」を重視して決定を先延ばしする方法。これに対し、手段を絞り込み、言い換えれば捨て身の姿勢で、難しい目的に挑戦するのも一つの選択だと思う。進学を断って困難な道で職を得、若い頃から税金を払い始める人には、高校無料化は愚策に映るかもしれない。
亜Q
(2009.11.9)
わたしの最終局で、ある問題が起こった。わたしの黒番である。
局面は覚えていないので、判りやすく似たような例図を作ってみた。図は異なるが趣旨は変わっていないはずだ。盤面は40目程度黒が勝っている。
ここまできてわたしは声をかけた。
謫「終わりですね」
白「まだ終わっていない」
謫「ではパスします」
白はAに打った。意味のない手だ。もしここに手があったとしても「終わりですね」と黒が声をかけて白が同意してしまえば、黒は何か手に気がついても、それ以上は打てないところ。
さらにパスすると白はBと打つ。白の意を察して、黒C・白D・黒E・白Fと打つ。
再び「終わりですね」と声をかけた。
白は無言。
謫「どうします。まだあるのでしたら、わたしはパスします」
白「ルールによって交互に打つことになっている。パスはおかしい」
謫「わたしの方は終わっているので」
白「ダメが一つある。まだ終わっていない。交互に打つことがルールによって決まっている。先生を呼んできます」
そういわれて、わたしは下辺にダメがあることに気がついた。ここはどちらが埋めてもいいところ。わたしがパスしたのなら、白が打てばいい。
なんと倉橋正行九段を呼んできて裁定をして貰うことになった。
白「ここで黒がパスしたのはルール違反では」
倉「これは正式な手合いですか」
謫「そうです」
プロの言葉によって、気がつかない手に気がつくことがあるので、倉橋九段はそのことを確認した。
謫「ダメに気がつかないでパスしたのですが」
倉「パスはしてもかまわないですよ。どうしました」
白「まだダメが空いています」
倉「白は手があると思えば続けて打てばいいんです。その前にどちらか『終わりですね』と言わなかったんですか」
謫「わたしが言いましたが、白さんは同意しなかったので、わたしはパスしました」
白「わたしもパスしました」
謫「双方がパスしたら終わりですよ」
倉橋九段も同意して帰ろうとするが、白は納得しない。
謫「倉橋さん。結論をはっきり言って下さい。『ダメがあるのにパスしたのでルール違反で黒負け』というなら、そう裁定してけっこうです」
倉「問題ない。気がついた方がダメを詰めたら、このことは終わりです」
たとえば白がダメを詰めて、黒は終局宣言する。そのあと白はどこかに打ちたかったら打てばいい。終局にするのは白の権利。
今回は双方とも10分程度残っていた。もし時間切れ寸前のときなら、とにかくパスして、時計を叩くことになったか。双方がパスすれば時計を止める。
ルールによって交互に打たねばならないというが、これは打つ方の権利であって義務ではないだろう。
打たねばならないなら、極論を言えば白が打ってダメのなくなった時点で、終局に同意しないとき黒はどこかに打たねばならないのか。もちろんそうなると、黒も再開を言い、白にも一手打たせることになる。そうして延々とこの先130手も続くことになってしまう。
倉橋さんは「こんなトラブルは初めてです。とにかく皆を待たせているので」と帰って行った。
普通は最初の「終わりですね」で同意して対局の停止となり、時計を止める。ダメを詰め死活を確認し、必要なら手入れをし終局となる。そして地を数えることになる。交互にダメを詰めるのはトラブル防止のため。
わたしがパスを宣言したのは、「終わりですね」に相手が同意しなかったから。まだ対局中であり、相手の手番で続くことになる。つまり「終わりですね」はパスを意味する。だから「パス」と言っても意味は同じ。
「終わりですね」に同意しないと、まだ手があることを教えるようなもの。「パス」ならば、相手は続けて打ちやすい。
白さんがプロの終局図(正しくは対局の停止という)を見たことがあれば、ダメの空いたまま終局(正しくは対局の停止)することに納得できるはず。
ルール解釈の問題であって時間狙いでなかったし、盤面は40目ほど差があるので冷静に対処することができた。
わたしも数十年に及ぶ囲碁生活で初めての不思議な経験だった。
参考:日本囲碁規約逐条解説
第九条−1(終局)
一方が着手を放棄し、次いで相手方も放棄した時点で、「対局の停止」となる。
第九条−2
対局の停止後、双方が石の死活及び地を確認し、合意することにより対局は終了する。これを「終局」という。
第九条−3
対局の停止後、一方が対局の再開を要請した場合は、相手方は先着する権利を有し、これに応じなければならない。
謫仙(たくせん)
(2009.11.7)
10月30日から11月1日まで碁会で三日間箱根にいた。
07年の6月に「第11回ふれあい囲碁大会」があり、この会はこの後中断していた。
今回、孔令文さんなどの努力が実って、あらためて「2009ファンフェスタin箱根」として、再開したのだ。
参加のプロ棋士はいつもの孔令文六段・倉橋正行九段・下島陽平七段・瀬戸大樹七段・万波佳奈四段と、特別ゲストとして清成哲也九段。そしてその息子の清成真央(まお)初段。
いつもの小林覚九段・笠井浩二七段やインストラクターの木下かおりさんなどがいなかった。このあたりにふれあい囲碁大会とは変わったことを感じる。
人数は百人を越えた。前は一段あたり、2部作ったが、今回はほとんど1部。
天龍八部の旅6 天龍八部影視城2で紹介した「大理旅游杯」の写真を万波さんに渡して、この時の様子を聞くことができた。
大理旅游杯は一回キリで終わってしまった(開催者にとっては1回で目的を果たしたというところだろう)。お城の中で、民族衣装を着て開会式をしたとか。おそらくペー族の民族衣装だろう。成績は残念ながら……だったと言う。思わぬ所で(?)天龍八部影視城の話をしてしまった。
わたしは一日目は二局で二連敗。二日目は四局で盛り返して四連勝。三日目は手空きだった。結局4勝2敗で三位。同成績がもう一人いたが、直接対局でわたしが勝っていたので、わたしが十人中の三位となった。
入賞は、今回は三位まで(^。^))。ありがたく賞を受けた。ふれあい大会の時は二位までだったのだ。
Kさん、つまりわたしと同成績だったが四位となった方は、わたしに勝っていれば、優勝だった。5勝1敗が三人並び、直接対局で勝ったので優勝。それがわたしに負けたばかりに同成績ながら、四位に沈む。
わたしとの勝負もKさんが圧倒していた。それがひょんなことから種石が落ちて逆転。
K「取れている石を、もう一手かけるのもしゃくで」
謫「一手遅れることになりますからね。周りの状況で手段が生じてしまった」
オトトさんが別なクラスで優勝したのを記してもよいだろう。
碁仇をくやしがらせて山紅葉 謫仙
一日目と二日目はきれいに晴れたが、三日目は深い霧の中。雲の中と言ってもいいかも知れない。手空きだったのを利用して、函南原生林まで歩いた。
謫仙(たくせん)
(2009.11.4)
皆様、こちらの投稿では初めてです。日本棋院棋士の大矢浩一です。過日の例会日にはお邪魔させていただきまして、いろいろ失礼があったかと存じますが、笑ってお許しいただければ幸いです。
そのときはじめて (という、オフコースの曲があります・・・って、すいません。。。) お邪魔させていただいたのかと思いきや、ナント、栄えある15年前の第1回ゲストしてお邪魔していたとのことでした。全く覚えていなくてすいません。。。
さて、宣伝になって恐縮ですが、私も千寿会ならず、大矢会というのを催していまして、二ヶ月に一度、第2か第4月曜日に行うことが多いのですが、今年最後となる例会は12/14(月)の18時からになります。
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| 料理写真(イメージ。実際は幕の内風定食です) |
開催地は、ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、テレビ東京の囲碁番組の聞き手としてもおなじみの村井真理子さんのご両親が経営している西新宿のレストラン「白龍館」です。呉先生もよくいらっしゃる所です。今は区画整理があってもうありませんが、トマトタンメンで有名な「白龍」が移転した店で、若かりし頃はよく依田さん(紀基九段)と足しげく通ったお店です。
で、今までは某企業の囲碁部の例会としての大矢会だったのですが、今後はいろいろな方にもお越しいただき、笑っていいとも風に言えば「友達の輪」を広げようということになりまして、そこでこちらにもお声をおかけさせていただいた次第です。
碁盤は足付き、板盤が各5〜6面あり、スペース的に最大8面打ちまでできます。参加者には必ず1局私がお手合わせさせていただき、局後の検討はおいしい料理とお酒を飲みながら、あるいは時にはピアノや歌をBGMに、という形式になっております。
参加費は、変則的で恐縮ですが、全体の参加者が9名までは10000円、10名は9000円、11名以上は8000円になります。
(私の指導碁、局後の検討、白龍館特製幕の内風定食&飲み放題付き)
★大変恐縮ですが、飲み放題はご自分の対局の終了以降とさせてください。
★今まで(お声をかけさせていただく前)の例会の参加者数は、6名前後です。
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| 地図 |
開催日時 12/14(月)18時〜21時頃まで
会場の白龍館のホームページは、下記になります。
http://www.hakuryukan.jp/index.htm
もしよろしければぜひおいでいただき、楽しい一時を過ごさせていただければ幸いですので、
なお、来年以降も二ヶ月に一度のペースで行いますので、その開催日時をお知りになりたい方は、私宛(メール)にお問い合わせください。また、今回ご参加いただける方も、可能でしたら事前に私宛にその旨をお知らせいただければ、状況によっては会費の額をお伝えすることもできますので、ぜひお知らせください。
もちろん、メールアドレスは、オフコース小田和正です!←これをゲットするのには苦労しました^^;;
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以上、よろしくお願いいたします。
日本棋院棋士・大矢浩一
(2009.10.27)
囲碁界に現れた新星井山裕太八段が新しい名人となった。名人になると同時に九段に昇進する。今年20歳。史上最年少の名人である。
14日と15日は、日本棋院幽玄の間(ネット)でずっと見ていた。もちろん途中で碁を打ったりしていた。
立ち上がりはともかく、黒番張名人がいいと思っていた。だが、両対局者をはじめ、観戦者の多くは、ずっと白がいいと思っていたという。
右は封じ手。
右下の白は活きたが、わたしには中央の白の活きが見えない。ところがプロには白の活きが見えている。生き死にの問題ではなく、どうやってうまく活きるかの問題で、ただ活きただけでは不満という話だった。
わたしか唯一当てた手が、この手である。というより、黒はなぜここを守らないのか不思議に思っていた。わたしの感覚では、ここに白が来てようやく白がよくなったと思った。しかし、わたしが思っていたほど大きな手ではなかったらしい。つまり、その前も白がよかったということだ。
このあたりは、お互いに手段が見えて織り込み済みのプロと、手が見えずここで勝負というわたしの感覚に、差がありすぎる。正しく観賞もできないほどの差だ。
張名人投了の図、ここまできては大差である。盤面でも白がいい。
名人になるのは、形式的には名人襲位式で允許状を手渡されてから。しかし現実的には、今日から名人と呼んで間違いではない。
挑戦者の決定リーグでは8戦全勝で去年に続き挑戦者になり、二度目の挑戦は4勝1敗で名人位を獲得。
井山さん、おめでとうございます。
謫仙(たくせん)
(2009.10.17)
10月10日は目の日だという。わたし体育の日と覚えていたが、今は違うとバカにされてしまった。その目の日に千寿会のメンバー7人で、渋澤真知子囲碁教室を訪ねた。
高井戸までは少し遠い。わたしには一時間半の距離だ。
去年、渋澤真知子さん主催の囲碁会に出て以来、一度は教室を訪ねたいと思っていた。
真知子さんは棋院の仕事もあり、教室はいつでも開いているわけではないので、事前に予約しなければならない。こちらも各人に都合がある。ようやくまとまったというところ。
高井戸駅で待ち合わせ、教室に向かう。五百メートルほど歩く。住宅街の一画に教室はある。
一階はご母堂の高井戸治療室。
二階が真知子さんの囲碁教室だ。手前の部分だけなのでかなり狭い。あくまでも囲碁教室で、碁会所ではない。
我々が二階に行くと、一組が対局していた。入りきれなくなってしまう。
二階では三人が指導碁、一組が対局。下の治療室の一部を借りて、二組が対局ということで凌いだ。
教室は外見とは裏腹に内装は檜造りのイメージ、碁を学びに来る子どもたちの健康を考えてと聞く。無垢の檜に囲まれた教室は中高年者には憧れ。子どもたちより先に大人が喜んでしまう。
教室の一部にテレビ。さらにパソコンまである。
わたしは、真知子さんはインターネットをしていないと聞いていた。Eメールのやりとりをしていないと。それなのにパソコンがある。モニターの表面はタッチパネルになっているようだ。
「最近は、日本棋院の仕事がパソコンで入るので、仕事の必需品ですよ。ええ、もちろんEメールも」
パソコンがあるためにさらに部屋が狭くなったのだ。
二日前の名人戦の記録係りもしていたので、その話も聞こうと思ったが、全員が指導碁をお願いしては、とても時間がなかった。
途中で、ご母堂がお茶と茶菓子を運んできた。茶碗もこっているが、茶菓子がいい。
ご母堂の手作りの粟餅かな。きなこでくるみ、上に栗が乗っている。
「お母さんの手作り?」
「ええそうです。自然食にこっているので」
「これは粟かしら」
「そうだと思いますけど、わたしもよくは判りらない…」
真知子さんも知らなかった。ただし、「親の心子知らず」ということはなくて、真知子さんは、わたしたちから見るとかなりストイックな食生活をしている。ご母堂の影響が大きいようだ。
肝腎の碁だが、真知子さんはけっこう早打ち、時間は全て我々が考えるために使う。
わたしは四子局をお願いして、右に小目二子、左に星に二子。
「星四子とは感覚が違うので、なんか気になってしまいますね」
とは、打ちながらの感想。
かなりうまく打てたと思っていたが、一手の欲張りで大石が死んでしまった。プロは普通、勝てる場合は殺さないように打つ。つまり、黒が大石を凌げば勝てる碁だったと思う。「貪り勝ちを得ず」の見本のような碁だった。
自由対局は、……悔しいので言及したくない。南帝(なんてい)の三子卒業試験は合格させてしまうし、打ち掛けの二局は負け碁だったし、この調子では、宿命のライバル洪七公(こうしちこう)にも負けそう。謫仙こと魯有脚(ろゆうきゃく)が馬脚を現したようなもの。
夕方、真知子さんに見送られて、駅に向かう。途中で反省会のために焼鳥屋に入る。なにしろ反省会が碁より楽しみな人ばかりだ(^。^))。
「前の日本棋院の碁会のときと比べて、今日の真知子さんは溌剌とした顔をしていたなあ」
「今調子を上げていて、某棋戦の一次予選を突破したところなんだよ」
「以前、酒井猛先生の慰労会のときも来てくれましたね、師匠なんですか」
「直接の師匠は違うんだけれど、酒井先生にはずいぶん教えて頂いたから」
「またいつか、真知子教室に来ませんか。いい反省会場もあることだし」
と、いつまでも続くのであった。
謫仙(たくせん)
(2009.10.11)
白先です。私の実戦に出てきた詰碁です。私が白だったのですが、死んだものとばかり思っていて、しばらくほったらかしにしていました。
かささぎ
(2009.9.30)
愛知の高校を卒業後、西武、ダイエー(現ソフトバンク)、巨人などを経てシーズン、日本シリーズで何度かMVPを獲得した国内現役最年長野球選手・工藤公康投手(46歳)が9月初め、在籍する横浜球団から戦力外通告を受けた。今期は先発から中継ぎに役割を変え、9月15日現在で出場37試合、2勝2敗、防御率6.89。通算勝利数は歴代13位の224勝(139敗)。工藤投手は「横浜ではできなくなるけれど、どこかの球団から求められれば来季も最善を尽くしたい」と現役続行を希望しているという。
40代も半ばを過ぎれば、目も足腰も内臓機能も当然劣化する。若いころのような「成功したい」という願望、ハングリー精神も衰えるだろう。でも野球は個人競技ではないし、1回限りで勝負が決まるものではない。グラウンドに立つ9人だけでなくベンチ入りメンバー、さらに支配下選手全体で長いシーズンを戦い抜くゲーム。工藤投手にはまだまだ活躍の余地が残されているのではないか。「戦力としての価値」そして「商品としての価値」の二つがその根拠だ。
工藤投手は歴代の名投手の中でも投球フォームが美しく、無理がないと言われる。持って生まれた筋肉の強さ、柔らかさはもちろん、私生活や食事面での節制もプロ選手としての自覚が高いようだ。人によって寿命、体力、意欲に大差があるように、彼はアスリートとしての資質に並み外れて恵まれた人材。年齢を凡人と同様に数えたら失礼だろう。
この工藤投手を「戦力」にできるかどうかは、使い方次第だと思う。最近の彼は試合状況に応じていつでも登板する中継ぎ役に徹しているが、46歳の選手には体力・精神力ともにきつかろう。むしろ、6〜7日に1度ほどの間隔で3イニング程度を目安にしたスターターに特化させたらどうか。もちろん勝ち星につなげることは難しい。通算勝利数を少しでも上積みさせたいのは人情だが、今から歴代ベスト10入りを目指すのは無理だろう。本人が欲しいのは勝ち星より登板機会ではないか。
勝ち星の権利は2番手以降の投手に譲られる。ゲームが流れ始めているからプレッシャーに弱い若手投手でも自然に試合に入り込めるだろう。もちろん、たまには序盤に大量点を失って負け試合になってしまうこともあるだろうが、それならそれで投手を無駄使いせず、若手を試すなど明日の試合につなげるゲームをすればいい。毎試合勝とうとするから連敗しやすくなる。
先発・完投を目指した昔と違って、今の野球は先発・中継ぎ・セットアッパー・クローザーという具合に投手の分業が進んでいる。さらに進めて、先発を第一(スターター)と第二に分けてもあまり違和感がないはず。こうした戦いを受け入れやすいのは、弱小球団、特に投手のコマ数が不足しているチームだろう。その意味で現在在籍している横浜は最適だったと思うが、それ以外なら楽天、ヤクルト、広島、オリックスあたりが有望そう。
「戦力」以上に注目したいのは「商品」としての価値。「戦力外」を発表された後、初の登板となった16日の対ヤクルト戦では3点リードされた7回1死二塁で相手チームの4番、5番打者を仕留めて追加点を阻んだが、本拠地の1塁側ファンがフェンス際に大挙して移動、現役続行に執念を燃やす工藤投手の敢闘を称えたという。来期どこかのチームでスターターとして予告先発すれば、観客は大入りになりそうな気がする。
最近の野球は、工藤投手を筆頭に40代またはそれに近い選手の活躍が目立つ。阪神のレギュラー陣には金本、下柳、矢野が顔をそろえるし、ヤクルトの木田、中日の立浪、楽天の山崎、オリックスのローズ、巨人の大道らもまだまだゼニをとれる。精進を重ねて精一杯花を咲かせ続けて欲しい。
ところで碁は、野球やその他のスポーツはもちろん、内外の知的競技を含めても最も選手寿命が長い(雑記帳「囲碁年齢」)。碁界で工藤投手を探せば、大正9年生まれの杉内雅男九段が極め付け。率直なところ大タイトルを争うのは無理かもしれないが、杉内仙人は昨年11月、女流名人・本因坊を併せ持つ平成元年生まれの爆弾娘、シェー・イーミン嬢と激闘を展開、敗れたとはいえ年季の入った芸を見せてくれた(雑記帳「魅せてくれた年齢差70歳対局」)。大正15年生まれの岩田達明九段らも頑張っておられると聞く。
アマの囲碁ファンは圧倒的に熟年層が多い。大ベテラン棋士が若い人に負けずに活躍する姿に心打たれ、励まされる。要は「商品価値」の演出。例えば女流タイトル者や新初段の若者を相手にどう戦うか、仙人らが元気なうちにこうした特別対局を企画してもらいたい。
この7月、ホテルニューオータニで開かれたシューコー老師を偲ぶ会でお目にかかった大竹英雄名誉碁聖・理事長からこんな話を伺った。「リンちゃん(もちろん林海峯名誉天元)やボク(共に昭和17年生まれ)が四天王、河野臨、井山君らとタイトルを争えば碁界はすごく盛り上がるだろうねぇ」と。囲碁界最大の課題は若い囲碁ファンを増やし、国際的に普及することだと思うが、熟年層が夢中になっている姿を若者や囲碁後進国の人も注目する。ボケを防ぎ、いつまでも若い人と対等に息長く楽しむことができる最高の趣味(独断ですが)としての碁を、熟年層が中心になって輪を広げていくのが正しい高齢化社会のありようだと思ったりする。
亜Q
(2009.9.19)
「岡崎由美先生と行く中国の旅」で雲南まで行ってきた。
主目的は、大理にある「天龍八部影視城」。金庸原作のドラマ天龍八部の撮影所だ。
ドラマ作成のため、一億元以上かけて撮影所を作ってしまう。そしてそこは観光地となってにぎわう。他にも射鵰英雄伝では桃花島「射雕英雄伝旅游城」と「桃花塞」。神鵰侠侶では象山「象山影視城」。
金庸小説は昔は発行禁止だった。共産党を揶揄しているといわれた。ところが許可されるや一転、中国の看板になってしまった。
岡崎さんはその金庸小説を訳し紹介した人である。
05年撮影。門の対聯は前に雲松書舎で説明している。
あとで聞いた話だが、門を入ろうとしたとき、ガイドが門の対聯の説明を始めた。岡崎さんが「そんなことはみんな知っています」と遮ったという。時間が惜しい。
説明なしで対聯の意味が判るオタク的な人たち12名と、岡崎さんと添乗員の団体旅行だった。
この旅行記は雲南憧憬に書いている。
この城に珍瓏を中心とした碁の一画がある。
ここから右の一画は、碁に関するいろいろがある。と言ってもたいしたことはない。
「大理旅游杯」第一回世界女子プロ棋戦の参加棋士のサインである。この棋戦の第二回以降は開かれているのか。
小西和子・青木喜久代・祷陽子・万波佳奈・矢代久美子・ゼイノイ・謝依旻の名がある。
2006年11月14日
この石碑の後ろに無崖子の珍瓏棋局図がある。
前に「天龍八部の珍瓏」という一文を書いたことがある。そこではいろいろ考察したが、一応決定版が判った。
珍瓏図。糸は切れ図がゆがみ、鉄はさび、あまりにみすぼらしい。
かなりの打ち手である蘇星河が、30年研究しても解けない。小説では、その珍瓏は、
1.盤上には200以上の石が置かれている。
2.一カ所、20目以上の白石がセキで生きている。それをみずから目をつぶしてセキ崩れで死んでしまう。
3.それが、八方ふさがりの白を救う。
この図にセキはなく、上の条件を満たしていない。
この左下は、評判の高い江戸時代の珍瓏に似ている。
白番である。虚竹(こちく)はでたらめに石を置く。
見にくいが、少し時間をかければ、多くの棋客が、左下に目がいこう。左下は白番の詰め碁「白先黒死」。手抜きは黒が白を取って活きてしまう。
虚竹が打ったのは2−十七、一目抜きである。黒は3−十七ウッテガエシ。ここまでは考えるまでもない。判りやすく図にする。
この後白が数手を打って終局となる。白は3−十八キリを打って左下の黒を殺したはず。手抜きは黒カケツギで生きてしまう。これだけのことを30年研究して判らないとは。
ドラマの蘇星河の棋力はアマ初段に届かないとみた。
ドラマで段誉がここに来たときは右の図であった。
7−十七ウチカキが入っている。これでは黒は2−十八カケツギで活きてしまう。7−十七は不要の一手であった。ドラマではここで白番である。黒は7−十七を打たれたとき、どうして活きなかったのか。おそらく、撮影の手違いであろう。
わたしは、この場面のためにこの珍瓏を作ったことを高く評価している。わたしの知る限りだが、他では碁の図はでたらめばかりだ。
日本では、「篤姫」の碁の場面を梅沢由香里が監修して、高い評価を得ている。こういうところがでたらめだと、他の場面もでたらめではないかと思ってしまうのだ。
ただ、せっかくこれだけの珍瓏図を作りながら、ドラマ撮影の扱い方はお粗末。残念だ。
続いて碁の絵。その前に「珍瓏棋局」の説明。この写真の右には無崖子居。
無崖子居。ドラマでは妙に生活実感のない家だと思ってはいた。死んだと思わせ密かに生活していたのだ。家前の碁はドラマとは無関係。さらに右に無崖棋廬が続いている。
無崖棋廬の中に碁盤があった。碁笥は使いにくそう。これでも碁笥と言うのかな。
…………………………
補足と訂正:「天龍八部の珍瓏」に書いた以外に、ドラマの天龍八部ではもう一カ所碁のシーンがある。段皇帝が黄眉和尚に段誉の救出を頼むとき碁を打つ。これは石の持ち方打ち方が自然であり、今回見るまで気がつかなかったほど自然に流れている。黄眉和尚役の俳優は碁を知っている。
訂正は、珍瓏を「天龍八部−第六巻 天山奇遇」と書いたが、正しくは「天龍八部−第五巻 草原の王国」だった。
謫仙(たくせん)
(2009.9.7)
先方の顔と名前、あるいは職業や社会的立場ぐらいは知っているけれど、先方は私を知らない——そんな相手に初めて声をかける時、私のような古だぬきでも少しは緊張する。相手についての情報が多ければそれに応じた自己紹介もできるし話題も見つけやすいが、見ず知らずの人に対する“拒絶オーラ”が強く漂っているように見える人にはなかなか踏み込みにくい。
その意味で、棋士の中で話しかけやすそうな代表的な存在を挙げれば、一にオーメン(王銘エン九段)、二にヤッシー(矢代久美子五段)、関西ならチョッキさん(宮本直毅九段)。どなたもテレビや『週刊碁』などのコラムで人となりが何となくわかっているし、どんな相手、話題でも受け入れてくれそうな包容力みたいなものを感じる。プロとアマの垣根を自然に取り去って肩肘を張らない環境が周囲にできているような雰囲気なのだ。もっともこの人選にはこれまでお話しさせていただいた先生方は除外しているから、例えば知名度が碁界ナンバー1の由香里姫(梅沢五段)や新婚のこずちゃん(向井梢恵さん)、シューコー老師の一番弟子アベちゃん(安倍吉輝九段)、チクン大棋士やその愛弟子、スジュン兄貴(金秀俊八段)、そして関西ナンバー1のユーキさん(結城聡九段)らは登場しない。つまり、限られた情報の中での私の一方的な思い込みなのだが。
中でも、かねがね「センセイ呼ばわりはお断り」と公言されているユーキさんなどはシューコー老師の思い出、ライバルや先輩たちの素顔、中国・韓国の実力、碁界改革など硬派の話題から、歌やカラオケが好きで結構みーはちゃん的な側面ものぞかせてくれるし、少年時代からの鉄道マニア、無類のトラキチ(熱烈阪神ファン)、ただいま新婚生活初級者だったりで、仮に無人島に二人で閉じ込められても話す種に困りそうもない。
このユーキさんと並ぶ“プロ・アマの垣根を取り外す話題豊富な棋士”、木谷門下ではチーママの弟弟子に当たるオヤオヤ先生(大矢浩一九段)が8月22日の千寿会に登場された。千寿会がスタートした時の第1回ゲストだったからほぼ15年ぶり。テレビや新聞の囲碁解説でもお馴染みの明るいキャラクターと持ち前のサービス精神がよく知られるが、あいにくこの日は何年に1度という不機嫌な状態だったらしい。さっそくご指導願った私をはじめ何人ものザル碁アマ連をちぎっては投げ、またちぎっては投げ、当日最長老のJさんにだけ花を持たせていただいた。
聞けば二日前の22日、本因坊リーグ入りを賭けた最終予選決勝でユーキさんになすところなく敗れ去ったという。その前の準決勝ではチクン大棋士を破り、さらに準々決勝では名古屋を拠点に活躍中の実力派、中根直行八段と延々12時間の対局(持ち時間は各5時間)を勝ち上がり、8年ぶりのリーグ復帰を期して決勝で対決したのが、これまた8年前に共にリーグを陥落した因縁の相手。「今思えば初めからガチガチになって序盤37手で既に敗勢になっていた」とは、さぞかし辛かったのだろう。「おとといの夜から今朝までの二昼夜、何ものどを通らず夢うつつの状態でした」。
この話は会の後、狭い赤ちょうちんでの飲み会に引き継がれ、「三大リーグ入りを賭けた予選決勝はある意味で最も重い対局。少し前の棋聖リーグ入り決勝で絶対の勝ち碁を落とされた高梨君はもっと辛かったでしょう」と千寿会常勤講師、聖健八段への気配りで一段落した。不思議なことに、ここでオヤオヤ先生は立ち直られた。「さあ飲みましょう」の一言を合図に酒でも料理でも見ていて気持ちが良くなるほど次々と平らげてくださる。
当然、話題も縦横に広がる。17歳のお子さんがおられる私生活から修行時代の話、棋士の血液型はB型が多いこと、ご自身も書かれる観戦記については「自分は専門の記者に比べて文章もまずいし言葉も知らないが、中身では負けないつもりで全力を尽くしている」と棋士のプライドを覗かせてくれた。面白かったのは、オヤオヤ先生とはだいぶタイプが異なるように見える小林光一師匠との“確執”。「おまえは勉強が足りないし、そもそも勉強しようという態度がなっていない」と師匠から何度も破門の憂き目にあったらしい。
ということは、その都度師弟関係を修復されたはず。はて、人一倍ストイックな師匠にどんな妙手をもってご機嫌を取り結ばれたのだろう。ウックン・イズミ夫婦をはじめ、河野臨前天元、酒井真樹八段、金澤秀男七段らまじめそうな弟妹弟子に囲まれて、羽目を外しがちな長兄弟子たるオヤオヤ先生が打った手を凡愚な私が拝察すれば次のどれかだ。
1. 頭を丸めてこれからは「心を入れ替えて研鑽に努めます」と正面から謝った
2. 韓国の新戦法をいち早くマスターして師匠に開陳申し上げ、評価を取り戻した
3. 師匠に海外からの客が見えた時、得意の英会話力を駆使して通訳を務めた(千寿会に当日参加した欧州からの若い人を相手にさっそうと英語でご教授されていたのをしっかり目撃いたしました)
4. 師匠の弱み(例えば酒に弱いとか女性に甘いとか)を得意の気配りで何かとカバーして差し上げた
5. 師匠が落ち込まれた時、カラオケにお連れして小田和正の歌を次々にご披露してお慰め申し上げた——。
(間奏曲)
ところでオヤオヤ先生はご自身のブログやHPをお持ちでない。碁界随一の情報力と発信力を持たれるのに、何とももったいない限り。ところが先生いわく、「私はサイトの管理人などという柄ではないし能力もやる気もない」と。余談ながら、こんなところ(情報力・発信力を除いて面倒ぐさがりな点)は血液型も星座も先生と同じ私も似ているような気がする。そう言えばその昔、「MuramasA」とおっしゃる囲碁サイトのパイオニアの方のHPに「大矢浩一コーナー」があって、オヤオヤ先生は折々得意の文章を書き込まれていた。MuramasAさんは「次の1手」と野球のルールを巧みに融合させた「MLG」を創作、ザル碁の私も夢中になって投稿(もちろん別のHN)し、間違って「ホームラン王」になったこともある。オヤオヤ先生もアマと共にこの場に参加され、たまにはアマに花を持たせてくださっていた。もちろん「大矢浩一コーナー」も大好評だった。
そこでオヤオヤ先生とかささぎさんにご提案とお願い。特別な定住先をお持ちでない先生のコーナーを、姉弟子であるチーママを勝手に応援する当サイトの場におつくりして、気が向かれた時にお書き込み願うのはいかがでせうか——。ファンのためを思うオヤオヤ先生の侠気(おとこぎ)に期待するとともに、かささぎさんには「ノーベル賞への道」をまた遠ざけてしまうことになりますが、人一倍気がやさしく社会に貢献される貴兄のことですから、碁界発展のためきっと喜んで管理人を務めてくれはることでっしゃろう。
亜Q
(2009.8.29)
秀行先生の偲ぶ会で記念品としていただいた扇子には「強烈な努力」としたためられていた。扇子の箱には小さな紙が入っていた。そこには、
| 強烈な努力 |
| これだけは伝えたい。 強烈な努力が必要だ。 ただの努力じゃダメだ。 強烈な、強烈な努力だ。 |
| 藤沢秀行 |
と、きつい言葉が添えられていた。私には耳が痛い。
この揮毫について、NHKのクローズアップ現代の秀行先生の特集では、今年の4月、病床で書かれた最後の書であると伝えられていた。とても死を前にして病床にある人の字には見えない。
昨年の12月に行った秀行書展(参考1,参考2)でもこの書を見た。そのときも強烈な印象を持った。NHKで最初にこの書が映し出されたとき、秀行書展で見たから書かれたのは昨年以前で、今年ではないはずなのでは、という疑問を持った。
偲ぶ会で藤沢晶子さんにお会いした。晶子さんは秀行先生の書展のお世話をいつもされている方で、この偲ぶ会でも始終忙しそうに動かれていた。その忙しい中に割り込んで私の疑問を尋ねてみた。分かったことは次の事だった。
確かに、秀行書展でも「強烈な努力」はあった。でも、それは今回の横書きの書ではなく、縦書きの「強烈な努力」であった。(いつもながら、私の記憶はいい加減である。)その書展であの書をほしいという客が来られたのだが、そのとき、既にその書は売れてしまっていた。どうしてもほしいというその方のため、秀行先生はもう1枚書くと約束をされた。その後、秀行先生はご存知のように入院されてしまった。しかし、約束は必ず守られなければならないという信念の秀行先生は病床でそれを実行された。ベッドの上の食事を摂るための細長いテーブル、その上で書かれた。そのため、2枚目の「強烈な努力」は横書きになった。
合掌
かささぎ
(2009.8.23)
歴代プロ野球の中でも稀代のビッグネーム、O・N二人の陰で常勝球団のV9を演出した名脇役にして、現在はS球団の監督を務めるT氏なら朝飯前かもしれない。「リーグ優勝」というちっぽけな目標を捨て、「クライマックスシリーズ(CS)への進出→日本シリーズ制覇」を目指し、日々のペナントレースでは余計なメンツにこだわらず耐えがたきを耐えていく臥薪嘗胆策。常に全力・悲壮感丸出しのG球団H監督とは好対照のオトナの余裕を見せつける。何しろ年間150試合近くこなすペナントレースで3位にさえ入れば、残りの10数試合で日本一への道が開かれるのだから。
最下位に安住するB球団は別にして、3位の座をうかがうT球団やC球団には全力を挙げて戦う半面、極論すれば首位を争うG、D両球団にはいくら負けてもいい。むしろ自らの強みを隠し、相手を欺き通すことが大切。左投げ投手が有効なG球団には右投げ投手をぶつけ、逆に右投げ投手が有効なD球団には左投げ投手を起用する。もちろん、代打の切り札やリリーフエースはここぞという時には決して使わない。犠打、盗塁、ヒットエンドランなどでも目新しい戦法は一切封印しておく。
そしていざCSとなれば、一転してペナントレースとは正反対の戦い方に出る。投手の起用、代打の使い方、さらにレギュラーメンバーさえがらりと変える。例えば現在4、5番の主軸を受け持つ助っ人外人を代打要員に控え、純国産メンバーで打順を組むかもしれない。中継ぎのベテランKや抑えのLを先発させたり、若手の速球投手Yを抑えにしたり、百戦錬磨のD球団O監督さえびっくりするような手を打ってくるだろう。
勤務先の窓際で暇に任せてこんなことを夢想しながらウツラウツラしていると、何とシューコー老師が夢枕に立たれた。「これは私が30年以上も前に打ち出した新手。請われればどこの誰でも教えるのが私の流儀だから、T監督もまた私の弟子なのぢゃ」——こんなことをのたまうのだ。
そう言えば老師は現役時代、最高賞金額をうたって創設された棋聖タイトルを初代から6期にわたって連続制覇して名誉棋聖位を獲得。膨大な借金をあっという間に返してしまった。その間、普通の棋戦では負けがかさんだが、1年を棋聖タイトル戦だけに的を絞る効率的な戦いぶりが逆に賞賛されたりした。もっとも老師にすれば、体力も弱り、断酒も長続きできない。相手は自分より若い上り盛りばかりとなれば、現代にも通じる「選択と集中」はやむを得ない必然の手段だったかも。総合戦力に劣る中で編み出したこの“弱者の兵法”をT監督に伝授したと言われれば、何事も素直に信じる私はなるほどと肯かざるを得ない。
このシューコー老師を偲ぶ会が先月末に開かれた。900人もが集う盛況の中で、私はチクン大棋士をつかまえてこう語りかけた。「シューコー先生も偉大だけれど、三大タイトル独占、本因坊10連覇、7大タイトルグランドスラムと、すべての棋戦で結果を出されたあなたはもっとすごい」と。自慢ぢゃないが、何しろ私はアソーさんと同様「半径1.5メートルの男」と言われている。目の前の人にはついついサービス精神を発揮してお上手を言い、すぐに仲良しグループになるのだ。しかしその後がチトまずかった。
「当時はあなたの相手ばかり応援したけれど、今では心を入れ替えてあなたを応援しています。でも、もうやり残したことはありませんよね」とお追従のつもりで添えたのがチクン大棋士の癇に障ったらしい。そんな話は面白くもないとばかり右足を大きく後ろに伸ばすストレッチを始めながら、「要するにボクが弱くなったからでしょ」と拗ねるばかり。もしかすると、名人戦リーグ残留をかけたライバルの覚さんを応援していたことを見破られてしまったのかもしれない。
そこへ折よく通りがかった碁友M女が、「あらチクン先生、この間NHKのBS放送で拝見しましたぁ」と助け船を出してくれた。チクン大棋士も一人の男、しっとり和服を着こなした女盛りのM女の登場にニコニコして「タイトル戦の立会人も結構大変なんだよね。でもこの際、時計係もやっちゃおうかな」とすっかりご機嫌を直してくれた。ここでM女をエスコートしてきたかささぎさんが余計なひと言を付け加えた。「そう言えば昔、先生はNHK杯で時間が切れはったことがあったんちゃいますか」——M女の背中はきっと冷や汗が流れたことだろう。
ところがさすがはチクン大棋士。「あぁ、あれはイズミちゃん(もちろん、当時時計係を務めていた小林泉美さん)が気を利かせてくれたのよ。あのまま碁を続けていたら惨憺たることになっていたからねぇ」と泰然自若。ファンからこれまで何度も聞かれて慣れていたのかもしれないが、具合のお悪いことをむしろ前向きに受け止めている。ひょっとすると、これもある意味で“弱者の兵法”なのかもしれない。
亜Q
(2009.8.11)

6月28日(日)〜30日(火)に、千寿会の講師でもある水間師叔による、囲碁旅行会があった。千寿会には、29〜30日の誘いであったが、わたしは28〜29日に参加した。30日は仕事だったのだ。
場所は陣谷温泉、陣馬山の麓である。藤野駅に1時に宿のマイクロバスが迎えに来ることになっている。
チェックインは1時半、チェックアウトは11時。その間、温泉に入り、宴会をして碁を打ってという予定。
わたしは朝早く発ち、朝八時前に相模湖駅に着いた。そこから明王峠をえて陣馬山に登り、陣谷温泉に下りた。この時、下りる道を間違えてしまい、陣馬山登山口まで下りて、そこから陣谷温泉へ向かった。陣馬山登山口までは藤野からバスの便もある。そこから登り道を二十分ほど歩いて陣谷温泉に至る。
この入り口から数十メートル行くと玄関。
玄関。斜面に建っているため、ここは二階。写真は朝早く。
この玄関を入ると、水間さんと孔令文さんが迎えてくれた。すこし遅れたのだが、「いまNHKの日曜対局が放送中なので、それが終わってから会を開きます」と言う。
とりあえず、檜風呂に入り、着替えをして会場に行く。
会場は藤沢秀行さんの直筆による、「幽玄」の額。
ゆったりした対局室。あまり広くはないが、落ち着いた雰囲気。この部屋がいっぱいになった。
水間俊文さんと孔令文さんが三面指導碁を打ち、他の人は自由対局。碁会所などで行われる点数制。なんとか打ち分けて、帰るときも点数は変わらなかった。
夕食は大広間で大盤で連碁を打ちながら。連碁は座興ながら、思わぬ手にはっとさせられることが度々。
夕食後は会場に戻って対局。遅くなったので部屋に引き揚げようとしたら、大広間で、両師と宿の主と数人で飲みながら会談中。わたしも仲間に入れて貰った。宿の主は碁の高段者で今回の最強者と互先で碁を打ち出す。まわりは冷やかしながらの見学。
令文さんが、日本や中国の碁の現状などを、熱く語っていたのが印象的。
わたしは日付が変わる前に部屋に戻った。みな寝ていた。
翌日朝早く起きて、付近の散歩。紫陽花が咲いていた。
朝霧が湧き出す。濃い場所では向こうが見えないほど。
林の中にも朝日が入る。
前日の急ぎすぎた下山で、かなり足が痛い。ゆっくりと一時間半ほど歩いたが、急勾配の下りは痛みがひどい。これは結局、痛みが引くまで三日かかった。
朝食前から対局開始。この日他に客の予定がないので、11時過ぎてもかまわないと言われていたので、朝のうちに希望者は昼食を依頼した。
それでも午後早々に残った人も帰ってしまい、わたし一人、4時過ぎまでいた。29日〜30日の参加者と対局。
帰るときは宿の主に藤野駅まで車で送ってもらったが、これは水間師叔の特別な依頼によるもの。宿の車による送り迎えは団体のみ、個人ではしてもらえない。
わたしは初参加だったが、今回の「囲碁旅行会」は二回目。人数のめどが付かないと場所の選定も難しいだろうな。三回目もあれば参加したいと思っている。
謫仙(たくせん)
(20097.14)
去る5月8日、藤沢秀行名誉棋聖が享年83歳でご逝去さいました。秀行先生への感謝の気持ちを込めて、追悼の会が下記の要領で催されます。参加申込に関しては日本棋院ホームページをご覧下さい。
日時:7月24日(金)18:00〜
会場:ホテルニューオータニ (芙蓉の間)
会費:1万円
案内状[pdf]
かささぎ
(2009.7.13)
書展「臨泉展」(佐々木泰南生誕100年記念作品展示)が上野の森美術館で下記の日程で開催されます。棋士も出展されます。
日程:7月18日(土)〜23日(木)10〜5時まで(最終日3時まで)
かささぎ
(2009.7.13)
黒 小嫦娥 六目半コミだし
白 謫仙
左下で戦いが始まった。そして、24目もの白石が全滅。
本来なら投了するところだが、右側が手つかずの状態だったため、もう少し打ってみようと、大きく風呂敷を広げた。
黒は中央から圧迫して白地を制限するだけでいいのに、中に打ち込んできた。これが実戦心理なんだろうな。その14目を殺しては振り出しに戻ったと思う。
そこで、黒は上辺の白に手を付けてきた。
ここで、この劫に負けたらAが取られBを助けると後手、と大錯覚。劫に負けてもCにつなげばよい。それに気が付かず長考してしまったのが大失敗。なによりDに打って活きておいて、それからの話であった。たとえABを取られても、白は右上に先行すれば、勝機はある。
それがABを取られては足りないと読んだのが問題だった。長考の末、なんとついでしまったのだ。
小嫦娥は「碁は錯覚の藝なり、と言ったのは誰だったかしら」などと言いながら、黒3と打つ。
聖姑みたいなことを言うなと思いながら、「誰だろう、中山典之さんじゃなかったかしら」と白4に応じた。
黒5となったとき、なんと打ったつもりのDを、まだ打っていなかったことに気づいた。
うわー、オワだ。わずか数手の間に大きな錯覚が三つも重なっては、いくらなんでも勝つのは無理だ。
ABを取られても右上に回れば…、というのはかなり高度な話にしても、劫を謝っても問題ないのは初心者でも判りそうなもの。まして、活きるのを忘れて劫の解消を先に打ち、黒5を打たれるまで気が付かないとは話にならぬ。
「碁は錯覚の藝か…」
「碁は錯覚の藝だけど、これは単なる錯覚、藝とはとてもいえないでしょう」
そこまでダメを押すか!
謫仙(たくせん)
(20096.28)
田中芳樹の小説に「奔流」がある。時代は南北朝の梁の武帝(在位502〜 549)の時である。
この時代に淮河の中流域の鐘離で、鐘離の戦いという、中国史上最大級の戦いが行われている(506〜507)。梁の建国まもないころである。
北朝の魏軍八十万。対する南朝の梁軍二十万は、降り続く雨を味方にして、陳慶之らの活躍で魏軍を撃退した。
この陳慶之だが、武帝(蕭衍しょうえん)に建国前から仕えていた。子供のとき、蕭衍の雑用をしていたのだ。(以下赤字は原文のまま)
P23
ある日、蕭衍は退屈をおぼえ、庭園に出たところ陳慶之が孔雀に餌を運ぼうとするのに会って、囲碁の相手をさせることにした。
武芸と同じく、囲碁は、初心者が熟練者に勝つことはまずありえない。蕭衍としては本気で陳慶之と勝負するつもりなどなかった。どこまでも時間つぶしの遊びのつもりで、石の置き方を教え、白石を持って悠然と打ち始める。かるくあしらううちに、油断して、まずい一手を打ってしまった。
「こいつはまずい手を打ったな。ここを突かれれば私の負けだが……まさか子雲めが見抜くことはできまい」
そう蕭衍が思っていると、黒石をつまみ上げた陳慶之が、実に自然な動作で、盤上にそれを置いた。蕭衍は愕然とした。陳慶之が黒石を置いたのは、そこに置かれてはまずいという唯一の場所であった。
いささかあわてて、蕭衍は次の手を打ったが、互いに五手ほど打ち合うと、蕭衍の形勢がいちじるしく悪くなった。ついに蕭衍は追いつめられ、敗北してしまったが、むろん納得できるものではない。
この時、蕭衍三十三歳、陳慶之十三歳であった。
…、たてつづけに七戦して、蕭衍の二勝五敗。完璧に事を運んだときには蕭衍が勝ったが、わずかでも失策したときは、ことごとく敗れた。このあとおかかえ棋士を呼ぶ。
「これは囲碁の勝敗を見るのが目的ではない。ゆえに命じるのだが、一度だけ悪手を打て。そしてそれ以外は決して手を抜いてはならんぞ」
そして命令どおり悪手を打つのだが、
…悪手といえど、容易に凡人につけこめるものではない。それが悪手と気づく者すら少ないであろう。だが、つぎの瞬間形勢は逆転していた。最初はおやといいたげであった棋士の表情がみるみる変わり、あわただしく防戦に努める。やがて面目なげに棋士は投了し、…
そして十年後、陳慶之は梁の武帝となった蕭衍の将に任命される。白馬三百頭で一軍をつくり、その隊長となる。
戦いの途中で相手が乱れ、いまあそこを突けばわが軍が勝てるというとき、いきなり白馬三百騎が現れそこを突く。それを繰り返し陳慶之隊は連戦連勝することになる。後には白馬三百騎が現れたというだけで、敵が勝手に崩れていくほどになる。
陳慶之は生涯無敗。
もちろん田中芳樹の小説であり、青史では、陳慶之は鐘離の戦いには登場しないらしいし、無敗でもないらしい(わたしには確かめることはできない)。正史はどうだろう。
それにしても五十万もの大軍が犇めく中に、ここぞと言うときにいきなり登場する、などということができるだろうか。そして陳慶之の特徴を表現するためとはいえ、上の碁の記述はありえないだろう。
蕭衍は有能で王朝を建てるほどの才能の持ち主、おそらくは有段者であろう。決して初心者ではない。お抱えの棋士は、アマとしても高段の力があると思う。初二段ではなかろう。
そのような棋士が、その日に石の置き方をおぼえたばかりの少年に、一手のミスで負けることは考えられない、あり得ない。それ以外は手を抜いていないのだ。碁を知らない人はそんなものかと思うだろう。しかし、実際は一手のミスのはるか前で碁は終わるだろうし、そもそも、少年が間違えないこともあり得ない。
ヒカルの碁で、ヒカルが碁を覚えるまでどれほどの時間がかかったか。陳慶之は藤原佐為より前の時代の人のようだし(^_^)。
著者の田中芳樹は本当に碁を知っているのか、意味が判って書いているのか疑問に思ってしまった。しかし、
>武芸と同じく、囲碁は、初心者が熟練者に勝つことはまずありえない。
と記述していることが気になる。意味が判って書いているようでもある。陳慶之隊の性格を実に上手く表現したと思う。が、しかし碁は………。
武侠小説として読んでみるか。ちなみに田中芳樹さんは母上に「武侠小説とは」と問われて、「中国の立川文庫」と答えたという。「座布団一枚!」だ。
金庸の降龍十八掌(謫仙楼対局に出てきた亢龍有悔・飛龍在天など)は、わたしの年代なら、赤胴鈴之助の「真空切り」だ。大傷や骨折も秘薬を付けると一瞬で治ったり、馬よりも早く走ったり、水の上を走ったり。そのつもりで奔流の碁の記述を読むと…………やっぱり無理だ。
参考 奔流
謫仙
(2009.6.12)
例の公然わいせつ騒動があって、こんな川柳を思い出した。詠み人も詠まれた時代も知らないが、人生の半ばを過ぎた私にもなぜか癒しの気分を分けてくれる名句だと思う。
内蔵助とはもちろん赤穂の大石さん。武士道を貫いた忠臣の鑑として今なおもてはやされる存在。主君浅野内匠頭の無念を晴らすため1年有余を復讐の鬼となってひたすら宿敵吉良上野介を追い続け、ついに本懐を遂げた。でも、ご本人の心の内はどうだったのだろう。茶屋遊びを重ねて世間をあざむきながら苦節の日々を送る中で、ある日つくづく仇打ちなどという封建的な絆が呪わしくなり、いっそこんな憂鬱な志を捨て去りどこか平和な村里にでも隠遁して人間らしく生きようと考えたことがあったのではないか。
でも大石さんには無責任に放り出せないきつい縛りがあった。一つは亡き主君が遺した恨みの歌。「風誘う花よりもなお我はまた名残の春を如何にとやせん」とは、まさに「仇を討ってくれ」との主命に聞こえる。もう一つは自分を信じてつき従う四十七士の存在。もうどうにもならずに、「仇打ち→切腹」への道をひた走ったのかもしれない。
深夜の公園で裸になって大声で叫んだタレントの気持ちを窺うことはできないし、門外漢の私があれこれ言うのは僭越だろう。でも、彼が内蔵助のような気分になったと想像してもあまり違和感がない。例えば亡くなられたシューコー老師のような天下御免の大人(たいじん)ならばせいぜい笑い話程度で事件にはならなかったろうが、まじめな印象が強かったクサナギさんの場合はサプライズが大き過ぎた。
碁界の内蔵助を探すなら、もちろん大竹英雄理事長。名人戦男と言われ、名誉碁聖称号を持つなど碁界を支えたトップ棋士であることは言うだけ野暮だが、内輪の会合などでしばしば嘆息されるらしい。「“大竹美学”などとありがたい讃辞をいただいたお陰で、随分タイトルを逃がした」と(きっと受けるでしょうね)。
この話と裏腹の関係にあるように感じられるのが、昭和の将棋界で活躍された芹沢博文棋士が肝胆照らす仲の直木賞作家、山口瞳さんと飲んだ時の“号泣”。芹沢氏は将棋界随一の才人・粋人と言われ、米長邦雄将棋連盟会長によると「シューコー老師の弟分」的存在だったらしい(米長さんご本人は自らを“甥っ子”的存在と位置づけている)。文章も会話もいつも研ぎ澄まされ、それでいて温かい人柄がうかがわれ、将棋界というより日本を代表する文化人だったようだ。
その芹沢さんがはしご酒の果てに行き着いた場末の屋台で突如「ああ、俺は、名人にはなれないんだな」との想いがこみ上げて山口さんの前で泣き伏した。山口さんの著書「血涙十番勝負」によると、芹沢さんの脳裏には、日ごろ可愛がり鍛えた11歳年下の弟弟子、中原誠16世名人の存在があったらしい(ご承知の通り、中原さんは先ごろ引退された)。プロの将棋棋士は約170人。世界で最も人数が少ない職業の一つと言われ、この50年間で名人に就いたのはたった9人だけ。囲碁の棋聖就位者も少ないが、将棋の名人とは歴史年数において比較にならない。「俺は名人になれない」——口に出すかどうかは別にして、囲碁でも将棋でも大多数の棋士にはそう思い知らされる瞬間があるのかもしれない。
ついでながら“千寿会の芹沢さん”と言えば、もちろんかささぎさんだ。勤務先のマネージャーが変わると研究テーマも見直され、彼の積み重ねてきた貴重な研究成果が今一歩のところでノーベル賞に届かない可能性が出てきたようなのだ。そのせいか、碁に賭ける情熱はいや増すばかり。昨年末にシューコー老師と握手したのが効いたのか、これまで見られなかった飛天の着手が駆け巡り、まさに絶好調。ライバルの私が打てる手は唯一つ。かささぎさんを場末の屋台に誘って飲むしかない。
亜Q
(2009.5.26)
石の猿 ジェフリー・ディーヴァー 訳 池田真紀子
この小説は探偵ものといったらいいのか。シリーズで4作目。
新井素子さんが「サルスベリがとまらない」の中で紹介していた一冊。碁を知らなければそんなものかと思うが、碁を知ったら……、と疑問を呈している。
車いす生活の、元警部補で犯罪研究者リンカーン・ライムを中心にした一団が、中国蛇頭の殺し屋、ゴーストといわれるクワン・アンを探し逮捕する話。アメリカの、深刻な大量の密入国者問題と科学犯罪捜査技術を扱っている。
小説のできはかなりいいらしい。わたしの好みではないので、小説については書かない。
ソニー・リーという中国公安局刑事が、ライムに碁をやろうと持ちかける。ライムは碁を知らない。そこで教わってやることになるのだが、その文を紹介する。
P204〜205。以下赤字は原文通り。
ライムはリーが紙袋から取り出してベッド脇のテーブルに置いた碁盤を見つめた。格子状に線が引かれ、垂直の線に番号が振られていた。次に紙袋から現れたのは、二つの袋だった。片方には白い小石が、もう一方には黒い小石が何百個も入っていた。
ライムは俄然やる気になった。ルールとゲームの目的を説明するソニー・リーの生き生きとした声に、全神経を傾けて聞き入った。「ふむ、簡単そうだ」ライムは言った。二人のプレーヤーが順番に盤に右を置いていく。敵の陣地を囲んでいって、盤を広く占めたほうが勝ちだ。「圍棋もほかの面白いゲームと同じだよ。ルールは簡単だけど、勝つのは難しい」リーは石を二つの小山に分けた。分けながら続けた。「古い歴史のあるゲームだよ。偉大な棋士をいつも研究してる。名前はファン・シピン。西暦一七〇〇年代の棋士だ。ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。スー・ティンアンという、同じくらい強い棋士とよく試合をした。たいがいは引き分けに終わったが、かならずファンが幾目か勝っていた。だから、総じてファンのほうが強かったわけだね。どうして強かったかわかるかい?」
「さあ、どうしてかな」
「スーは防御の棋士だった。だけどファンは……つねに攻めていた。いつも前進を続けた。直感的だった。大胆だった」
ライムはリーの熱意を感じ取った。「きみはよくこのゲームをするのかね?」
「故郷では同好会に入ってる。そうだね、碁はよく打つよ」彼は一瞬押し黙り、切なそうな表情を浮かべた。ライムはなぜだろうかと首をかしげた。やがてリーは脂っぼい髪をかきあげると、言った。「よし、始めようか。疲れた顔をしてるね。ゲームは長くなるかもしれないよ」
「疲れてはいない」ライムは答えた。
「俺もだ」リーは言った。「そうだ、あんたは初心者だから、俺にハンディキャップをつけよう。最初に三個よけいに石を置いてやるよ。大した違いに思えないかもしれないけど、圍棋では大きな違いだよ」
「いや」ライムは言った。「ハンディキャップは要らん」
リーはライムの顔をちらりと見て、ライムは身体の障害のせいでハンディキャップをつけてもらったと思っていると考えたらしい。そして真剣な声で付け加えた。
「あんたは今回が初めてだから、ハンディキャップをつけるだけだよ。理由はそれだけだ。場数を踏んだ棋士はたいていそうする。慣例だよ」
ライムは理解し、リーの気遣いをありがたく思った。しかし、断固たる口調で宣言した。「ハンディキャップは要らない。きみが先手でいいぞ。さあ、始めよう」
リーは二人の間に置かれた碁盤に目を落とした。
ここで碁の話は終わり。この記述、著者が碁を知らないのではないかと思われる。
新井素子さんは、「ハンディ三子」などに意見を書いていたが、わたしはこの記述のおかしさを考えてみたい。
リーは同好会に入っていて、仕事で大量殺人の捜査でアメリカに出張する時も盤石を持ち歩くほど。おそらくは有段者であろう。間違っても5級以上、初心者ではあるまい。
教えるリーが中国人なので、中国語の「圍棋」を使うのは仕方ないが、その知識は偏りが見られる。
1 格子状に線が引かれ、垂直の線に番号が振られていた。
★ 持ち歩く碁盤に「番号が振られていた。」とは驚き。そんな持ち歩きの碁盤があるのか。これはわたしの知識の狭さを感じた文章。
2 片方には白い小石が、もう一方には黒い小石が何百個も入っていた。
★ 黒石181個、白石180個、それぞれ200個に満たない。これを何百個というか。
まあ、両方合わせれば361個なので、「何百個」相当するが。
3 「ふむ、簡単そうだ」ライムは言った。
★ 一度説明されただけでゲームが理解でき、「簡単そう」と思う人がいるだろうか。確かにルールは簡単だが、聡明な人ならゲームは複雑で難しいと思うだろう。
4 敵の陣地を囲んでいって、盤を広く占めたほうが勝ちだ。
★ 「敵の陣地を」ではなく、空き地を囲む。
5 リーは石を二つの小山に分けた。
★ 初めから白黒に別れていた。なぜここで分けるのだ。
6 偉大な棋士をいつも研究してる。名前はファン・シピン。西暦一七〇〇年代の棋士だ。ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。スー・ティンアンという、同じくらい強い棋士とよく試合をした。
★ ファン・シピンとスー・ティンアンは実在の人物だろうか。このあたりに著者の知識の偏りと限界が見える。日本の碁を知らなかったのか、あえて無視したのか。
7 たいがいは引き分けに終わつたが、かならずファンが幾目か勝っていた。
★ 引き分けたのか、かならずファンが幾目か勝っていたのか、どっちなんだ。
おそらく著者の頭にチェスがあって、同じくらいなら引き分けると思ったのではないか。コミのない時代、プロレベルの同じ棋力の人同士で、引き分けることは絶対にあり得ない。プロなら二段差以上ありそうだ。仮に同程度で引き分けることが多くあったとすれば、この二人のレベルはアマ高段程度か。間違っても「ファンほど強い棋士はいまだに出ていない。」などというハイレベルではない。
8 「スーは防御の棋士だった。だけどファンは……つねに攻めていた。いつも前進を続けた。直感的だった。大胆だった」
★ それは棋風で、それだから勝った、とは言えない。棋風の説明と考えるか。
9 「そうだ、あんたは初心者だから、俺にハンディキャップをつけよう。最初に三個よけいに石を置いてやるよ。大した違いに思えないかもしれないけど、圍棋では大きな違いだよ」
★ おいおい、ハンディなら井目(九子)にすべきだろう。まあ、ここはライムが碁を理解するまでの練習だから、それで三子でもかまわないが…。それに「余計に石を置いてやる」とは白も石を置くつもりか。初めにタスキに石を置いてからゲームを始めた戦前の中国の碁のルールを基にして考えているのか。
10 「あんたは今回が初めてだから、ハンディキャップをつけるだけだよ。理由はそれだけだ。」
★ それなら井目だろう。このあたり著者が置き碁の意味を理解していないと思える。教えるためなら互い先で問題ないはず。
11 場数を踏んだ棋士はたいていそうする。慣例だよ」
★ 場数を踏んでなくてもそうする。
本当に碁を知っているのだろうか。碁の説明書を読んで、それを基にして、理解しないまま書いたとしか思えない。
…………………………
章の扉に次の説明がある。小説全体を碁に見立てているようだ。その説明を読んでいると「どこか違うなあ」と思ってしまう。
第一部 蛇頭
圍棋(囲碁)という語は、二つの中国語からなる。“圍”は包囲することを“棋”は陣地を指す。よって圍棋は、生存を懸けた闘いを象徴する。“戦争”ゲームと呼んでもいい。
−ダニエル・ペコリーニ&トン・シュー『圍棋』−(以下同じ)
★「棋」を辞書をひくと、現代中国語辞典 香坂順一編著 では、
象棋〔将棋〕・圍棋〔囲碁〕など。
学研漢和大辞典 藤堂明保編では、
1 四角い盤の上で打つ囲碁。また、碁石。
2 四角い盤の上で打つ将棋。また将棋のこま。
四角い木の盤
とあり、いずれも陣地の意味はない。
第二部 美しい国
勝敗を決めるのは、いかに先まで見通す事ができるかどうかである。相手の動きを読み、戦略を見抜いて攻めた者、相手の防御策をあらかじめ予測した上で攻めた者が勝つ。
★ 「……で攻めた者が勝つ」とは限らない。間違っているとは言えないが、ずれを感じる。わたしなど読み勝って碁に負けることはよくある。
第三部 生者と死者の名簿
圍棋の試合は……二人の棋士が何もない碁盤を挟んで座り、有利と思われる場所に石を置くことから始まる。何もない升目は試合の進行とともに消えていく。やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。ちょうど現実の世界で起きる戦いと同じように。
★ 升目ではなくて交点。いつも「やがて二つの勢力はぶつかり合い、攻防は激しさを増す。」わけではない。
第四部 悪鬼の尾を切る
圍棋の試合は、対戦する棋士の実力が拮抗していればいるほど面白い。
★ これは、その通り。まあ、このリーのように弱い者いじめ(初めての人に三子局を申し出、結局互先で三連勝)で楽しむ人もいるが。
第五部 待てば海路の日和あり
相手の石を有効に取るには……相手の石の周囲に隙を残さず完全に囲わなくてはいけない……完全包囲されて初めて部隊の兵士が敵の捕虜となる実際の戦争と全く同じである。
★ 「有効に取る」とは何だろう。有効でない取り方があるのか。翻訳のミスかな。それに完全に囲んでも、二眼で活きている石は取れない。これが実際の戦争とは全く異なる。
謫仙(たくせん)
(2009.5.16)
碁にのめりこみ始めた15年ほど前、碁会所や公民館などで牢名主のような強豪たちにずいぶん可愛がって(いたぶって)もらった。概ね私より10年ぐらい年上。私が打つ手などハナから想定内。シタテがいやがる手ばかり繰り出され、1局終わるとへとへとになった。それでも終局後に丁寧に手直ししてくれたり、休日の1日をマンツーマンで特訓してくれた先輩もおられた。
こうした良き先輩と千寿会の皆様のおかげで、今は強豪たちへの置き石を減らし、たまには互角に打てるようになった。何より、昔感じた怖さがかなり薄れてきたのがうれしい。中には、いつもは早打ちなのに私相手になると序盤から1手1手考えながら打ってくれる人もいる。しかも手合い条件も他の場合より1子分自分に厳しくして。だから率直に言ってかなり打ちやすい感じを持つことが多い。中盤の入り口ですでに「この碁は終わった」と思うことさえある。
しかし、こんな碁ほど負かされる。まさに蟻の一穴のようなところからガラガラに崩されるのだ。この人は私より7歳ほど年長、大学囲碁部で強くなられた県大会の常連。定年後は地元の碁会所で低段クラスまでを対象にした囲碁教室の講師もされている。この人が私を指して「遅く始めたK君(亜Q)に簡単に負けるわけにはいかない」と言っていたと、別の人から聞いたことがある。こんな私を意識していてくれたとは、ザル碁冥利に尽きる。私も年をとるが、彼もまた年をとる。いつの日か、黒番できっちり勝たせていただくことができれば、最高の恩返しになるだろうが、チト無理かな。
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棋聖戦最終予選決勝 180 (122), 214 (135), 215 (114) (読売新聞より転載) |
愚にもつかないこんな与太話をしたのは、棋聖戦最終予選決勝で高梨聖健八段が宮沢吾朗九段と対決した棋譜を主催紙の読売新聞で見たから(第1〜7譜)。黒番を当てた貴公子が右上隅小目に置いた黒1に4分、対する白番の宮沢九段は左上14−三に置いた白2に21分かけた。観戦記のベテラン、赤松記者は「宮沢は盤上に没入するタイプ。あるいは、はやる闘志を抑えようとしていたのか」と記述している。
解説は関西棋院の円田秀樹九段。両者が時間をたっぷり使い合って中盤の入り口にさしかかった黒27までの局面を「黒が打ちやすいのでは」と遠慮がちに指摘されていた。ところが「宮沢は乱戦志向。白28と右辺を挟んだ手を境に戦線を拡大していく」(赤松記者)。その後の推移を記事から要約してまとめることなど、ザル碁の私にはできっこない。ただわかるのは、吾朗九段が(善悪を超えて)終始かく乱戦法を繰り出して貴公子を挑発しているように見えたこと。自らの薄味には目もくれず、相手の意表を突くことしか考えていないようにさえ私には思えた。
この碁の持ち時間は5時間。国際棋戦と比べれば長いが、勝つと負けるとでは天国と地獄に分かれるリーグ入りを賭けた両者には無我夢中のわずかな時間だったかも知れない。「形成利あらず」と見ていたらしい吾朗九段が紛れを求めて「これしかない手」を矢継ぎ早に繰り出して必死の追及を見せる一方、「どう打っても形勢は悪くない」と思われる貴公子の着手は少しずつ伸びを欠いたらしい。中盤過ぎから貴公子が常に30分ほど白より多く時間を消費する中で黒は何度も勝ちを逃し、その挙句「黒137(13−二)が敗着で白の逆転勝ち」(赤松記者)。終局後、ひと言も感想を言わずに貴公子が立ち去った(つくり笑顔の感想戦は貴公子には似合わない)後、吾朗九段は「(白は)バラバラになってつぶれていた。最後はこれしかないという勝ち筋に入って…」とうれしさを押し殺すように振り返ったという。
私の興味をひかされたのは両者の対戦成績。この対局まで貴公子の2勝1敗だったが、この2勝はいずれも吾朗九段の時間切れ負けというのだ。プロたる者、手合い時計を押し忘れることはあるまい。もともと“没入型”の吾朗九段が貴公子に対してはさらに感情を入れ込んで、まさに無我の極致に陶酔してしまうのではないか。これはいったい何だろう。
吾朗九段は今年11月に還暦を迎える。風貌は最近亡くなられた俳優の緒方拳さんを少々崩したようないかつい(男っぽい)感じ。北の漁場の大時化(しけ)の海で、愛息のさかな君と共に小さな親子舟を操る姿がぴったりくる。対する貴公子の印象は正反対。スラッとした現代風イケメン、棋風も覚さん譲りの正統派。文章を書かせればなかなかいけるし、歌もうまい。吾朗九段が貴公子を「オレとはまるで違うタイプだが、外見に似合わずなかなか碁がしっかりしている」と認めていたなら、「この若造にだけは負けられない」と思っても不思議ではない。
貴公子は最近、「“好き”の反対は“嫌い”ではなくて“無視・無関心”」とブログに書かれていた(気がする)。裏返して見れば、相手を意識するのは“好き”の証拠。とすれば、貴公子に対する吾朗九段の“意識過剰”は多少ノーマルではないかもしれないが、男が男に惚れた一種の“片想い”ではないか。貴公子にとって今回の敗戦は悔やみ切れない痛みを伴ったと思われるが、碁の勉強と相まって人間的な魅力をさらに磨き上げていかれれば、きっと近い日に大きな実りを手にされるだろう。この5月で38歳になられる貴公子はいまだに独身。きっと、飛び切りの大器晩成タイプに違いない。
亜Q
(2009.4.29)
掲示板のほうに書いた問題の解答を早くアップしろとの、亜Q氏からのやんやの催促なので、そのときに書いた文章をここに掲載させていただきます。
囲碁とは全然関係ないですが、わが家に珍客が尋ねてきたので紹介します。自宅にいると、ベランダの窓ガラスに鳥がけんかをしながらぶつかる音がしました。ベランダに影が見えているのでそっとのぞいたら、なんとオオタカがいました。このときは分からなかったのですが、足には鳩が握られていました。このあと、地面に下りて、羽をむしって、食べていました。20分ぐらいかかって食べた後、片足で食べ残しを掴んで、飛び去って行きました。たぶん、うちの近くの平林寺に住んでいるのでしょう。
というわけで、正解はあどさんの書かれたように2.でした。
かささぎ
(2009.4.26)
千寿会とは1994年に始まった会で、小林千寿氏を慕って集まってくる海外からの棋士志望者と、 それを支える日本人囲碁愛好家たちの交流の場です。 会員募集中現在会員募集中です。ご興味のある方は本ページの上部に記載されているメールアドレスまでご連絡ください。ただし、入会資格は厳しいです。 |
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| 千寿先生の指導碁風景 |