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「中国の碁のルールの変遷」「渋沢真知子初段がジューンブライドに」「還珠姫の碁」「還珠格格の碁」「新公益法人の初仕事」を雑記帳 に移動(2011.1.25) |
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2012年の千寿会新年会は、講師を務めていただいた千寿師匠と高梨聖健八段、その新妻の井澤秋乃四段が市谷の日本棋院で開かれた「ペア碁選手権2012」会場から駆けつけ、関西の囲碁雑誌『梁山泊』編集部の長谷川加奈美女史も加わって大賑わいだった。
都内で新婚生活を始めてまだ2ヶ月足らずのご両人は、互いの呼び方を尋ねられてもじもじされた。家の中で秋乃さんは「名前を呼ぶ」と答えられたが、どうやら「ケンさん」と呼ぶらしい。聖健さんは確答せずにとうとうモニョモニョしたまま。「現代のナルシスト」と棋士仲間から呼ばれる聖健さんにとって、こんな内輪のことを他人に聞かせるのは恥ずかしいのかもしれない。では、仲間内ではなく外部の人の前では連れ合いを何と表現するか。聖健さんは「ボクの奥さん」と答えてくれたが、秋乃さんは悩みっぱなし。お二人はそれぞれ昭和46年、53年生まれだから“熟年結婚”と言うべきだろうが、新婚独特の初々しさが感じられて千寿会会員の微笑を誘った。
そんなやり取りの合い間、二人のご成婚で強力な囲碁ファミリーが誕生したことに気がついた。聖健さんの愛妹の聖子(しょうこ)さん
はご存知の通り、山下敬吾名人・本因坊の愛妻であり囲碁インストラクターも務めるアマ強豪。秋乃さんの愛妹の萩乃さんも囲碁インストラクター。親族5人でこれだけのメンバーが集まるのは珍しい。
ところが、本家本元が身近におられた。もちろん、千寿師匠を長女とする小林ファミリー。長男の孝之さんは日本棋院所属の準棋士、次男の健二さん、三男の覚元棋聖・碁聖、さらに覚さんの女婿、孔令文七段(新年に昇段)を含めてプロ棋士が5人勢ぞろい。向井三姉妹も長女の芳織二段が三村智保九段に嫁がれたから長島梢恵二段、向井チアキ五段(新年に昇段)でプロ棋士4人。羽根直樹碁聖も父親の泰正九段、夫人のしげ子初段と義兄の松岡秀樹八段を加えてプロ4人。棋聖、名人、碁聖などの名誉称号を持つ昭和の大棋士、小林光一さんは女流マルチタイトル者で愛娘の泉美六段、女婿の張栩棋聖・王座(大七冠)で鉄のプロ棋士トリオ。関西総本部の山田紀三生元王座・NHK杯者を中心とする山田三兄弟もいる。このほか、王立誠元棋聖・王座は長女がプロ、長男は挑戦中。夫婦、親子、兄弟の二人プロ棋士は多数例がある。棋士という職業は、家庭と職場環境に加えてDNAに才能と適性が左右されるから、身内が多いのは当然なのだろうか。
となれば、どこのファミリーが最も強いのか知りたくなるではないか。仮にチームメンバーを5人、3勝すれば勝ちとすると、組み合わ
せ抽選の運不運や無名の身内助っ人の存在も絡んで予測はとても困難。少なくとも、昔開催された星座別対抗戦より興味深いと思われるのだが、どこかスポンサーになっていただけないものか。このご時勢では難しいとなれば、稀代の強運の持ち主、かささぎさんに宝くじを当てていただいて、「かささぎ杯囲碁ファミリー対抗戦」を創設していただくのが早いかもしれない。
亜Q
(2012.1.29)
1月21日は今年初めての千寿会。
指導棋士は久しぶりに高梨聖健八段。
もちろん千寿先生もいて、iPadの話に花が咲く。
先生のiPadが壊れて交換して貰ったが、データーが消滅してしまった。iPadはデーターを保存できない欠点がある、とか。
先生は先日京都に行って舞妓さんと碁の話をした。その写真をiPadで見せて貰った。手つきが様になっている。
我「このお姐さん、碁を打てるの」
師「いいえ、そこでわたしが石の持ち方などを教えただけで、碁は打てない方で
すよ『こうどすかー』なんて言いながら…」
我「いい手つきしているねえ、打てないとは思えない」
師「きっと、このお姐さんは踊りも上手じゃないかと思うの」
我「なるほど。大きな声じゃ言えないけど、◯◯さんよりいい手つきだねえ」
師「大きな声で言っているじゃない」
本人には聞こえなかっただろうな(^_^)。
わたしもガラスの碁石では上手く持てないことが多くなった。千寿会のハマグリと那智黒の碁石なら普通に打つことができる。
高梨聖健八段には指導碁を打っていただく。千寿会では“貴公子”といわれている、なじみの深い棋士だ。去年の12月4日に結婚したばかり。新婦 は元関西総本部の井澤秋乃四段。すでに東京の本院に移籍している。
自由対局や指導碁が終わって講義。先日の棋聖戦の解説だった。その前に千寿先生からちょっとした情報。
今年は碁関係の映画が三本も出る。
「天地明察」と「碁を打つ女」と「初到東京/東京に来たばかり」だったかな、前の2つはわたしの書庫で原作を紹介している。
ぜひ見てみたい。楽しみにしている。
話を戻して、井澤さんは前に箱根でお会いしたことがある。(参考:第11回ふれあい囲碁大会)
高梨八段は2009年に阿含・桐山杯で勝ち進み決勝に進出した。相手はトップ棋士の張栩(チョウ・ウ zhang1 xu3)名人。わたしたちは京都まで応援に行ったものである。(参考:阿含・桐山杯)
またわたしたちアマの合宿にも来て、指導してくれたこともある。
碁会のあとで新年会を開いた。人数が二十人ほどで話の輪もいくつかに別れ勝ち。向こうではどんな話をしているのか判らない。わたしは高梨八段と 上のような思い出話をした。
あんなアマの指導碁を1日に二十局近く打つのにどうして棋譜を憶えられるのか。高段のプロ棋士の頭の中は想像もつかぬ。「すべて順調に打たれるのは憶えにくい。むしろ大きな間違いをしたとか、その人にしてはハッとするようないい手を打ったとかすると、憶えやすいで すよ」
そうこうしているうちに井澤さんが登場。この日はペア碁の棋戦があり、2勝して三回戦に勝ち進んでいた。三回戦で負けてしまったが、その後の打 ち上げ会に出るので遅くなるとの連絡が来ていたのだ。そちらは仕事なので優先である。
井澤さんが登場すると話の中心は井澤さんになってしまう。
わたしは、井澤さんがブログに書いていたことを思いだした。
我「『カレーを作ったが美味しくない。原因はタマネギを炒めるのが足りなかったので…』などと書いていたので…」
井澤「わたしが書いたンですか? 自分の書いたのを憶えていないンです」だって。で、続きを言い損ねるうちに、何を言おうとしたのか忘れてしまっ た。
そんなこんなで楽しく過ごしたが、帰宅してまもなく、わたしは地獄の苦しみに遭遇した。
この日の料理はほとんどが油もの。それを普通に食べてしまったのだ。腹が痛むのは不注意で仕方ないとしても、この痛みは尋常でない。20年も前 だが、痛みに耐えかねて、救急車を呼んだことがある。しかし、今回は電話のところに行くこともできない。
用心していたので、ここ数年は多少の油ものを食べても大丈夫だった。この日は油断して、油を断たなかったことが原因だ。三メートルほど先のトイレ まで這って行ったが、布団に戻ることもできないほど。朝に近い三時頃になって、ようやくまともに布団に入ることができた。
謫仙(たくせん)
(2011.1.25)
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| 写真はイメージです。この記事とは直接関係ありません。 |
敬愛する碁友の一人、黒ちゃんが思い詰めた顔で「相談がある」と言ってきた。ザル碁仲間の中で最年少の彼が永世幹事を務めている元勤務先OBを主体にした碁会をどう運営するか悩んでいるらしい。
盛況時には参加者が10人を超え入場料割引などの特典を享受していたのが、最近は4人の最小催行人数をそろえるのがやっとの有様。商売をしているメンバーのために「日曜開催」を原則にしているのに、当の本人がゴルフなどの先約を理由に休みがち。加齢とともに体調などを理由としたドタキャンも増えた。開始時刻も11時ごろから早めにスタートしたい人もあれば、ゆっくり昼飯を食ってからという御仁もいるから、早く来た人が1時間以上も待たされることも少なくない。当然のように開催日ぎりぎりまで様子見する人が増え、人数がなかなか決まらず、直前になって中止を知らせまわらなくてはならないこともあるようだ。
他人事のように書いたけれど、何を隠そう、私も幹事に多大なご迷惑をおかけしている当事者の一人。「馬齢を重ねた我々としては、この種の遊びごとはなるべく緩やかに運用して心身の負担を少なくしたいのが人情。それには母数を増やしておけば当日の参加者も当然増えると期待されるさかい、最小限4人の参加さえ見極めれば何もきちんと事前の段取りをしなくて済むんやおまへんか」てな軽い気持ちでいた。
ところが黒ちゃんによると「だからみんなが無責任になってしまう」と悲憤慷慨。2ヶ月に1回開催していつも次回日程を決めて解散しているのだから、体調不良なら仕方がないがゴルフなどの先約を理由にしたキャンセルは不可解。早めに(原則1週間前)に参加の可否を知らせてくれる人も減った。「楽しみにしているNHK杯観戦を犠牲にせずに週日開催にしよう」、「年4回程度でいいのではないか」、「大会形式にしてインセンティブを持たせたらどうか」、「誰某はどうも碁品が悪いから彼がいるなら辞退したい」といった雑音が非公式な場で交わされたりして、誠実一路の黒ちゃんとしてはにっちもさっちも行かなくなったというところのようだ。
苦悩の末に黒ちゃんが行き着いた結論は、ノーテンキな愚生の思惑とは正反対の「人数の絞り込み」。4人をコアメンバー、2人を準メンバーとして、例えば偶数月の第●日曜日、開始は原則11時といった具合に年間スケジュールを決め、不都合がある人は事前(2週間程度)に予告するという鉄の規律方式だ。
それを聞いて、これまでン十年に及ぶ人生を風の吹くまま気が向くまま“成り行き”で渡ってきた(ちなみに、女性にモテまくった作家の吉行淳之介氏は常にその場の“流れ”で行動することが多かったらしいが、本文とはまるで関係なかった!)愚生は深く感動した。黒ちゃんは北陸の必ずしも裕福ではなかった生家できちんとしつけられ、年老いた母親を助けつつ勉学に勤しみ、一流国立大学を卒業して日本経済の分析やら方向付けといったようなこと(愚生には理解できないからこんな表現になる)に貢献してきた。そして今なお、囲碁のほかにも植物やアートの分野で素人離れした趣味を愉しまれている。
碁の打ち方も、常に自分が得意とする戦法を真っ向からぶつけて来られる。生来、出たとこ勝負、相撲で言えば“なまくら四つ”の愚生は、どうせ棋理はわからないのだからいかに黒ちゃんの思惑を外すかだけに無い知恵を絞ることになる。嗚呼、「きちんとした人生」を送ってきた黒ちゃんと「いい加減な人生」を過ごしてきた愚生と、いかなる星の巡り会わせか、年に何回か手談を交わしていただける--。愚生にも神様が現れるなら、それはきっと身近なごくフツーの生き物として知らず知らずお付き合いいただいているのかもしれない。
亜Q
(2012.1.17)
不肖・私に碁のお手合わせしていただける方は、プロの先生だろうが私と同じくひどいザル碁アマだろうが、「学友」「個人教授」「人生の師」のどれかに当てはまる。孤独を癒し、心と体を鍛え、知的レベルアップを促し、盤上の世界から人生の深い意味を教え諭し、究極の美と真理への階段を示してくださるからだ。だから今日もまた、相手への感謝と畏敬の念を感じながら、この世に生かされている喜びと負けて覚える碁の悦楽をしみじみと噛み締めることになる。
ところが巷では必ずしもそうではないらしい。旧年末の大掃除の合間に見つけた新聞記事のコピーが、理想と平和とキレイゴトを信奉する私に、「本当の碁友、いや碁敵とはこういうもんだ」と目を開かせてくれた。筆者は「清貧の思想」を説く気高き哲学者であり、愛妻家・愛犬家として知られる心温かき作家であり、日本棋院に浄財を寄付されて「U20中野杯」を立ち上げた愛棋客の故中野孝次(1925~2004年)さん。
記事が掲載されたのは2002年2月9日付産経新聞夕刊。同年2月1日に81歳で亡くなられた作家「コンケイさん」こと近藤啓太郎さん(1920~2002年)を追悼して、文壇仲間だった中野さんが「“潮の香”漂う無頼の文士」と題した文章を寄せた。
コンケイさんは東京美術学校日本画科を卒業後、教師、漁師などを経て1956年「海人舟」で芥川賞を受賞。「日本画家と日本犬と魚の話をさせれば彼の右に出るものはいなかった」(中野さん)と言われるコンケイさんは、「第三の新人」の一人として日本画の巨匠を描いた孤高の文学からうまいもの読本、愛犬小説、好色物まで幅広く旺盛な執筆活動を晩年まで続けられたようだ。
中野さんはこのコンケイさんについて、「どこにいてもあるがままの近藤啓太郎を貫いた。よかろうが悪しかろうが世間の思惑などぜんぜん気にせず、自分になりきり、自分を出し切って生きた」と、作家として、人生の先輩として、深く敬愛していたようだ。ところが、こと碁となると、評価が一変する。以下、追悼文の一節をそのまま引用させていただく。
「週刊ポスト」主催の文壇囲碁名人戦というのがあって、近藤啓太郎はその中心人物だった。海で鍛えた彼の野太いがらがら声がひびきわたると、会が急に文士の会らしくなった。近藤啓太郎には一種独特の無頼の風があり、わたしは会うたびに、ここに無頼の文士の最後の一人がいるな、と思ったものである。何者をも恐れぬ、昂然とした独立不羈(ふき)の風貌は、最後まで変わらなかった。
だが碁の方の棋力はわたしとおっつかっつで、勝ったり負けたり、打つにつれ互いに熱くなった。近藤啓太郎の戦闘精神は相当なものだが、わたしもその点では負けていない。しかも二人で打つ碁はメゴ(賭け碁)だから打つにつれ熱くなって、つい舌戦の方も派手になる。
それを「週刊ポスト」の斎藤君が面白がって、毎回名人戦の戦記の最初に近藤とわたしの文章を載せた。互いに相手の弱さをボロクソにやっつける悪罵(あくば)の応酬で、読者から、あれでよく付き合いが続くものですね、と感想が届いたくらいだから、かなり激しいものだった。
あとになると名人戦だけでは物足らず、わたしが鴨川の近藤邸まで行って、泊りがけで碁に淫(いん)した。これも頭に血が上った状態で何十局となく打つのだが、近藤方でご馳走になるのはたのしみだった。(以下略)
実はコンケイさんは、千寿会ともいささかの「碁縁」がある。まずは最長老会員のチカちゃんこと濱野彰親画伯。コンケイさんより4歳ほど年少だが、新聞や月刊・週刊誌での活躍時期はほぼ重なる。コンケイさんは初老期に差し掛かる頃まで、銀座の文壇バーで吉行淳之介(1924~1994)さんらと派手に飲み歩いていたらしいが、その仲間の一人がチカちゃんだった。豪放なコンケイさんや女性にもてた吉行さん、そして官能小説で超売れっ子だった川上宗薫(1924~1985)さんらも含め、高い酒を浴びるほど飲み、その種の店でお金を最もボッタくられる不謹慎な行為を無軌道にやりまくっていた中で、最も慎み深いタイプのチカちゃんがなぜか「割り勘」という不条理を強いられていたようだ。仲間に奉仕・献身するチカちゃんの姿勢は、現在の千寿会での飲み会でも続いている。
そして日本棋院の中でコンケイさんを最もよく知るのが千寿師匠。コンケイさんは他人に師事することは少なかったようだが、碁だけは別で、千寿先生が怖かったらしい。碁の講義が終わって生徒同士でザル碁を打ち始めても常に先生の視線が気になり、「先生は新聞でも読んでいてくれ」と言って新聞を手渡したようだ。時折千寿先生が新聞から目をずらして対局をうかがうと、コンケイさんは必ずそれを察知して盤を手で隠したと言うから、実像のコンケイさんは案外シャイな方だったかもしれない。
亜Q
(2012.1.4)
涼宮ハルヒのシリーズは、まだ全部読んだわけではない。その9巻目(読んだのでは7巻目)に碁がででくる。
次の赤字は108頁の引用。この小説は主人公キョンの一人称小説。だから地の文とキョンの台詞の区別がはっきりしないところがある。ここは全て 地の文
だろう。
ハードディスクがカリカリと音を立てるのを聞きながら、昨日から置きっぱなしになっている古くさい碁盤の盤面を眺 める。やりかけの詰め碁。モザイクのように見える白黒模様の情勢は終局間際だ。てなりで進めて黒の三目半勝ち。俺にも解るくらいだから初心者レベ ルの問題だな。
110頁では、古泉がその詰め碁の盤面を見て「もはや打つ手なしですね。投了です」という。そのあとキョンは古泉に4子置かせて対局する。
せっかく碁を題材にしてくれたのに申し訳ないが、この文は大変な勘違いをしている。著者は碁を知らないか、知っていても初心者であろう。
問題は「やりかけの詰め碁」。詰め碁とは何かといえば、碁の一部分を取り出し、互いに最強の手段で結果を問うもの。正しい手を問うのではない。 さらに
無駄な石がないことも求められるが、昔の詰め碁には無駄な石があるものもあったという。
普通は「黒先白死」とか「白先生き」「黒先劫」とか。つまり結果は、生きるか、死ぬか、劫か。
本題は結果が「黒の三目半勝ち」。これでは詰め碁ではなくヨセの問題である。「正しい手を問うのではない」と書いた。例えば「黒先白死」の問題で、白は部分的に最強の手段で応じると結果(白死)のようになるので、実戦では 「そうは打たない」のだ。
どうするのかといえば、部分的には損害を少なくする手を打つであろう。あるいは手抜きして劫材に使うことを考える(捨てるという)。これが正し い手といえる。
本書で述べているような、終局にいたる、結果が黒の三目半勝ちになる詰め碁は可能か。
昔のような無駄な石があってもよいならば作れようが、現代の無駄石のない詰め碁では難しそう。それは珍瓏に属するか。珍瓏ならできそうだ。ふつ う珍瓏の場合でも最善の手を打つとは限らない。全体における最善の手は問題の部分は捨てて他を打つ手だったりする場合もある。
盤上に終局近くの局面まで石を置くのは大変な労力を必要とする。だからこのような問題なら問題図を見て頭の中で解こうとする。盤上に石を置いて 解きたくなるのに初級者の詰め碁だという。想像もつかぬ。珍瓏なら時間をかけて置いて楽しむ。
「終局に至る無駄石のない詰め碁」を見たことのある方はいますか。そんな詰め碁を作ってみようという有志はおりませぬか(^。^))。
謫仙(たくせん)
(2011.12.25)
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| 藤沢里菜初段と対局する梵天丸氏。細かい碁だったが、最後に右上をセキにされ惜敗。 |
「ゴールデンレディース」と名付けた歳末チャリティー指導碁会が12月17日、スポンサーのエース交易本社(東京・渋谷)会場で開かれた。本年3月に東日本を襲った大震災をきっかけに創設された豪華企画。謝イーミン女流三冠をはじめ、ベテラン青木喜久代八段から12歳の中学1年生プロ棋士の藤沢里菜初段まで人気女流棋士が勢揃いし、およそ200名のアマ棋客が挑戦してご指導を受けた。小林千寿師匠は総合司会と囲碁講座を担当、千寿会の教え子たち10数名も参加させていただいた。
ご指導いただいた女流棋士はこのほか、小山栄美・岡田結美子六段、矢代久美子五段、知念かおり・大沢奈留美四段、菅野尚美・穂坂繭・巻幡多栄子・奥田あや三段、万波奈穂・下坂美織二段、渋沢真知子・長島梢恵初段を含めて総勢17名(都合により1名欠席)。日本棋院所属棋士は400名弱、そのうち女流棋士はざっと40名程度だろうか、そのほぼ半数が顔を見せてくれた。いずれも新聞、テレビ、雑誌を通してお顔馴染みの方ばかりだ。
こうしたイベントとなれば、図々しいオジサン役を自ら演じる私は片端から棋士に話しかける。最も長く話したのは里菜ちゃん。昨年暮れに千寿師匠が主催されたホテルニューオータニでのクリスマス会で教えをいただいた亜Qを奇跡的に覚えていてくれた。「今年の成績はどうだった?」「全然ダメでした」「そうねぇ、里菜ちゃんが相手だとみんな目の色を変えてやってくるだろうから」「まだ実力が足りません」「毎日どのぐらい勉強しているの?」「学校から帰ってから家で5、6時間ぐらい。でもなかなか集中できなくて」「今中学1年生だよね、学科は何が好き?」「得意というわけではないけれど、国語が好き」「国語と言ってもいろいろあるじゃない。現代文、古文、漢文…」「漢字が好きです。読んだり書いたりするのが楽しい」「やっぱり、漢字にも造詣が深かったおじいさん(秀行老師)のお孫さんだなぁ。ところで、漢字の研究に生涯を捧げた白川静さんって知っている?」「いえ、知りませんでした。家に帰ったら調べてみます」――。素直な里菜ちゃんに惹き込まれて、2回の指導碁の合間に30分ほど設けられたせっかくの休憩時間を独占してしまった。
お次はヤッシーこと矢代五段。独特のB型感覚が私のご贔屓だ。「ピアノはかなり上達されましたか?」「ちょっと熱が冷めています」「では、自転車には乗れるようになりましたか?」「まだ乗れません」「料理は?」「実はいまだに“オクラ納豆メカブぶっかけご飯”ばっかり」「ご主人(金澤秀男七段)はお元気ですか?」「相変わらずですぅ」「書道の方は?」「いいえ、やってません。もしかして、他の方と混同されているんじゃありません?」――てな調子。このところタイトルにご無沙汰、子育てに忙殺されるわけでもないのに、ちょっとしたモラトリアムを謳歌されているようなのだ。ひょっとすると今なおこっそりと、芥川賞を目指されているのかもしれない。
小さい頃おじいさんに連れ添われて千寿会で修行された奥田あやちゃんとはいつも対話が弾む。「昇段おめでとう!」「ありがとうございます」「先日の『週刊碁』に顔写真付の記事が載りました。ほかの人から何と呼ばれているかなどが書かれていましたね」「恥ずかしくてちゃんと読んでいないのです(ホントかなぁ←亜Qのつぶやき)」「来年はタイトルを取った時の感想インタビューをお願いします」「とりあえず、名人リーグ残留を目指します」――。あやちゃんは昭和63年11月生まれ。万波奈穂(同60年)、下坂美織(同61年)、向井チアキ(同62年)嬢たちと並ぶ花の独身実力派。年下の謝イーミン(平成元年生まれ)三冠から一人でもタイトルを奪えば、女流碁界はさらに盛り上がるだろう。
当の謝イーミン嬢は最も若いのに、タイトル者らしい貫禄が備わってきた。小学生の男の子や関西の囲碁雑誌『梁山泊』の編集に活躍される長谷川加奈美女史らから次々に依頼される色紙に丹念に書き込んでいる文字は「泰然」。どんな刺客が訪れても、平常心をもって迎え撃とうとの心意気だろうか。「然」の字の下の四点を白波を描いたマンガ風に続けるところに、若い女性特有の可愛らしさを覗かせてくれたような気がした。
チアキ嬢の姉でありテレビ番組でもご活躍中の向井3姉妹の次女、長島梢恵さんとはどうしても子育ての話題になる。「晴太ちゃんはお元気?」「いえ、晴太は姉(芳織二段、三村智保九段とは少々歳の差がある新妻)の子供で、私の子は千紘です」「いつも間違えてごめんなさい」「いえ、いつも応援していただいてありがとうございます」「ところで、大震災が起きた直後、山下敬吾名人や河野臨九段らとあなたも参加された有志棋士と囲碁アミーゴスタッフが共同で催したチャリティー囲碁会は大盛況でした。日本中が愕然としている時、膨大な準備を短時間でこなしてプロ棋士ができることを真っ先に世間に示した素晴らしい企画でした」「そう言っていただけるととてもうれしいです」。そう、梢恵さんはこうした活動も良く似合う人だ。
つい先日、昇段されたばかりの下坂美織二段には「本日第1回目の指導碁の成績はいかがですか?」「はい、2勝2敗でした」「ほぅ、それはそれはアマへのお気配りが感じられる。美織先生がますますいいオンナになりつつある証明ですね」「ウフフ、そうですかぁ?」「そうですとも。馬齢を重ねる愚生にはそういうことがひと目でわかるのぢゃ!」。
そして今年ジューンブライドになられた渋沢真知子さんには、「新婚生活はいかが?」「まだ主婦業は初級です」「吉原(旧姓梅沢)由香里さんや三村(旧姓向井)芳織さんのように姓は変えないのですか」「はい」。そう言えば、本日のゲストの中には、結婚で改姓された人と旧姓で通される方がほぼ半々。前者は岡田、菅野、小山、長島プロたち。後者は加藤、知念、穂坂、矢代プロ。真知子さんには、ぜひとも由緒ある渋沢姓で頑張っていただきたい。
さて、私がご指導いただいたのは、杉内寿子元棋士会長と並ぶ女流最高段位者であり多数のタイトルに輝いた青木喜久代実力者。会場にはおしどり夫婦のご両親もお見えになられた。「開催前の10分ほど、父上と話をしました。アマの囲碁大会などで父上の強豪ぶりは存じていましたが、母上はいかがですか?」「なかなか上達できないようです」「実は10年ほど前、軽井沢の囲碁セミナーでご両親にお会いした時、父上から“私の妻と打ってくれ”と頼まれたことがありました。当時私は、初段ぐらいだった母上とほぼ同じぐらいの棋力でしたから、父上はちょうどいいと思われたのでしょう。母上はとても品がいい碁を打たれるなと感じました」「エエー、そうですかぁ?それはそれはお世話様でした」といったやり取りが功を奏して、自由置き碁4子のご指導を時間いっぱいかけて懇切丁寧に受けることができた。喜久代先生、ありがとうございました。
といった具合に時間があっという間に進み、せっかくお目にかかった多数の棋士に心を残しながら声をかけずにお別れした。この場をお借りして、ひと言話しかけさせていただきたい。まずは岡田結美子さん、父君の安倍先生にはとてもお世話になりました。日本棋院に近い定食屋でお代わりを頼まれ、お酒も歌もイケた温かく頼もしかった先生があんなに若く亡くなられたのは私ごときにとってはもちろん、日本碁界にとって痛恨事でした。どうぞ、安部先生の分までご活躍願います。
菅野、小山、知念各先生には、棋士をご伴侶とされる楽しさ、苦しさなどをお伺いしたかった。特に菅野先生の岳父(昌志プロの実父)は昔私が有段者になりかけた頃受けた“酔いどれ”名講座をお伝えしたかった。美しさに磨きがかかってこられた奈留美、巻幡、奈穂のお三方には、渋沢真知子さんをはじめ、万波佳奈、井沢秋乃さんらの相次ぐ寿にどのように刺激を受けられているかを鋭く問い詰めたかったのだが、またのチャンスに期待しよう。
最後に、このような機会を提供いただいたスポンサーのエース交易さんへ。これまでも女流トップに100万円の賞金を出す独特の大会を開催されてきたけれど、会社創業40周年を迎えてアマのための大会に装いを改められた。大会参加者はみな喜んでおり、ぜひとも長く続けていただきたい。会場で配られた案内資料の中には数枚の「お米袋」が入っており、我が家の古女房も大喜びだったことをお伝えして、だらだら続いた駄文を閉じさせていただく。
亜Q
(2011.12.19)
『文藝春秋』最新号に、マイケル・レドモンド九段と中国文学の巨匠、宮城谷昌光さんとの対談が掲載された。この手の“快挙”にはなるべく反応することを旨とする亜Qはさっそくマイケルにエールを送信したところ、“快傑マイケル”から返信が届いた。思えば、千寿会に講師としてマイケルが出席されたのはもう1年半ぐらい前になる。マイケルが気さくに千寿会後の飲み会で語った“酒飲み話”を本サイトでご紹介した後、ほぼ1年ほどの歳月を経て『週刊碁』が新たにスタートしたコラム「棋士の本棚」にマイケルを登場させた。「日本語、特に難しい漢字を覚えるために、三国志を始めとする中国の武将を描いた文学を夢中になって読み漁った」というマイケルの読書暦が連載コラムの初回を飾った。そして数ヶ月経過して、大メディアの文藝春秋が取り上げた。せっかくの機会なので、マイケルからの返信の内容を、本サイトを時折覗かれる変人諸兄にもご覧いただきたい。
まずは、亜Qからマイケルへの送信。
宮城谷昌光さんとの対談を拝読。
今や押しも押されぬ大作家があんなに嬉しそうに米国国籍の囲碁棋士と語らっている姿に、愚生も感激しました。
マイケル先生はどこまで意識されているかは知りません。
しかし、囲碁界だけでなく、より広く日本、そして中国を含む国際的な文化交流に貢献されているのだと思いました。
思えば、『週刊碁』が今年スタートした「棋士の本棚・第1回」に登場されたのがきっかけでした。
今後も、囲碁界にとどまらぬご自身の影響、生きていかれる意味を広げ、充実されていかれることを祈ります。
そしてマイケルからの返信。
ありがとうございます。
宮城谷さんの作品に出合って、中国の戦国時代の面白みを初めて知ったこともあり、大好きな作家です。
文の組み立てかたや漢字の使い方も味わい深く、自分の好みに合っているようです。
今回の対談は貴重な体験でした。「棋士の本棚」に出た事、ある囲碁ライターがその情報を文藝春秋の編集部に伝えた事など、様々な幸運と人の助けもあったと考えて感謝しています。「草原の風」を持参して、帰り際に宮城谷さんのサインを頂きました。いつもと逆の立場だったので、珍しく緊張しました。サインをもらう時のファンの気持ちが少しわかるような気がしました。
話は飛びますが、今中国では古い打碁集が現代語訳されるなど、古碁が見直されています。妻の牛仙仙は黄龍士という清代の打ち手の打碁集を日本語訳しました。私も手伝いながら解説図や棋譜の手順を確認するなど、その時代の中国ルールも自分なりに研究しました。清代は文化が栄えた時代だったようで、囲碁のレベルも思った以上に高いことに驚きました。今は編集の最終段階に入っていますので、来年出版の予定です。清流出版という出版社から出ます。ぜひご覧になって頂ければと思います。
今後ともよろしくお願いします。
マイケル レドモンド
亜Q
(2011.12.18)
12月4日快晴の日曜日に第5回UEC杯コンピュータ囲碁大会を見学してきた。この大会は電通大の伊藤毅志先生が委員長で、FOST杯を引き継ぐ形で行われている。今回の参加プログラム数は24。1日目に7回戦のスイス方式の予選が行われ、2日目が上位16プログラムによるトーナメント戦である。人間だと1日に7局打てといわれるとブーイングの嵐となりそうだが、コンピュータはそんなことはものともしない。
決勝に残ったのはZenとEricaである。Zenは天頂の囲碁のエンジンで、KGSでもその強さを証明している。Ericaは台湾のプログラムである。決勝戦の序盤、Zenは梶原流から武宮宇宙流を彷彿させる中央志向の打ち方。一方のEricaはどうも三三が好きなようで、外側に弱い石を抱えながら三三に入ったため、大変苦しくなった。結果はZenの完勝だった。Zenは予選を含めて11戦全勝で、2位以下のプログラムとは大きな開きがあるように感じられた。
優勝したZenと準優勝したEricaはゲストのプロ棋士とエキシビション対局が行われた。まず、Ericaと小林千寿五段の対局が行われた。手合は六子。通常通り置き石をおいて始まったが、すぐにトラブルに見舞われ、初手から打ち直しとなったが、今度は置き石が置けないというトラブルで、仕方がなく、白が5手連続パスし、自由置き碁となった。Ericaは石が競ったところでたまに明後日のほうに打つという癖がある。これはZenを除く他のプログラム二もみられる傾向でもある。結果は千寿先生の中押し勝ち(終局図は写真)。
次にZenと鄭銘コウ九段との対局が行われた。こちらも六子局。Zenは最初白の右下の石を攻めに行ったが、途中で断念し、今度は左辺の地を膨らませに向かった。今度はそこに打ち込まれた白石を強硬に攻めに行ったが、白は生きと脱出を見合いにしてしのいだ。その後のやり取りで、白は封鎖されたが、左上隅の黒も生きていない上だった。それより少し前、この白に手を入れるときは投げるときだと解説していた銘コウ九段は左上隅の黒と差し違える構えであった。観客の期待に違わず、Zenは目を取りに行った。ここからのZenは全く間違うことなく打ち進め、銘コウ九段の投了となった(終局図は写真)。銘コウ九段は大盤で解説しながら打ったので、気の毒であったが、Zenの強さが目立った。
Zenは細かいところで人間とは異なる打ち方もあるが、全体的には人間と打ち方と似ている印象だった。モンテカルロプログラムでは最終的に半目勝ちになることを目標としていると聞いていたが、Ericaとの対局では「勝ちました」のような手を打たず、さらに大きく石を取りに来るというようなところもあった。また、解説がここが大きいといったら途端にその手を打ったりするところもあった。HALのように人の会話が聞こえるようでもあり、小人さんが中に入っているようにも感じられた。
市販の囲碁プログラムのもう一つの雄である銀星囲碁のエンジンで知られるk北朝鮮のKCCがUEC杯になってから参加していないようであるが、ZenとKCCとの対局も見てみたい気がする。何れにせよおおいに楽しませていただいた午後だった。
かささぎ
(2011.12.6)
千寿会でのある一局、わたしの白である。
白2-2に打って「はい、活きました」と宣言(したようなもの)。ところが黒は▲にくる。
白Aに打って活きは、一目見れば判る。考えるまでもない。これは基本の死活として、前に紹介している(謫仙楼対局 基礎の 死活)。
ところが、白Aのあと黒Bとなるとその後の打ち方がなぜか読めなかった。「どこかにおまじないを打ってそれから白Aだったかな」
必至で考えるが盲点に入ってしまって、素直に白Aでいいことに気がつかない。手順を間違えると死んでしまうので、死んだふりをして他所に打つ。 しばらく打ち合っていたが、健二師叔が見に来たとき、「ここか死んでしまって…」と言うと、笑顔で「微妙」とのたまう。
その瞬間、黒から先にAに打たれてしまった。打たれれば、考えるまでもなく白A黒B以下の手順が浮かんだ。口は災いの元。投了となる。
この後は、家賃が高くなっていたネット碁で連戦連敗。孔家の引っ越しである。
その途中ではこんな負け方もした。
ここでパスつまり終局宣言である。左下に一目取り・つなぎがあるので早すぎたが、それはともかく相手は同意せずダメを詰めてきた。そしてダメの 九手目が黒▲。
いきなりここへ来れば気がついたであろうが、九手もダメを打った後なので、気がつかず別なところに打ってしまった。つまりパスした。ところが黒 A・白B・黒Cと一手ヨセ劫ではないか。投了となる。負け続けるとこんなことにも気がつかなくなるのだ。
5子下がってしまった。
行くつくところまでいってしまってとどめの大敗。
それでも、もう碁盤を見るのもいやだ、とはならないのが碁好きの宿命。
千寿師父にこの話をすると、呆れ顔でなにか言っていた。聞き取れなかったが「苦労しがいのない男」とでも言ったのかな。
その後の師父の指導は、十年前に初めて教わったことと同じ。「相手が右を打てば左へ、左なら右へ、それでなんの問題も無いでしょう」。
これがきっかけで連戦連勝。勝ちだすと不思議なもので、負けたと思ったのに相手が投了する。どうもコミなしなのにコミが出せないと錯覚したよう だった。相手が最終手で不要の手入れをしての半目勝ちもあった。そうして3子戻すことができた。定位置だ。上に上がると家賃が高くて生活が苦しく なる。
かささぎ師兄は某氏に八子で負けて、それでもめげるどころか嬉しそうに「八子局の負け方」を書くと言っていた。これぞ碁好き。
しかし、よほどキーボードが堅いのか、半年たつのにいまだ目にしていない。
謫仙(たくせん)
(2011.12.1)
「ツケコシ返し」とは卓抜なる発想!もちろん善悪はわかりませんが、まさにたくせんさんの真骨頂を見る思いがしました。凡庸な愚生はこの手を見て、キャンディーズが普通の女の子に帰る解散公演で歌った『微笑み返し』を思い出しました。~お引越しのお祝い返しは微笑みにして届けます~この歌のサワリとなるすばらしいフレーズ。そう、あのころ私も若かった。令文プロがこの手を見たら、きっと微笑みを返してくれたことでしょう。
ことのついでに大きく脱線させていただくと、『夜明けのスキャット』で1960年代末にデビューされた由紀さおりさんが米国のジャズオーケストラと組んで当時の日本の流行歌を日本語で歌ったアルバム「1969」が欧米で大ヒットしているそうです。69年と言えば、プロ棋士界では元NHK杯者の三村智保九段が生まれた年。東大紛争で安田講堂攻防戦で幕を開け、夏にはアポロ11号が月に到着。一方でベトナム戦争が泥沼化し、反戦フォークが流行り、若者たちが世界で反乱を起こし、流行語は「ゲバゲバ」でした。同アルバムは石田あゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』やら黛ジュンの『夕月』などもカバーされ、こうした古い歌謡曲が外国で受け入れられるとはまことに不思議だし、うれしいことでもあります。
囲碁のルーツは中国ともインドとも言われますが、ここ1000年間ほどの間は日本が育んできた世界的な文化であり、69年ごろにはシューコーさんを筆頭に中国、韓国で囲碁を振興させる井戸を掘っていた頃に当たるでしょうか。その後、韓国にチョ・フヒョン(日本棋院で修行後韓国に戻って各棋戦を軒並み制覇、李鎬昌の師匠としても知られる)、中国には日中対抗戦で“鉄のゴールキーパー”と謳われたジョウ(漢字は「耳」が三つ)・エイヘイが台頭、一気に日中韓による三国志の開幕となったのはご存知の通り。『ヒカルの碁』、寿司、由紀さおりさんといった起爆剤がこれからも続けば、日本文化を象徴する頭脳スポーツとして囲碁が世界的なブームを巻き起こすこともあり得ると思います。
そう言えば、令文先生は聖人・孔家の末裔。さらにご両親が囲碁プロの最高峰であり、少年時代には数学オリンピックで名を挙げるなど優秀な血筋の持ち主でした。そんな彼が棋聖・碁聖などを獲得したトッププロ、小林覚さんの愛娘清芽(さやか)さんとの愛の結晶、徳志(とくし)ちゃんを育て、日本棋院を足場に日中文化交流特使として活躍されていることは、小生のようなザル碁アマの端くれにとってもきわめてうれしいことです。
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再掲図(黒28〜白39) |
さて、黒40でたくせんさんがご指摘される10-七とツケコシた時、次いで白9-七、黒9-六、白9-五とごく平凡に進んだとして、黒は今ツケコシたばかりの黒10-七から動いて中央の白を厳しく攻め立てないと、上辺で大きく譲歩しているだけに間尺に合わないと思われますが、白にいったん12-十あたりに備えられた後、動き出した黒2子と右上で2間トビした黒2子、さらに右下小目の黒も絡まれて大破綻を来たしそうな予感がします。しかしこれは、たくせんさんの豪腕を持たない非力な私の勝手ヨミ。中央の白に寄り付きながら右上さらに右辺から右下にかけて自然に地を増やせば、たくせんさんが理想とされる“50目勝ち”も夢ではないかもしれませんね。
梵天丸さんは出題意図を読まれたうえで「単純に9-五に押さえるのではなく、8-四に沿って上方の白4子に圧力をかける」手を予測されました。凡庸な私は、次いで白7-四に押さえられた場合どうしていいかわかりません。黒7-五切り、白6-五アテ、黒9-五抜キ、白5-五アテコミといった具合に黒模様のど真ん中を突き破られてしまいそうな予感がするのですが。
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第3譜(黒40~黒64、以下略) |
実戦で私が打った黒40は7-四。実はこの手を当ててくれたのは、何と木下暢暁(ながとき)さん(旧姓梅沢、現吉原由香里プロとの「吐血の対局」をご覧ください)でした!木下さんと言えば知る人ぞ知る、坂井秀至前碁聖と切磋琢磨された学生時代からいくつもの日本アマタイトルを獲得、この秋には世界アマ日本代表決定戦決勝で中園清三さんに敗れての準優勝。かささぎさんの職場の後輩というご縁で、私のようなザル碁アマとも「指導碁ではなく、勝負碁」(木下さん)で対局(私は5子置きますが、いつも最後に余されてしまう。棋風を完全に読まれているかささぎさんの置石は内緒にしておきましょう)してくれます。
この木下さんとこの19日にお手合わせいただく機会(小生の5子局2目負け)に、うれしいことに彼の方から「次の手はハザマではないの」と話しかけてくれました。拙い私の棋譜を諳んじてくれたのです。まことにありがたいことに、木下さんも時折このサイトを覗いて下さる変人諸兄のお仲間だったようです。「ここを占められると、白は適切な手がないから、次は何か変化球で来るのではないか」と、次の白41(3-二切り)の着点もズバリ当てられました。
実際、令文先生は「そう、ここが急所なんです」と肯き、少考の後、私にはまったく想定外の、しかし木下さんから見れば「当然の様子見」の3-二切りに回られました。今ツケコシたばかりの白39から動き出すと上辺でポン抜いた白4子が危ういと見ての転戦です。黒が4-四に抜けば、後に4-一からうるさい食いつきが白4子に対する一種の保険になり、黒は味良く取れないし、黒が4-一に下がれば(今打つかどうかは別として)4子を捨てて左上隅への転進を図る味付けになるのだそうです。この瞬間、私はノータイムで4-四に抜こうと思いましたが、そうすると今度こそ白39から動いてくると見て安全策、9-五へ黒42を運びました。令文先生は「相手からの利かしに対応しないプロ同士の対局みたいですね」とお世辞だかオチョクリだか不明な言葉をかけ、ノータイムで白43に抜かれました。
左上を大きく譲ったこの分かれはきっと黒が大甘でしょうが、とりあえず白39を飲み込んで先手。黒44と右上から中央白に迫って「主導権は今なお黒にあり」と主張。白はいったん12-十三(45)とくつろげ、黒46(14-十六)と代わってから白47とあくまでも左上で稼いできました。
以下は総譜でご覧いただきましょう。黒48(16-十三)と右下を備えた途端に右辺星に打ち込み、黒は中央白との接続を拒んで大きな戦いに入りました。黒64まで記して皆様のお目汚しを終えますが、この後20~30手ほど進んで結果的に右辺の白は黒からの花見コウとなり、白はコウに勝ったけれど「盤面で黒が20目近くいい」(令文先生)と私に教えてくれて投了していただきました。
最後までお付き合いいただいた変人諸兄の皆様には深く感謝すると共に、体調不良を一時も早く回復いただくためこの棋譜をすぐに忘れていただくよう、くれぐれもお願いいたします。
亜Q
(2011.11.21)
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第2譜(黒28〜白39) |
梵天丸さんは「中央の白の厚みを活かさない手を打ちたい」と言われ、右上または右下のシマリを推奨されました。右上なら手堅く17-六に小ゲイマ締まり、右下は白からの圧力が相対的に小さいが13-十七あたりからの打ち込みを予め防ぐ意味で14-十六2間ジマリ。たくせんさんも右上と右下を指摘されましたが、「右上の黒が星なので…」とシマリにやや消極的なニュアンス、右下ならがっちり15-十七小ゲイマ締まりと、梵天さんとは微妙に見解が異なるのがおもしろい。
さらにたくせんさんは、(「亜Qは打たないだろうが」と予測されたうえで)左上の戸締りと、左下白一団への利かし味を見て左辺を止める手に言及されました。
この局面、愚生はまことに生意気なことに、白がうっすらと構築した中央の壁は薄いと評価して寄り付きを楽しみにしていました。打ちたかったのは、左上と右上。左上は実利がベラデカだし、右上を締まれば白への攻めが狙える。締まるにしても小ゲイマではなく十六-七と高い2間ジマリ。当然右上の地は甘いが、白が今三々などに進入してくれば黒の外が厚くなり「中央の白がぼろぼろになりますよ」と(まことに僭越ながら)主張したかった。せっかくプロに教えていただく機会ですから、実利確保より攻めを優先してこちらを選択しました。
実は左辺を2-九あたりに止める手もチラッと考えないではなかったけれど、白は絶対利いてくれないとみて廃案。白から右下への打ち込みについては、黒からは8-十五にノゾキの利き味が保険になっているので、白13-十七あたりからの打ち込みには黒15-十七に迎え撃てば、中央の白にも障って来るはずだから十分戦えると楽観していました。
次の白29は当然のように左上4-三小目。私は思わず「右上と左上ではどちらが大きかったのですか?」と令文先生に聞きましたが、「それはわからん!」とそっけないご返事。どちらも一局ということでしょうか。さて、黒は中を大事にして5-三と外を押さえましたが、令文先生によると3-三に内オサエの方がやや辛(から)かったらしい。後に左辺を止める手が大きくなるのが魅力ということでしょう。その意味で、白33と両バネした局面で黒34の外切り(6-二)が正しく、内切り(4-二)はないそうです。
以後、黒38までバタバタ進み、ここで白から8-五(39)へツケコシ!この時点ではまったく想定していなかったので、悩みまくりました。ところが何と、ひねくり出した次の黒40は本局で令文先生が最も褒めてくれた手となり、盤上は意外な方向に突き進みます。この局面で皆様はどう打たれるか、拙い碁をさらしてしまった「迷宮」を次回で閉じるべく、ご意見を拝聴したいと存じます。次の手に限らず、全体への厳しいご批判や今後の展開予想も大歓迎です。どうぞよろしくお願いいたします。
亜Q
(2011.11.14)
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再掲図 |
我が棋譜ながら、見れば見るほど恥ずかしい。令文先生と、その後にうかがう機会があったアマ高手の意見を取り混ぜて皆様からのご指摘にお答えさせていただきます。
まずは、たくせんさんご指摘の黒2。アマ高手によると、小目、1間高ガカリのツケヒキ定石と比べて1路右に寄っているのだから、「喜んで黒7にツケルべし」と明快なご託宣でした。
愚生は、黒7にツケルた場合、白3では4-十四にオサエてくれればいいけれど、4-十六などと乱暴されるのを心配してしまいました。「どうせ乱暴されるなら広い方からツケて右方への発展を期待しよう」と外ヅケを選びました。白5では5-十四へのカタツギまたは5-十三カケツギと想定、カタツギなら4-十六と白の足元をすくい、カケツギなら7-十四から二段バネして下辺から右辺に広がる模様で勝負。いずれにせよ白は地に足が地に足がついていない状態で、その後を闘えると思い込みました。実戦は案に相違して白5ノビキリと意表を突かれましたが黒6と切って打てなければ手合い違いということでしょう。
次は梵天さんご指摘の黒10。アマ高手も「何しろここでは左下の実利が双方の根拠と絡んで急場だった」と断言されました。黒がこの三々へ先着すれば、白は黒からいつでも3-十四からのツケコシを見られているから9の石から左辺方面へ先行しにくい。結局3-十六などと受けてもらえるなら地合いが大差でした。
次の黒14または黒16でも3-十四、3-十六をセットにしたツケコシから急戦に持ち込むチャンスだったようです。黒14ではまだしも8-十一あたりから石を持って行きたいとのたくせんさんの考えも左上が豊かになりそうですね。このあたり、我ながら何を考えていたのかほとほと愛想が尽きるばかり。ところが碁は広い。黒14、白15と代わって黒16からのツケヒキにプロは「しびれた」と告白してくれたのです。黒からのツケコシがいやだから白19は本来バックしなければならないが、「それでは辛過ぎるから仕方なく打った」そうです。
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| 黒石だけで並べられた定石をあてる問題。回答者は令文先生と下坂先生。出題者は下島先生。 |
次の黒22。この辺に1着入れておかないと白から6-九あたりにくすぐられるのが怖くて用心しましたが、梵天さん、かささぎさんのように先に9-八へボウシして主導権をとれば伸び伸びしているし、十分にやれたようですね。白は満足げに23にトビ、黒24を見て「ホッホー」なぞと余裕の相槌を打ちながら白25、27とおとなしく打たれました。
さて、ここで黒28をどこに打たれますか。私が打った手はきわめて中途半端な手でしたが、後から見るともしかすると“怪我の功名”になったと言えるかもしれません。
亜Q
(2011.11.7)
「ハングリーであれ、愚かであれ」――と学生たちに説き、常人の何倍もの充実した人生を先ごろ閉じられたスティーブ・ジョブズ氏にとって、小生は最末端ではあっても、弟子の一人と数えてもらえるのではないか。顧みればつくづく愚かしい我が棋譜を、何人かの知り合いに見てもらうだけにとどまらず、どなたが見るかもわからないこの場で臆面もなく曝そうというのだから。たとえ我が身は愚かでも、碁への愛着は人並み以上に持っているつもり。絶えず飢えたる魂を持ち続け、皆様からの厳しいご指摘を糧に少しでも上達のヒントを得たい。世間の方々はこれを“虚仮(こけ)の一念”と呼ぶのだろう。
10月14日~16日の3日間開かれた「箱根ファンフェスタ2011」(前身は2006年にスタートして10回開催した「箱根ふれあい囲碁大会」、その後2009年から現行スタイルに。ご参考までに過去ログ、1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11)で久しぶりに孔令文六段にご指導いただいた碁をご笑覧いただきたい。
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| 第1譜(白1〜白27) |
手合い割りは4子局の自由置き碁。教えていただく立場からはなるべく変化に富む場を設定したい、教える側の先生にとっても新鮮な感覚で打っていただけるのではないか――というのが自由置き碁を愛用する愚生なりの理由。今回は4隅の星から左に少々回転させて右上から反時計回りに星、高目、目外し、小目と置いた。ひと目見たレーブン先生が「ホッホー!」とうれしそうな顔をされた(ように愚生には思えた)。「この局面で、白から既に最善手があるのでしょうか」と尋ねると、「きっとないでしょう」と答えてポンと打たれた白1は左下目外しの黒(5-十七)へのボウシ(5-十五)。
意表を突かれて私は、右への1間トビ、白1へのツケ(左右どちら?)、ハサミ(4-十三小ゲイマなど候補多数)を思い浮かべたが、しょせんは結論が出るはずもない。「ままよ」と右からツケヒキを敢行すると、白5は7-十四ノビキリ。5-十三カケツギに黒7-十四以下の模様策戦を期待したもくろみは序盤早々に崩壊した。しかし戦いを挑まれて引く手はない。早くも熱くなりながら黒6(5-十四)と切ると、以下黒18までバタバタ進み、白19は少考後に19(2-十一)にノビキリ。以下、黒24(8-六)でレーブン先生が2度目の「ホッホー」とつぶやかれたほかはサラサラ流れて白27まで。
さてここまでの進行について、皆様の忌憚のないご意見をうかがわせて下さい。少なくとも黒には明白な疑問手が最低1つ、白には、先生ご自身が仕方なく打たれた無理手が1つあるようです。なお、本譜は既にかささぎさんと梵天さんに見せてご意見も聞かせていただきましたが、改めてこの場でご披露いただくとともに、別のご意見等もあればお示しいただければ幸いです。
亜Q
(2011.10.29)
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| 実戦譜 (1-54) |
10月22日の千寿会の大盤解説は、張栩王座に羽根直樹碁聖が挑戦して都内のホテルで20日に打たれたばかりの王座戦五番勝負第1局。小林健二七段と久保秀夫六段のダブル解説だ。
黒番の羽根挑戦者が右辺星と小目から両ジマリしてスタートした序盤、左上白の1間バサミから黒が三々入りして白16まで上辺を模様化して一段落と思いきや、張栩王座が左下黒17カカリに手を抜いて白18下ガリからすぐに白20、22にハネツギした局面が第一のハイライト。アマの碁ならありそうな気がするが、プロの碁では珍しいらしい。黒はこのまま手を抜いても2-八から2-九ハイで右下の活きが確保されているので、もしかすると挑戦者は喜び勇んで黒23、25と右辺の模様を盛り上げたかもしれない(亜Qの妄想)。
解説者のお二人の反応は、「プロの碁で以前に見た記憶があるが、自分は気がつかないし、とても打てない」(久保六段)、「後から見返ればなかなかカラい。いかにも張栩さんらしい」(健二七段)。仮にこの手が良い手であっても、「自分たちはこの打ち方を真似することはないだろう」という見方で一致された。
解説が最も盛り上がったのは、左下白26二間高バサミからの黒の打ち方。黒の選択は上に1間トビして左右にスベルお馴染みの定石だが、2間に飛び上がった白32がなかなか良い手だったらしい。左上の嫌味を解消した黒33、35に続いてすぐ、白は36コスミから左下を決めに出た。以下、白42までほぼ定石通りに進行したが、この時点で既に黒が一本取られていたらしい。黒は43から下辺をまとめたが、白は54まで黒3子を取り込み、上辺から下辺に模様がつながりそうな厚みを形成して大満足のようだ(実戦譜、黒1~白54)。
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| 参考図1 | 参考図2 |
そこで指摘されたのが黒43の是非。「9-十七にアテコミ、白10-十六ノビに黒11-十七に辛抱しているぐらい(参考図1)でどうだったか」(両解説者)。この図ならば黒3子はつながり、下辺中央の白一団にはまだ眼がない。さかのぼって、「上に1間トビした黒27がやや重かったのではないか」と久保六段が提示されたのが8-十五カタツキ(参考図2)。白の対応はいろいろ考えられるが、「黒はいずれの場合も実戦より悪くならない。カタツキはとても良い手に見える」(健二七段)。
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| 参考図3 |
さて、大盤解説ではいつも罵声と嘲笑を浴びる愚生亜Qが思いつきで口走った手が健二七段から激賞されたので、まことに僭越ながらご披露させていただきたい。白32と二間に高く飛び上がった局面。実戦では黒は33から左上を用心したが、何も決めずにじっくり7-十四とコスムのはどうか(参考図3)。白36コスミからの強襲は緩和しているし、白が手を抜けば黒9-十五ツケからハネて白を分断する手がある。と言って、白の受けようも悩ましい。白10-十二コスミ、黒7-十二トビなどと上辺へなだれ込んでいけば、白模様も小さくなる。後で左下白と絡んでいけば、ひょっとすると左上の備えも省略できるかもしれない――というのが自画自賛の屁理屈だが、健二七段は「白にとってピッタリした次の手が難しいのが良い手の証拠。秀行先生流の好手」と絶賛してくれた。
実はこのくだりを書き込みたいばかりに、王座戦ハイライトを取り上げた。運悪く読んでしまわれた変人諸兄は、私の見えないところで思う存分「オエーッ」と吐き叫んでいち早く忘れて欲しい。
亜Q
(2011.10.24)
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| 最終譜 (97-150) |
最終譜(第6譜)
長い連載におつきあいいただき、ありがとうございました。
白130-黒131、白148-黒149のタイミングが自信ないなのですが、白150までで打ち掛けです。
打ち掛け時点での形勢は・・・黒6-十一くらいから、白が5筋ー黒が6筋で壁を作れたと仮定して、
黒:左上隅8目+左下隅8目+右下隅14目+右辺15目+上辺3目=48目
白:左辺25目+下辺6目+右辺から中央16目+右上隅6目=53目
7-十から8-十三あたりにかけて5目作るか、左辺をより小さくできれば細かいと思います。その手順に自信がなく、また、黒は後手でしょうから、結局白の方が厚いのでしょうが。
ここの手どころが全然読めなくて、時間切れになってしまいました。もっと早く打って、ちゃんと検討していただかないとダメですね。
白150がくる前に、黒5-十二と白3-十二なんて交換が入ったりすると、すごく違ったと思うんですが。
実は、こんなに細かくなった(?)のには、それなりの理由があります。
今回は趣向を変えまして・・・先生ごめんなさい。
多面打ちで他の碁が油断ならなかった先生に、本譜でミスが二つ出ています。(対局中のぼやきなどで確認済み)
それはどこでしょう?
梵天丸さん、各部位の図がシミュレーションの参考になれば幸いです。
パパ
(2011.10.12)
牧野昭一 総合企画 1997.11
9月の21日(水)、台風15号の影響で夕刻には大雨大風が予想されていた。それなのに、東京駅近くの碁会所「いずみ囲碁ジャパン」で碁会があり、この日の昼過ぎに出かけた。
家を出たときは、風はなく日差しもあるほどの天気であった。
碁会所は空いていた。この日の会の主賓は欠席。それが当たり前だろう。無理して出て行ったわたしなどは反省せねばならない。
夕刻になり、案の定台風が東京の西側を通って北へ向かっていた。台風が西側を通るときはさらに風が強くなる。電車は止まり、帰宅不可の状態になり、東京駅地下の商店街は人がいっぱい。
わたしたち6人は6時ごろそば屋に入り、ちょっといっぱいのつもりでのんで、いつのまにやら10時過ぎ。ようやく台風も通り過ぎ、電車も動き出したので、店を出て帰宅した。
この二次会はかなり盛り上がった。この日参加者の一人が意外な話を持ち出したのだ。そのひとつ。
その女性の父親が作曲家の牧野昭一であり、父の書いた本を持ってきたのだ。ありがたく頂戴した。
それが「赤いグラスのいい出逢い」である。出版社は北海道中標津町の会社であり、売れ残った本を引き取ったのだという。ことわっておくが、商業出版の本である。自費出版ではない。
帯に曰く
私にはいい「出逢い」がいっぱいあった。そして、いろいろの別れがあった。「出逢い」は、虹のような七色に輝いたあと、だれの心にもいい余韻を残して消えていく…。
この数え切れない「出逢い」の中から、とくに印象の深い人たちとの思い出やエピソードを書き綴ってみた。
わたしも囲碁を通じていくつかの出会いがあった。この本を頂いたことも「いい出会い」のひとつ。その前に彼女の話を聞けたのが「いい出会い」で あった。
「出逢い」と書かれると双方が事前に約束していたようだが、この本では「出会い」の意味だ。
赤いグラスという歌、とっさに判らなかったが、検索して聞いてみた。
♪♪いまーもーなをーー
で思い出した。もともと歌詞を知らなかったが、このフレーズだけは、今もなを覚えている。
唇寄せれば なぜかしびれる
赤いグラスよ
愛しながら別れて 今もなを
遠くいとしむ あの人の
涙 涙 涙
最後の「涙 涙 涙」は「ああ涙」であったのを変えた、という。
この「赤いグラス」は後に銀座のスナック「赤いグラス」に使ったり、本書の書名に入ったりしている。
スナック赤いグラスは牧野さんのピアノ伴奏で歌が歌えるという、珍しいところ。もちろん今はない。
ここに加藤正夫九段が来て、間もなく宇宙流の武宮正樹九段を連れて来た。それがきっかけで牧野家は囲碁一家になっている。千寿会の小林千寿さんも何度も足を運んだので親しくなっている。それが縁でわたしは千寿会で彼女に「出逢う」ことになったのだ。
彼女は歌手として何曲かレコードを出している。その歌を聴いてみたいが、わたしはカラオケが苦手。いまもなを歌を歌えない。涙 涙 涙。
謫仙(たくせん)
(2011.10.10)
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| 第4譜 (51-70) |
第4譜
黒51から白三子を切り離し、中央は黒の勢力圏かのような顔をしてみます。黒が52とまくった場合の死活は読み切れていませんでしたが、白52と受けてもらえました。
黒53は錯覚があって、黒16-七でも右上星との間があいていると思い込んでました。どうせ隙があるのならと、黒53は「15-十の一子を絶対取らせないぞ」という根性を表したくなって打った手です。対して、先生は上品に?白54。右辺を割られたらどうなったかは・・・聞かないでください。
黒55は先生のつぶやきの中で唯一褒められた手。
黒57となって、少し持ち直したかな?と思っていたところ、鮮やかに中央を突破されてしまいました。白70と「ポン抜きを攻めてみる、なんつって」。
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| 第5譜 (71-96) |
第5譜
中央白に少しでもプレッシャーをかけながら、左辺白模様を削減しようと黒71、73を選びましたが、白74とかけられて大慌て。
黒75から左上に手をつけましたが、白78、80と上を塗られると、そもそもおかしかったか?と疑心暗鬼になりました。
白96と手を渡されて・・・何が大きいのか全くわかりませんでした。
1.白58から白70まで、黒はもっとましな図はなかったでしょうか?
2.黒97はどこを選びますか?
3.その他どの手でも、自分ならこう打つ!などいろいろお願いします
パパ
(2011.10.5)
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| 第2譜 |
第2譜
実戦は、たくせんさんと同じ黒9。右下が狭いか?と思い込み、左辺に投資する勇気がなくなってしまいました。上辺白と黒が逆の隅にある形で、亜Qさんご指摘の手順が古碁にあることを確認しました。
対して白10なんて自然な手が全く見えていなかったことに愕然!黒11から「攻めさせられている」と感じながら、白26まで。途中、白22も見えていませんでした。
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| 第3譜 |
第3譜
黒27と29の手順の記憶が曖昧なのですが、結果的にこうなりました。
途中、黒31とカケに白32と力をためてくるのは、我々には勉強になるのではと。ただし、健二先生の好きな形と認識しているので、これは自分の中では「一本道」。
黒33から、「下辺をいじめて上辺に覇を唱えん」としたところで、「一応つぶれない碁になった」と一安心。しかし、白36の出切りにハタと困りました。適当に捨てて、下辺白にプレッシャーをかけたいのですが、捨てる形が・・・。黒43は違和感と、黒47は吐き気と戦いながらの着手です。いつのまにか、白が上辺、黒が内側を打っている感じ。
1. 白50まで、形勢はどんなものでしょう?
2. どの手か(特に右辺?)問題手はないでしょうか?
パパ
(2011.9.26)
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| パパさんが掲示板に書いた手順。記号だけでは分からないということで、こちらに掲載しました。(かささぎ) |
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| 第一譜 |
健二先生に多面打ちながら、先で挑戦。
二子で序盤から潰れて、「打っていただいていることが申し訳ない」と思いながら打つというのが最近の定番なので、今回の目標は「つぶれないこと」です。(「つぶされないこと」ではありません。)その目標は達成できたので、先生の芸がいっぱい詰まっている・・・といいな・・・。残念ながら150手打ち掛け&検討なしなので、疑問手や正解はわかりません。
打ち掛け時点では、「細かいよね。今までで一番打ててたんじゃない?」と褒めていただきました。
・・・内面はそんな褒められたもんじゃないんです。
序盤、自分が何をしたいかわからない・・・アマチュアとして、一番ダメですよね。(もちろん、どう打つべきかではありません。そんなのわかりません。)最初は「つぶれなければ」と思っていたのに、ちょっと悪くなったと感じると焦る。上手に対する精神的な弱さを改めて感じました。
上記のように、打ち掛け&検討なしなので、疑問手や正解はわかりません。私が悩んだところを、みなさんにアドバイスいただけたらと思います。
黒7、この一年序盤でつぶされてばかり、その大半は大斜というイメージなので、まず大斜を外してゆっくり打とうという魂胆です。とたんに師曰く、「黒4目勝ちですか(笑)」。そういえば、最近秀策読んでた・・・そこまでヨミきりですか、先生・・・と微笑み返し。
白8に対して、「なんか古碁にありそう」とは思ったものの、不勉強のためそこで思考停止。どういう気分で打ったらいいかわからず、どの手も打ちたくない・・・すでに半狂乱状態です。この精神状態に追い込まれた=すでに打ち回された?と感じている私。そのときの思いは、後々語ることとして・・・。
みなさんは次の一手からどういう構想で打ちますか?
ご回答を掲示板でお待ちしております。よろしくお願いいたします。
パパ
(2011.9.21)
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| 参考図4 |
実はM氏のアドバイスを正確に受け止めているのか少々不安になり、(千寿会HPにアップしたこともあり)、行きつけの碁会所の席亭のT氏にこの碁を並べ、ご意見を聞いてみました。因みにT氏は17歳で京都府大会で準優勝、埼玉県代表になった事があるアマ強豪です。リタイア後碁会所を開いておられます。並みの6段は3子ではほとんど勝たせてもらえません。氏のアドバイスは結構辛口ですが、理論的で分かりやすいと感じています。相変わらずの辛口コメントでしたが、「なるほど」と思う部分が多く皆さまのご参考になればとの思いで「辛口コメント編」としてまとめてみました。
そんな氏が開口一番、出題図20、22と右辺を囲おうと抑えた手に対し「感覚が悪い!」の一言。「生きている石(黒16までの手厚い黒石)のそばが一番小さい、そこを囲おうとしている。白石に来てもらってダメ場にするように打たなければ・・」、「この局面では参考図4のように、何も決めずに参考図1を決行する事。」「また黒からカケル方向は20とは逆の方向になるのでは・・・。」等々、特に右辺をダメ場にする発想、気づきませんでした。
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| 参考図5 |
次はやはり黒26。この局面でまず目につくのは参考図5.白が25と戻ったこのタイミングでつけて様子を聞きたいとの事でした。白は不自由な形をしていて、どう応対しても、キカシになるとの事でした。キカシた黒石をバックに白3を挟んで局面の主導権を取ってもいいし、他の大場に回ってもよしとの事でした。図をいろいろ並べて戴き大いに納得しましたが、言われて分かる世界で自分からはなかなか気づき難いなとも感じてしまいました。
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| 参考図6 |
次は黒30。黒30も立派な手だが、参考図6のように、ドカンと打ちこみたい。黒26の顔も立つ(戦いになった時援軍となる)、白3を攻めるだけでなく、黒2から横に動く手も出てくる。
黒36のノゾキなど論外。また出題図の32、34は白を固めて悪い。参考図3と辛抱するしかなかったのではないか。参考図3を見ても黒26が異筋にいることが分かる等々でした。
最後にこの碁を見ての総評として①白の石音に反応し過ぎている、もっと主導権をとろうとしないとダメ②3子の置き碁は互い戦的感覚がでてこないとすぐに碁にされる。とのアドバイスを戴きました。以上皆さまのご参考になれば幸いです。
梵天丸
(2011.9.18)
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| 参考図1 |
それでは私なりに納得した我がヘボ手を披露させて戴きます。
その前にM氏は若干21歳の好青年で、アドバイス中、疑問手とか、ましてや悪手などとの言葉は一切言っていません。「その手は小さいです」、「もっと急場があります」、「私ならここには打ちません」、「白を強くしているだけです」等の言葉の中から、「ははーん、疑問手と悪手だな・・・」と自戒を込め理解した次第です。碁風やら趣向やらとの境界は正直よくわからない部分がありますが、悪しからずご了承ください。
まず黒24です。かささぎさん始め多くの方がご指摘のように右上隅で後手を引き白25と手を戻されたのは大いに逸機で、断固参考図1のように戦うべきでした。パパさんご指摘のようにこれで黒16の顔が立ちます。黒24は白から出に備えた手ですが、出たら黒緩めて返って厚くなります。24は上辺一帯が厚くなるので悪手ではないにしろ立派な疑問手だと思います。
黒16についてコメントさせて戴きます。この手は定石途中(白はカケやハサミを保留して右上隅の受け具合を見ている)での白の策動を察知し、カケやハサミ等の利きを封じ、白25に手を戻して下さいと主張している手です。少々生意気な感はありますが普通の手だと思います。余談ですが、覚先生との指導碁でこの手を打ったところ、「白を本気にさせる手ですね。勝率は返って悪くなるかも(笑)」と局後に言われた事がとても印象に残っています。
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| 参考図2 |
次は黒26です。この手は右辺は裾が甘いので囲う気にならず、模様を広げた堂々の一手と思っていましたが、疑問手との判断に至りました。M氏が黒26は自分は打たない、自分なら左上星から小ケイマにしまる(参考図2のA)と言った時、碁風(地の好きな?)の違いかなと思いましたが、色々質問していくと黒26の「罪深さ」が段々分かってきました。ともかく白の鉄壁に近寄りすぎている。裏からくすぐられた時、利きが全くない。実戦でも黒8,12,16の3子と26の連絡のため一手かけさせられています。(亜Qさん・鉄拐さんお見事!!)白5の開きが一路広い(B)と黒26はまずまずの手になるようです。(白5の位置に横付け等あり)
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| 参考図3 |
たくせんさんご明察のとおり悪手は36のノゾキです。一方的被告のはずの白が、黒を分断し逃げ逃げの体制になった原因がノゾキです。分断はなんとしても避けるべきでした。かささぎさんの38で連絡する選択は、白に右辺を開かれ楽をさせるようで気が進みません。参考図3のようにノゾカず攻めるところかと思います。
黒32、34は参考図3と同じ意図ですが、黒26との連絡を一手かけて確かにした手です。これがないと16の左にハネられ黒3子がダメつまりになり、簡単に白にさばかれたり、隅の黒石と切り離されてしまいます。打ちたくないが致し方ないかと思いました。
序盤の2~30手はそこそこ打てているのではなどと思っておりましたが、大いなる錯覚であることが分かりました。今回の出題が皆さまの棋力アップに少しでもお役にたてればと思っております。お付き合い戴きありがとうございました。
梵天丸
(2011.9.11)
皆さまご無沙汰しております。ご存じない方も多々いらっしゃる事と思います。2年ぶりの投稿です。よろしくお願いします。
過日千寿会に関西総本部の枠でプロ棋士採用試験に挑戦するとのM氏が来られ3子で打って戴きました。健二先生と久保先生の名人戦第一局の解説が始まるため、途中打ちかけになりましたが、局後のアドバイスがなかなか新鮮でしたので皆さまの参考になればと筆をとりました。
当たり前ですが、私は私なりに、一手一手局面最大の手と信じて打っております。また武宮先生の云われる、「碁は奥が深い、どう打っても一局」、「アマチュアは好きな手を伸び伸びと打ちなさい」とのお言葉(違っていればご容赦ください)も大好きで、迷った時のよりどころとしています。
さて前口上はこれくらいにして・・・・M氏のアドバイスを私なりに咀嚼すると、なんの変哲もないような、定石を打っているような、この40手の間に(私の打った手は20手ですが)、黒の手に少なくとも疑問手が2手、悪手が1手あるとの理解に至りました。理由を説明して戴き私なりに納得したところはあります。3手と理由を説明する前に、以下のように賑やかしたくご協力戴ければ幸いです。
ヘボ手(黒の手です!)と思われる手を3手数字の番号でご回答下さい(回答は掲示板にお書き下さい)。理由はご面倒なので結構です。是非書きたい方は書いて下さい。大変恐縮ですが、かささぎさん、亜Qさん、たくせんさん、パパさんは是非ともご回答戴きたく重ねてお願い致します。勿論どなたが回答して下さっても全くOKです。
梵天丸
(2011.9.8)
囲碁ソフト「天頂の囲碁2」を買った。
囲碁ソフトも「かなり強くなった、不自然な手が少なくなった」と評判なので、欲しくなったのだ。
さっそくインストール、これはあっという間であった。本当にインストールできたのが疑ったほど。
さっそく第一局、長考モードの設定で対局。これがなんと、パソコンが3時間近く考えることになった。待ちきれずお茶を淹れたりする。わたしの方 は30
分ほど。それはともかく強い。
二局目以降は思考時間を一手30秒以内に制限して対局。これでも1時間以上かかって終局。
なかなか勝てない。三連敗したときは、その後に井目置いて圧勝し、佳奈ちゃん(万波佳奈)に「負けました」と言わせて終わりにする(^_^)。
天頂の囲碁(てんちょうのいご)という。このネーミングにわたしにはちょっと不満。「天頂の碁」にできなかったものか。囲碁というのは特殊な言 い方で、普通は「碁を打つ」と言う。「囲碁を打つ」とか「囲碁をする」とは言わない。しかし「囲碁クラブ」と言って、あまり「碁クラブ」とは言わ ないので、「囲」の字が必要な場合もある。「囲碁ソフトで碁を打つ」ということになる。
この場合は「天頂の碁」の方がよいと思う。
2009年9月に毎日コミュニケーションズから「天頂の囲碁」が発売され、2010年8月に「天頂の囲碁2」になった。Windows用らし い。マッ
クでは使えないのかな。
思考エンジン「Zen」はモンテカルロ法を採用というが、自分で理解できないことの説明はしない。棋譜読み上げなどの声は棋士の万波姉妹。
棋風は中央志向、まず第一着は星がほとんど。「地合い予測」なる機能がある。天頂の囲碁2の考え方の参考になるかも知れない。
攻めは厳しい。死活の読みなどは特に強い。ちょっと欲張ったり、手抜きしたりすると大石を殺されてしまうことが多く、投了することになる。
棋力三~四段と言われている。
対局以外の機能はほとんどない。形に於ける死活の確認なども欲しいところ。
それから、第一着を白から見て右上に打つ事が多い。白から見て左下、黒から見て右上に限定して欲しい。意味はないが、マナーの問題。マナーを気 にしているから日本の棋士は弱いという説もあるとはいえ。
謫仙(たくせん)
(2011.9.4)
埼玉県和光市あたりで研究者生活を送るかささぎさんは、もう若くもないのにいつまでも夢追い人だ。いつの日か中国や韓国の若手強豪を打ち破って囲碁世界一になろうと、職場の後輩でもあるトップアマに何子置かされても屈せず挑戦しているだけではない。亀梨先生の向こうを張ってミスチルの歌をがなりたてて歌手を目指したり、島田紳介や原田芳雄に成り代わってお笑い界や映画界で衝撃のデビューをしようとお笑いや芝居に励んだり、その真摯かつ健気な姿に私は深い敬意を禁じ得ない。彼の究極の研究テーマは、きっと「初老者の突然変異」なのだろう。
そのかささぎさんが少年のような憧れの目を見張ったのは、千寿師匠が新しい名刺を見せた時だ。何と、「松江観光大使」とあるではないか。そう言えばかささぎさんはこのところ、英会話やら旅行のガイドブックやら地方風土記やらのハウツー本を手放さずいつも勉強しておられた。せっかく生まれてきたのだから、一度は「大使」になってみたい――「大使」こそが、夢多き(あるいは移り気な)かささぎさんの最高の望みだったらしい。
山陰地方のほぼ中央に位置する松江は、西に宍道湖、北に日本海を望む「水の都」と呼ばれる風光明媚、松江城や武家屋敷等の史跡、さらに松平不昧公(出雲松江藩の第7代藩主、松平治郷。江戸時代の代表的茶人、号は不昧=ふまい)ゆかりの茶室や小泉八雲の旧居が保存される国際文化観光都市だという。そして我ら囲碁ファンにとっては、17世紀に活躍した碁聖道策を生んだ聖地であり、神話の郷でもある。碁を愛した旧家の数寄者が大きな洞のある大木の切り株を庭に運び込んで丹精込めてつくり上げた茶室ならぬ“碁室”も残されている。洞の中で大人二人がゆったりと碁盤を挟んで打てるスペースに畳を敷き詰め、神棚を飾り、出入り口には障子を付け、まさに“橘中の歓”を地で行くと、日経新聞8月27日付夕刊「明日への話題」で千寿師匠が見聞記を紹介されていた。
千寿師匠が「大使」を拝命されたきっかけは、84歳の日本代表、平田博則さんが大健闘された『世界アマ囲碁選手権戦in島根』(5月末~6月初め)。日本棋院常務理事として島根県と松江市に開催協力への感謝状を届けた際に、囲碁愛好者の知事、市長ご両者から依頼されて8月1日付で就任された。「大使」の名刺の裏には、上記の名所旧跡のほか、堀川遊覧船、花と鳥の楽園「松江フォーゲルパーク」、島根県立美術館、歴史館などが紹介され、名刺を持参すれば各施設に割引料金で入れる特典付き。近くには奈良時代に発掘された日本最古の温泉「玉造温泉」がある。出雲国風土記には美肌・姫神の湯と紹介されている。
ところでかささぎさんには気の毒だが、「大使」を務めるには前途有為な若い棋士の方がはるかに向いている。千寿師匠が「文化交流使」としてヨーロッパを中心に数年間普及活動されてきたのは記憶に新しいし、弟棋士の覚さんの娘婿に当たる孔令文六段も最近「日中友好特命棋士」に任ぜられ、日中囲碁交流の架け橋となっておられる。富山県で毎年普及活動を続けている下島陽平七段は同県特産のキトキト(日本海の鮮魚)にちなんで「キトキト大使」を拝命されているし、広島県出身の山本堅太郎新鋭は若手棋士のオープン戦「若鯉戦」の主催者の一員として活躍されているらしい。故郷に錦を飾る志をお持ちの若い棋士の方は、地元を巻き込み、自ら汗を流して栄えある「地域大使」を目指して欲しい。
亜Q
(2011.8.30)
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| 棋士仲間から高く評価されていた頃、亀梨先生は魔道の闇にのた打ち回っていたのだろうか。 |
人の世には「節目」というものがある。しかし、人はそれを自覚することはできない。だから、神が人に仕掛けた「運命」と後で気づくしかないのかも知れない。
40年に及ぶ私の人生はまさに碁と共にあった。平成元年に入段、同年二段、翌2年三段、4年四段、6年五段、8年六段、12年七段、14年八段、その間、13年には第31期新鋭戦タイトルも獲った。
しかしその後の9年間をどう位置づければいいだろう?阿含桐山杯や棋聖戦といった高額賞金の棋戦でタイトルやリーグ入りを九分九厘掌中にしたことはあったが、結局は何も起こらなかった。とんとん拍子だった昇段テンポも長いモラトリアムを余儀なくされた。
こうした時間はしばしば「充電期間」と呼ばれる。しかしそれは後付け解釈に過ぎない。人はその渦中にあって、あらゆる辛酸に苛まれ、魔道の闇をのた打ち回るのだ。
ふと、私の唇からミスター・チルドレンの桜井さんのメロディーが流れ出す。メロディーは止まらない。涙も止まらない。いつまでも止まらない――そしていつしか、私は酔いつぶれていた。
“愛は消えたりしない愛に勝るものはない”なんて流行り歌の戦略か?/そんじゃ何信じりゃいい?/“明日へ向かえ”なんていい気なもんだ/混乱した愛情ゆえに友情に戻れない/男女問題はいつも面倒だ(ありふれたLove Story )
夏が終わる大好きな夏が終わる/まるで命が萎んでいくような気がした/普通の日々に引き戻されることが/たまらなくさびしく思えた/孤独な僕とまた向き合っていくことが(夏の日のオマージュ)
悔やんだって後の祭り/もう昨日に手を振ろう/さぁ旅立ちのときは今/重たく沈んだ碇を上げ/覚悟なき者は去れ/あてどない流浪の旅/Nobody knows 航海の末路(fanfare)
大切なものを失くしてまた手に入れて/そんな繰り返しのようでそのたび新しくて/「もうこれ以上涙流したり笑い合ったりできない」と言っていたって/やっぱり人恋しくて(旅立ちの唄)
誰かの呼ぶ声がするけれど/今は答えなくたっていいだろう?/独り言のような唄だよ/君にだけ聞こえりゃいいんだよ/もう少し前へあと一歩前へ(独り言)
花の匂いに導かれて/淡い木漏れ日に手を伸ばしたら/その温もりに/あなたが手を繋いでくれているような気がした/信じたい信じたい/人の心にあるあたたかな奇跡を信じたい/信じたい信じたい/誰の命もまた誰かを輝かすための光(花の匂い)
足音を忍ばせ君の扉の前に立ち/中から漏れる声に耳を澄ましたら/驚かさないようにそっとノックしなくちゃ/ねぇ、そこにいるんだろう?/もう入ってもいいかなぁ?/君のその内側へと僕は手を伸ばしているよ(少年)
初秋の涼風が一筋頬を撫で、ふと目を覚ます。人様に聞かれたら何と年甲斐のないことかと笑われるだろう。「何や、アホくさ!」私は独り赤面して吐き捨てる。そう言えばこのところ、カンサイ弁がすっかり身に着いてしまった。
何でやねん!生まれも育ちも静岡やから、東京と関西の架け橋となるサダメなのやろか。夢の中のミスチルの歌はいつまでも消えない。ひょっとすると何かの予兆かも。そう、ストイックな青春を送ってきた私が永遠の愛の園にいざナわれるとき。季節は、秋の、予感。
亜Q
(2011.8.15)
勤務先の窓際で暇つぶしに某ホテルの広報誌を眺めていたら、眼に優しいグリーン碁石を提唱された愛棋客、夏樹静子さんのエッセイが目に留まった。
タイトルは「狐狸庵先生との一碁一会」。広報誌の編集部はもちろん「ホテルの楽しみ方」的な話題を求めただろう。しかし中身はホテル礼賛などから遠く離れた碁の話。ある経済誌の企画で小説家二人がホテルの一室で碁の初手合いをして一方が勝ち他方が負けた、それだけ。ホテル広報の立場からみればまさしく失敗記事だろう。
しかし、ザル碁アマの眼からは別の面白さが見える。何しろ、登場人物が大作家の遠藤周作さんと気鋭の女流推理作家として売れっ子だった夏樹静子さん。遠藤さんは当時自らを狐狸庵(こりあん)と号し、新聞・雑誌に次々に話題作を発表する傍らテレビなどでも大活躍。週刊誌では「狐狸庵閑話」などというエッセイを、別の経済誌では「周作十番勝負」と銘打って主に企業経営者との“真剣勝負”を紹介しながら対局相手との対談を連載していた。
ところがご明察の通り、この周作先生は碁聖秀策とは「月とすっぽん」どころではない。このあたりは千寿先生が熟知されているはず(「それでも亜Qよりは強かった」などと言われたらどないしょ!)。いずれにせよ、「十番勝負」では強豪ぞろいの財界人を相手にだいぶ負けが込んでいたらしい。この頃狐狸庵先生は、嫌煙権がまだ確立されていなかった当時いち早く完全禁煙を掲げ、自分より強い人は客となるべからずを看板にした「宇宙棋院」を開いて弱いアマをやっつけて喜んでいたようなのだが。
そこで、いたずらと悪巧みが大得意な狐狸庵先生は考えた(に違いない)。慶應大学の後輩でもある夏樹静子さんが碁を打つらしい。しかも習い始めて当時まだ2年程度。いかにミステリークイーンとは言え、売れっ子だから碁の勉強には手が回らない。棋力は多寡が知れている。財界人ではないが財界人のファンが多い――。そこで狐狸庵先生はクククと独り肯き、次の対局相手に彼女を指名。しかも悪辣なことに彼女を白番にした。こうした仕掛けを、ザル碁アマとしての狐狸庵先生の切ない心根とみるのか、「たまには勝ちたい」という我欲まみれの童心とみるかは、生来まじめで高潔な私にはわからない。
結果は当然、黒番の狐狸庵先生の勝ち。「先生は少年のように喜ばれ、ホテルの玄関まで送ってくださり、握手してお別れした。(狐狸庵先生はその3年ほど後73歳で亡くなったので)それが一期一会になったが、先生の大きな掌の温もりが今も私の中に残っている」と夏樹さんは品性高くまとめている。
ところで狐狸庵先生の棋力はともかく、当時はザル碁アマの棋譜が一般誌にもかなり掲載された事実に今さらながら驚かされる。「周作十番勝負」は1980年代から90年代初めにかけての経済誌だが、千寿会の長老ちかちゃん(濱野彰親画伯)が文壇名人を2期獲ったのは同年代最大部数を誇った一般週刊誌の売り物企画での快挙だった。大竹理事長や石田名誉本因坊、武宮元名人・本因坊らもあちこちの新聞・雑誌で指導碁を載せておられた。千寿先生も21世紀の初めごろまで『週刊ポスト』の誌上で「囲碁天狗サロン」を連載されていた。今眼にするのは、小川誠子さんが経営者向けの雑誌に連載されているぐらいしか思いつかない。日経新聞の「明日への話題」のような随筆欄では棋士が登場することが少なくないが(千寿先生は現在日経夕刊に毎週土曜日連載中)。正直な話、ザル碁アマの棋譜をみて読者が増えたり広告を出稿しようという企業があるとは思いにくい。ま、時代は変わったのだろう。
蛇足ながら、『文藝春秋』最新号には吉原(旧姓梅沢)由香里姫が巻頭グラビアに載っていた。
「この人は誰でしょう」と掲げられた幼き日の写真がなかなかの傑作。
このサイトを覗いていただいた変人諸兄はきっと、ニヤリとされることでせう。
亜Q
(2011.8.11)
平本弥星 集英社 2001.4
著者はプロ棋士で1952年生まれ、現在六段である。「この一冊で碁がわかる!」と銘打っているが、初めての人がこれだけで判るかどうか。
はじめに簡単に碁の説明をしている。しかもそれが「碁の全て」ともいえる。碁の難しい問題はそれから派生したものだ。
それからいきなり高級編、碁に関する諸々の知識編だ。碁は知らなくても知識は判るから、入門編といっても間違いではないが、入門者にはちょっと 手が出
ないだろうな。
碁を知らない人と、碁を知っている人に
ともいう。一通り碁を知っていて、歴史や関連知識に興味のある方に向けて書いたといえよう。
碁は脳の健康スポーツ。いったいどんなゲームなのか。なぜ碁盤は19路なのか。定石とは何か。記憶力がよくないと碁は強くなれないのか。
定石は忘れよ。囲碁は植物のような仮想生命である。という見方で、囲碁という知について説く。
「あとがき」にいう。
とくに、碁を知らない人に一読して碁がどんなものかわかった気分になっていただきたい。
それで入門書ではないが「入門編」としたのだった。
内容は、例えば、元禄繚乱という大河ドラマがあった。そこで碁の場面があるのだが、手つきが碁を打ち慣れているようには見えなかった。俳優の中 村勘九
郎さんは碁を打たないらしい。と推測する。これはわたしがよく武侠ドラマで指摘するのと同じ。
日本囲碁規約 の冒頭に、この規約は対局者の良識と相互信頼の精神に基づいて運用されなければならな い。
とある。勝ちたいために故意にマナー違反をするような棋士の出現を想定していないのだ。
しかしながら、先のアジア大会のように、外国では想定外の棋士が出現している。想定外は津波ばかりではない。
わたしが注視したひとつは盤の広さである。中国では昔の盤に、17路盤の、縁がなく一番外側の線のところでカットしたような盤が見つかってい る。
一番外側には置けないので、17路として使えないと思うが、昔は17路であったというのが納得できる。もっとも普通に使っていたものかどうか、 現代
の13路盤のような例外的なものの可能性もある。もしこれが普通の碁盤なら、漢代まで十七路ということになるのだが。
それから、よく昔は占いであったというが、それは派生したのであって、本来はゲームであろうという。説得力がある。
歴史に関しては江戸時代の話を省いている。調べが済んでいないというが、おそらくすでに沢山の本が出ているので、自分が出るほどのことはないと 思った
のではないか。
中国では、囲碁狂ともいうべき南北朝の梁の武帝のころに19路の碁盤が用いられ、長足の進歩が見られたのではないか、という。
梁の武帝については、「奔流」の碁 参照
謫仙(たくせん)
(2011.7.26)
今の若い人たちと違って、昔若かったオジサンたちには「近代五種競技」なるものが歴然と存在していた。囲碁・将棋、麻雀…後は何だったか忘れたが、あれもある、これもあるという選択肢が少なかった時代だ。映画・演芸も流行り歌・流行り小説もスポーツも同じで、誰もが当然知っていたから共通の話題には困らなかった。
今回の話も、誰もがご存知だろうという前提で進めさせていただく。プロ野球で、一度は監督をさせたかった人物は誰か。巨人ファンなら黒江、江川、阪神ファンなら江夏、掛布あたりが挙がるだろうか(猛烈な反論を食らいそう!)。私なら躊躇なく元西鉄(今は西武)野武士軍団のリーダー、豊田泰光氏だ。実はこの豊田氏は監督経験のない元一介の選手としては異例の長期間、一般紙(日経)のスポーツ評論を続けており、私はそのコラムの大ファンなのだ。
競技者として晩年を産経アトムズ(今のヤクルト)で送った豊田氏はスランプに陥った時、「兼任コーチ」の肩書きを利用して自分の練習をテキトーにさぼり、もっぱら体を休めた。曰く、「競技者はいい年になったら猛練習より逃げ道が必要」。体と心が擦り切れている時に、いくらもがいても余計悪くなりかねない。自己に甘えを許さず精進し、今の地位を築いた選手でも、峠を過ぎたら自分をいじめるだけではいけない。自分をいたわることも大事で、どこかに妥協を残しておく。じっくり休んでおいしい場面の代打で活躍するものだから、努力しても打てない連中が面白くなさそうにしていたという。
休んでいる時に心がけたのは、自分の打撃の理想・右中間への本塁打のイメージトレーニング。実際に球を打つだけが能ではない。活動の拠り所が次第に肉体から脳へと移り、人はベテランになっていく。ただし、「肉体より脳」に逃げていいのは、実戦を重ねひとかどの選手になってからだ――と。この話は現在絶不調にあえいでいる巨人の小笠原、阪神の新井選手らにぜひとも聞かせたい。
豊田氏は、イタリアリーグのチームは試合後のミーティングで個々のプレーを反省するのだが、最後は「やっぱり悪いのはレフェリー」となってお開きとなる――という、ラグビーの元日本代表、四宮洋平選手から聞いたエピソードも紹介。毎度となると問題だけれど、自分を責め過ぎる傾向がある人は、こんな逃げ道も悪くない、と結んでいる。
ところで我が囲碁界は、今年始まったばかりのマスターズカップがコーイチvsチクン大棋士の決勝を残すばかりになった。50歳以上の七大タイトル経験者11人でスタートした棋戦は、私が本命視したリッセー&サトルが緒戦でぶつかるなどして去り、結局囲碁史上屈指のライバル同士の激突となった。どちらが勝っても、スポンサーのエステー&フマキラーさんに乾杯だ(敬称略)。
この新棋戦について、依田元名人・碁聖・十段が「ボクも参加させてもらえるようになったら頑張る」とブログに書かれていた。今年2月で45歳になったばかりだからいささか早過ぎる決意表明だが、新規参入が約束されているのは今年11月に50歳を迎えるオーメン元本因坊・王座だけ。豊田氏の例を借りれば、公式戦の合間に一打でMVPを狙える「おいしい場面での代打」には違いない。とは言え、依田元名人はまだまだ四天王や井山・結城・坂井らの関西軍団に伍してタイトルを争って欲しい私のひいき棋士の一人。新棋戦はまさか「逃げ道」ではありませんよね。
亜Q
(2011.7.9)
7月5日に行われた十段・女流名人合同就位式に行ってきました。私には亜Qさんのような文才がないので、井山裕太十段と謝衣旻女流名人の謝辞だけ写実的にお伝えします。
謝衣旻女流名人の謝辞
皆さんこんばんは、本日、お忙しい中、お越しいただきまして本当にありがとうございます。そして主催者の皆様、協賛の皆様、十段戦そして女流名人戦を開催していただき、心から感謝しております。ご来賓の皆様ありがとうございます。
今回は2対1という結果になりましたが、防衛できたことはほんとにうれしく思っています。そして1局目は大阪商業大学で対局を行いましたが、実はこれまでに何回か大阪で対局したことがありますが、実は一回も勝ったことがなくて、帰りの新幹線はとってもとっても長く感じました。そして今回も1局目負けてしまい、ほんとに長かったです。また是非大阪で対局する機会がありましたら是非リベンジをして、もらって返りたいと思います。
そして2局目なんですが、3月11日地震の日なんですが、ほんとにあんなに大きな地震を体験したのは初めてでした。そして、建物があんなに揺れたのもほんとに初めて見ましたし、対局はそのあと中断したのですけれど、再会は確か15日後でした。何とか勝つことができたのですけれども、今、地震から4ヶ月くらい経ちますが、まだまだ大変な思いをしている方もはたくさんいるとおもいますし、やはり自分も何かできることがあったら、やりたいと思っていますし、そして、先ほどのチャリティイベントなんですが、ほんとに被災者の皆様に少しでも力になれるよう、そして、1日でも早い復興を願っております。
簡単な挨拶ですが、最後になりまして、いつも応戦してくれている師匠の黄先生、そして、本日のために台湾からお父さまお母さま本当にありがとうございます。今回は4回目の優勝ということなんですが、先ほどもいったように来年勝ったら名誉ということなんでねらっていきたいと思います。そして、これからもほんとにどんな棋戦でもどんな対局でも一生懸命打っていきたいと思っています。ありがとうございました。
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| チャリティ指導碁の様子 |
井山裕太十段の謝辞
皆様こんばんは、本日はお忙し中お集まりいただきまして、まことにありがとうとございます。
僕はこの十段位は勿論初めてなんですけれど、今まで十段戦ではなかなか本選に入っても、全く上のほうに行くことができなかったので、ちょっと正直、十段とはなかなか縁がないのかなと思っていたのですが、今期は本選から非常に苦しい碁を拾ったりして、自分に非常にツキがあるのかなと感じていました。
十段瀬では張栩十段との、第1局ということで、今年1月から棋聖戦がまず行われまして、ちょうど棋聖戦の第5局と第6局の間に十段戦の第1局があるという、並行して行われる形になったのですけれど、まあ、棋聖戦は第5局が終わって2勝3敗で非常に苦しいという状況で十段戦だったんですが、1局目は地元大阪での開催ということで、非常に応援して下さった方もかなり僕のほうが多かったと思うのですが、残念ながらその対局も負けてしまいまして、棋聖戦のほうでもちょっと第6局も負けてしまって、そのときはかなり精神的にも追い込まれた状況で、非常に厳しい状態でした。
よく負けが続いていると勝負の世界では相手の顔をもみたくないというか、相手の顔を見るのも嫌だという風に言うことがよくありますが、これがこのことなんだというふうにそのときは感じていました。
棋聖戦も終わって十段戦に集中することができまして、第2局で、自分の中では非常によく打てたと思う1局なんです。あの1局を境に、すこし、気持ちが楽になったといいいますか、はい。第3局も負けて先に追い込まれる形でしたけれども、第4局、第5局と追い込まれた中でも自分の力を出しきって結果的に勝つことができたということで、ほんとに自分自身ホッとしましたし、自分の力が通用して本当によかったと思っています。
この十段戦という棋戦は先ほどいわれたように、今期から3時間の持ち時間で、世界戦に合わせたといいますか、非常にスピーディーな戦いになっているわけですけれど、その十段の獲得が先日おこなわれた国際戦の優勝に繋がったかな、と自分では思っていますので、本当にこの十段位の獲得というものは自分にとってほんとに大きな勝利でした。
今回、この合同で就位式をしていただくというのは僕自身初めての経験なんですが、やはり一人よりも謝さんがいるほうが非常に心強いので、できれば他の棋戦もこういうふうにしていただけるとありがたいのですが、そういうわけにもいかないので、この十段戦は来期からも絶対に頑張りたいと、そういうふうに思っています。
最後になりましたが、この十段戦を主催していただきました産経新聞社さんはじめ、この開催にご尽力いただきました方々、そしていつも応援してくださる方々への感謝の気持ちを忘れずに、と、共に今年は大震災で大変な年になりましたけれども、僕たちプロ棋士ができることというのは、やっぱり、少しでも皆様に感動を与えられるような碁を打つことしかできないと思っていますので、少しでもそういう碁を打って、さらに日本を元気づけるような活躍を世界棋戦でもしたいと、そういうふうに思っております。
そのためにはまだまだ、これからも成長していかなければ行けないと思っていますが、これからも暖かく以後応援よろしくお願いいたします。
以上。
かささぎ
(2011.7.6)
若人に「愛のゆるみシチョウ」を説く伝道師・亀梨先生は、「“好き”の反対は“嫌い”ではなく“無関心”」と喝破されていた。そう言えば、かささぎさんは大阪での悪ガキ時代、特定の女の子にしきりにちょっかい(いたずら+意地悪)を出していつも泣かせていたというウワサだ。きっとかささぎさんはその女の子に片想いして、何とか自分に関心を持ってもらいたくて躍起になっておられたのだろう。
こんなことを思い出したのは、世界のソニーを敵に回して1億人を超す個人情報流出の因をつくったとされる天才ハッカーが、交流サイト(SNS)で瞬く間に世界大手にのし上がった米フェイスブックに入社したとの報道を目にしたからだ。この天才はジョージ・ホッツ氏(21歳)。10代で米アップルの「スマートフォン」のソフトを改変する技術を開発、今年初めにはソニーの「プレイステーション3」に対応する技術を公開した。ソニーは「海賊版ソフトの利用拡大につながる」としてホッツ氏を提訴、3月に和解したと言われるが、この一件が同社へのハッカー攻撃の一因となったとの見方が根強い。
日本ではハッカーを「情報システムに対する違法アクセス者」として忌み嫌うが、米国では「高度な技術を持ち、既存の枠組みにとらわれずに技術を追求する異能エンジニア」と見なす意味合いが強いという。「米国の大手企業がハッカーを積極的に活用するのは、こうした風土があるからだろう」と記者はシリコンバレーから伝えている。もしかすると、ホッツ氏は幼き日のかささぎさん同様、ソニーに愛を込めて技術公開したのかもしれない。ソニーが彼を訴える代わりに雇用すれば、ソニーの業績と株価は急上昇したのではないか。
この動きに呼応するように、物理学者の佐藤文隆氏(甲南大学教授)は「日本では、西洋で出来上がった社会制度を明治時代に移入して、科学技術の専門家が登場した。このため彼らには芸術家のような自由なイメージがなく、当初から“お上の科学者”たる組織人だった」と説く。科学という制度は、日本では国家権威の下に形成されたが、西洋では既成権威に挑戦する新参者としての経験を経て確立したということらしい。
佐藤氏はさらにボルテージを高め、「この抗争期に“マッド・サイエンティスト”が登場した」と力説する。異常能力は持つが社会と人倫に無頓着な超人・変人。世間には目もくれずに自ら価値を置く対象に没頭することを理想とする。毒ガスを作ったハーバー、原爆のオッペンハイマー、戦争理論のフォン・ノイマンらに加えて、マッド・サイエンティストの典型例としたのが磁気の基本単位に名を残すクロアチア生まれのニコラ・テスラだ。交流送電、ナイアガラの水力発電、テスラコイルなど広い分野で普及の業績を挙げた。
翻って、未踏の芸術家、文豪、大数学者、そして囲碁・将棋の名棋士にもマッド・サイエンティスト(奇士とでも呼ぼうか)の血が流れるのではないか。現代の棋士から探れば、呉清源、依田紀基、結城聡、韓国のイ・セドルらが候補に上がると思うが、惜しむらくは年齢や業績と共に角が取れていってしまうようだ。むしろマッド・サイエンティストでは歴史がある欧米から新スターが生まれそうな気がする。なにせ、マイクロソフト、アップル、グーグル、フェイスブックなどの創業者が瞬く間に億万長者になる風土がある。新スター登場と共に、碁は中国、韓国、日本といった国境を超え、燎原の火が燃え盛るように世界に浸透していくだろう。
亜Q
(2011.7.3)
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| 「世紀の決戦~冷戦中の1972年アイスランドで行われた世界選手権でボビーは米国人初のチャンピオンに輝いた」 なお、この写真はたまに愛読する『ニューズウイーク』誌のご厚意を確信して亜Q文責で掲載させていただきました。 |
私がボビー・フィッシャーと仲良くなれたのは、チェスのことを何一つ知らなかったからだ。ボビーはチェスを知っている人間はみんなバカだと思っていた――こんな粋な書き出しで、『ニューズウイーク』2011年6月22日号(日本語版)が天才の素顔と孤独を紹介していた。筆者は新著「ボビー・フィッシャー」を著したフォトジャーナリスト、ハリー・ベンソン(米)。2008年に死去したボビーと、謎多きチェスの天才を回顧して素顔を洗い出してくれたハリー、それを日本語に翻訳した同誌日本語版編集者に心から乾杯したい。
ボビーはブルックリン生まれのユダヤ人。冷戦さなかの1972年、チェス王国を自認していたロシア(当時ソ連)の世界チャンピオンを破って米国人初のチェス世界チャンピオンに輝き、秀才プログラマーどもが寄ってたかってつくり上げた最強スーパーコンピューターさえも軽く打ち負かした。その後、20世紀終わりから21世紀にかけて、相手が人間でも機械でも負けることはなかったようだ。
ソ連チャンピオン、スパスキーとの戦いはアイスランドで数週間かけて行われた。その21局の対局中、ボビーがとんでもないヘマをやらかした。ホテルに戻った彼は5人のグランドマスター(チェス選手の最高位)を相手に自分の手を入念に調べ直した。そしてとうとう5人が「もう全員相手をした。誰も残っていないよ」と音を上げた時、ボビーは「まだハリーがいる」と言って、チェスを知らないハリーに相手をさせた。ハリーが駒を動かすと誰もが笑ったが、ボビーだけは笑わなかった。彼が見たこともない手をハリーが指したからだ。
ある晩、エストニア出身のグランドマスターが「チェスはソ連のあらゆる村々まで浸透している。ブルックリン出身のユダヤ人(ボビー)などに負けるはずがないと誰もが思っている」とボビーに語った。事実、スパスキーにはいつも大勢の世話係がついていたが、ボビーには誰もいなかった。もちろん、米大使館から花やフルーツが届くこともなかった。「奴らはボクがここにいることも知らないし、どうだって良いのさ」とボビーは言ったらしい。このあたりは、韓国から日本に渡って間もなく頭角を顕わし出したチクン大棋士の境遇に似ているような気がする(ご参考までに、「我が妄想~チクン大棋士考・四面楚歌」をご覧ください)。
著者のハリーはたまたま、世界選手権の直前に全米プロフットボールのニューヨーク・ジェッツの選手とニクソン大統領一家を撮影していた。ハリーはニクソンから「ボビーの功績はすばらしい」と伝言を頼まれ、ボビーにその通り伝えたが、ボビーはそんなことよりジェッツの写真を欲しがった。ハリーはジェッツの写真を入手して「やっつけろ、ボビー」と書き入れて渡したところ、ボビーは選手が書いたと思い込み、とても喜んだ。ハリーは著書で、「もし捏造だということがばれたら、ボビーは絶対許してくれなかったろう」と告白している。
晩年の21世紀初頭、ボビーはなぜか日本が定住したいと言って入国したが、国際管理法違法だか何やらで8ヶ月も拘束され、挙句の果てにアイスランドに追放された。拘束中のボビーは“古めかしいチェス”を捨て、まったく新しい“ランダム・チェス”構想をまとめていたらしいが、その記録さえ残さずにアイスランドへ行ってすぐ2008年に死去したという。このあたりのことを、やはり『ニューズウイーク』から引用して6年前に書いたので、ご参考までに)。
奇天烈な天才の素顔や孤独な境遇は、この歳になってもいまだに天才大好き少年でありたい私(亜Q)には魅力的過ぎる。思い起こすのは数学史上最大の難問の一つと言われた「ポアンカレ予想」を解いたロシアの数学者、グリゴリー・ベレリマン。形式主義的で由緒正しい論文報告手段をすっ飛ばして書きなぐった証明が認められ、数学界最高の権威と言われるフィールズ賞、さらにスパコンメーカーのクレイ社から百万ドルの賞金授与を申し入れられたが、なぜか彼はいずれも拒否し、老母と共にロシアの田舎に隠遁して細々と年金暮らしを続けたらしい(参考1,参考2)。一個の人間としての彼を描いた記録があれば是が非でも読みたいと思う。
もちろん、碁だってチェスや数学に負けるはずはない。目先の勝敗よりも、後世にまで伝えられる惚れ惚れするような着手・着想をどしどし打ち出して欲しい。そう、大数学者もコンピューターも到底浮かばない、かけがえのない碁才の出番。特に若い棋士諸兄の奮起を期待するが、いつまでも元気で現役を張っている高齢棋士の方々にも勇気ある挑戦も結構待望している。
亜Q
(2011.6.16)
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| 青少年に「愛のゆるみシチョウ」を説きながら、亀梨先生はなぜ遠い目になるのだろう? |
何?この11日は女流棋士の渋沢真知子さんの結婚式?
それはめでたいことだ。私からも「お幸せに」と言っておこうか。
まだある?万波佳奈タンも幼なじみの彼とゴールインしたって?
そのぐらいとっくに知っていたよ。囲碁アミーゴを立ち上げた同志だし。
えっ!佳奈タンの相手は私だと思っていた!?あんさんはどこまでアホなんや。
しかも私を指して「あんな素敵な先生と結婚できるはずがない」と告白したって!?
何やドシロートの妄想と勝手読みだらけやん。何せ、12年と1ヶ月も歳が離れているんやデ。
なぜそんなに正確に年齢差を覚えているのかって!?あんさん、何かしつこ過ぎるんちゃう。
はいはい、わざわざ報告してくれておおきに。そんなに暇ならもっと碁を勉強したらどやねん!
私は少年のような純粋な志を忘れず、遠い目をして勝負師の道を悠然と歩み続けてきたのだ。
口さがない連中は、この私を「ミスター・チルドレン」やら「亀梨先生」やらと呼んでいる。
もっとも私は人一倍包容力に恵まれた。実はこの呼び名はまんざらでもない。
「ミスチル」と言えば桜井さん、私のカラオケ十八番や。いくらでも歌って聞かせたるデ。
ジャニーズ系の亀梨君はスポーツ万能らしいじゃん。チャリティー野球大会でMVPに輝いたりして。
言いたかないが、私は学生時代、野球もサッカーも競走もついでにベンキョウも何でも一番だった。
実の弟は自転車競技のトップアスリートだし、亀梨君も弟みたいなもんさ。
ところで、囲碁アミーゴが最近発刊した「碁的」(シリーズ4回目)を読んでくれたかい?
「愛のゆるみシチョウ」という名物コラムに女性読者からファンレターが殺到しているそうや。
何を隠そう、これは若き囲碁メンに私が手ほどきする汲めども尽きせぬチエの集大成なのじゃ。
ゆるみシチョウだなんて気取っているから、油断していつも逃げられちゃうではないかって?
それは、東の貴公子と呼ばれる私に対抗して西のキムタクと自称する我が親友棋士に言ってやって。
あんなノホホンとした関西人は見たことない。人がいいのかアホというか、親友だからこそ心配なんや。
でもね、「いや、まだまだ先の話」なんて油断させて抜け駆けしたら許さん。それはペテン師やド。
亜Q
(2011.6.8)
犬飼六岐 講談社 2011.1
痛快な囲碁小説といえよう。
なにしろ、碁の専門用語に間違いがない。用語ばかりでなく、その言葉の使い方も、そして碁の説明も正しい。これは当たり前のようだが、特筆したいところ。
最後に謝辞がある。 …矢代久美子先生に懇切な御教示、多大な示唆を賜りました。…
と、プロ棋士の目を通している。しかし、あちこちにある専門用語や関連用語などの使い方を見れば、著者自身が相当に碁に詳しいことを示している。おそらく、矢代五段に見ていただいたのは、用語ではなく、碁の流れや手合いの描写などであろう。
ほれぼれするようないい手つきだ。これだけでプロ並みの強さを感じさせる。あごが細いのが江戸人らしくないが、座っているのに背の高さを感じさせるバランスのよさがある。
ときは幕末。御城碁も中止になり、江戸にコレラが流行って本因坊家跡目の秀策が亡くなる、そんな時代の話である。
日本橋本町の薬種商に、囲碁小町と言われる十八歳になる娘がいた。名を「りつ」という。そのおりつを見こんだ人がいた。表御番医師を務めた老人で筧瑞伯という。今では隠居の身であった。その孫が長崎で医学を修め、江戸に帰って医師となっていた。その孫の嫁におりつを望んだのだ。もっとも孫の方はその気はない口ぶり。
おりつにとっても相手は苦手なタイプ。筧瑞伯は碁を打った経緯から、自分の指定した人と碁の七番勝負を打って、勝ったら嫁にと申し込んできた。おりつの両親がおりつにその話をしないうちに、つまりそのような事情をおりつが知らないうちに、筧瑞伯が家に来て、おりつに七番勝負の話をすると、おりつは碁だと思って承知してしまう。こうなると断ることもできず、嫁入りを賭けて碁を打つことになった。
これが発端で、筧瑞伯の指定する人と碁を打つ。その相手は巷の天狗もいれば専門棋士もいる。
七番勝負の最後に予定していた秀策はコレラに罹って対局することができなかった。
七番勝負が終わったあと、秀策の代理の村瀬秀甫と打つことになる。
おりつは初段格、当時は素玄の区別はないのでプロ初段と同じ。三段に定先、五段に二子。秀策流が好み。
この勝負の行方は、本を読んでいただくとして、別なところにある興味があった。
おりつの背丈は五尺六寸(約170センチ)もある。もちろん本文中に背が高くて、人目を引くような話もあるが、それ以外は普通に生活している。兄は180センチ。弟はおりつより少し低い。父もそれなりに高い。
当時の平均身長はどのくらいだろうか。ある資料によれば、おおむね男性155~158cmで女性143~145cmという。してみるとおりつは平均より二十五センチも高く、男と比べても十五センチも高い。当然かなり目立ち、それで有名になっていたであろうと思われるがその話はない。
最後のオチにこの身長がからんでくるかと思ったが、関係なかった。
おりつが碁を知った経緯とか、師の不思議な経歴。当時の囲碁界の複雑な事情。などなど碁以外にも読み応えのある話が多い。碁を知らない人むけの碁の説明もかなりある。特に碁を知らない人が読んでも問題なく読めると思う。
「いま勝ちを貪る手を打てば、つぎには負けが避けられず、いずれは碁の本道を見失う。盤前にあって、わたしは常々そうこころがけている」
と高山道節の言葉があり、言葉の前半はわたしも身に覚えがあるところ。
なお、言葉は現代語。擬古文ではないので読みやすい。
おりつの弟の新之介は「ぼくは…」なんて言っている。「ほら、やっぱり、姉さんは年寄りのお医者さんをいじめて帰ってきたんだ」なんてせりふは、ほとんど平成のこども言葉。昭和でもこのような言い方は珍しいのではないか。
それでも道節のような立場の人の言葉は、それなりに固い言葉を使っているので、違和感はない。
謫仙(たくせん)
(2011.5.30)
仕事で釜山に一週間ほど来ています。高層ビルが乱立し、建設ラッシュの形相を示しています。ホテルでテレビをつけて、何か面白そうな番組はないかと探していたら、バドゥーク(囲碁)TVというチャンネルがありました。韓国語は全く分からないのですが、5人対5人の団体戦がライブで中継されていました。同時に5組の対局があるのではなく、1局ずつ順番に行われ、順番に放送されます。日曜日の夜のゴールデンタイムに対局が行われていて、しかも、それがライブで放送されていたことがうらやましく思えました。
水曜日に忘れ物をとりにホテルに戻ったときに、ちょうど井山名人と古力九段の博賽杯金佛山国際囲碁超覇戦の決勝戦が放送されていました。実際の対局をそのまま中継しているように放送されていていました。画面に出てくる手が包まれているスーツの色も井山名人に合わせてちょっと明るめの青になっていましたが、石を置く手が右手だったので、すぐに別の人が打っていることが分かりました。それでも、テレビでリアルタイムで解説付きで放送されていることは、日本人としてうらやましい限りでした。
解説の仕方が面白かったので紹介します。日本では大盤を使っての解説がほとんどですが、バドゥークTVでは、実際の碁盤にスーパーインポーズして、パソコンの画面が重ね合われます。マウスポインタが出てきて、マウスをクリックすると碁石が実際の画面に重なって表示されます。右の写真で三角印の付いているのがパソコンで打たれた石です。他の盤石は実物を映したものです。これを用いて解説がなされます。
その夜、ふたたび、解説付きで井山−古力戦の放送がありました。韓国語を解せない私としてはもったいない限りでしたが、参考図をたくさん並べてくれるので、少しだけ雰囲気を感じることができました。解説者が、盛んに、右上隅の18四の手に対して、18三の位置を指していました。そこに打っていれば、古力が少しよかったのかもしれません。韓国語の分からない私には残念ながら理解できませんでした。
夜になっても毎日何かしらの棋戦のライブ中継があるので、ホテルでは仕事ができませんでした。とにかく、毎日ゴールデンタイムに対局があり、それが中継されているのが驚きでした。今日もKB何とかという団体戦のKIXXチーム対HANGAMEチームの2回戦が放送されていました。
かささぎ
(2011.5.20)
千寿会とは1994年に始まった会で、小林千寿氏を慕って集まってくる海外からの棋士志望者と、 それを支える日本人囲碁愛好家たちの交流の場です。 会員募集中現在会員募集中です。ご興味のある方は本ページの上部に記載されているメールアドレスまでご連絡ください。ただし、入会資格は厳しいです。 |
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| 千寿先生の指導碁風景 |