![]() |
千寿会 かってにホームページ |
| あなたは |
![]() |
トップページ 以外の 更新情報 |
「詰碁」を講座に移動(2010.8.16) |
|---|---|---|
| ハンス・ピーチ六段 追悼ページ | ||
皆様からの投稿(雑記帳、質問、意見等)大歓迎、 までメールください |
||
![]() |
| ケン・コーポレーションKN西麻布ビル |
先日、梅沢由香里五段とトップアマの木下暢秋(ながとき)氏(38)の互先対局を観戦する機会があった。女流棋聖2期などの実績を誇る由香里姫は、東大で石倉七段らとともに囲碁講座を主宰する教育者でもあり、セドル、チャンホ、コーケツらとともに世界一、二を争う人気棋士でもある。私生活では先ごろJリーガーを引退された吉原慎也選手の内助の功を務め、野菜作りにいそしみながら千葉の田舎生活を楽しむ主婦の顔も持つ。一方の木下さんは、京都大学在学中に1年後輩の坂井秀至碁聖と切磋琢磨して学生名人にも輝いたトップアマ。現在は日本の研究開発の総本山・理化学研究所に勤務、千寿会のかささぎさんの後輩研究者でもある。
主催者は『月刊囲碁』をはじめ、科学、趣味、実用など幅広い分野の書籍、雑誌を発行する誠文堂新光社。本対局は女流トッププロと精鋭アマ各12人が名誉やら意地と面子やらを賭けて年間勝負を決する同誌の名物企画だ。スポンサーは高級賃貸仲介業務に特化して高度成長を果たしてきたケン・コーポレーション。KN西麻布ビルの地下一階のサロンルームを対局室に仕立てて会場を提供された。
広い卓の中央に据えた脚なし碁盤を挟んで機能的な肘掛け椅子に両対局者。上座の由香里姫から見て右手の長机に棋譜記録、時計、観戦記者3名、左手の観戦席にかささぎさんと私が座る。対局者からの距離は1.5mぐらい。姫の吐息を直接感じて息苦しくなるほどだ。持ち時間は各2時間、使い切れば1分間の秒読み(回数は無制限)。握りの結果、姫の黒番で対局開始――。
![]() |
| ケン・カップの様子 |
以下、誠文堂新光社のご厚意を得て、総手数211手に及ぶ熱戦のさわりを紹介させていただくが、対局のあった7月17日(土)は、トップアマと院生らが月1回集まって月間タイトルを競う「ケン・カップ」が隣の大広間で行われていた。参加者はざっと50~60名ほど。将来プロを目指すと言う母親連れの女の子の姿も見えた。
ケン・カップの世話人をされている野島正夫さん(有限会社サンサン代表取締役)にうかがうと、同カップは、早稲田大学囲碁部でトップアマの実力を磨き、33歳でケン・コーポレーションを創業した田中健介社長(71)がトップアマや若い院生たちを支援するために立ち上げたユニークな棋戦。数次にわたる大型不況、バブル崩壊、リーマンショックなどを乗り越え、今では年商200億円、500人の従業員と内外に高級マンションやホテルなどの資産を持つ。
企業経営には囲碁で培った理念が随所に活かされている。囲碁で磨いた論理学、危機管理学、分析学、先見学などを駆使して“一強百弱”とも言われる高級賃貸仲介業の雄に駆け上がった。そしてその収益の一部を囲碁の研鑽に努める若いアマチュアに惜しみなく分かち与える。若干の参加料はいただくが、昼食夕食・飲み放題の無料自動飲料販売機、さらに16名単位のグループごとに優勝、準優勝、1敗賞が振舞われるから、「主催者の完全持ち出し」(木下さんの証言)。
大会の運営法は、どうやらケン・コーポレーション本社の人材教育の考え方をベースにしているらしい。田中社長は自分の会社を「ケン社会人大学」と称し、自らを「学長」と位置づけている。「戦後の日本人は、戦勝国の米国に押し付けられた教育基本法に基づいて育ち、戦前まで日本にあった徳育教育を含むすばらしい部分がかなり抜け落ちた」と見る田中社長が、この抜け落ちた部分や人間形成に必要な知識や見識、世の中の見方などを社員に伝え教える。もちろん、「ケン社会人大学」には卒業はなく、社会人として人間として、一生をかけて自分を磨き上げるように要請している。
その分「信賞必罰」、特に表彰に力を入れている。優秀な社員はもちろん、リストラ候補になりそうな弱い社員に対しても、本人にとって自分の過去の記録を少しでも上回る業績を挙げた場合、「よく頑張って殻を破った」と褒めて表彰する「自己ギネス記録」というユニークな表彰制度も実施されている。
本ページで以前紹介させていただいた大坪英夫氏は赤字企業を立て直して収益の一部で女流棋戦(東京精密杯女流最強戦)を立ち上げて大倉喜七郎賞を受賞されたが、方法は違うけれど、経営と囲碁に対する愛情と社業・碁界発展を願う思いは田中氏も同一だと思う。
今回は木下さんの“吐血の譜”を書くつもりだったが、対局を後援されたケン・コーポレーションおよび田中健介社長の志に触れるうちにいささか長くなってしまった。次回に、かささぎさんと私を聞き手にした木下さんの自戦解説をお届けさせていただきたい。
亜Q
(2010.9.6)
どうやらかささぎさんは、この私を“隠れ巨人”ではないかと邪推しているらしい。でも自分がコテコテの虎キチだからといって、他人もどこかの熱狂的ファンだと決め付けるのはいかがなものか。黒か白か、正か邪か、美か醜か、真か偽かといった単純明快な二者択一の論理ではこの世は諮れない。ああでもない、こうでもない、こうも言えるがああも言えるといった複雑高度な思考を常にめぐらせながら隠微な巷を飛び回る私のようなこうもり人間もいるのだ。
なるほど私は、球場でもテレビ・ラジオでも巨人の試合を最も見聞きしてきた。与那嶺、千葉、青田、川上、南村、宇野(柏原)、平井、広田、別所、大友、中尾(大相撲なら羽黒山、東富士、千代の山、鏡里、吉葉山、栃錦、三根山、朝潮、若ノ花、琴ヶ浜、松登、大内山…てなもんや)といった往年のメンバーも思い浮かべられるし、歴代のエースや四番バッターをおそらく人よりたくさん挙げることができる。嗚呼、あの日の天才少年(学業を除けば)今いずこ!
だからといって、巨人一辺倒ではない。むしろ戦力的に弱小なチームや選手が健気に頑張っている姿が好もしい。例えば江川より西本・小林、長島・王より土井・黒江、現在なら工藤、木田、山本昌、石川、建山、MICHAELらのヘロヘロ球投手、野手なら松本、平野、荒木、青木、東出らのしょぼい安打量産打者。米大リーグではウェイクフィールド、モイヤーらのロートルが大好き。特に下柳投手のように、パ・リーグ時代は中継ぎ役として超酷使に耐え、阪神では皆が嫌がる背番号42を付けて淡々とゲームメーキングする姿勢には毎度しびれている。柔よく剛を制し、群雄割拠のペナントレースこそプロ野球の魅力だと思っているのだ。
その兆しが碁界にも現れたと言っていいのかどうか。大学を出て医師免許を取得してからプロ入りした坂井秀至七段(八段に昇段)がチョーウ四冠から碁聖位を奪取した。ここ数年、チョーウ、山下、羽根、高尾(以下敬称略)の四天王に井山、河野臨あたりで七大タイトルを回していた感がある中で、初タイトルの新顔登場は今一歩タイトルや挑戦権、リーグ入りに届かなかった不遇の実力者を勇気付けるに違いない。特に少年時代から坂井と切磋琢磨してきた結城、同じ関西棋院で本因坊リーグ入りを果たした瀬戸らには大きな刺激になるだろう。坂井や瀬戸のような冷静で間違いが少ない棋風は中韓二強に風穴を開けるかもしれない。もちろんお二人をヘロヘロ球投手にたとえているわけではありません。
こうした若い棋士たちの群雄割拠による平成戦国時代の到来は待望久しいものがある。と言いながらこの際、ロートル組による逆襲もひそかに願うのが複雑高度な私の性格。チクン大棋士、光一・覚の両小林、立誠、片岡、山城、オーメン、もちろんその上の大竹(理事長兼務ではさすがに無理か?)、林、石田、武宮、さらに下の世代では依田、柳、ソンジンらがもう一花咲かせることはできないか。その意味で王座挑戦を決めた山田規三生(9月で38歳)が若きころのブンブン丸から今や中年の星として狼煙を上げるかどうかが逆襲への一里塚になるだろう。
ただし一般論として、いざタイトルとなるとどうか。確かに彼らは今でも実力者だし、三大棋戦リーグで活躍している人も少なくないが、三大棋戦の場合、A~Cに分かれた全棋士参加の予選を勝ち抜き、リーグ入りしても8~10人のライバルの中で最高位の成績またはプレーオフを勝ち抜いてやっと挑戦権、さらに七番勝負という長丁場。その他の四棋戦でもほぼ同じ。この間、何勝すればタイトルに届くのか。中年、熟年となって青年・壮年としのぎを削りながら42,195キロメートルを走り切るのはかなり難しいのではないか。プロ野球なら疲れたり不調になれば休んだり交代できるが、碁は最後まで自分ひとりで戦い抜くのだから。
そこで不肖私は考えた。現行タイトルの主力となる七大棋戦は多少の工夫は認めるが、どれも似たり寄ったり。思い切って高齢・熟年や女流棋士を優遇する棋戦があってもいいのではないか。例えばこんな仕組み。20代、30代は現行通り全棋士が予選Cから予選Aを経て上位4人が生き残り、40代から50代前期までは前年の活躍実績に応じて選抜された32人から2人、50代後期以上の高齢棋士および女流棋士は同じく8人から各1人が勝ち残り、それぞれの世代を代表する8人が本戦トーナメントで挑戦者1人を決める。この方法なら、若年層は5~6連勝、中年層は4連勝、高年・女流は3連勝で本戦トーナメント入りが叶う。もちろん、持ち時間やコミは一切同一条件だし、若年層4人を含む本戦トーナメントを3回勝ち抜いて挑戦者になるわけだから、高年や女流枠だからと言って何ら貶められることはない。ただし、上記グループ分けに当たっては、棋士の数、活躍実績などによって仕分ける統計数学の専門家の知恵を借りた方がいいだろう。それと、実績に応じて参加資格をもらえない女流や中年層以降への対策なども講じる必要があるかもしれない。
新趣向を試す棋戦には王座戦(日本経済新聞社主催)あたりが適していそうだ。歴代タイトル者には、宇太郎・昌二の両橋本、高川、坂田、島村、半田、朋斎、宮下らが名を連ね、比較的最近では工藤、羽根パパ、さらに秀行老師は60代になって羽根パパからタイトルを奪取し、小林光一挑戦者との防衛にも成功しているなど、なぜか中高年・熟年層の活躍が目立つ。それに日経新聞の歴代社長には囲碁を愛好する人が少なくなかったようだし。観戦記者の木村亮さん、OBの表谷さん、いかがですかぁ?
亜Q
(2010.8.29)
![]() |
| 盤面は阿含桐山杯 張栩(先)−マイケル・レドモンド戦 |
千寿会お開き後は近所の赤提灯で定例の飲み会。この日はフランスからの若者も含めて20名近い盛況だった。興趣を一段と盛り上げてくれたのはここでもレドモンド九段。これまでテレビや解説会などで拝見した印象では、「日本人以上に日本語がうまく、目配り・気配りが利いた囲碁解説をスマートにこなすお洒落でアタマがいい好紳士」といったところ。映像や公開の場ではなく、実際に話を交わすことができたこの日は、お馴染みのテレビ解説より一歩踏み込んだ建前抜きの本音人間ぶりを大盤解説で披露し、飲み会でも初対面のザル碁アマ連中を相手に胸襟を開いていろいろな話をしてくれた。
最初のサプライズは生ビールでの乾杯後。焼酎の銘柄選びに際してメニューに書かれた「芋焼酎 赤兎馬」を一読、「セキトバにしましょう」と無雑作に指名された。「赤兎馬」と言えば、大著『三国志』に登場する呂帝だか曹操だか関羽だかが乗り回した一日千里を駆けると言われた名馬だが、読んでいなければ何のことやらわからない(私は幸運にもたまたま読んでいた)。一瞬耳を疑って聞き返すと、「14歳で来日してから、漢字を覚えるためにルビがふられた中国の時代小説を濫読した」とにっこり。まずは吉川英治の『三国志』、『梁山泊』ついでに『宮本武蔵』。最近は「彼の文章が好き」(これも外国人のせりふとは思えない)と宮城谷昌光の作品を愛読、現在新聞連載中のもののほかはすべて読破されたと言う。「ただし、エンターテインメント性を重視して物語の流れを勢いよく読ませてくれる吉川英治作品を読んだ後で宮城谷本の『三国志』『梁山泊』などを読むと、時代背景やら史実説明の詳細に立ち入り過ぎて抵抗を感じることもある」とは、日本の読書人でもなかなかこんな境地には至らないだろう。
この話に大喜びされたのが、本欄でお馴染みのたくせんさん。持参されていた中国の武侠小説家「金庸」の文庫本(8月9日付本欄「秘曲笑傲江湖の碁」など多数紹介されています)をかばんから取り出して差し出すと、レドモンド九段はさっそく題名、出版社などをメモされていた。碁を取り上げることも多い多作小説家金庸にも今後チャレンジされるのかもしれない。
酒席にお通しが出回ると今度は食べ物の話題。「日本食で食べられないものはない」と豪語されるから、「ホヤとかクサヤはどうか」と追求すると、「実は日本に来たばかりのころはお寿司とウニがだめだった」と告白。よくよく聞いてみれば、「当時は安物の寿司ばかり食べていたから美味とは思わなかったし、ウニはジャムと間違えてパンに塗って食べた後吐き出した記憶がある」からだったが、日本の生活になじんでいくうちに両方ともすごいご馳走だとわかったそうだ。
現在第一線で活躍する棋士の話題になるとマイケル節はさらに舌好調。ただし、飲み会の場では四方八方から質問攻めに遭うから、彼は聖徳太子みたいに要領よく答え、私の愚問ばかり相手にするわけではない。当然、私が覚えているのは断片的で浅い内容ばかり。そのあたりをご寛容いただき、順不同に箇条書きさせていただく。聞き手の私はもちろん棋士ではないし、棋院関係者でもないし、記者でもない。囲碁を愛する一介のザル碁アマとして、興味本位にやり取りした短い言葉を雑駁に書き連ねるしかない。
◆結城聡九段は“まだ負けてない碁”を投了してアジアテレビ杯準優勝に終わった。彼の碁はヨミが早く、激しい。今の彼なら誰に勝っても不思議でないし、逆に誰にでも負けそうなもろさも感じる。そのあたりが彼の課題かな。成績がいいから上京される機会が多く、碁を離れた場ではいつも楽しくお付き合いいただいている。
◆名人戦七番勝負への挑戦が決まった高尾紳路九段は、おっとりした人柄が碁盤の上で吉と出たり凶と出たりする。初めて本因坊位を奪取したシリーズで張栩さんからエキスをもらって厳しい碁が変わった感じもするが、時々おっとりした所が現れて国際棋戦で負けたりする。まだ完全に変身していないかもしれない。勝負師としての執念をもっと前面に出せばもう一皮むけるだろう。
◆1勝した後4連敗して本因坊位を山下天元に明け渡した羽根直樹九段は見た通りまじめで穏やかな性格。対戦はまだないので碁は分からないけれど、普段の印象と違って厳しい碁だと思う。本因坊七番勝負ではその厳しさがいまひとつ発揮されなかった。何か心配事でもあったのではないかと心配だ。実は私は6局目のNHK生中継の解説を依頼されていたので、その意味からも残念だ。
◆棋士会長の座を小川誠子六段にバトンタッチされた依田紀基元名人は、時として世間常識や慣習などから離れた見解を説くように見えることがあるが、善意をもって真摯に聞けば彼なりに論理がとてもきちんとしていて、傾聴させられることが多い。
◆棋士として尊敬しているのは、趙治勲先生と張栩さん。治勲先生は普段もにぎやかで楽しい人、会話の相手を選ばず若手とも雑談する。碁の内容は絶対に妥協しないところが好きですね。張栩さんは研究熱心で布石が少しずつ変化していく。若い頃は地ばかり取って力任せのイメージもあったが、今は序盤が柔軟でこだわりがない。中盤以降の判断力とヨミのきめ細かさは抜群です。
◆と言っても、例えば張栩さんは結構頑固だし、お酒を飲んでハメを外すわけでもない。お友達にするなら、例えば洒脱な江戸っ子気質の福井正明先輩。後輩ならイケメンの見てくれからはちょっと想像しにくいかもしれないけれど気骨が一本通っている高梨聖健八段あたりもいいね。張リュウ七段は若手仲間で人気者のようで、多分明るい性格。一局対戦したが、彼の内容が悪く、まだ本来の姿を見てない感じがする。それに、若いのにずいぶん頭が薄い(と、私を見ながらニヤニヤしておっしゃるから、「はげ頭は頭がいい証拠です」と私は張リュウさんに成り代わってお答えしておいた)。
◆このたび亡くなられた大枝雄介九段門下で妹弟子に当たる万波姉妹は碁も強いけれど、人間ができている。性格も頭も良く、大枝門下の誉れですね。佳奈四段の人柄はよく知られているところだが、妹の奈穂二段はオーラが強く人によっては派手な印象を受ける場合もあるかもしれない。でも実はとてもまじめな女の子ですよ(本ページの雑記帳に、かささぎさんが撮った奈穂二段の傑作写真があるのでご参考までに)。
マイケル語録がひと休みすると、私は日ごろの自説をご披露したくなった。――囲碁界にとって今最も重要なのは「普及」だと思う。国内では子供や若い人、国外では特に欧米がターゲット。その意味で、日本で学び、トップに上り、人気者にもなった米国カリフォルニア州出身のマイケル・レドモンド九段は宝物みたいな存在。岩本薫、小林千寿両師を中心に切り拓いてきた国際普及活動の流れを、男性ならレドモンド九段、女性なら梅沢由香里五段あたりのエース級がさらに後押ししていくことはできないか――。こんなことを私がまくし立てると、レドモンド九段はふと下を向き、「千寿先生の前では申し上げにくいし、申し訳ないような気もするけれど、まだ碁を打っていたい」とつぶやいた。
10歳の時、物理学者だった父親から碁の手ほどきを受けすぐにのめり込んだ。日本でプロを目指すと決心した14歳の時、母親は猛反対したが父親は支援してくれた。上述した程度のアマとの会話の中でも、身の周りの世間の中での調和を心がける日本流とはちょっと違って、あいまいなほのめかしより自分なりに捉えた本質を明快に指摘する物理系人間の姿勢が垣間見えたような気がする。もちろんこれは凡夫の私が得意とするいつもの思い込み、勘違いなのかもしれないが。
彼の碁はこれまで2回大きく変わったと言う。日本に来たばかりのころはまさに力碁(第1世代)。それで院生順位は19位(当時は階級別でなく通し順位を付けていたようだ)になったが、すぐに60位にまで落ち込んだ。「力碁では勝てない」と悟って“相場の碁”を目指し、終盤までに相手が間違えば勝つというバランス碁に代えるとまた19位に戻った。
何とか入段してプロになると、それでは全然勝てない。もう一度1手1手に汗をかく力碁(第2世代)に戻してともかくも九段まで上り詰めた今、さらに力碁を進化させた「第3世代」を目指しているのだろうか。碁に関しては誰にでも遠慮せず、時として辛らつな口調が飛び出すレドモンド九段を見ていてそんな気がしてきた。昭和38年生まれの47歳は今が働き盛り、男盛り。「碁で勝負」、大いに結構。肉食系・物理系の血を引く快傑マイケルの活躍を期待して見守りたい。
亜Q
(2010.8.19)
本稿(上)の末尾に予告させていただいたように、飲み会でのマイケル語録を後半の(下)でご披露したいと思っていたが、(上)をお読みいただいたマイケル先生から「実を言うと、コウに関する解説書を最近出したばかりなのです」との私信が届いた。チョーウvsレドモンド対局を大盤解説された千寿会では、コウの話で大いに盛り上がった。せっかくの機会なので、間奏曲代わりに(中)を挟んで紹介させていただきたい。同著は「コウが1から10まで分かる本」(マイケル・レドモンド著、マイコミ囲碁ブックス、1554円)。タイトルにあるように様々な角度からコウを分析しているので章ごとの部分読みも可能。マイケル先生は「現存する解説書の中ではコウのあらゆる考え方を最も追及している本だと自負しています」と自信たっぷりだが、「もしかすると懲りすぎの可能性が危ぶまれます」と補足されている。Amazonの在庫がまだあるようなので、棋力急上昇中のたくせんさんあたりがお目を通されたらぜひ名書評を書き込んで下さい。
囲碁書評と言えば、最近出版された高尾紳路著の「新版基本定石辞典(上・下)」をかささぎさんが紹介されていた。彼はその本で学んだエキスを私にもたまに教えてくれることがある。アタマが悪い私は本を読んでもなかなか実にならないが、好敵手の口伝はとてもよく頭に入る。持つべきものはよきライバルである。ついでながら、新版辞典の編集を協力された大橋拓文四段は「知っているつもりでも原稿にまとめる作業をすると理解がさらに深まるような気がする。少しは強くなれるかな?」と言われていた。大橋四段はプロ並みのピアノ演奏でも有名だが、最近は新人王戦、若鯉戦、竜星戦、三星杯などでも活躍が目立ち、編集協力効果が顕在化しつつあるのかもしれない。
「コウの第一人者」を自他共に認めるチョーウ四冠との大激戦を制したレドモンド九段は、ご自身がコウの解説書では最も本格的な自信作を上梓されたばかり。チョーウ四冠を相手にしたこの対局では、序盤から中盤にかけてどちらが仕掛けたとも言いがたい大コウが勃発。互いに「コウの碁になれば負けるわけにはいかない」と頑張られたのだろう。本棋譜はチ304手の大熱戦の末、チョーウ四冠の“鬼の猛追”を受けながらもレドモンド九段が半目余した。この碁は6月28日付『週刊碁』にエッセンスが掲載され、「レドモンド 金星」とタイトルをつけて紹介されている。お手元にあればご覧いただきたい。
亜Q
(2010.8.16)
![]() |
| フランスからのプレーヤーたち |
8月7日の千寿会は、独特の編集方針で固定愛読者を持つ『囲碁梁山泊』(季刊)編集室から長谷川加奈美さんら、それに千寿先生の欧州普及活動に触発されてフランスから大挙(総勢11名!)来日した若いプレイヤー(最年少は14歳のハンサム少年、トーマ君)たち数人も加わって大賑わい。その主役がこの日の講師、テレビ解説などでも人気のマイケル・レドモンド九段。私は10年ほど昔、奥様のシェンシェン(中国棋士三段)の姉上、牛力力(ニュー・リーリー)中国棋士五段と三女のフェイフェイさん(アマインストラクター)のお二人に別々に指導碁を打っていただく機会があったから、レドモンド先生に教えていただければマイケル・ファミリーのうち奥様を除いて4分の3制覇(たとえ全敗でもこう記したい)が叶うところ。でも先着の会友たちの予約が埋まってしまっていて、この夢は当分お預けとなった。リーリー、シェンシェン、フェイフェイさん三姉妹棋士は中国を代表する知的美人。特にリーリーさんは、ゼイ・ノイ、孔祥明(ご存知、日中囲碁団体戦で“鉄のゴールキーパー”と謳われたジョウ・エイヘイ九段の先妻であり日本棋院の孔令文六段の母君)中国女流囲碁界の両巨峰と並ぶ三強と言われた実力者。日本では呉清源老大師の代理人としても活躍され、大ベストセラー『21世紀の布石』の仕掛け人兼ライターを務められた。
![]() |
| 碁聖戦第三局 張栩碁聖−坂井秀至七段(先番) |
この日の大盤解説は、レドモンド九段が初めて立会人を務めた碁聖戦五番勝負第三局(7月20日、新潟県・長岡グランドホテル)。黒(坂井挑戦者)が上辺、白(チョーウ碁聖)が下辺に星と小目に配石した並行型の構えから、黒が右下星の白に小ゲイマガカリ、白2間高バサミ、黒両ガカリの後、星からケイマして黒5をボウシした白8がこの局の流れを決める点火薬になったらしい。黒9で星の白2に17-十六(白10)とツケれば難解定石になるが、これを白の作戦範囲と見た坂井挑戦者が黒9(17-十七)と三々に入って実戦は黒17(13-十七)まで簡明な形に分かれた。この間の折衝で、白は14ハネ(18-十七)と16カケ(13-十六)と小技を利かしている。
この局面は黒の実利、白の厚みの対抗で、碁聖の棋風とは正反対。「挑戦者は碁界きっての研究熱心。タイトル戦の番碁ともなれば相手の打ち方をたっぷり研究して作戦を練ってくるタイプ。それを熟知する碁聖が白8の変化球から始まる厚み作戦で挑戦者の思惑を外したとも考えられる」と、碁聖の人となりをよく知るレドモンド立会人は対局者ならではの心理状態に踏み込んだ深読みを披露してくれた。事実、その後挑戦者の着手の流れが少しずつ乱れていったようだ。「黒9では17-十六ツケてもらい、その後のチョーウ碁聖の対策を見たかったが、黒5の動き出しから白の薄みを追求するのが黒の狙い」(レドモンド立会人)だから、これはこれで一局なのだろう。
続いて右上黒25(17-五)まで進み、左下白26(5-十七)ケイマジマリに手を抜いてさらに右上を追求した黒27(17-二)アテがしつこかったようだ。その後巧みなコウ戦術を絡めて白に走られ、黒は序盤で失速する結果になったらしいが、ここでは挑戦者の捲土重来を願っておこう。何しろレドモンド九段は、千寿会お開きの時刻が迫る中でもう一局大サービスして並べてくれたのだ。実はこの日、会の開始時刻に遅刻した私はもう指導碁を始めておられたレドモンド九段に「最近チョーウさんと打たれましたか?」と挨拶代わりに訊ね、少年のような笑顔の回答をいただいていた。果たせるかな、2局目の大盤解説にチョーウ四冠との自戦選解説が取り上げられた時、自意識過剰な私は「ご挨拶の効果が顕れた」と思い込んで大いに満足だった。
この対局は6月17日に行われた阿含桐山杯本戦。前回の優勝者も予選本戦から勝ち上がっていかなければならない同棋戦で最多3回の優勝を誇る大本命にしてコウ戦略が大得意なチョーウ四冠(黒番)を相手に、序盤から中盤にかけての2つの大コウを勝ち抜き、黒が左辺に築いた強大な厚みの中で早収まりを図ったレドモンド九段の作戦が図に当たった。持ち時間2時間の早碁、しかも鬼気迫るチョーウ四冠のヨセに苦しみながらも半目残した会心作だったようだが、「この対局はアマには難し過ぎる」と千寿先生が言われたように、私にはとても歯が立たない。だいぶ長くもなったので、ザル碁アマのくせにエラソーな観戦記はこの辺でお開きにして、“快傑マイケル”の真髄に酔い痴れた飲み会でのマイケル語録を次回に書かせていただきたい。
亜Q
(2010.8.12)
6月ごろインターネット碁「幽玄の間」で中国の「衢州爛柯杯」という棋戦が中継されていた。今年は第三回。08年から始まったか。
この衢州爛柯山については前に 笑傲江湖の碁 に書いたことがある。
その中に碁のシーンが三回あるが、それはドラマでの話。原作小説ではどうかというと、碁のシーンは西湖の梅荘での一回だけだ。内容も少し違う。
ドラマでは
向問天は江南四友の興味を引くため、楽譜や棋書などを持参する。
その棋書に出てくる棋譜は12あると言うが、説明があるのは次の3棋譜。
★王質が爛柯山で仙人と会ったときの対局
★劉仲甫と仙人の驪山での一局
★王積薪のキツネ妖怪との対局
小説は、秘曲笑傲江湖「第四巻 天魔復活す」のP28~P29に、
「…
譬えて言えば、碁を打つときでも、上品な打ち方と言うものは…」
向問天の言葉に、黒白子は白眼を剥いた。相手の肩を鷲づかみにして、
「あんたも碁をやるのか」
「それがしは大の囲碁好きじゃが、腕が凡庸でのう。そこで全国あまねく旅して、棋譜を探し回った。この三十年来、胸に刻んだ好局なら数知れんわい」
「どのような好局じゃ?」
「例えば、王質が爛柯山で仙人と逢ったときの対局、劉仲甫と仙人の驪山で仙人と相対した一局、王積薪と狐との対局…」
みなまで言わせず、黒白子はしきりに首を振った。
「そんな神話は信じられるか。どこにそんな棋譜がある?」
まだ続くが、小説では棋譜を記憶していると言うのであって、棋書を見せるのではない。これが文字の小説と映像のドラマの違いか。
P30には
「本当に劉仲甫と仙人が対局した棋譜を見たことがあるのか? 記述によれば、劉仲甫は当時の国手であったが、驪山のふもとで田舎の婆さんにしたたかに負かされて、その場で数升も血を吐いたと。それでこの棋譜を『嘔血譜』と称したのじゃ。この世に『嘔血譜』なるものが、本当に存在するのか?」
そこで棋室に行って並べることになる。
じらしたり、意見を聞いたりしながら並べるのだが、それはかなり碁に詳しい人でないと書けない内容。碁好きの金庸老師の面目躍如というところだ。
まず碁盤の四隅に碁石を置いてから、次々と白石と黒石を並べていった。
略
向問天は第六十六手目を置いたのち、しばらく手を休めている。…
この時白石を持っている。
この物語の時代は明の時代と思われる。そして並べられている碁は宋の時代の碁である。
★タスキに石を置いてから対局を始めた。
★六十七手目は白である。故に白から打ち始めた。
ということになる。金庸老師が必ずしも史実に忠実というわけではないので、これは参考だが、宋の碁は白から打ち始めた可能性が大きい。
前に紹介した 倚天屠龍記の碁 でも白から打ち始めている。それは南宋の終わりごろの物語だ。
…………………………
さて、わたしの「謫仙楼対局」の中に「謫仙酒」の話がある。もちろんわたしの創作だが、名前の由来を書いておく。
秘曲笑傲江湖の第二巻。令狐冲が華山の山奥の思過崖の洞窟で、一年間の謹慎をさせられている。そのとき田伯光は、長安の謫仙楼の酒蔵に入り、二百かめ以上あった謫仙酒百三十年ものを二かめだけ盗って、残りのかめは全部たたき壊してしまう。そして盗んだ二かめを持って思過崖に訪ねてくる。
これは金庸ファンには有名なシーンだ。ここから名をかりた。
謫仙(たくせん)
(2010.8.9)
謫仙 :黒 六目半コミだし
聖姑 :白
少し前の話だが、ネット碁で十数連敗したことがある。負け続けると何をやっても勝てない。さらに連敗を重ねたため、三子置かせて打った相手と二週間後には互先で打つことになった。
この連敗のきっかけとなったのが、この対局だ。
黒がかなりいいと思っていた。黒1・白3を交換してから黒2に行く予定だった。だが黒1に手抜きをされて白2。打たれてみると、もう互角か。しかし黒番だ。
ところが黒3にも手を抜いて白4。白4は腰が伸びすきているようだが、聖姑は「とても足りないので、勝負手のつもりでこう打って、打ち込みを誘いそれを攻めようと思った。中央から右辺の白が死んだら投了するつもりだった」と言う。
中央で手を抜かれた以上、攻めに入る。黒1・白2・黒3・白4。ここで、白5が怪しいので、はっきり目を奪おうと黒5を打った。しかし白6となってみるともう白は活きているではないか。ここは黒6で目を奪いに行かなければならない。初歩の詰め碁だ。
こんな単純な手が読めなかったとは恥ずかしい限り。ここに至っては次善の手として黒A・白Bを決めて、左上の白地を値引かねばならない。その黒Aを怠ったばかりに右下を荒らされてしまった。
次の図である。右下だけで20目以上損したか。
黒は踏み込んだのが遮られて、かなり無理をしたと思うが通ってしまった。中央の黒と左辺の白が死ぬ振り替わり。だがその間に右下を荒らされてしまった。それでも差し引き黒が得したのではないか。
ここでは黒は15目くらいリードしていると思っていた。
上辺に移り黒1とはねた。かなり危ない手だった。ここは勝っているのだから、黒Aなどと損でもはっきり決めてしまうのがよかっただろう。
黒1のとき白2、予想外の手を打たれて動揺ししていたのだろう。次の白4キリの対策が見つからない。仕方なく黒3・白4から黒Bと3目を捨てることにして黒3と打つ。
ところが黒3の位置のダメが詰まると白4に対して、黒A・白B・黒C・白D・黒Eで何ともないではないか。それが黒3を打つ前に考えていると、黒A以下に気がつかなかったのだ。
結局、黒3・白4のあと、ここで考えずに予定通り黒B・白Aと三目を捨ててしまった。
もう逆転しているらしい。結局最後まで打って数えてみると黒は1目半足りない。
「謫仙さんて、知らんふりして打っていると、勝手につまづいて転ぶンだから楽しい」
この前もそんなことを言われたなあ。
「勝負手は失敗したのに、投げ場を求めると転んでくれるとはねえ」
この対局、黒がこう打てば勝っていたという場面が何度かあった。それをすべてのがしたが、それでも勝っているつもりでいた。数えてみたら足りなかった。
負け続けると、手が縮んで腰が伸びすぎる。
最初の一隅の定石を相手が間違え、それに対して強く打ったつもりが、もっとひどい間違いで、そっくり取られたとか。
取ったつもりでいた石がセキになったとか、さらに、取ったつもりでいたので自分の目がなくて、セキくずれで逆に取られたとか。
シチョウあたりを打たれて気がつかなかったとか。
手があるのに読めなかったとか。
取ったと思ったら、それを上回る相手の壁ができていたとか。
何もしなくとも勝っているのに、さらに踏み込んで大きく飲み込まれたとか。
寅さんのように「恥ずかしきことの数々」で、すべて書いてたら、もうひと様の前へ顔を出せないほど。
もっとも勝ち始めると、何をやっても勝てる。これを書くと「恥ずかしきことの数々」の裏返しになってしまう。
謫仙(たくせん)
(2010.8.2)
![]() |
| 福井正明九段 |
大暑が列島に居座る7月24日、碁界の歴史に通暁された“囲碁史探偵”こと福井正明九段と、当代随一の名観戦記者の秋山春秋子さんが千寿会ゲストとして登場された。福井九段は昭和19年生まれ、岩本薫(第3世本因坊薫和)門下。3歳年下の進九段と兄弟棋士だ。木谷門下でありながら岩本仙人に誰よりもかわいがられた小林覚九段の兄弟子格でもある。
この2月に亡くなられた中山典之追贈七段とは年齢が一回り違ったが昭和37年の同期入段。中山典之さんはこの福井九段を故安倍吉輝九段、高木祥一九段らとともに、自分より年少ではあっても才能に溢れた星のような存在と仰ぎ見ていたようだ(参考)。事実、福井九段は昭和55年、第5期棋聖戦七段戦優勝、第24期首相杯戦優勝、さらに棋道賞殊勲賞を受賞するなど、猛スピードで昇段された。
ところが棋士としての実績は、坂田、高川、秀行らの先輩とその後に輩出した“G7”(大竹、林、加藤、石田、武宮、小林光一、チクン大棋士、敬称略)らに挟まれて影に隠れてしまう。春秋子はこの背景として、「本当は勝者や強者が栄誉を独り占めすべきかも知れない。しかし、福井さんにはそれができず、敗者のほうに目を向けてしまう」と福井九段の著作に見られる姿勢に触れる。「そんなやさしさが勝負師として今一歩大成を阻んだのかもしれない」と、春秋子が愛情込めて棋士・福井正明を解き明かしているように私には思える。
千寿会で福井九段は、いつもの打ち碁解説ではなく江戸期の碁を話された。御城碁、家元四家、当時の布石と流行定石、さらに道策、秀策、丈和を歴代三強に挙げ、太田雄蔵、小川道的、幻庵因碩らにも触れた。直木賞候補にも上った『天地明察』の主人公、渋川春海(第2世安井算哲)は「碁打ちでもあったノーベル賞受賞者」。道策相手に敢行した「初手天元の譜」が有名になってしまったのは「もっといい碁を残している春海にとっては不本意だったろう」と同情し、「初手天元を活かすのは難しいが、三、四線であればどこの着点でも似たようなもので、もしコミを1目余分にもらえるなら、相手の言いなりに初手を置くプロ棋士が多いのではないか」との指摘に私はとても傾聴させられた。序盤に豆をばら撒くように石を置いて行き、それらの配石をすべて関連付ける構想力をうたわれた恩師薫和の愛弟子にふさわしい説明だと思う。
語り口はいかにも江戸っ子らしく建前抜きのざっくばらん。いつも“酔いどれ”を自認されていた故菅野七段(昌志六段の父君)と一脈通じるいなせなタイプ。こんなところが昭和の大棋士、故藤沢秀行名誉棋聖に愛されたようで、福井九段はいつもシューコー師の師範代を務めておられた(例えば名著『囲碁梁山泊』など)。しかし福井九段にとってシューコー師は「背中に目がある」怖い存在でもあったらしく(シューコー師の遊び仲間でもあった福井九段から見ると、実は師の妻女、モトさんの方がもっと怖かったそうだが、それはさておき)、いつも“強烈な努力”を強いられたという(千寿会でも同書を揮毫された師の扇子を持っておられた)。よきライバルだった故上村邦夫九段とはよく一緒に酒を飲む仲だったが、「遊んでいても寝ていても僕は24時間勉強している」というライバルの言葉は今も耳について離れないと言う。これこそ、福井九段が言う“碁打ち魂”というものかもしれない。
![]() |
| 秋山春秋子氏(写真が下手ですいません。かささぎ) |
福井九段とともに千寿会に来られた秋山春秋子さんは知る人ぞ知る名文家。新聞記者あまたある中で観戦記者は例外なく名文家だが、春秋子さんはその最高峰ではないか。それだけではない。上述した福井評にみられるように、碁と棋士に対する視線が実に温かい。だからこの人の観戦記は技術評に偏らず、いつも棋士の人間味がにじみ出てくる。
もう一つ付け加えたいのは、源氏・枕の時代から小説や詩歌に詠われた古今の囲碁文化への薫陶。この点で若い人にはなかなか追いつけない存在ではないか。『週刊碁』に長期間連載された「碁のうた 碁のこころ」(たくせんさんの名評論にお目通しください)は春秋子渾身の労作。中山典之氏の囲碁界最大のベストセラー『囲碁講談』などとともに大切に保存しておきたいと思う。
飲み会の席上、私は春秋子さんにナゾをかけた。「私が生まれ変わったら、どんな職業に就きたいと思っているかお分かりですか?」と。春秋子さんは私の顔をまじまじと見つめて困っておられる。「地球上で最もうらやましい職業、つまり観戦記者です」とお答えすると、春秋子さんは「そんなことを言う人に初めて会いました」と言って破顔一笑された。
亜Q
(2010.7.26)
何?W杯ドイツの予選リーグからの全7試合と決勝戦、すべての勝利チームを当てた?それで黄金のトロフィーをもらったって?フン、タコの分際で上等じゃないか。でも事のついでだから、3位決定戦を含めて16試合全部を予想すればよかったじゃないか。何や、けち臭い!そもそもこんなことは当たらなくてもご愛嬌で済んでしまうから気楽なもんだ。それに256回に1回ぐらいは当たり前に起きることさ。ところで、「256回に1回」というのはどれほどすごいことなんだろう?―ー世界の賞賛を浴びるパウル君に毒づく私は、もしかするとパウル君の所有者である水族館の館長を羨んでいるのかもしれない。
他人(この場合はタコだが)の功績を素直にたたえる前に何やかやアラ捜しをしてしまう性格は子供のころから。この歳になってもお友達が少ないのは、ひょっとするとそのせいだったかと今さら悟っても、嗚呼遅過ぎた。しかもこの性格は碁を打つ時に顕著に顔を出す。たまたま勝ちを得れば、嫌がる相手を強引に感想戦に引きずり込んで相手の傷心に何度も塩をすり込む一方、逆に「こう打たれたらお手上げでした」などとほざいて悔しがらせるのだ。
負けた時はもっとひどい。「(味消しになるやらコウ材の無駄遣いになるやら、これこれしかじかもっともらしい理屈をつけて)この時点でここに打たれるとは思いもよらなかった。もっともそれが私のやる気を著しく削いだ(または発狂させた)のだから、言ってみればあなたの勝着になりました」などと、ゆがみひねくれた結論を相手に押し付ける。もちろん、検討する図は自分に好都合な流ればかり。いくら打ちのめされても、したたかに“精神的勝利”を目指す――これが不肖私めが体得した必勝の奥儀だ。
この流儀は、ウワテに対してもひるむことなく貫き通す。例えば私が2子置く相手にどうしても勝たせてもらえない場合、「この際、何のしがらみも捨て去り、改めて先でお願いしたい。ただし、持ち時間は45分ほどいただき、私が考えている途中でジャラジャラやらないでください」などと強がるのだ。ウワテは少々あきれた表情を浮かべはするが、こうしたシタテ側の陳情にはおおむね寛容。そしてまた、私は性懲りもなく痛めつけられることになるのだが、何、私独自の“精神的勝利法”さえ忘れなければ、また希望の明日を迎えることができる。
こんなことを書き散らかしているうちに、碁友の打ち碁を大盤解説されていた千寿先生が私の方を見て「棋譜を並べて自分と同格と感じた打ち手は、自分より2、3子強い」と言われたことを思い出してしまった。この言葉はもともと悪い私の耳をさらに痛める。特にシタテと打っている時に実感として受け止められるからだ。つまりウワテから見ればシタテの考え方は一目瞭然だし、次の着手もかなり当てることができる。逆にシタテ側からはウワテの心はまず推察できないのに、自分の尺度でウワテを理解したつもりになってしまうのだ。
立場を変えてみればすぐにわかるこんな当たり前のことを、私はしばしば忘れる。つい先日も、2子置いてもなかなか勝たせてもらえないウワテに「先でも勝てる」と口走ってしまった。もちろんこれは酔った弾みではあったが、遺憾ながら第三者の証人もいる。このウワテとは8月早々に会うことになっている。私の発言に腹を立てたウワテは容赦なく私をボコボコにするに違いない。梅雨はそのうち明けるだろうが、私にとって長く暑い夏は当分続くことだろう。
亜Q
(2010.7.16)
しばらく前に、指導碁で久保先生にかっこいい手を教えていただきました。忘れないうちにここに記しておきます。
3子局。右図は黒1に対して、白が2とノビたところ。さて、黒の次の一手はどこに打つべきでしょうか?
先生が示して下さったのは、右図の黒1。私の第一感も黒1だったのですが、次に白2と打たれた後の黒の着手が分からなかった。黒Aと押さえると、5の十にアタリされて打つ手がない。ところがここで、黒2というかっこいい手があるということを示していただいた。よくある手筋らしいが、私には初めてである。後の変化はみなさんで確認してみて下さい。
ちなみに、実戦では黒1ではなく、黒2とサガリを打ちました。
かささぎ
(2010.7.4)
千寿先生に教えていただいた囲碁関連のニュ−スサイトを掲載します。
英文ですが、面白い映像がたくさんあります。
かささぎ
(2010.6.15)
誰だか言っていた。
(なんとか)とかけて、級位者を教えるアマ4段と解く。
(その心は)もっともらしいけどホントかなあ。
千寿会でのある終局処理である。
この盤面、どうしてこうなったのかは、このさい無視してほしい。問題の部分以外は正確ではない。
お互い「終わりましたね」と声をかけてから、黒1・白2・黒3とダメを詰めた。本来なら白が手入れをするところだが、白も気がついていないので手入れをしない。
白は4と最後のダメを打つ。これで終わりにしそうなので、見ていたわたしは声をかけた。
「お互いがこれで終局としたら、これで終わりです。でも二人とも重大な見落としがある」
少し間をおいて、二人とも「どこですか」とわたしに訊く。
「このあたりを考えてみなさい」、と問題のあたりを示す。
お互いかなり考えていたが、白さんは気がつかないのかどうか、黒さんに「あなたの番です、どうぞ」という。
黒は5と打った。白は6と応じたが、ここにいたって、白さんは問題に気がついた。黒さんは黒7の右に打とうとする。わたしは黒7の手を示した。
「こっちからですよ」
しかしお互いにまだ黒7の意味に気がついていなかった。白は黒5の石を抜く。黒は3目抜き。これによって死んでいた黒石10目が生き返ってしまった。ここでようやく、二人とも黒7の意味が判ったのである。それでも数えると白が2目余した。
正しくは黒は5ではなく6からキリ、白は7ツギ。黒5で8目ヌキであろう。
問題は、黒7の手を教えたことは除いて、この処置はこれでよかったのだろうかということ。
一 白4まで戻って、ここで終局とする。
二 こうなることが判ったので、白4まで戻って、白に手入れをさせる。
三 黒5まで戻って、黒6・白7・黒5で終局させる。
四 黒7まで戻って、黒7の右に打たせ白7ツギ・黒3目ヌキで終局させる。
五 お互い承知しているので、この処置でよい。
ルールでは、
第九条-1(終局)
一方が着手を放棄し、次いで相手方も放棄した時点で、「対局の停止」となる。
第九条-2
対局の停止後、双方が石の死活及び地を確認し、合意することにより対局は終了する。これを「終局」という。
第九条-3
対局の停止後、一方が対局の再開を要請した場合は、相手方は先着する権利を有し、これに応じなければならない。
ルールを解釈すると、
「終わりましたね」と声をかけたことで対局の停止。わたしが問題があることを指摘しても白さんは気がつかなかったようなので、次のように解釈した。
1 黒は再開を要求した。
2 白の手番で再開した。白はパスした。
3 黒は5と打って対局を進めた。
これでよいか。かりに白から「終わりを確認した以上、それを打ってはいけない」と抗議が来たときのこの場の解釈であり、教える立場の態度の問題である。
もちろん、その時こんな心配をしていたわけではない。間違いがあったら打ち直しながら進めていた対局である。原則はどうなんだろうと思った次第。
謫仙(たくせん)
(2010.5.30)
「その1」で紹介させていただいた瀬戸さんの人となりをしのばせる「北海道人~私のお父さん」というHPを見つけた。札幌市で広告会社を営まれるご子息が、「朝4時ごろからバシッ石を打つ音が聞こえた。ただならぬ雰囲気だった」と父親の陽三郎さんの精進ぶりを書かれているので、ご参考までに。
もう一人の“奇特な御仁”は、81歳になった春に小田原城のある小田原市・城山を終の棲家と定め、90代半ばまで長寿を全うされた桑原登氏。「寛永の三奇人」と言われた林子平を崇拝されていたらしいが、「版木もない、金もない、死にたくもない」との子平の言葉通りでは生き甲斐がないと思い立ち、84歳で「城山の四季」という随筆集を出版されて囲碁友達、心ある人々、身内関係者らに贈った。
その中で桑原さんは「私と碁」について1章を割かれている。時は昭和12年夏、北京の盧溝橋爆破を発端に日支事変が勃発。当時27歳だった桑原さんは軍歌「麦と兵隊」で知られる徐州へ応召する。蒋介石率いる国民軍との最大の決戦を目前にしたころ、500名以上の隊員の中から「酒保(酒や食料の調達)要員」が選抜される機会があり、ただ1名、桑原さんが選ばれた。理由は碁にあった。
面接には当時60歳前後だった司令官(江橋大佐)自ら当たり、多数の候補者一人ひとりに身分、学歴、算盤、書き方、そして趣味を尋ねた。桑原さんの趣味が碁だと知ると棋力を問い、「3級ぐらい」との答を聞くと「司令官はにやりと笑った」と随筆に書いてある。桑原さんは即日連帯本部付となり、将校仲間で初段で打っていた大佐としばしば碁を打ち交わした。二人はいい勝負だったらしい。大佐と上等兵。階級差は大きかったけれど、手談を通じて食事を共にしたり互いの身の上話が弾むこともあったという。
その後、桑原さんは中国を縦貫してビルマ、タイへと転戦、復員後も仕事で日本各地を回る中で、共に金婚式を祝った愛妻と死別する。そして何と、桑原さんの「囲碁人生」が本格的に始まるのは、小田原城址公園に近い城山風致区に居を定めた80代からだ!「自分は海中のプランクトンみたいな存在。強いものの餌食になる運命かもしれないが、どんな小さいことでも、世のため人のため、喜んでもらえるようなことを実践したい」と志を立てて小田原市内にできたばかりの囲碁サロン「蘭干」の客員となる。
『週刊碁』に連載されている漫画「すごもりくん」には、50年間初段で碁を楽しむおじさんが登場して彩を添えている。実は桑原さんも同じ。27歳で初段免状を受けてから半世紀以上にわたる“万年初段”。「ガツガツしないで春風のようにさわやかに打つ」をモットーに、死の直前まで初心者・初級者にボランティアで碁を教えてこられた。桑原さんの薫陶を受けた弟子筋は5歳の子供から60代、70代の高齢者まで多数に上る。「初心者お断り」を掲げる碁会所が多かった中で、誰でも入りやすい囲碁サロン「蘭干」はとても好評だったようだ。五十路に入って碁を始めた私(亜Q)の実姉も弟子の一人だった。
碁を打つ楽しみは、一つは「ある日突然、目からうろこが取れる気分」を実感できること。そしてもう一つは知らぬ同士でも1局終われば10年の知己にもなれるところにあるのではないか。これは初心者・初級者を含むアマチュアはもちろん、トッププロでも同じだという気がする。ましてアマチュアにとっては勝負は二の次、三の次。素直な心と相手を敬愛する念を持ちながらさわやかに打つことが一番の醍醐味。桑原さんの生き方がまさにそれを示しているように思える。
亜Q
(2010.5.15)
連休最後の5日、古女房が何を血迷ったか、喜寿にもなろうかというシロートおじさんの独唱会を聴きに出かけた。と言っても侮るなかれ、聴衆は200人近く、たっぷり3時間にも及ぶ本格的な音楽会。プログラム第1部はシューマンがハイネの詩から創作した16の歌曲を集めた「詩人の恋」。伴奏を務めるバイオリンとピアノのプロ奏者が独奏する第2、3部を挟んで、第4部は再びおじさんが登場。モーツァルト、シューベルト、ショパン、シューマン、さらに近衛秀麿を原語で絶唱する。会場はスミレやチューリップが咲き誇る日比谷公園内の松本楼2階バンケットホールを借り切り、バイキングスタイルのランチと洋菓子付のティータイムが用意されたなかなかお洒落な催しだったようだ。
こんな調子で古女房から説明を聞くと、下賎の生まれの私が真っ先に気になるのは入場料金。何と一人3000円ポッキリ!これではどう見ても主催者は大赤字だろう。ランチ、お茶代を含む会場費は決して安くはないだろうし、伴奏を務めてくれたプロ奏者への謝礼はもちろん、プログラムから日本語訳を添えた歌詞カード、解説、伴奏者紹介書などの印刷費もかなりかさみそうだ。
聞けばこのおじさんは若いころオペラ歌手を夢見た時期があったらしいが、声量不足を自覚して断念。一転して医学の道にまい進して日本有数の乳がん治療の権威になった。そして今なお臨床現場に立って多数のご婦人方から感謝されている幸せ者だ。この彼が生きがいにしているのが毎年1度松本楼で開く個人リサイタル。「今年はこの曲を歌えるようになりました」と言って毎年新曲を披露されるようだ。聴衆には患者さんや病院関係者とその家族(古女房の家族も患者だった)が少なくないようだが、趣旨はあくまでも「聴いてくれてありがとう」。当初は入場料無料にしていたが、かえって聴講者に気を使わせると配慮して、何回目からか有料にしたという。
自分の趣味を周囲に知ってもらうため、綿密な準備とかなりの散財を厭わぬ“奇特な御仁”は、アマチュアの囲碁愛好者にも見られる。そこで、昔頂戴したままほこりをかぶっていたアマ棋客の著作を思いだした。題して「わが囲碁人生に悔いなし」。著者は札幌市を中心に活躍された強豪アマで、2001年に広島県で開かれた高齢者のスポーツ・文化の大会「ねんりんピック」の囲碁部門で通算3回目の金メダルに輝いた瀬戸陽三郎氏(当時75歳)。建設工事会社の経営に携わりながら月に1度は上京してプロ棋士の指導を受け、プロとの対局数は2000局以上。恩師の一人、林海峰名誉天元は「アマではおそらく今後とも破られることがない大記録」と太鼓判を押されている。
大正14年生まれ。小学校2年生の時に碁を覚え、4年生当時星目の手合いだった父親に「先で勝ったら何でも買ってやる」と言われて首尾よくスキー靴をせしめ、小学校6年から囲碁クラブに通い、昭和27年にはクラブ経営者の地方棋士に紹介されて昭和囲碁界の巨匠・呉清源九段に5子で挑戦して勝ち、「あなたは強い」とほめられた。それから3年間、朝4時に起きて出勤前の3時間猛勉強。いつしか北海道有数の打ち手となり、朝日新聞の第1回アマ十傑戦南北海道大会で優勝、全国大会にも4回出場した。会社経営の傍ら、北海道新聞社の文化教室の囲碁講師も勤めた。
それだけならさほど驚きはしない。仕事に脂が乗り切った昭和59年、直腸ガンが見つかり、以来何度かの大手術を経て人工肛門、人口膀胱の二重苦を背負う身体障害者の身となる。それでも碁を打っているときはすべての苦しみを忘れ、碁をガンとの闘いに打ち勝つエネルギー源として、愛妻との金婚式を迎えた平成12年にはプロ棋士から指導を受けた2000局余りの中から30局を厳選して自戦観戦記の形で打ち碁集を出版された。対局棋譜は長いもので10ページ、10譜にも及び、まさにプロ大棋士の打ち碁集と同じ体裁。ご自身とプロ棋士とで創り上げた棋譜に対する想いが込められているような気がする。いずれも当時の加藤正夫王座が丁寧な総評を付し、巻頭には林名誉天元とともに序文を載せている。
30局に登場する棋士(段位は当時)は呉清源九段以下、趙治勲八段、加藤正夫九段、酒井猛九段、小林光一十段、日高敏之五段、大矢浩一五段、上村陽一八段、淡路修三九段、茅野直彦九段、林海峰九段、石田章九段、石田芳夫九段、ゼイ・ノイ九段、大森泰志四段、小林覚九段、苑田勇一九段、柳時薫五段、王立誠九段、馬場滋九段、武宮正樹九段、鈴木伊佐男五段、小川誠子五段、松浦日出夫七段、山城宏九段、結城聡八段。呉、加藤、酒井各九段は2度登場する。
さらに目を見張らされるのは、巻末に掲げたプロ棋士との戦績表。出版当時の王立誠棋聖、趙治勲名人、趙善律本因坊をはじめ、まだ若手だったころの黒滝正樹四段、久保秀夫四段、小林泉美四段、梅沢由香里三段、穂坂繭二段らも加わり、ざっと120名に上る。いずれも手合い条件を明記し、例えば呉清源九段とは5子局1勝0敗、3子局13勝13敗5ジゴ、林海峰九段には21勝61敗3ジゴ1打ち掛け、加藤正夫九段には2子局0勝1敗、3子局8勝29敗1ジゴといった具合。苦手だったのは石田芳夫九段で0勝5敗1ジゴ。ちなみに小林ファミリーを見ると、覚九段には3子で2勝6敗、千寿五段には2子で3勝0敗、健二六段には同じく1勝0敗。棋譜を取るだけでなく戦績も公表されるとは、「指導碁は勝負とは別」とは言っても、プロ棋士も油断ならない。
瀬戸さんは同書の中で、「冷や汗体験」と、涙がこぼれるほどうれしかった体験を披露されている。「冷や汗」はご自身が地元のアマ碁会の指南役を務める会報の題字を呉清源老師に依頼した時。「いつでも書きますよ」と快諾されて後日老師宅を訪問、「題字のほかに色紙も3枚書いて下さい」と言って、謝礼を入れた祝儀袋を差し出すと、途端に老師は顔色を変え、語気鋭く「私は書きません」と言ったきり奥へ姿を消した。せっかくのご好意に謝礼を出すとは何と失礼なことをしてしまったのかと反省する間もなく全身から冷汗が噴き出したが、針の筵に座る心地でいると、やがて老師は題字2枚と色紙3枚を持ってきて「題字はどちらがよいですか?」と訊いてくれた。怒りを鎮めて書いてくれたのだと思うと、今度は感謝感激で身が震えたとある。
晩年の瀬戸さんを最もうれしがらせたのは、当時の国立がんセンター名誉院長が『日刊スポーツ』紙に「がんに克つ」とのタイトルで3回連載した記事。瀬戸さんの3回の大手術と闘病ぶりを克明に紹介して、「どんな辛いときでも碁を打つことが瀬戸さんの救いだった」と書いてくれた。ザル碁の亜Qも思わずもらい泣き。瀬戸さんと昔のはやり歌でも語り合いながら、1局でも2局でも教えていただきたかったと思う。
ところで、瀬戸さんと好対照を見せるもう一人の“奇特な御仁”を紹介したいが、長くなったので別稿に改めさせていただく。
亜Q
(2010.5.12)
皆様
連休をいかが過ごされましたか?
私は4月末に再びパリに戻り、東京での超忙しかった日々の疲れをフランスの連休で取りました。
成田飛行場でやっと見つけた『天地明察』を1日で読み切りました。
止めたくても止められないほど面白かったので、皆様にも是非、是非ご紹介したいと思います。
又、6月号の『家庭画報』に碁が取り上げられ、女流棋士が数名インタビューされています。
私も辛うじてインタビュー日程が合い、載せて頂いてますので、是非ご覧くださいませ。
『利休にたずねよ』も面白かったです。
利休は戦国時代、渋川春海は江戸時代始めの人。
この時代の違いが『文化人』の運命を随分と変えていったような気がします。
江戸時代、碁が文化として育った歴史から、今、世界レベルで『スポーツ』に移行しようとしています。
それが何を意味するのか、歴史から学べることもあるのかと思いながら、この2冊を読みました。
5月14,15日に行われる伊勢の『おかげ杯』に見学に行く為に準備してます。
赤福の会長の濱田益嗣氏は力戦派の6段です。
伊勢神宮の参道に『おかげ横丁』があるのですが、20年前ほどに、その街作りをしている頃よく遊びに行ってました。
その折に、『五十鈴川にほとりのおかげ横丁を歩きながら“碁石”の音が聞こえたら素敵でしょうね』と夢のようなことを申しましたら、
濱田社長が『それはいい!』と言って平屋の引き戸の障子紙に大きな字で碁と書いてある碁会所を作って下さいました。
そんなご縁があるところです。
小林千寿
(2010.5.10)
![]() |
| 『天地明察』(冲方丁著、2009年11月 角川書店刊) |
江戸時代の囲碁棋士が主人公の小説『天地明察』を紹介します。
―― 士気凛然、勇気百倍。
―― 天に触れるか。
公の暦をなすとはいずれの人々にも不安なき明日が来るという「泰平の時間」を科学が約束する政(まつりごと)。時は江戸四代将軍家綱の頃。刀を抜いての戦いは出てきません。いくさは人を斬るだけではない。本書は江戸科学の戦記です。
中国から取り入れられた暦は八百年を経て日本の実際の時間と大きくズレが生じており、見直す必要がありました。
主人公は江戸時代の天文暦学者、渋川春海(しぶかわ・はるみ/しゅんかい)。のちに日本独自の太陰暦を完成し江戸幕府初の「天文方」の職に就いた人。囲碁棋士・二世安井算哲として江戸城に上がっています。同時代には七歳下に碁聖・本因坊道策や日本の算学を大きく発展させた同年齢の算聖・関孝和がいます。
物語の春海は形式的な勝負しかできない碁に「飽きて」おり道策にいくらその才能を認められようと身を入れられず、好きな算術では明晰な関の後塵を拝するばかり。二刀を煩わしげに腰に提げ、茫洋として見える二十三歳の「囲碁侍」です。
神社で書き留めた算術の問題を城内の碁盤の上にまで持ち込んで十七歳の道策に叱られる春海。
その春海が新たな任務を命じられました。彼は陰陽が源と言われる囲碁のほかに算術や神道にも通じて測地も得意としていました。
「退屈ではない勝負が望みか」
![]() |
| 春海作成の「天文分野之図(複製)」(国立天文台三鷹キャンパスの「渋川春海と『天地明察』」展にて)一般的に用いられている88星座と同じものも見えます。 |
「天文測量」という思いがけない下命に戸惑い幾度も挫けそうになりながらもこれを本懐と、春海は暦を見直し作り上げる何十年もかかる事業に全身全霊をを注いでいきます。
空や数理や碁、彼と出会った人々が絶妙のバランスで「渋川春海」をかたちづくっていきます。春海の後ろ盾となる水戸光圀、保科正之、ともに観測に携わる建部昌明・伊藤重孝など脇役が器大きく豪快、春海が憧れる関孝和は彼とは対照的な孤高の算学者。軽みのある人物造形が特徴で、とくに道策が可愛らしい少年でびっくりしました。
作中の天文学や算術に惹かれる読者もいるでしょうし、囲碁をたしなむ方ならもちろん当時の御城碁や周辺事情の描写に興味を抱くでしょう。
![]() |
| 春海の初手天元の碁(寛文十年(1670年)十月十七日。二世安井算哲(黒)対 本因坊道策) |
算哲こと春海が道策に試みた初手天元の逸話もこの物語の一片となっています。この一局から春海が多くの人に意義を理解されない改暦事業を進展させる想を得る、という描き方はわたしには殊更面白く感じられました。
『天地明察』は「退屈ではない勝負」を求める多くの人に愛されることでしょう。仕事や学問などで行き詰まりや挫折を味わったことのある人、今何事かを成し得たいと苦しい状況であがいている人ならきっと春海の志を最後まで追いたくなるはずです。
冲方丁(うぶかた・とう)の初の時代小説。
2009年11月 刊。第三十一回吉川英治文学新人賞、第七回本屋大賞受賞作。
作者は高校生の頃に渋川春海に興味を持って以来十数年この人物を描きたいと思い続けてきたそうです。ゲームやアニメ、漫画原作、ライトノベルなどジャンルを越えたクリエーターとして活躍してきた氏ですが、「『春海さん』のことは自分の原点である活字で表現したかった。これが作家としての自分の出発点である」と。作者がこの物語に賭けた姿勢は作中の春海と重なるようです。
作品として未熟さも見えるのですがそれを差し引いても余りあるすがすがしい熱さに身震いします。
もっも
(2010.5.8)
江崎誠致 新潮社 1982.9
この本を読んでからすでに25年以上たつ。当時は碁の歴史などほとんど知らなかった。
この本によって、歴史に興味を持ち始めたといえる。小説なので丸飲みにはできないが、江戸初期の碁の歴史書でもある。
碁は日本に入って独自に発達し、特に江戸時代に幕府に保護され、近代碁の礎となった。
江戸時代の初期、本因坊・安井・井上・林の4家は幕府より五十石の禄を受けた。本因坊家初代算砂は碁所と将棋所を任命された。五十石そのものはわずかであるが、碁所の道中手形が通用したように意味は重い。特に算砂は碁所とは別に三百石の録を受けている。もっとも、当時は碁所とか将棋所と言うような名称が確立していたわけではない。
名人という名称も、織田信長が算砂に与えたというが、確かなことは判らない。
登場する人物
本因坊算砂:1559-1623 名人1612(?)-1623
中村道碩 :1582-1630 名人1623-1630 井上家の祖とされる
本因坊算悦:1611-1658 本因坊二世
安井算知 :1617-1703 名人1668-1676 安井家二世
本因坊道悦:1636-1727 本因坊三世
安井算哲 :1639-1715 棋士・天文暦学者・神道家
本因坊道策:1645-1702 名人1678-1702 本因坊四世
算砂のあと、道碩が名人となり、そのあとはしばらく名人がいなかった。
そして、本因坊算悦と安井算知との争碁によって、三代目の名人碁所を決めようとした。このころには碁所という官名が確立していた。
1645年から9年間で6局打たれ、互いに黒番勝ちで中止。
結局1668年に、安井算知が幕命によって名人碁所となる。これが形式的には碁所の始まりとなる。中村道碩の名人は幕命ではなく、本因坊算砂の指名であったのだ。
名人は碁の器量、碁所は官名であるが、名人でなければ碁所になれず、名人は必ず碁所に任命されるため、名人と碁所はほとんど同じ意味になった。(算知は碁所を退いても名人なので例外はあった)
話は本因坊道悦の時代である。このころには「名人碁所」は権威ばかりでなく、経済的利益も伴うことが判っていた。道悦は算知が幕命によって名人碁所となったのに異を唱え、争碁を申し出る。幕命によって、年20局づつ、60局を打つことになった。
この小説は、この争いを本因坊家から見た物語だ。道悦が中心であるが、当時はすでに跡目道策が頭角を現していた。世に知られていないとはいえ、すでに師の道悦より強くなっていたのだ。この道策の存在が大きく、道策が主役と言ってもおかしくないほど。
争碁は寛文九年(1669)に始まった。延宝三年(1675)までに20局打たれた。道悦の完勝に近い。翌年に算知は碁所を返上する。本来なら道悦が次の名人碁所になるところだが、すでに道悦を凌ぐ道策が知られていたので、道悦も引退し家督を道策に譲る。そして本因坊四世道策の時代となっていく。
当時は正式な棋戦は御城碁しかない。年一局では話が進まない。そこで争碁の申出に対し、60局の幕命が下る。それでも算知は引き延ばしを図る。道悦の催促に嫌な顔をするが、現代人から見れば、年間予定を立ててしまえば済むこと。一局ごとに催促しないと打たない算知に問題がある。一局済むたびにあれやこれやの交渉をして、ようやく次回を決める。そのあれやこれやの裏交渉がこの小説の中心となっている。
道悦は業を煮やして有力大名に斡旋を依頼する。大名が「今度の勝負はうちで…」と、申し出て「いつか」と問い合わせる。さすがに算知も引き延ばしができず、日を決めざるをえない。こうしてなんとか、初めの2年で16局、その後は毎年の御城碁で4局、結局6年も引き延ばして20局である。
幕命があるのに、それを無視して引き延ばしてもお咎めなしというのは、現代から考えると不思議。大名ならお家断絶か。
毎回有力大名まで使って催促する道悦も疲れるが、それをいろいろ屁理屈をつけて引き延ばす算知も疲れた。
算知は敵役だが、碁界全体の後進の育成にはそれなりに熱心で、交流手合いを進めたりしている。
本因坊道悦と安井算知の争碁と同時に、本因坊道策と安井算哲の戦いもある。こちらは道策の一方的な勝利であった。
興味深いのはこの安井算哲だ。この時代の第一級の文化人であった。それまでは次の時代をになうつもりでいた。期待されてもいた。ところが道策との御城碁で11戦全敗。どうしようもない実力差を悟った。
碁では第一人者になれないことを自覚し、天文方となり暦を作ることになる。天文方での名は渋川春海。「しゅんかい」とも「はるみ」とも読む。
御城碁のあと、算哲は時雨空へ視線を向け、(赤字は原文通り)
「こういう天候が一番困るのですよ」
…… 道策は
「そう、いやな…」
天気ですねと言いかけてから、算哲は時雨空で星が見えないことを嘆いているのだと気づいた。
「いや失礼した。なるほどこういう日は困りますね。星が見えないときはどうなさるのですか」
算哲の口もとがほころびた。
算哲は、御城碁の時でさえ、こうして天体観測のことを気にしている。すでに心は天文方になってしまっていることに道策も気づく。
道悦にとっては、跡目の道策は、棋戦には味方であったが、棋戦が終わってみれば最大の敵。実力第一の道策をさしおいて自分が碁所になることはできなかった。
2010年の本屋大賞となった「天地明察」という本がある。わたしはまだ読んでいないが、この渋川春海の話だ。
謫仙(たくせん)
(2010.5.5)
戸沢昭宣 成美堂出版 2007.5
千寿先生はよく詰め碁をやりなさいと言う。特に碁を始めたころには詰め碁をやりなさい。わたしたちをさして、「おじさんたちに詰め碁をやらせると眠くなってしまう(^。^)」。
わたしたちには、「常に詰め碁の本を持っていて、少しでも暇があったら見る。それも易しい詰め碁でいい。むずかしい詰め碁を時間をかけて解くのではなく、易しい詰め碁を繰り返し、形を憶えてしまいなさい。そうして考えるまでもなく、形を見ただけで解けるように」。
ある日、この本を古書店で目にして、すぐに買った。ところがあることに気がついた。わたしはそのちょっとした時間がないのだ。理由がある。
わたしはいつも本を持っている。だから少しでも時間があればその本を読んでいる。そうなると、もう一冊詰め碁の本を持っていても見る機会がない(^_^)。それでもなんとか時間を作ろうとしているが…。
-以下の一部は前に掲示板に書いたことの重複になります-
さて、この中に「囲碁用語」の説明もある。その中に「岡目八目」があった(P324)。これは囲碁用語なんだろうか。まあそれは言葉のアヤで問わないとして、その意味を次のように書いている。
岡目八目
打っている本人は主観的で、盲目だがハタから見ているとよくわかる。八目ぐらいさきまで読めるの意。
この文、どう読んでもプロ棋士の文とは思えない。「八目ぐらいさきまで読める」とは、戸沢先生、どんな意味なんでしょうか。失礼ながらご本人は目を通さなかったのではないか。
念のため、広辞苑第三版(昭和58年)では、次のように書いている。
他人の碁を傍で見ていると、実際に対局している時よりずっとよく手がよめるということ。転じて、局外にあって見ていると、物事の是非、利・不利が明らかにわかること。
駄目・布石・定石・一目置く、などは日常語となっているが、碁の用語でもあると思う。しかし岡目八目を囲碁用語とするのは疑問を持った。それでも説明がしっかりしていれば、関連用語として、許容範囲であろう。だが上のような意味不明の説明では…。
実は碁を知らない人が、この言葉を説明しようとすると、必ずと言えるほど戸沢説のように説明する。どこかで読んだが、初期の広辞苑にそのような説明があって、それを丸写ししているのだという。それをまた丸写しするわけだ。
第三版の説明は正しい。すでに広辞苑も改まっているのに、それを見もしないで初版の孫引きで丸写ししているとこうなる。
(正しくは、わたしも広辞苑の初版で確認しなければならない。それができないので、申し訳ないが、たとえ広辞苑ではなかったとしても趣旨は変わらないので、ご了解願う)
もうひとつ。
斧の柄(おののえ)
碁を見ているうちに斧の柄が朽ちてしまった。そのくらい長い時間が過ぎた。碁のこと。
爛柯という言葉は知っているが、「斧の柄」という言葉が碁のこととは初耳。
碁を見ているうちに、柯(おののえ)が爛(ただれる、朽ちる)たので、爛柯という語ができ、熟して碁を意味することは、「笑 傲江湖の碁」で書いたことがあるが、わたしの疑問は「斧の柄」だけで碁を意味するのかということ。そこまでの意味は無いはず。
ちょっと苦情を書いたが、この本そのものは愛読というか愛用している。
謫仙(たくせん)
(2010.4.26)
4月9日の朝日新聞に碁友の小林さんが出ていた。
「欧州のLHC 最強加速器、そろり始動」
フランスとスイスの国境に、山手線ほどの円形のトンネルを掘り、粒子加速器が作られていたが、ようやく本格実験に入ったという。一年以上前に始まるはずだったのが延びていたのだ。
運転開始を喜ぶ、ホイヤー、小林、ベルトルッチ、三人の写真もある。
この小林さんは千寿会の会員でもあるのだが、ここ二年ほどは、この実験のためスイスに出張していることが多く、ほとんど日本にいなかった。
今年の正月、新宿の白龍館での「新年会」で、二年ぶりに小林さんと碁を打つことができた。
すぐにまたスイスに行かねばならないと言っていた。
碁は別智という。碁は頭のいい人がするという偏見がまかり通っていたが、碁を知る人は、碁の頭脳は別で、頭の良し悪しは関係ないという。
「小学校も満足に卒業していないわたしでさえ碁が打てる」というのは、わたしを知らない人にはなんの証明にもならない。まあ、頭の良し悪しのはかり方が疑問でもあるが。
「ヒカルの碁」第二巻で、部員集めのとき、ヒカルが「頭の良いヤツにあたってみる」と言うと、部長の筒井は「アタマの良し悪しはカンケーないよ」という。あかりが反論すると、筒井は「だったら新藤くんがなんで打てるのさ」
あかりは「あ」と同意する(^。^))。ヒカルはむくれ、佐為は吹き出す。
小林さんは前にも紹介したことがある。趣味のクラリネットでPeter Ovtscharovと共奏したのを聞いたことがある。 あるピアノコンサート
欧州では、仕事以外にこんなつきあいで親交を深めているのだろう。
小林さんを見ていると、「頭がいい人は碁が強い」が正しいのではないかと思えてくる。碁は別智というのは間違いではないか。わたしという例外を除いて。
「例外ではない。たくせんさんは頭は悪いし、碁も弱い」というのは誰だ!
話を戻して、この小林さんとは棋風が似ているのか、二年前までいつもぎりぎりの勝負をしていた。向こう二子で白6目コミだしながら、持碁・一目負け・二目勝ちというような、コミの勝負であったのだ。だが、二年ぶりの今年の正月の対局では、中押しで負けてしまった。次回からはコミなしにして貰いたいと思っている。
謫仙(たくせん)
2010.4.12
プロはマネ碁をするべきではないと思います。
後出しジャンケンのようなズルイ感じがするからです。
黒が悪手を打ったら、そこで白の手を変えようという根性が気に入りません。
もしプロ棋士がみんなマネ碁をやり出したら碁界は衰退するでしょう。
そしてマネ碁をした本人も棋士として失うものが大きいと思います。
プロ棋士がマネ碁をした棋譜の価値は限りなくゼロだと僕は思います。
マネ碁をするというのは、棋士の意地とプライドを捨てることだと思います。
棋士がプライドを捨てたらどんな存在意義があるのかと僕は思いますね。
(以上、「ヨダログ」から抜粋させていただきました)
シューコー、オーメン、ヨダ、サトル――よわよわのザル碁にも、棋譜を見るたびため息が出るほど好きな碁風がある。私的には「芸の四天王」と呼びたい1人、ヨダ元名人がご自身のブログでマネ碁批判の心情を披露されていた。確かに、プロの碁にマネ碁が大流行するようなことになれば、はじめのうちは興味深々でもアマは飽きっぽい。棋譜を見る楽しみは減り、ひいては碁界が衰退するかもしれない。その意味で、元名人の言い分には「まことにごもっとも」と言うほかはない。
でも、ここで“検討”をストップさせては、マネ碁の張本人扱いされた故「H九段(ヨダ元名人の表記のまま)」があまりにもかわいそう。結果的に、「死者に口なし」と斬って捨てることになる。プロ初の九段棋士であり、呉清源、木谷、坂田、シューコーといった昭和の名棋士らとしのぎを削ったH九段はあの世で泣いているのではないか。
この際、フツフツとH九段の弁護をしたくなった。はなはだ頼りないかもしれないけれど、ザル碁アマにも3分の理。H先生、身の程知らずの私を、どうぞあの世からお見守りください。言葉足らずのことが多々あるかと存じますが、その節は夢枕に立ってご教示いただければ幸いです。さらにヨダ先生、私はあなたの大ファンですが、この点については一言申し述べさせていただきたい。私のような凡人と違って既成観念にとらわれず、並外れた直観力をお持ちのヨダ先生なら、きっとご理解いただけると確信しております。
もう30年ほども昔になるだろうか。何かの記事(日経新聞朝刊最終ページの文化欄だったかもしれない)で、ご本人がマネ碁に対する所見を書かれていた。そこでまず注目させられたのは、「H九段は世間の不評を十分すぎるほど知っていた」点。ヨダ元名人が指摘されたマネ碁の欠点を文中でも紹介し、その上で「誰も手を出さない、しかも結論は出ていない。ならば自分が挑戦する」という具合で書き出されていたと思う。
ではなぜマネ碁に挑戦するのか。具体的な表現はすっかり忘れたが、要するに、1.マネした側がいつでもやめられるマネ碁は勝負において本当に有利なのか、2.適正なコミを推測する上で効果的なアプローチになる、3.コミに限らず、「棋理」そのものを究明するにはとても優れた方法ではないか、4.プロ棋士として、この謎に踏み込むのは興味深いし、その義務もあるはず――概ねそんな内容だったと記憶する。
以上が私のうろ覚えの内容。もし神様同士がマネ碁を試みれば、序盤で黒番勝ちが決まるだろう。マネが不可能な場所、つまり天元の特性を利用すれば、神様でなくコンピューターでも簡単に勝ち筋を見出すだろう。これはマネ碁を続ける約束がある場合だが、白番の神様がどこかで手を変えたとしても(それは最善手のはずだから)盤上コミ分だけ黒の勝ちで終わるに違いない。これは当たり前のことを言っているに過ぎないだろうが、人間、特に棋士にとってマネ碁は一度はきちんとクリアしておかなければいけない難問の一つだろう。
折り良く、囲碁界きっての論客・酒井モー先生にお話をうかがう機会があった。酒井九段は若いころ「鬼才」と恐れられ、リーグ戦の常連でもあったから、H九段とも何度か手合わせされたらしい。「幸い僕にはマネ碁を仕掛けてこられなかったけれど、やられたらとても苦しかったろう」というのが第一声。そして結論は、「でもH先生には、相手を困らせて勝とうとか、面白半分でマネ碁を試みられるのではなく、特にコミの適正値を知りたいという真理探究者としての信念で打たれていたと思います」。
マネ碁についてはもう7年も前にここに書かせていただいたことがある(真似碁考)。H九段は現役を引退されても毎日のように日本棋院に顔を出され、一般対局室で若い院生たちを捕まえては早碁を打たれていたという。そして若い後輩たちを湘南の自宅に招き、夫人ともどもバーベキューを振舞っておられたという。使い古しのぼろ雑巾のようになってもなお、碁と後進たちにささげた愛情。やはり私には敬愛すべき棋士の一人だ。
亜Q
(2010.4.6)
千寿会会友の大坪英夫さんが本年度の第39回大倉喜七郎賞を受賞された。同賞は、邦楽、オペラ、クルマから囲碁まで、19世紀から20世紀にかけて“坂の上の雲”を目指した日本の文化発展に貢献した「バロン・オークラ」こと大倉財閥の2代目、喜七郎氏を記念して制定。プロ・アマを問わず、囲碁界の普及・発展に尽くした貢献者を対象とし、年間最優秀棋士を表彰する秀哉賞と並ぶ囲碁界最大の顕彰イベントだ。棋戦を主催する新聞・テレビなど報道機関、航空会社や任天堂などのお偉いさんが受賞する例が多いようだが、棋士では故岩本薫、中山典之さん、退役された白江治夫さん、現役では杉内雅男九段、アマ碁界では菊池康郎、原田実氏ら、政界では与謝野馨、渡部恒三氏らにも贈られている。
大坪さんは1934年生まれ、東大法学部を卒業後大手銀行に入行してエリート街道をひた走られたようだが、40代末に腰を患い長期休養して頭取レースを脱落。勤務に復帰して間もない53歳の時に民間企業への転職を志した。志願先は東京精密。計測機では先端的な技術を知られた第1部上場の老舗企業だが、当時は技術革新と経営改革の波に乗り遅れて危機的な赤字体質に陥っていた。「あの会社はやめたほうがいい」とアドバイスされることもあったらしいが、「赤字は大きいほうが立て直しやすい」と入社を決断した。4年後に社長に就任した大坪さんはまず、製品ごとのグループリーダー制を導入して組織を改革。すべての製品を設計段階から見直して部品数を半減するとともに内製化率を向上。さらに「世界ナンバー1の製品作り」を目標に掲げ、「いざとなれば本社を売り払う」覚悟で自己資金を開発につぎ込んだ。
大坪さんは会社の存在を、物事の無秩序状態の度合いを示す「エントロピー」という熱力学の概念でとらえる。「動かざれば退く」、つまり会社はつぶれるのが自然の摂理であり、つぶさないように努力する積み重ねが、辛うじて会社を存続させているに過ぎない。この法則に反して成長するには、常に危機意識を持って情報のアンテナを広げ、社会全体でエントロピーが必ず増大していく中でいかに周囲とWin-Winの関係を保ちながら維持発展させるかに四六時中チエを絞らなければならない。ドイツのカール・ツアイス社をはじめ世界的な会社とも積極的に提携した。その結果、ものづくりの母体となる真円度測定機やウエハー薄片化のニーズに適応した半導体製造技術など世界一の製品群を相次いで生み出し、高収益体質を定着させるとともに会社の価値(時価総額)を一気に10倍以上高めた。
この間、いつも順風が吹いていたわけではない。新技術開発に失敗はつきものだし、取引先が問題を発生して足をすくわれることもあったらしい。しかし大坪さんは、どんな苦境に陥っても社員のリストラには手を染めなかった。大坪さんは世の指導者、経営者などへの批評精神はまことに辛辣だが、多くの庶民に対する眼差しはとても優しい。大坪さんの父君は、零戦戦闘機などの開発で日本の航空機製造の草分けを担った中島飛行機の技術部門を率いていたが、同社が戦後に解体される際、部下の再就職先への紹介状を数千通も書き上げる途中で急死された。大きな戦争の片隅で自分の安全を脅かされながら多数の人間の命を守ったシンドラーや杉原千畝は、形こそ違え、中島飛行機にもいたのだ。上に立つ者の責任・矜持を、大坪さんは父親の急死という悲しい体験から身に着けられていたのだろう。
そして1999年、長年の宿願だった碁界への貢献を「東京精密杯・女流最強戦」の設立という形で実現した。32名の選抜棋士によるトーナメントと決勝3番勝負を争う同棋戦は、大坪さんが東京精密の会長を退いた2005年以降も続き、2008年の第10期をもって終了したが、国内で初めて6目半のコミを採用した先験的な棋戦として歴史に残るだろう。
以上の話のうち、大坪さんから直接伺った部分はわずかだ。大坪さんがこの2月に出版された「赤字は大きいほうがいい~Win-Winの経営論」(幻冬舎ルネッサンス)という近著からの抜粋が多い。大坪さんは本書を「2人の息子への遺言代わりに書いた」と言われるが、31年間の銀行生活と17年間に及ぶ企業経営者として蓄積された「大坪語録」は並みの経営書では得られない示唆に富んでいる。「若いころ自分はE(entrepreneur=起業家)型人間だったが、その後A(administrative=管理職)型に移り、70歳を超えた今ではZ(ゾンビ)型になろうとしている」とクールにご自身を語る姿勢にはつくづく敬意を感じざるを得ない。
最後に、大坪さんの碁に触れてみたい。実力はまさに天下六段。プロ棋士との稽古碁ではしばしば先で打たれるが、かなり碁になっているようだ。終始一貫して既着の石を活かす精神に充ち溢れ、決断は早い。私は「経営と碁は関係あるのですか」と愚かな質問をしてみたが、「まるで別物です」とはぐらかされた。稀代の快男児・大坪英夫さんには、逆立ちしてもかないません。
亜Q
(2010.3.26)
![]() |
| 2005年の文化交流使の杉葉子氏と |
雪の舞う寒い日となった3月9日火曜日午後「第7回文化庁文化交流使活動報告会」が開催され、足を運んで参りました。ご存知のとおり千寿先生は平成20年8月より翌年3月まで文化交流使として西欧5ヶ国で活躍されています。一時帰国の際には伺う事もありましたが、やはり正式な場で聴きたいものです。
ほんの数日前までパリにいらした先生ですが、疲れを感じさせないいつものスマイルで明るくエレガントに登場されました。紫がかったピンクのスーツ姿が照明に映えます。パンフレットに載っている表題は「日本マンガから観た日本・碁」。こういう催しはとかく難くなりがちですが、先生は15分と限られた時間に、美術館で展示されていた源氏物語の織物の中に囲碁の対局シーンを見つけたエピソード、海外での「ヒカルの碁」の影響の大きさやマインドスポーツとしての今後などを盛り込み、囲碁を嗜まない聴衆にも配慮した内容となっていました。
「勝敗至上主義の今だからこそ、マナー、潔さを伝える意義を感じています」と力強く訴えられた流れでしたでしょうか、先生は求める囲碁の文化性を「雅」と譬えられました。一昨年の夏壮行会の挨拶を締め括ったその言葉を報告会で聴くと、この言葉に寄せる先生の気持ちの大きさを思います。
文化交流使の仕事は一段落となりましたが、囲碁普及活動はまだまだこれから。13日に千寿会でお会いすると翌週には再びパリに発つとおっしゃいます。いつでも進行形の千寿先生、健康と無事を願っています。
Etsuko
(2010.3.15)
皆様、日本棋院棋士の大矢浩一です。
過日の例会日にはお邪魔させていただきまして、皆様はどうだったかはわかりませんが(^^?)私は楽しい一時を過ごさせていただきました。
さて、以前にこちらにてご案内をしました大矢会ですが、開催場所が変わりました。(よって、その以前の投稿は削除しました)なので、改めてこの場をお借りいたしましてご案内します。
![]() |
| 地図 |
●指導碁会&局後の検討会
開催日 偶数月の第2月曜日
時間 18時~19時15分頃 ★18時半以降の来店の場合はご参加できないことがあります。
場所 新宿囲碁センター 電話 03-3349-4977
参加費 6000円(席料込み。ただし、その前に入場して対局なさる方は7000円)
★その後は近くの居酒屋のくろしお新宿西口1号店に碁盤一式を持ち込み、飲み食いをしながら21時頃まで局後の検討会をします。
検討会参加費 3000円程度
★魚の卸売り業者直営店なので安くておいしいうえ、私が保持しているアイテムで2割引にできるので、だいたいこの程度かと思われます。(前回の2月の時は、焼酎ボトルを入れて約2400円ほどでした)
ご都合がよろしいようでしたら、お仲間をお誘いのうえ、ぜひお越しください。
★事前の参加申込は必要ありませんが、都合により開催日が変わることがありますので、念のため、新宿囲碁センターにお問い合わせのうえ、ご来店ください。
以上、よろしくお願いいたします。
日本棋院棋士・大矢浩一
(2010.3.12)
昨年のクリスマス会で巻幡先生に指導碁を打っていただいたときに図の定石が現れた。黒Aと打って白Bと切られた後の定石を間違えた。局後、巻幡先生にこの定石はこう打つんですよと、やさしく教えていただいた。
定石を間違えたと書いたが、正確にいうと定石をよく知らない。黒Bと継ぐのも定石だが、この後の打ち方が分からない。いつもこの定石では苦労する。なぜ、苦手なのか分からない。この際、もう一度しっかりと勉強しておく必要があると基本定石辞典をめくってみた。
そこで、衝撃の事実に出逢った。なんと、この定石が載っていないのである。黒のハネに対して、白の横ノビではなく、Cのピン継ぎの図は載っていた。しかし、横ノビの図は載っていないのである。そう、私の勉強が足りなかったのではなく、定石辞典に載っていなかったのである。そのことにずっと気がついていなかったのは勉強不足といわれそうではあるが。
私が見ていたのは石田芳夫著「基本定石辞典(上)」、写真左上の箱入りのものである。奥付を見ると初版が昭和50年となっている。その頃はまだこの定石はほとんど打たれていなかったのかも知れない。その後、下巻を買ったときは同じく石田芳夫著ではあるが、箱なしの増補改訂版になっていた(写真右上)。奥付には平成8年第1刷発行となっている。そして先日、高尾紳路著の「新版基本定石辞典(上・下)」が出版された(写真下)。早速、上下セットで購入し、ん十年目にして初めて上の定石を勉強した。
かささぎ
(2010.3.7)
日曜日の楽しみといえば、NHK杯の囲碁中継。終盤たけなわの2月末は準々決勝、山下敬吾天元vs河野臨元天元という屈指の好取組(以下敬称略)だったが、黒番・山下には辛い進行だったらしい。下辺の競り合いで秒読みに追われて得心しないまま無理気味に仕掛け、変化が少ないコースの中で時間いっぱい頑張っても局面が好転することは最後までなかった(淡路修三九段の解説)。ほぼ同時期に打たれたNEC杯でも山下は河野に競り負けている。山下は河野が苦手なのか、それとも早碁そのものが苦手なのか――。
ともあれ、名局とは言えないまでもザル碁の私には十分楽しめたはずの囲碁中継に水を差したのが、画面右下にべったり張り付いた無粋な津波警報マップ。面積にすれば9分の1程度かもしれないが、プロの碁は全局が関連する。解説者は、右下に生じた白からの花見コウの味が黒にとって致命傷だと繰り返し指摘していたが、マップに隠されてさっぱり見えない。せっかくの楽しみがイライラ時間になってしまった。
念のためチャンネルを切り替えてみると、NHK総合放送、民放、BSを含めてすべてマップは同じ扱い。きっと放送法に定められた緊急時の対応なのだろう。でも、通常の報道、娯楽などの番組ならマップはさほど邪魔にならないが、囲碁番組ではまさに致命的。視聴料を取る公共放送の囲碁番組担当者なら少しは碁がわかるはず、テロップをどうにかしないと放送の使命が達せられないではないか。
私が放映現場の担当者なら、テロップ表示面積を縮小するか、数十秒ぐらいの間をおいて画面に出す。そしておそらく上司から大目玉を食らうだろう。言うことは分かっている、「NHKたるものがコンプライアンスを守らずにどうするのか」。でも、視聴者が警報情報を常時注視しなければならないなら他の番組に切り替えればいいし、実害はまず考えられない。週に1度の囲碁番組を楽しみにしている視聴者に良かれとする行動を誰がとがめるのか。まさかクビにはならないだろうが、必要なら責任は取る。その前に視聴者に今回の措置の是非を諮っていただきたいなどと、(私は世間からの喝采をかなり期待して)エラソーに抗弁するだろう。
もっとも、このリクツには大きな弱点があるかもしれない。つまり、「一担当者が恣意的にルールを代えていいのか、ひとたびそれを認めれば、世の中は大混乱に陥るだろう」。物事に不具合が生じて何らかの対応が必要になった時、いつ、誰が、どんな目的で、何を根拠として、どのようなプロセスで判断し、実行するのか、「そもそもお前に資格があるのか」と責められ、下手をすると国会あたりで「公共放送の職員としての行動原理」をあれこれ問われるかもしれない。そんなことは面倒。やっぱり知らん顔していよう――てな具合になりそうな気もする。
ただ、事なかれ主義とか当事者意識の排除とかは、碁とは正反対の理念だろう。「信号を墨守する人は碁が強くなれない」とはいかにも乱暴な言い草だが、かなり真理を突いているのではないか。危険や害悪や迷惑を社会にかけない自信があるなら、自己責任で「百万人と雖(いえど)も我行かむ」がカッコいい。気になるのは、世界大不況で再び脚光を浴びた経済学者ケインズさんが唱えた学説。内容はチンプンカンプンだが、何やら経済を活性化する有効需要なるものを説き、肝心なのは「その決定は賢人が行う」とするくだり(学説としてはちょっとずるい気がするが)。
私はもちろん善人だし、某県に在住する県人でもある。「では賢人か?」と問われれば、『週刊碁』の「アマの碁いちばん」に登場する片岡聡九段みたいに「テヘヘ、面目ない。もともとダンディーではなかったんです」と答えるのみ。何だかわからなくなってきた時は偉大なる井上ヨースイ様にすがろう。本欄でいつか使わせてもらったことがあるが、臆面もなくもう一度。「~本音を隠し/建前飾り/笑いは逃げの切り札/だから今日も裏道小道~」と今夜もがなりたてるのだ。
亜Q
(2010.3.2)
千寿先生が活躍されていた文化交流使の活動報告会が下記の要領で開催されます。参加は無料ですが申込が必要です。ので、このたび、文化庁の「文化交流使活動報告会」が開催されます。日本棋院からは青木紳一九段の報告もございます。是非ご参加下さい。
日時 : 平成22年3月9日(火) 14:30-18:05
場所 : 東京国立博物館平成館 大講堂(台東区上野公園13-9)
詳細はこちらをご覧下さい。
かささぎ
(2010.3.1)
「仕置き人」、「はぐれ刑事」などのヒットシリーズで知られた名優・藤田まこと氏の訃が大きく報じられたころ、日本棋院棋士・中山典之六段が16日、ひっそりと77歳の生涯を閉じられた。葬儀は近親者で執り行われたらしい。
棋士としての実績より“文士”として名声が高かった囲碁界稀有の貢献者。『実録囲碁講談』(日本経済新聞社)、『碁狂ものがたり』(日本棋院)、『囲碁の世界』(岩波書店)『囲碁の魅力』(三一書房)といった棋書にはまれなベストセラーを連発、さらに碁聖道策、梶原武雄、小林光一、武宮正樹らを冠した講座ものをライターとして多数手掛けられた。欧州を中心に海外普及活動にも尽力され、「青い目の門下生は2000人」と豪語されていた。
昭和7年長野県丸子町で生まれ、同26年高校(旧制)を卒業後「上京して流浪」(本人談)、苦節を経て37年プロ棋士に。プロの囲碁観や感性を持たないまま当時のデッドライン30歳ぎりぎりで滑り込んだ「田舎碁の力自慢」(同)。入門同世代には安倍吉輝(故人)、高木祥一、福井正明といった10歳ほど年少の俊才がずらり。彼らの日ごろの精進ぶりに圧倒され、「生涯にわたって心中劣等感が住み着いた」(同)という。
典之の名をもじって自ら「テンコレ」と軽く称し、凡夫・鈍才の代表格を自認。才能にあふれた周囲の棋士たちには公然と敬意を表していた。事実、同期組は例外なく短期間に九段に駆け上り、ご自身は平成4年に六段に到達したまま後輩たちにも次々に抜かれ去った。このあたりの様子についてはご参考までにこちらをどうぞ(「毒舌今なお意気軒昂~~中山典之六段出版記念会から~~」、「Davidと覗いた『第60期本因坊就位式』風景 その3」、「実録囲碁講談」、「わが偏見〜“最強プロ” はこの方ではないか ④」)。「劣等感」は私のような凡人には百害あって一利もない。しかし中山棋士は劣等感を珠玉の文章に昇華させた。特に晩年には、日本棋院きってのベストセラーを完本化した『完本・実録囲碁講談』、『昭和囲碁風雲録 上・下』、『囲碁の世界』などを相次いで発行・再刊されるかたわら、『囲碁ワールド』誌に囲碁近代史の証人として連載されるなど、死を予期されたように旺盛な執筆活動を続けられた。
その源泉となったのは、中山棋士が胸中深く秘めていた「矜持」ではないか。この「矜持」を支えたのは、碁を愛する心、どんな棋士でも素晴らしい棋譜や行動には深く敬意を払う精神に加えて、特に文筆に発揮された詩的な感性と美意識――だろう。俳句に才能を見せた父君(号は「蕉堂」、佳句を多く残され、中山棋士は著作にたびたび引用されている)、そして母校である県下屈指の進学校旧制上田高校(旧制)で漢文や大和言葉の美しさを徹底的にたたきこまれた恩師(飯島忠夫講師)らの薫陶を受けた中山棋士の魂は、しばしば盤上を離れ言霊(ことだま)の世界に雄飛したのではないか。
その証が、生涯千首と言われる「いろは歌」の創作。いろは47文字に「ん」を加えた全48字を1度だけ使いながら美しい今様(いまよう、平安時代中期の流行歌)を構成する前代未聞の仕事だ。囲碁に関連させた作品、囲碁から離れた作品の二様あり、しかも書き出しの文字をいろは順に並べるなどまさに縦横無尽。「い・ゐ・ひ」「え・ゑ・へ」「お・を・ほ」といった違いを厳密に書き分けるのはもちろん、「ん」から始まる「吽聲歌(うんせいか)」(ん/と聲(こえ)に出で/はや闕(か)け眼/居眠りすらも/待ったなし/下(おろ)せぬ指へ/うそぶくよ/浅き智を吾/吠えるのみ)まで添えて『圍爐端歌百吟』と題して平成11年に出版された。
当時、国語問題協議会会長を務めていた宇野精一東京大学名誉教授は、「我が国文化の再興の大きな手掛かりになると考えるから慶賀に堪えない」と喜び、中山棋士の文才の第一発見者を自称する『囲碁クラブ』誌の名編集長だった田中宏道氏は「やまと言葉の精華を結集したこの本は百年、二百年、否いろは歌のように千年の後まで伝えられるだろう」と予告している。
本書には、囲碁を題材に96首を掲載しているが、その中から「冥土歌」と題した2首を紹介させていただく(いつもながら、小生の未熟ゆえ旧字体など不完全な部分があります)。
冥土に囲碁の/あるなしを/尋ねておくが/良き智慧ぞ/日も薄れ/はや/夕去りぬ/見(まみ)え論ぜむ/呆け童(ほけわらべ)
冥土の囲碁は/面白や/吾すら無敵/下手さ見ゆ/智慧練る閻魔/髭(ひげ)なぶり/余(よ)に嘘をつく/阿呆(あほ)抜かせ
囲碁の世界から離れて創作された「新いろは歌」には思わずうなりたくなる名作が多い。私の好きな3首。
色は空なり/すべて無為/常に非(あら)ざる/世を侘(わ)びぬ/み佛(ほとけ)まかせ/稚児の夢/重き縁知れ/誰(た)そや酔ふ
我/奥山に・庵(いほ)をあみ/酔ひさすらへば/時超えぬ/現世(うつしよ)の夢/今日(けふ)断ちて/世尊も眠る/ゐろり哉(時空超越歌)
迂(う)人庵(いほ)あみ/日も落ちぬ/手まくら常よ/花に風/聴けやゐろり邊(べ)/夢の聲(こえ)/誰(た)そ故郷(ふるさと)を/忘れ得む(迂人望郷歌)
そして中山棋士は周到に「訣辞(けつじ)」を用意されていた。本ページで以前にも紹介したが、改めて再掲させていただく。
無為の浅智慧(むゐのあさぢえ)/凡夫老ゆ/空音(そらね)幕終え/我消えぬ/せめても名残(なごり)/詠みにける/いろは清(すが)しや 歌つどひ(無為歌)
合掌
亜Q
(2010.2.23)
囲碁棋士というより“仙人”と呼びたい杉内雅男九段が昨年11月26日の第36期名人戦予選C決勝で、碁界バリバリの成長株、白石勇一二段を破った。依田紀基元名人が昨年末にブログデビューして早々に大人気になった「ヨダログ」(『素晴らしい先生』)で知り、日本棋院に確認したところ、出版部の小瀬村さんからご丁寧な回答を頂戴した。ありがとうございました。
何しろ仙人は大正9年生まれの89歳。一方の白石二段は昭和59年生まれだから還暦一回り分を上回る64歳の年齢差。ハンディなしの同じ土俵で戦うのがプロの碁だけれど、世界中どこを探したって60年以上の年齢差を克服して互角に戦える競技なんてありはしまい。以前にも、女流第一人者となった謝イーミン女流名人・本因坊と“年齢差70歳対局”を争い、勝負に負けたが碁には勝ったと言われる名局を残されている。依田九段はこの老いた勝者を、「青春とは人生の一定の期間のことではなく、その人の心の様相を言う」というウルマンの詩『青春』をひもときながら、「どれほどの精進と節制を重ねておられるのか、自分たち後進をとても元気づけてくれる素晴らしい先生」と称える一方で、「もっとも生涯現役を貫く杉内先生にしてみれば、年齢を言われるのは心外と思われるのではないか」と心を配っている。
この歴史的な場に、感動をすぐに表に出さずにはいられない私が居合わせたら、真っ先に敗者の白石二段に駆け寄ってまだ血が上ったままの頬に無理やりブチュッと行く。傷心の白石青年はこの変なおじさんをきっと嫌悪するだろうが、年を経ればこの気持ちをわかってくれるのではないか。事実白石二段は昨年18勝(14敗)を挙げた前途有為な青年。勝った仙人も素晴らしいが、負けた若鯉も素晴らしい。碁は素晴らしい、人間も素晴らしい。
ただし仙人にはこんな行動はさすがに差し控える。勝負師がたまたま勝ったり負けたりは当たり前。何をガタガタ騒ぐのか、「お帰りなさい」と言われそうだから。この「お帰りなさい」は「ただいま/お帰りなさい」とは意味が違い、文字通り「家に帰ってもう来なくていい」との宣告。木谷道場の師範代だったころ、遅刻したり勉強態度が悪かったりする後輩にとって、杉内九段の「お帰りなさい」との静かな一言は、梶原オワ先生あたりから「コラッ」と大声で叱られるよりずっと怖かったらしい。
そして私が通信社の記者なら、このニュースを意気揚々と全世界に発信する。私は子供のころから、自分に不都合なことは棒のような大事でも針のように小さく話す天才だったし、さらに成長した今では針のような小事を棒のような大事と説くのも得意になった。いや、そんなことを言いたかったのではない。同じ土俵で、還暦分の年齢差を乗り越えて勝負を制したと聞けば、世界中どんな人も、もちろん碁を知らない人でも興味をかきたてられ、そしていい気持になる(負けた白石二段は大きく報道されれば辛いだろうが、こうした経験を生かしてきっと大成してくれるだろう)。人間とはなんと素晴らしいものだろう、人間の脳はなんと不思議なものだろう、人間の未来はまだまだ明るいのではないか、と。
たとえば欧米の研究機関は碁を通じて人間のアンチ・エイジングの研究を始めるかもしれないし、人材開発に力を入れる発展途上国なら碁を教育の一環に取り入れるかもしれない。チベットあたりの村の古老はこのニュースを聞いて若い衆を集め、世代間コミュニケーションの格好のテーマとするかもしれない。そして10数世紀にもわたって至上の知的競技として育まれてきた囲碁とはどんなものか、なぜこれまで自分たちは知らなかったのか、ほかのゲームやスポーツなどの競技とどう違うのか、と囲碁へ関心が向けられていくだろう――と、ノーテンキな私の妄想は翼を広げるばかりだ。
新聞の囲碁掲載のありようを見ると、七大タイトルの決定時点で主催紙は比較的大きく載せるが、他の全国紙は社会面の片隅に数行程度(20歳名人の井山名人は例外的に大きく扱われたが)。毎週の勝ち負けは専門紙・誌でなければ掲載されない。それは仕方がないとしよう。でも、時には碁を知っているかどうかには関わらないほどビッグな話題もあり得る。米大リーグのランディ・ジョンソンが40歳で完全試合をやってのけた時には、野球を知らない人の関心も集めた。碁は野球やサッカーより愛好者が少ないのは確かだが、人間の知的な営みをある角度から鋭く浮き彫りにしてくれる希有な素材でもある。大ニュースが起こったら、すぐに全世界にわかりやすく発信することが重要だと思う。
もっとも、こうした話題はある種の問題意識を持っていないとついつい見逃して、絶好のPRの場を知らぬ間につぶしてしまう。井山新名人の師匠として有名になってしまった石井邦生九段が数年前、当時(今でも)世界最強と目された李昌鎬九段を破った時ももう少し別の伝え方があったかもしれない。その意味で、日本棋院や関西棋院は常に広報センスを磨いておく必要がありはしないか。エラソーなことをまくしたてて申し訳ないが、「広報」とは、自分たちの行動、理念、実績などを新聞・雑誌・放送・ネットなどの媒体を通じて「中立・公正な情報」として世の中に理解してもらうための支援活動。有償で紙媒体のスペースや放送媒体の番組を買う「広告」と違って金がかからないうえに、編集部の評価・スクリーニングを経て掲載される一般の記事だから信頼性がまるで違う。米国初の黒人大統領だって、名演説の起草を含む大規模な広報活動がなければ誕生しなかっただろう。この有用な広報をもっと使わない手はない。
ただし、手間と知恵が要る。タイミングも重要。話題によっては使うメディアを選んだり、同じ新聞でも掲載面を考慮して作戦を立てる必要がある。文化面なら観戦記者がある程度フォローしてくれるが、社会面、さらに国際面となるとなぜニュースなのかを理解してもらうための「意義づけ」「背景説明」さらに専門用語の簡単な解説なども用意して編集者側に売り込む必要がある。つまり、記者が記事にしてくれるのを待つのではなく、こちらからターゲットを絞り込んで仕掛けるのだ。単発でニュース材料になる話ばかりとは限らない。むしろこれはまれだろう。これまでに蓄積した膨大なデータを分析して、人間の能力や行動の目安を提供したり、将来に向けての能力開発の方向性を占ったりといった「傾向記事」が多くなるかもしれない。年齢や性差も格好のテーマになるだろう。棋士の冠婚葬祭にまつわる話題でも、人間らしい面白いエピソードがまぶされていればスポーツ紙や週刊誌が飛びついてくれるかもしれない。将棋やチェスなどとの違いやコンピューターがどこまで強くなれるかといった話題も時宜に応じて提供できる。
ところで昨年末、東京・日比谷で開かれた名人就位式には50人限定(有料会費)で一般参加客も集めた。私見だが、せっかく20歳名人が誕生した歴史的な就位式だ。50人などとケチなことを言わず、何百人も集めて開催費用ぐらい弾き出したらよかったと思う(その後、関西などへ場所を代えて一般客へのお披露目をしたと聞いているけれど)。もちろん、準備期間や会場の問題もあるだろう。主催紙の朝日新聞文化グループの伊藤衆生(ひろき)記者は、「実行部隊の事業局があらかじめ予算を組んで用意していたのでなかなか臨機応変に対応するのは難しい」と言われていたが、ちょっともったいなかったかなぁという気が残る。今後これと同じような機会は(20歳名人が生まれた以上)10代タイトル者を待たないと大きなニュースになりにくいからだ。
今年もまた、碁界(日本国内に限らず国際棋戦からでもいい)からビッグニュースが生まれてほしい。今回の杉内仙人の勝利をニュース報道するのはややタイミングを失した感があるが、もう1度還暦分の年齢差を超えて勝利した時に、セットにして話題にする“敗者復活”も考えられる。その時こそ、適切な形で世界に発信してほしい。
亜Q
(2010.1.26)
16日は今年最初の千寿会。千寿先生と会うのは今年二回目。
一回目は11日で、ピアニストの山下洋輔さんを囲む新年会。わたしは山下洋輔さんをゲストにした碁会だと思っていたが、碁の方がおまけだった。
場所は新宿の白龍館。元院生の村井真理子さんがご家族で経営している料理店だ。店内は大きなピアノが目を引く。
入ると何人かワインを飲みながら談笑していた。一画で一組が碁を打っている。その一人が山下洋輔さんだった。
わたしは隣に座り覗き込む。間もなく相手が見つかり碁を始めたが、ほとんどの人は談笑のみ。
小川誠子六段・大澤奈留美四段・武宮正樹九段も姿を見せる。隣では女性同士が対局を始めた。
間もなく山下洋輔さんがピアノを弾きはじめた。生のピアノの迫力は、音痴のわたしでも判る。引き込まれた。武宮正樹九段のダンスなどもあった。
その新年会で、隣で打っていた女性の一人が、16日の千寿会に来た。わたしの白で対局してみたが、わたしの敗勢で打ちかけになった。神田陽子さん(写真右)が講談を読む時間になったのだ。
陽子さんは二代目神田山陽門下、入門して30年になる。16日の読み物はある芸能譚。大阪の舞台をしくじった役者が、18年の苦労ののち、江戸で大成するという話。
わたしも生の講談は数十年ぶりだ。初めは講談の定席本牧亭だった。畳の部屋で、混むと足も崩せないので、一度で行くのをやめた。間もなく本牧亭はなくなった(改築だったらしい)。そのころ人形町末広もなくなっている。その後は寄席で講談を何度か聞いたが、寄席にも行かなくなり遠離っていた。
陽子さんは、2月16日~28日に、博品館劇場の「友情 秋桜のバラード」に英語教師の役で出演する。
陽子さんは手談(碁)もたしなむ。
さてある碁を紹介しよう。わたしは正確に覚えていないので申し訳ないが、その趣旨だけ読んでほしい。白は村井真理子さんの父君だったと思う。黒は千寿会のIさん。
もちろんこの白の打ち方は勧められないが、面白いアイディアだと思う。結果は大石が死ぬことになり、布石に関係なく実力通りになった。
謫仙(たくせん)
(2010.1.18)
謫仙 :黒六目半コミだし
小龍女 :白
右図、黒が実利、白が勢力の別れ。その白模様に黒が打ち込んで逃げ切ったため、白地がほとんど無く、黒は四十目以上いいと思っていた。しかし、小龍女は投げずに続けて打つ。
黒がタケフに打ってのぞいたので、白▲に打ってキリを防いだところ。単独で白▲に打たれれば警戒するが、黒のノゾキに続いて打ったので黒のダメが減ったのを気にしなかった。
ここは、AかBに打って「勝ちました」と言わねばならない。ところが生きているつもりなので黒Cと打ってしまった。これだけ勝っているのだから余計な手だ。
符号順に、白D・黒E・白Fとなれば劫ではないか。
白Fのあと、左図のように黒1・白2・黒3で白4とはねたとき、黒▲である。
しかし、小龍女の読みに錯覚があり、2図白▲と打った。
もし黒Aと劫になったとき、BとCがコウダテになるのでこの方がよいと思ったという。しかし、黒にはDがあり、活きてしまう。この黒Dを読み落としていた。
ところが、わたしはそれにも気がつかず、Aの上にツイでしまった。こうなると、劫がなくなり、形勢は逆転したらしい。小龍女は、他を打つ。
白▲を打ったのが、なんと黒Aから25手目。
打たれて気がついた。すでに白ハネと黒Aを交換してあるので劫にもならない。投了せざるを得ない。
小龍女「すぐに白▲を打つと、後手になるでしょう。黒に先手であちこち回られると、この黒を取っても勝ちが見えなかった。だから殺せないふりをして、先に大きい所にまわり、外堀を埋めてから、取りに行った」
謫仙 「気がついたら、どうするんだ」
小龍女「もちろん投了することになる。このあたりはそれも勝負の内よ。活きていると思うと、もう一手かけようとは思わないでしょ。一手ごとに冷や冷やしながら、知らんふりして打ってたンだ」
聖姑 「お龍ちゃんは謫仙さんに連勝しているので、余裕で打てたンだね。もし負けが混んでいたら、すぐに取りに行ったのじゃないかしら」
小龍女「うん、そうですねえ。あんまり勝ちすぎるとなんですから。でもわたしも錯覚していて、読み落としに気がついてギョッとしたけれど、謫仙さんが気がついていないと判って、急にいたずら心が沸いてきて…、どこで気がつくかと…。活死人墓だね」
注: 全真教(道教の一派)の教祖の王重陽(1112~1170)は、穴を掘り、「活死人墓(生きている死人の墓)」と称して、その中で2~3年修行した。その後、北七真と言われる有力な7人の弟子を得て、全真教が栄える。
謫仙(たくせん)
(2010.1.13)
囲碁梁山泊という季刊誌がある。
名前の通り、官に対する野のような、建前よりも本音を出している碁の雑誌だ。
去年、筆者の一人である長谷川さんが、千寿会に来たとき紹介してくれた。それを10月の「2009ファンフェスタ in 箱根」で頂いた。頂いたのは「2009年 冬」通算52号。「2009年 朱夏号」54号。「2009年 白秋号」55号。
インターネットでは「2009年 春」が紹介されていた。
春から夏にかけて、号名が変わったのか。おそらく、今度の冬は「玄冬号」春は「青春号」となりそう。
内容はかなり濃い。はっきり言って、わたしの棋力では読み切れないほど。
読んだ三巻では、藤沢秀行九段と井山裕太九段の記事が多い。秀行さんは亡くなり、井山さんは名人になったので当然。しかも名人は関西。そう、この雑誌は大阪の「関西社会人囲碁連盟」の発行である。発行人は正岡徹氏、囲碁に詳しい人なら、一度は名前を目にしているだろう。
わたしが注目したいくつかの記事を紹介。
52号 以前ここでかささぎさんが紹介した、釼持師が解説した詰碁の原型がある。間違いがあって、釼持師に指摘されたとか。
52号 秀行さんの書展のこと。この書展は千寿会でも見に行って、秀行先生と写真に収まった。
54号 藤沢秀行さんの追悼特集号で秀行さんの記事で埋まっている。
54号 80歳から碁を始めて、88歳で八段に登った方の話。普通は七段までだが、特別に許可をしたとか。奇蹟のような話だ。もちろん試験に合格したもの。名前だけではない。もっとも碁を覚えたのは15歳の時という。それなりに強かったであろう。
55号 弱冠20歳の井山名人誕生。
弱冠20歳という言葉がこれほどピッタリすることは他には無い。周では20歳になると冠をつけたので、20歳を弱冠という。井山さんは20歳で名人の冠をつけたではないか。
55号 宋麗五段のこと。宋麗さんが関西棋院に入ろうとしたところ、中国から横槍が入り、庇いきれなかった。しかし、瓊韻社の五段を許されたよし。
ゼイノイさんのことを思い出した。詳しい経緯は知らないが、韓国で活躍している。
自分で購入していないのに紹介するのも気が引けるが サロン・ド・ゴをどうぞ。
謫仙(たくせん)
(2010.1.4)
会場の隅に快男児がもう一人、張リュウ七段(28歳)を見つけた。前日の富士通杯最終予選では新名人の大石を召し上げた剛腕の持ち主。強いときにはやたらに強いが、昨期の名人リーグでは1勝もできずに陥落。何ともメリハリの利いたさわやかさだが、それ以上に興味をひかれるのは、この10月軽井沢で日本棋院、関西棋院の延べ44人を集めた「第1回若手囲碁合宿」を主宰された行動力と人脈。朝6時半からランニングやサッカー、野球などで体を鍛え、9時から夜更けまで、食事を挟んで詰め碁テスト、対局、検討を延々と続けた。井山名人をはじめ、趙善津元本因坊、山田規三生元王座、柳元天元・王座、河野臨元天元、結城聡関西棋院1位らも駆けつけ、「中国、韓国に追いつかなければいけない」との危機意識から生まれた若手棋士同士による自主的な試みはすごい盛り上がりだったようだ。
私の数少ない欠点の一つに、敬意を持つ若手に対し、年上ぶってつい強がってしまう癖がある。この時もそれが顔を出した。拠り所は、この11月に亡くなられた大正12年生まれの梶原オワ先生。昭和から平成にかけて四分の三世紀を囲碁一筋に尽くされた碁界の大恩人。ついにタイトルを獲らずに終わったが、「それは碁を勝負と観ずに一種の学問とみなし、時を忘れて盤上にのめり込んでしまったから」と、テンコレ文士(もちろん中山典之六段)が最近の『週刊碁』に書かれている。「だから張リュウ先生、どこの国、民族が世界1番になってもいい。日本は常に一流であればいい(もちろん勝ってほしいけれど)」と私はほざき、「むしろ梶原オワ先生の言う“学問としての碁”を物理や数学と同様に、世界の若い人が協力して高めればいいのだ」と、おせっかいなノーガキを垂れてしまった。じつはこれは、張リュウ、林漢傑といった日本人ではない棋士が日本のために音頭を取ってくれたことに対する私のキクバリだとご理解いただければありがたい(言いたかないけれど)。
エラソーに能書きを垂れた後、私は相手の長所を認めて必ずフォローする。突然変なことを抜かすオジサンに目を丸くしている張七段に「そ、そんなにまじめに聞いてもらっても困るよ。張リュウ先生はいくつになっても私に年齢は追いつかないかもしれないけれど、私のアタマをすぐに追い越されるだろう。そう、頭髪の進み具合。若い人はどしどし先輩を追い越していくべきで、追い抜かれたからといって、私は先生のためにお喜びこそすれ、嘆くような女々しいことはいたしません」ーーそばにおられた鶴山淳志七段が大笑いされていたけれど、今度は鶴山七段(28歳)の番だ。
11月の千寿会に、初めて講師として顔を出された久保秀夫六段が棋聖戦予選Aでの対局を自戦解説された。その相手が6歳年下の同郷(熊本県)の後輩鶴山七段。平成16年に棋道賞勝率第1位に輝き、最近の『週刊碁』でも「これぞプロ!」と賞賛された実力者だ。中盤の入り口で久保六段の意表を突く鋭い1着を放って大石を召し取り、この結果を久保六段は少し苦戦に陥ったと見なし、鶴山七段は大きな成果を挙げたと評価した。この意識の差が勝敗に影響した(久保六段の話)。その後、鶴山七段に「もうお腹いっぱい」と意思表示する着手が相次ぎ、いつの間にか逆転したらしい。この碁の感想を私はしつこく鶴山七段に問い質したが、ご当人は笑い続けるばかりで答えず。ま、いっか。オトコマエの若者の笑顔が大好きな私は鷹揚に矛を収めた。
会場でお見かけした女流棋士は、このページでも何度かご紹介させていただいた渋沢真知子初段。「これまで就位式のようなイベントには顔を出さなかったけれど、最近心境が変わりました」とおっしゃる。これはとてもいい兆候だ。いろいろな刺激を受けて、近い将来やや遅咲きの花を咲かしてくれると私は信じている。このところタイトルから遠ざかっておられる大沢奈留美四段も同じような心境で会場を訪れたのかもしれない。
千寿会の卒業生、奥田あやちゃんも将棋の室田女流棋士とともに会場を回っていた。年齢は新名人より1歳年上の21歳。今期の女流名人戦リーグでは健闘むなしく陥落が決まったようだが、タイトル経験者のベテラン男性棋士を破るなど、新名人と同様に毎年力を着けてきているとの評判だ。でも、「強くなったね」とか「これからはシェ・イーミンさん(20歳)、向井チアキさん(22歳)、万波奈穂さん(24歳)らと女流四天王を目指せ」などとたきつけても、「まだまだです」と反応がいまひとつ。そんな時私は意地でも相手を乗せたくなる。そこで繰り出す伝家の宝刀。「しばらく見ない間にすっごくきれいになったじゃん!」これは効いた。おとしごろのあやちゃんははじけるように笑い転げ、1度だけ千寿会であやちゃんを負かした(おじいさんに連れられてきたあの頃は結構いい勝負でした)おじさんにかわいい手を差し出して握手してくれた。
亜Q
(2009.12.16)
井山悠太第34期名人の就位式が12月11日開かれた。歴代最年少20歳の名人誕生、さらに名人就位式では初めて一般客に門戸を開放したこともあり、事前に応募して参加した囲碁ファン50人を含むざっと200人以上(私の目算)の来客・棋士・関係者が冷たい雨が降りしきる東京・日比谷の東京会館12階会場に大集合。千寿会からは千寿師匠をはじめ、ご自身よりはるかに強豪に成長した愛娘を伴った麹町夫人・えっちゃん、日本棋院が主催したハッピーマンデー教室で碁を始め、主婦業の傍ら瞬く間に二、三段クラスに駆け上ったM女、そして「棋力向上より友愛」をモットーに成長路線をかなぐり捨てたかささぎさんと私が参加した。
挨拶に立った井山新名人は、「3勝4敗で敗れた昨期の挑戦手合い経験が役立ち、今期は自分の信じる手を打てた。さらに世界トップを目指して頑張る」と表明。允許状を授与した日本棋院の大竹理事長は若い層への広がりを期待し、3700万円の賞金目録を贈った主催紙朝日新聞の秋山社長はチョーウ前名人が率直に語った敗者の弁を紹介した。来賓の関西棋院副理事長は、日本棋院関西総本部に所属する若き井山少年が関西棋院を訪れて“道場破り”(結城九段らを相手に27勝2敗)したことを、また産経新聞などで初代本因坊となった算砂の生涯を連載している小説家の堺谷太一さんは、算砂が16歳で囲碁日本一の称号を受けたこと、将棋の才にも恵まれ当時の将棋名人と互角に渡り合ったことなど興味深い話をご披露された。
乾杯の音頭は羽生善治将棋名人。「自分は囲碁の棋力は初段ぐらいだが、今期の名人戦挑戦手合いは一戦一戦が白熱し、プロの醍醐味を堪能させられた。新名人はこれから何十年も素晴らしい碁を見せてくると思う」とお祝いを述べた。師匠の石井邦生九段は新名人とのトークショーで「これまでの人生で一番うれしい」と喜び、「新名人が6歳の頃から指導してきたが、12歳になった頃には追いつかれ、その後20連敗したこともあった」と告白。新名人は「師匠にはまだ“ひよっこ”と言われる。世界戦に勝って師匠に報告したい」と恩返しを約束していた。
会場には元名人・三大タイトル者の大竹理事長、林、石田、武宮各九段、日本棋院理事を務める工藤元王座、神田九段、信田、久保両六段、関西から結城、後藤九段、退役された白江八段らに加えて若い棋士たちざっと50人ぐらい、アマ界からも緑星学園を主宰される菊池康郎さん、第46回全日本学生十傑戦チャンピオンに輝いた慶応大学の周仲翔さんらが顔を見せた。目移りする中で、まず声をおかけしたのは早熟のコンピューターとして時代を画した石田秀芳24世名誉本因坊。「僕は26歳、林さんは24歳で名人位を獲った。三大タイトル全体では僕が最も若い22歳で本因坊に就いたが、いずれも井山新名人に抜かれました」と教えてくれた。
井山新名人を抜くとすればこの人と、私がひそかに期待している18歳の村川大介五段も関西棋院から駆け付けていた。スケールが大きい本格派で、会場に顔を出されていた黄イソ七段(22歳)、李イシュウ二段(21歳)、内田修平三段(20歳)らと並ぶ日本囲碁界の若きホープの一人。でもなぜか、私がネットで彼の対局を観戦すると悔しい負け方ばかり。年上のライバル、三谷哲也五段(24歳)には新人王戦(中野杯だったか?)で大逆転を食らったし、最近もチクン大棋士や関西棋院の本田邦久九段ら大ベテランに敗れた。ついつい私は「せっかく強いのに、変な負けが多過ぎないか」と口走ってしまった。「まだ弱いからです」と村川五段は困ったように頭を抱えていたが、こんな憎まれ口を叩く変なおじさんを、きっと覚えてくれるだろう。
次は秋山次郎、溝上知親(共に32歳)両八段。秋山八段は初めてリーグ入りした棋聖リーグで4勝1敗の好成績を挙げて次期棋聖への有力な手掛かりを得た。私は秋山八段に「棋風は変わるのか」と問いかけたが、めきめきと頭角を現しつつある勝負師たる者がそんな企業機密をザル碁オヤジ相手においそれと開陳するはずもない。『週刊碁』に秋山八段が連載中の「活碁新評」や、彼が若い頃薫陶を受けた梶原武雄九段の話題でも出せばよかったが、もう遅い。それでも根っから優しい青年なのだろう。「今期リーグの結果を糧に、序列2位で臨む来期リーグも一生懸命頑張る」と約束してくれた。
一方の溝上八段にはなぜかもっと失礼に振る舞ってしまった。「石田名誉本因坊、高尾九段、井山新名人、秋山八段らはリーグ入りしてすぐに結果を出したけれど、マグマが溜まるのをじっくり待つタイプもおられるのですね?」とは我ながら汗顔の至り。溝上八段は以前に在籍した棋聖リーグは今一つはじけずに陥落。2度目のリーグ入りを果たした今季名人リーグの緒戦ではチクン大棋士に手痛い敗北を喫した。何ともひねくれた質問にさすがにちょっとムッとされた表情。私は慌てて「でも(加藤啓子五段との)結婚効果はジワジワと効いてくるものでしょう」ととりなすと、男前でなごやかないつもの表情に戻ってくれたが、何と私は直後にまた失言!「ところで私は時折高梨聖健八段に教えていただいているのですが、溝上先生から見て高梨先生はどんな先輩ですか?」と聞いてしまったのだ。本サイトで以前書いたが、溝上八段は昨年、棋聖リーグ入りへ の準決勝、阿含桐山杯挑戦を賭けた決勝でいずれも聖健八段に敗れた。「こんなことを第一線の勝負師に尋ねるなんて、どれだけ私は馬鹿なんだ!」と心中激しく後悔する私に、好漢、溝上八段は「彼は本当に強いんです」と静かに答えてくれた。ありがとう、その時私は溝上八段に確かに好感を抱いた。
「結婚効果」と言えば、安藤和繁四段にも余計なことを言ってしまった。「愛妻の中島美絵子二段はこれまで可愛いのが取り柄と思っていたけれど、なかなかの詩人なんですね」と。彼女のブログを見ての感想だけれど、どうもひと言多かったかもしれない。「彼女は世の中にめったにいないかけがえのないタイプだから大事にしてあげてね」となおしつこく加えると、安藤四段は「僕も結構変わり者だからちょうどいいんです」とにっこり。どうもご馳走様。末永くお幸せにね。
亜Q
(2009.12.12)
名人就位式も終わり、今更なのだが、名人戦における私の長い疑問について述べる。就位式については、後日、亜Q氏からの報告があるはずである。
名人戦第3局。いくつもの劫争いも終わり、井山挑戦者が勝勢で終盤を迎えたところだが、挑戦者が右下でミスをし、白の大石の眼がなくなったところである。挑戦者は秒読み、名人はまだかなり時間を残していた。黒231とのノゾいた局面である。私はこのノゾキの意味が分からなかった。その付近に嫌みはなさそうに見えたからである。挑戦者はノゾキを当然のように無視した。最終結果はご存知の通りである。
私はこのノゾキの意味が知りたかったのだが、週刊碁にはその意味は述べられていなかったので、誰もが疑問にも思わないような当たり前の着手かなと思った。しかし、相変わらず意味が分からなかったので、千寿会の場で二人の棋士に質問をぶつけた。二人はノゾキを打たないと上辺に手が生じるのではないかと、時間をかけて調べてくださった。しかし、出てきた結論は手はないということであった。それなら、左のように黒1とコスミを打っていたら、白の大石がとれていたのではないかという話になった。口さがない我々の中には名人は挑戦者に考慮時間を与えないために早打ちしていて間違ったのではないかというものいた。しかし、騎士たちは張栩名人が打ったのだからきっと意味があるはずであるという意見だった。
その後、朝日新聞の囲碁欄で詳細な解説が始まった。私はこの解説で疑問が解けるだろうと期待した。しかし、その部分は素通りだった。さらにその後、ファンフェスタ in 箱根で新たに何名かの棋士に同じ疑問をぶつけてみた。懇親会の席だったのでかなりアルコールが回っていたのもあって、明確な回答が得られなかった。その中で一人の先生から、中央が白2で切れると白4の一線のサガリで右辺が劫になるのでノゾキが必要であるという回答が得られた。そこは何度も読んで、生きているのを確認したはずだったのだが、いわれてみると確かに怪しい感じがした。たまたま隣にいた県代表クラスも頷いていたので、私もその場では納得してしまった(素直な性格なので)。
自宅に戻ってからもう一度確認すると、やはり黒1で無条件生きである。そのことを碁盤にならべて確認していたのだが、そこでやっと気がついた。白のサガリに対して、黒1で確かに生きてはいるのだが、白2ホウリコミから黒に生きを催促すると、白2の下の黒石が抜けるこことに気がついた。そうすると劫残りではあるが、Aに白の眼ができて生きである。ここにきて、やっと疑問が氷解した。えらく時間がかかったものである。張栩名人(当時)はそれを1分もかけずに読んでいたのである。私にいわれても意味ないだろうが、さすがである。
かささぎ
(2009.12.12)
12月19日(土)の千寿会の予定が下記のように決まりました。
日時:12月19日(土)13:30〜18:30
会場:ホテルニューオータニ 翠鳳の間
スケジュール:
13:30〜16:00 クリスマス親善囲碁大会&指導碁
16:00〜17:00 クリスマス・ティータイム
17:00〜18:30 公開早碁 小林覚九段 対 常石隆志君(アマ名人:小林孝之門下)
かささぎ
(2009.12.7)
政府は「観光立国」の実現に向け、年内に省庁横断の対策本部を設置する。前原国土交通相が本部長を務め、経済産業省や厚生労働省などほぼすべての省庁から副大臣が参加して、中国からの訪日観光客を増やすために中国人向け個人観光ビザの入国条件を緩和するなど、複数省庁にまたがる懸案を解決していくのだそうだ。
政権交代を果たした民主党が厳しい財政情勢の中で果敢に新政策に挑み、過去の不都合を洗い直して改革しようとする姿勢は、細かい問題を抜きにして長い目で応援したい。でも、「立国」とはちょっと大げさ過ぎない?喩えが適当かどうかわからないけれど、生前の三島由紀夫が「俺はこれから、石原裕次郎の向こうを張ってアクションスターとして生きる!」とでも宣言したみたいな違和感がある。
一国の理念とか存在基盤を象徴する「立国」などという表示は一つの国に1つ、せいぜい2つまで。大安売りされては困る重い言葉だろう。もしも日本が目指すべき「○○立国」を国民投票で募れば、ひと昔前なら「貿易」とか「経済」、今なら「科学技術」とか「環境」あたりが上位を占め、「観光」はベスト10に入るかどうか。むしろ南太平洋あたりの風光明媚な小国に敬意をもってお譲りしたい。
そもそも、ビジネスやその他の必然的な理由を除いて、観光のためにある国を訪れたいという理由はその国が魅力的だから。風土・習慣、歴史、そして一人一人の国民性などを総合した国の姿が異国への憧れを掻き立てるのではないか。治安・衛生環境や円高かどうかなどはその意味からすれば二の次、いわんや入国手続きなどは当然実施すべき瑣事だと思う。
つまり、日本の魅力をさらに充実し、外国人に日本を理解してもらうための努力を続け、そうした活動や成果を世界に発信していくことこそが「目標」になるべきで、この目標に突き進む過程で結果的に観光客は増えてくる。前原さんの熱意と誠意は疑わないけれど、「観光立国」を目標に据えるのは因果関係が逆転している。偽メール事件の印象が冷めやらないせいかもしれないが、どうも危なっかしい。「立国」と勿体づければ国民は理解してくれるし、予算も確保しやすいとほくそ笑む役所や関係業者の顔が浮かんでくるのは、私の品性が卑しいからだろうが。
この目標を「○○立国」と表現するなら、「○○」は「文化」としたい。「文化」と言えば、地球上には国の数、いや、民族や地域の数だけ存在することは知っているつもりだが、それでもなお、日本には世界に誇る「文化」がたくさんある。フジヤマに代表される自然、京都・奈良をはじめ各地に点在する歴史遺産をはじめ、芸術・芸能、文学、衣食住の文化、漢字や仮名、科学技術や環境対策なども含まれるだろう。最近ではマンガやファッションなどもクールジャパンの大きな要素になっているらしい。
もちろん、人類のかけがえのない知的遺産である囲碁も不可欠なメニューの一つ。日本以外では埋もれかけていた囲碁を10世紀以上にもわたって育ててきたのは事実だし、国際普及にも貢献してきた。これからも世界トップ水準のレベルを維持するだけでなく、世界中の人々が囲碁の素晴らしさに触れてもらうための仕組みづくりを、国を挙げ、各国と協力し、プロはもちろん、囲碁の機微に触れたアマも一心同体で築き上げていきたい。
−−−−−
このたび、囲碁界最大の貢献者の一人、梶原武雄九段が亡くなられました。
木谷門で多くの俊才を育て、アマチュアに対しても独特の気配りをされる偉大な棋士だったと思います。
弟弟子たちへの愛の鞭は雷のごとく、それでもどこかやさしい人柄が慕われていたと聞きます。
同じ師範格の杉内雅夫九段から静かな声で「お帰りなさい」と不勉強をたしなめられる方がよほど怖かったそうです。
梶原オワ先生には本欄でもずいぶんご登場いただきました。改めて2題をご紹介して、ご冥福をお祈りいたします。
・苦手な相方(あいかた)
・毒舌今なお意気軒昂~~中山典之六段出版記念会から~~
亜Q
(2009.12.3)
ハンガリーから日本に院生修行にきていたチャバ君。棋士になるという夢は実現せず、数年前に本国に帰られたのですが、この度、結婚という新たな夢を実現されました。奥さんの名前はKataさん。写真をいただきましたので、ここにご紹介いたします。
チャバ君、ご結婚おめでとうございます。おふたり仲良く、お幸せに。
かささぎ
(2009.11.26)
再来週から日中韓の国別団体勝ち抜き戦である農心杯が始まる。日程は第1ステージ(第1-4局)が11月25-28日、第2ステージ(第5-10局)が明けて1月18-23日、第3ステージ(第11-14局)が3月9-12日である。農心杯は今回が11回目。これまでの優勝は韓国が8回、日本と中国が共に1回である。
今回の日本チームのメンバーは山下棋聖、井山名人、羽根本因坊、高尾九段、山田規三生九段の5名である。現時点でのベストメンバーである。少し前から国籍主義になったので、張栩4冠は残念ながら出場できない。いつも期待して見ているのであるが、ここ3年は最高でも2勝止まりで最下位に甘んじている。今回はいつもにも増して期待している。
団体勝ち抜き戦で面白いのが、メンバーの出場順序であろう。誰が出てくるかは対局直前まで秘密である。中韓では国際戦の価値が国内戦よりも優る。したがって、両チームとも戦略を考えて順番を決めているのであろう。それに対して、日本では国内戦が国際戦に優先する。したがって、戦略以前に国内戦の日程を見ながら出場順を決める必要がある。国内のタイトル戦と日程が重なる場合、国際戦には出場できない。
このことを勘案して、出場順を予想してみたい。まず、国内戦の現状および予定を把握する必要がある。山下棋聖は現在、天元戦の挑戦手合中であるが、第1ステージは第2局(11月19日)と第3局(12月3日)の間に挟まっており、残りの対局も重なっていない。一方、年が明けると棋聖戦の挑戦手合が始まる。例年、1月15日前後の水、木曜日から始まる。今回は第1局が1月13、14日と予想される。2局目以降はそこから2週、1週、2週、、、おきに開催される。第2ステージは第1局と第2局の間に来ることが予想されるが、かなり慌ただしい。第3ステージは第6局と重なりそうである。
羽根本因坊と山田九段は共に11月26日にそれどれ王冠戦と王座戦の挑戦手合が組まれているので、第1ステージには出場できない。全ステージに渡り最も暇なのが井山名人である。次に暇なのが高尾九段で、十段戦の勝者組の頂上で敗者組の勝者を待ちかまえているところである。挑戦者になっても、挑戦手合は3月までない。
以上から、第2ステージ以降忙しくなる山下棋聖が先鋒となる確率が高いと考える。次鋒は井山名人と高尾九段が候補となる。ここ1、2年は国際戦に勝てるようになってきた高尾九段ではあるが、ここは勢いを買って、井山名人を推したい。そうすると中堅が高尾九段と予想される。最後に、副将と大将である。ここ数年、国際戦で厳しい碁を打ち、勝率を上げつつある羽根本因坊に大将を任せてみたい。残る副将は山田九段となる。
私の予想をまとめると、次のオーダーとなる。
山下棋聖
井山名人
高尾九段
山田九段
羽根本因坊
さて、皆様の予想はいかがでしょうか?
かささぎ
(2009.11.15)
政権交代が実現して数ヶ月、鳩山首相をはじめ民主党議員の面々の奮闘ぶりが目を引く。閣内の意見がばらばらだったり、官房機密費(報償費)のように初めの意気込みが尻すぼみになったり、お疲れ気味の方が目立ったり、やたら忙しそうな方と暇を持て余されているように見える方が混在したり、あぶなっかしい感じもするのだが。
特に気になるのは、マニフェスト至上の姿勢。「公約が実現していないと国民が感じ始めたら即、民意を問いたい」と鳩山首相は不退転の意志を訴えるが、これってまさに「マニフェストありき」。かなり原理主義っぽくないか。頭が固過ぎないか。
選挙で圧倒的な議席を与えたとはいえ、国民は民主党が掲げたマニフェストを何から何まで賛同したわけではないと思う。むしろ、長年政権運営してきた自民党の驕りに厳しく「No」を突きつけ、日本の政治をいったんリセットしたかったのだろう。
沖縄の米軍基地、八ツ場ダム、暫定税率、高速道路、子育て手当て、年金、郵政改革、いろいろな分野で新味のある政策を並べ立てているが、これまでの経緯や財源との整合性があるのか、そもそも民意を得ているのか、私にはどうもわからない。
例えば「高校無料化」。高速道路や子育てと同様、ご利益を得られる当事者なら喜ぶかもしれないが、公正な政策かどうかとなると疑問がある。日本の国技、大相撲のある親方が言っていた。力士を志すなら義務教育を終えてすぐに弟子入りしたほうがいい。高校程度の読み書きや社会常識は相撲の修行を続けながらでも十分身に着けられる。リスクの大きい職業選択をして、高校無料化のための税金を払い、修行する自分たちには何の見返りもない、というのでは不公平ではないかと。
学歴は結婚や子供を持つかどうかと同じように個人のライフスタイルの問題。学問に向いているけれど困窮しているために進学できない人を奨学制度などで支援するという、選択肢を広げるための政策は結構だが、何も一律に高校無料化を打ち出す必然性はないように思える。そもそも、数学や物理のような学問では特に優秀な子供には既成の高校の枠を超えた“私塾”的な育成の方が本人のためにもなるのではないか。もちろん、凡夫の私には、舟木和夫やペギー葉山が歌った「高校三年生」や「学生時代」の頃が懐かしかったりするのだけれど。
実はこの話、棋士にこそ最も当てはまりそう。今では高校・大学卒の棋士も多くなったらしいけれど、高校・大学への進学は言わば「含み」を重視して決定を先延ばしする方法。これに対し、手段を絞り込み、言い換えれば捨て身の姿勢で、難しい目的に挑戦するのも一つの選択だと思う。進学を断って困難な道で職を得、若い頃から税金を払い始める人には、高校無料化は愚策に映るかもしれない。
亜Q
(2009.11.9)
千寿会とは1994年に始まった会で、小林千寿氏を慕って集まってくる海外からの棋士志望者と、 それを支える日本人囲碁愛好家たちの交流の場です。 会員募集中現在会員募集中です。ご興味のある方は本ページの上部に記載されているメールアドレスまでご連絡ください。ただし、入会資格は厳しいです。 |
![]() |
| 千寿先生の指導碁風景 |